リニューアル工事中の福山城で、コラボする「信長の野望」のキャラクターを眺める【尾道&岡山旅行記②】

尾道(広島)&岡山旅行記2021年3月-②

旅行期間:2021年3月某日(3泊4日旅)

光栄好き?!

ここは広島県でも東側にある福山市で、江戸時代に備後福山藩の居城として治められていた「福山城跡」がある場所。この福山城は外様大名ではなく、徳川家にゆかりのある譜代大名が治めた城で、西側の外様大名を牽制する前線の城でもあった。

 

【福山城跡】

住所:広島県福山市丸之内1-8-39
営業時間:9時~17時頃(※定休日:月曜日)
電話番号:084-922-2117
※2022年8月28日からリニューアルオープン!

 

 

 

福山城の見学!

備後福山藩を治めた大名は水野家と阿部家であるが、戦国時代に名を馳せた大名でもなかったので、意外と現代では知名度の少ない大名でもある。しかし、それは歴史を勉強してないから知らないだけで、江戸時代の歴史を徐々に知っていくと、江戸時代に大きく関連している事が分かっていくのであるが。。

 

この福山城を訪れたのは2021年3月17日で、このように桜が徐々に咲き始める頃合いだった。まだちょっと肌寒いけど、これから迎える春に向かって、しっかり桜の蕾から花が出てこようとする姿が見られる。

 

ただ桜が綺麗に開花するのはもう少し後なのであるが、今回の旅は桜満開の景色を求めていた訳では無かったので、敢えて人が少ない桜が満開になる時期の前を狙ったのでもある。桜満開の景色も綺麗ではあるけど、毎年見れるものだし、また桜の見物客が増えて静かに観光できないので、その桜満開のシーズンを外したのであった。

 

そして福山城の東側に行くと、また先程の阿部正弘と違った銅像が設置されているのが見えてくる。こういった銅像などは、その土地にゆかりのある人がモデルとなっているので、手っ取り早くその土地の歴史を知りたければ、このような銅像を見つけて勉強するのが早いのである。

 

こちらの銅像は「水野 勝成(かつなり)という徳川家康の従兄弟にあたり、備後国の福山藩:初代藩主になった人物。岡崎生まれの水野勝成は、松平家(後の徳川家)や織田家や羽柴家を転々とし、天下分け目の関ヶ原合戦で東軍に付いて活躍し、郡山藩主に就任した後に、ここ備前国に移封されてきた。

 

江戸時代初期にこの中国地方の多くは、戦国時代の有名な武将でもあった福島正則が治めた地域でもあった。しかし福島正則は居城にしていた広島城で大規模な修繕を江戸幕府の許可が下りる前に行った為に、武家諸法度の中で勝手な築城を禁ずるという掟に抵触し、最終的には福島家は改易されてしまう。

 

そのように福島家が改易された後に移封されてきたのが、この銅像の主である「水野勝成」。約10万石として与えられた福山城を治め、1637年の12月に勃発した島原の乱にも当時75歳という高齢ながら幕府軍の増援隊に加わった。なお、水野勝成が亡くなったのは88歳頃とされており、当時としてはかなりの長生きだったようだ。

 

このように訪問当時はリニューアル工事の真っ最中だったけど、このブログが公開されている頃には江戸時代の外観を取り戻した綺麗な姿になっているハズの天守閣。五層というかなり大きい部類に入る天守閣の建物だけに、リニューアル明けの福山城にもう一度来たい気持ちの今。。

 

水野家が備後福山藩の藩主だった時代は、この福山藩の石高は表向きは10万石だったが、実際には15~30万石もあったとされており、資金的には困らない藩の1つだったそうだ。それもあってか、福山城には7つもの三重櫓を備えていたようで、思っていた以上に立派な城構えをしていたようだ。

 

今の福山城ではこのように石垣だけしか残っていない部分もあるが、この辺りには立派な門があって、それを守る櫓が何個も備えられていた。そのように今見える景色だけではなく、かつての江戸時代にあっただろう景色を頭の中で想像してみると、ちょっと違った雰囲気を楽しめるのである。

 

本丸の東側には、このように福山城博物館でもある天守閣に繋がる門を発見する。天守閣がリニューアル工事中だったけど、その天守閣に繋がる門が通れるようになっていたので、とりあえず近寄ってみる事にする。

 

 

工事中の天守閣にて

門を進んで行くと、このように工事中の為に覆いがかけられている天守閣や、その手前にあった広場には工事関係者用の仮設事務所などが見えてくる。最近ではこのような観光地の建物などを改装工事する際には、その覆いに建物をイメージする絵や写真が貼られていたりする事が多い。ここでは、工事現場を隔てる壁に、戦国時代の武将などが描かれている光景が見えてくる。

 

2022年に福山城築城400年を記念したイベントの一環で、”歴史シミュレーションゲーム”というゲームのジャンルを開拓した戦国時代を題材にしている『信長の野望』とコラボしていたようだ。『信長の野望』を発売しているゲーム会社:光栄(コーエー)はシミュレーションゲーム業界の草分け的会社でもあり、シミュレーションゲーム好きなボクも光栄から発売されていたゲームにお世話になっている。

 

ただ光栄のシュミレーションゲームはそこそこ遊ばせてもらったけど、この織田信長がメインとなっている『信長の野望』シリーズ自体は意外とあまり遊んだ記憶がない。個人的には豊臣秀吉をメインとする『太閤立志伝』の方をやり込んだので、『太閤立志伝』で戦国時代の歴史を学んだと言っても過言ではない。

 

 

ただ世間的には5作品しか作られなかった『太閤立志伝』よりも、16作も作られた『信長の野望』の方が人気のようだ。1人の武将として成り上がりを体感する『太閤立志伝』より、戦国時代の1大名として日本を制覇する方が受けがいいのかもしれない。

 

福山城は目下リニューアル工事中だったけど、このように臨時のミュージアムショップだけは仮説プレハブの中で営業していた。個人的にはプレハブ内で、福山城内に展示されている史料の一部などを展示していて欲しかったけど、管理する側からすれば、少しでも売り上げをあげたいという考えだったのだろう。

 

ここでは「藩主印」という紙切れが販売されており、江戸時代後半に老中ともなった「阿部正弘」や、備後福山藩の初代藩主となった「水野勝成」の藩主印もそれぞれ200円で販売されていた。

 

そして”日本百名城”にも選ばれている福山城なので、このようなスタンプも設置されていた。個人的にはこのようなスタンプを集める趣味はないけど、写真に撮っておくと物が増えずに記憶代わりにこのように残せるので、とりあえず写真だけを撮ってみた。

 

この福山城天守閣は1945年の空襲で焼失した後は、木造ではなく鉄筋コンクリート造りで再建されている。なので昔の風情はないけど、鉄筋コンクリート造りで再建する事によって、工期と予算が比較的抑えられているのかもしれない。

 

こちらには「ラジオ体操やってます! ご一緒にどうぞ!」という旗も見られた。ここの福山城公園として整備されている場所でもあり、そういった公園では朝早くからラジオ体操が行われている。普段からラジオ体操などで体のストレッチを行う事が、歳を取っても動ける体作りに欠かせないのだろう。

 

 

さてここからは工事用壁に描かれていた、戦国時代の有名な武将について見ていく。こちらはキリシタン大名としても有名な「小西行長」で、朝鮮半島出兵時はライバルだった加藤清正と争って我先にと敵に攻め込んで行った。しかし関ヶ原の戦いで西軍に参加し、敗北して捕えられて斬首されてしまう。

 

こちらは戦国時代の名軍師としても名高い黒田官兵衛の息子で、福岡藩初代藩主となった「黒田 長政(ながまさ)。戦国時代の動乱時に焦点を当てている『信長の野望』では、黒田長政よりも父親である黒田官兵衛の方が能力が高く設置されているので、黒田家というと黒田官兵衛の印象の方が強いのである。

 

こちらは二刀流の剣士としても有名な「宮本武蔵」。大阪夏の陣では水野勝成の息子だった水野勝俊(かつとし)の下で、目立った活躍をして色んな書物でその武勲が記されているという。こちらの絵では日本刀の二刀流だけど、巌流島での戦いのように、刃こぼれして使えなくなる日本刀よりも、折れにくい棍棒を使っていたイメージの方が強いのであるが。。

 

こちらは”虎退治”でも有名な「加藤清正」で、秀吉政権の下でも特に武勲に優れた名武将の1人であった。小西行長と競うように朝鮮半島に乗り込んで行き、また秀吉死後はいち早く徳川家康に接近しており、水野勝成の妹で徳川家康の養女となっていた「清浄院(せいじょういん)を継室に迎えている。江戸時代には熊本藩初代藩主となるが、2代目の加藤忠広時代に加藤家は改易となってしまう。

 

そしてこちらは江戸時代を作った歴史的な人物でもある「徳川家康」。この福山城を治めていた水野勝成とは、従兄弟にあたる存在でもあって面倒を見てきたようだ。織田信長と豊臣秀吉という歴史的な人物と戦う場面もありながら、上手い事立ち回って約270年間に渡って日本国を支配する大政権を築いた。

 

ただ歴史シュミレーションゲームとしては徳川家康を題材にしたヒット作はなく、やっぱり現代で最も人気の高い「織田信長」を中心としたストーリーの方が人気があるのだろう。破天荒な性格で、また南蛮文化などにも大いに興味を示し、戦国時代の風雲児だった信長。そして最後を迎える”本能寺の変”もドラマチックな展開で、歴史シュミレーションとしては織田信長の1人勝ち状態でもある。

 

ただ個人的にはこちらの「豊臣秀吉」”天下一の成り上がり者”も凄い存在である。織田信長は一介の大名の跡取り息子であったが、この豊臣秀吉は下級武士の家に生まれたとされており、本来なら家老にも成れなかった立場であった。しかし信長の小姓に選ばれた事でその才能を見出され、終いには天下人となってしまうのである。

 

こちらも戦国時代には有名な「伊達政宗」だけど、戦国時代の歴史シュミレーションゲームの中では、信長や秀吉世代に比べると若いので、あまり使われる存在でもない。歴史シュミレーションゲームではどうしても人気の戦国時代の動乱期に焦点を当てているだけに、ちょっと遅れた時代に生まれた伊達政宗の出番は少ないのである。

 

こちらは水野勝成が仕えた武将の1人でもある「佐々 成政(さっさ なりまさ)。織田家に仕えていた武将で戦闘能力も高かった事から、歴史シュミレーションゲームの中では意外とお世話になった人物でもある。本能寺の変以降は柴田勝家側に付いて秀吉と敵対する立場になるが、後に降伏し、その後の九州討伐で大きな戦果を挙げた事から肥後国を与えられる。

しかしその肥後国で一揆が発生し、佐々成政がその一揆を直ぐに鎮圧できなかった為に、その罰として切腹に処されてしまうのであるが。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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