山陽新幹線の車窓から見える、広島県の福山城に寄り道【尾道&岡山旅行記①】

尾道(広島)&岡山旅行記2021年3月-①

旅行期間:2021年3月某日(3泊4日旅)

青春18キップ!!

青春18キップを使って旅に出る

今回2021年3月に訪れた尾道含む広島県一部と岡山県一部の旅で、初めて活用したのがこちらの「青春18キップ」である。この「青春18キップ」は全国のJR路線で、特急列車や新幹線などを除く電車が1日乗り放題になるという、夢のようなキップ。

 

「青春18キップ」は5枚回分で1セットとなっていて、切符の購入や使用に年齢制限はないものの、若者に全国を旅してもらいたいという趣向から始まった企画だけあって、①春休み②夏休み③冬休み の3つの時期にだけ限定的に使用できる切符でもある。

 

今回は春休みの時期という事で「青春18キップ」を選び、「5回分=12,050円」という料金で販売しているが、5回分も必要なかったので金券ショップを巡って、ばら売り(残1回分)で売られているチケットを2枚購入。なお、大阪では天王寺の金券ショップよりも、難波の金券ショップの方がお店が多いからか、販売価格が安かった。

 

なお宿泊は尾道市内でも坂の上の高台にある「尾道ビュウホテル セイザン」という、評価が4を超えるという中々に人気なホテル。ただ綺麗な新しいホテルという訳ではなく、ちょっと古そうな建物だけどそのホテルを運営するスタッフさんの人柄などが、その評価に大きく影響を与えているホテルだった。

 

「尾道ビュウホテル セイザン」から、眺めた尾道水道の先に見える朝に

「尾道ビュウホテル セイザン」から眺めた、尾道水道の先に見える朝日

この「尾道ビュウホテル セイザン」、「ビュウホテル」の意味が「View」と”視界がいい”という英語から来ている事が分かる、ホテルの部屋から見えた尾道の朝日。千光寺と同じ高台に造られているホテルなので、尾道駅から徒歩で歩くとそれなりに坂道を登るのが大変な立地でもあった。

 

予約した段階ではちょっと不安だったけど、宿泊してみると意外と”いいホテル”だった。高台だけに事前に”光ファイバーが来ていないので、Wi-Fiは早くありません”とあったのでそれは覚悟していたけど、そこまで気になる程でもなかったし、ホテルの立地と対応してくれたスタッフの女の子が愛想良くて、個人的には「☆4.5」を付けたい気分だった。

 

 

尾道を目指して出発!

青春18キップを使って旅に出る

という事で「青春18キップ」を初めて利用しての旅が始まりを告げる。なお、この「青春18キップ」は金券ショップで1回分として購入したが、5枚1セットになっているチケットではなく、このように1枚で5回使える切符になっている。

なので金券ショップで購入した段階で、既に4回使用済みとなっていて、あと1回だけ使用できる状態となっていた訳だ。日本全国を旅する人にとってはお馴染みの「青春18キップ」だけど、今まで全然国内旅行に行く事が無かったので40歳を過ぎての初めての体験でもあった。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

オレは何回も「青春18キップ」を使ってるけ!

 

この「青春18キップ」は当日のJR列車が乗り放題なので、遠くへ行く予定があれば、その分早くから出発する必要もある。ただ最寄りのJR駅は朝早くには無人駅となっていて、どうやって「青春18キップ」を使えばいいのか、分からなかった。しかし調べてみると、無人状態となっている駅の改札にはインターホンが用意されていて、それを通してJRの人に「青春18キップ」を使用する旨を伝えると、改札が自動的に開かれて入る事が出来た。

 

ただ「青春18キップ」は使用当日のハンコを押してもらう必要があったが、その確認のハンコは途中で乗り降りする駅の有人改札口で、ハンコを押してもらえばいいという事で、途中立ち寄ったJR大阪駅でハンコを押してもらったのである。

 

広島県の福山市に到着!

2020年の国内旅行ではその移動の大半が飛行機で一気に目的地まで飛んでいたのであるが、「青春18キップ」を使うと当日中であれば何回でも乗り降りが可能となるので、その特性を活かして尾道までの道中で気になる場所に寄り道してみた。

 

 

 

この広島県の「福山市」は、2020年夏に北九州市まで新幹線で行った際に、車窓から見かけて気になっていたお城。東海道新幹線だったら小田原城が車窓から見えるけど、その西日本Verというようなお城。

 

「福山」と聞くと、俳優で歌手でもある福山雅治さんを思い浮かべてしまうけど、ここ福山市とは特に関連が無いようだ。ちなみに福山雅治さんは長崎県長崎市出身で、人気の展望台である稲佐山周辺に実家があるそうで、タクシー運転手曰く、「福山雅治の実家に行って!」というお客さんもチョコチョコ居るという。

 

この福山市は広島県の東側に位置する場所だが、昔は備後国・備中国に属する場所だった。江戸時代になると、西側の毛利家などを見張る場所として”譜代大名”が明治維新まで配置され続けた「備後福山藩」となり、初代福山城主として徳川家康の従兄弟にあたる「水野 勝成(かつなり)が迎えられた。

 

備後福山藩は約10万石の譜代大名として江戸時代を守り通してきたが、現代では福山城の本丸近くにこのような山陽新幹線の路線が貫いている。山形城もその本丸すぐ近くをJRの線路が設置されていたけど、役に立たない城よりもこのような経済発展に大きな効果をもたらす新幹線の路線を通す事の方が重要視されたのだろう。

 

JR山陽新幹線の線路脇にある「福山城跡」 Googleマップより

JR山陽新幹線の線路脇にある「福山城跡」 Googleマップより

このように福山城跡の真ん前にJRの線路が走っている。なので山陽新幹線の列車に乗る場合は、北側が見える席に座らないと車窓から福山城が見えないのである。。

 

この福山城は徳川幕府から監視されていた外様大名ではなく、歴代譜代大名が配置されていたので天守閣も五層という大きな建物だったようだ。明治時代になってからの廃城令で天守閣なども払下げされ取り壊される運命にあったが、地元住民の嘆願もあって天守閣などは保存される事になり、国宝にも指定される事になる。

 

しかしながらそんな江戸時代のまま現存していた福山城天守閣などの建造物も、1945年の空襲によって焼け落ちてしまっている。その空襲を逃れて現存する僅かな門は残っているものの、福山市の象徴でもあった天守閣は無残にも焼け落ちてしまっている。

 

 

「史跡 福山城跡」を訪問!

広島県にある「福山城」

さて、そんな福山城跡に足を踏み入れて行く。戦争時の空襲で焼け落ちてしまった建物だが、1966年頃に「天守」・「月見櫓」・「御湯殿」などが復元されている。ただこのJR駅側からの入口正面に見えている「伏見櫓」は、江戸時代初期に建造された建物で、1945年の空襲時に燃えなかった唯一現存する櫓のようだ。

 

【福山城跡】

住所:広島県福山市丸之内1-8-39
営業時間:9時~17時頃(※定休日:月曜日)
電話番号:084-922-2117
※2022年8月28日からリニューアルオープン!

 

 

そんな福山城内に足を踏み入れようかと思っていたら、石垣沿いに植えられている植木脇に、居眠りしている一匹の猫ちゃんを発見した。普段から観察好きな人間であるボクからすると、このような猫ちゃんに最近はすぐ目が行ってしまうのである。。

 

人間からすれば立ち寄りにくい石垣の淵だが、猫ちゃんからすれば人間が近寄って来ない安全な場所になるのだろう。それもあってか、新幹線が通る五月蝿い線路脇にも関わらず、のんびり気持ちよさそうに日向ぼっこをしている姿が見られた。

 

広島県にある「福山城」

この江戸時代初期から現存する「伏見櫓」は、1600年頃に建造された京の伏見城にあった櫓がこの地に移設された物でもある。だから伏見櫓という名前が付けられており江戸時代初期に造られた櫓としては、熊本城の宇土櫓と共に最古の櫓の部類に入るそうだ。

 

広島県にある「福山城」

1945年の空襲で奇跡的に焼失を免れた伏見櫓だけど、2006年に外装リニューアル補修工事が行われた為に、パッと見では今から約400年も前に造られた古い櫓という印象は全く感じられなかった。ちなみに江戸時代にはこの伏見櫓の周囲には多門櫓と呼ばれる回廊で繋がっていたようだが、それらは明治時代に取り壊されている為に、今ではこの伏見櫓単独で立っている光景となっている。

 

その伏見櫓の石垣近くには、こちらのまだ若そうな松の木が植えられているのが見える。これから何年もかけて、福山城跡に似合う松に成長をしていく事だろう。

 

その周辺の茂み内に隠れるように身を潜めている猫ちゃんを発見。近くに餌が入った容器が置かれており、保護猫かは分からないけど、誰かが定期的に餌を与えているようだ。ただこの猫ちゃんらはあまり人慣れしていないようなので、近づくだけで逃げてしまった。。

 

そして福山城に向かって進んで行くが、この福山城や備後福山藩の歴史もこの時は全然知らなかった。個人的には戦国時代の武将とか有名どころは知っているが、「徳川家康の従弟で・・・」という話を聞いても全然理解できてなかった事だろう。

 

福山城跡に置かれている、「阿部正弘」の銅像

そんな福山城内敷地内を歩いていると、1体の銅像が見えてきた。江戸時代の福山城にゆかりがある人物の銅像で、知らない人だと思い込んでいたけど、意外とボクでも知っている人物だったので少々驚いた。

 

 

福山城跡に置かれている、「阿部正弘」の銅像

こちらの銅像は「阿部 正弘(まさひろ)という、備後国福山藩:阿部家の第7代藩主だった人物で、かつ江戸幕府の老中にも就任し、ペリー来航時にその対応を指揮した人物だった。個人的な知識としては、幕末の鹿児島:薩摩藩主だった島津斉彬と懇意にしていた人物で、自分で意見を考えるというよりは、賢人の藩主から優れた考えを抽出し、それを実行したというイメージがある。

 

徳川幕府では征夷大将軍が実務を行うのではなく、「老中(ろうじゅう)という譜代大名から任命された藩主らが執政を代行するシステムが代々行われていた。譜代大名も小さ過ぎるのもダメで、逆に大き過ぎる大名もダメで、程々の譜代大名でなければならなかった。

 

福山城跡に置かれている、「阿部正弘」の銅像

備後福山藩は当初、徳川家康の従兄弟にあたる水野勝成が藩主となって5代に渡って治めた。しかし5代目が幼くして亡くなった為に改易となり、一旦幕府領となった後に、宇都宮藩から阿部家が移封されて10代に渡って江戸時代を治めた。なおその間に阿部家からは、阿部正弘を含めて4人の老中を輩出している。

 

このように江戸幕府は将軍も老中も、代々徳川家にゆかりのある家柄から選ばれ続けた事で、新たな血の導入が行われずに色んな面で停滞していく事に繋がった。そしてその間に色んな先進技術を開発していった外国勢を甘く見ていた為に、諸外国の技術をいち早く導入した薩長同盟に敗北する事になるのである。。

 

そして福山城跡から西側に、ゴシック建築様式の教会のような大きな建物が顔を覗かせていた。こちらの建物はてっきり教会だと思ってしまうけど、実は「ホーリーザイオンズ パークセント ヴァレンタイン」という結婚式場となっている建物。

 

ヨーロッパにあれば間違いなくキリスト教の教会だろうけど、キリスト教徒の少ない日本では、結婚式の為のキリスト教という認識が多いのかもしれない。。

 

そして1945年の空襲の後で1966年に再建された福山城の天守閣は、この訪問時(2021年3月)は改修工事の真っ最中であった。現在の天守閣は建造から50年以上が経過し、2022年の”福山城築城400年”に向けて、耐震補強や本来の城構造を復活させるプロジェクトが進行していた。

 

 

五層にもなる大きな天守閣内には「福山城博物館」もあって、その見学を楽しみにしていたけど、残念ながら2022年8月以降にならないと博物館見学も出来ないようだ。ただこのブログが公開される頃にはリニューアル工事が終了して、新しい天守閣が御目見えしているだろうが。

 

天守閣の北側にあった、こちらの礎石は「福山城:旧天守礎石」。江戸時代初期に建造された大きな天守閣が1945年に空襲で焼失した後、1966年に鉄筋コンクリート造りで再建された際に、昔の天守閣下にあった礎石をこの場所に移管して保存しているそうだ。

 

 

その近くにはこのような大き目の丸太が沢山、無造作に置かれている光景が見られる。鉄筋コンクリート造りの天守閣には不要な木材のように思えたけど、その一部でひょっとしたら使われるのかもしれない。

 

今では木造建築物も少なくなってきたので、都会ではこのような丸太自体、見る機会が少なくなってきている。新しい建物を造る時は殆ど鉄筋コンクリート造りで、丸太ではなくセメントを積み込んだミキサー車ばかりを目にする。

 

このように天守閣がリニューアル工事中という、ちょっと訪れたタイミングが悪かった福山城。しかし江戸時代初期に建造されて、空襲での大火から運よく逃れた伏見櫓という立派な櫓を見れただけでも、有難く思えたのである。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!

にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ

タイトルとURLをコピーしました