尾道(広島)&岡山旅行記2021年3月-㊼
旅行期間:2021年3月某日(3泊4日旅)
高い高い天守閣!
岡山県高梁市という内陸部の山の上に造られている「備中松山城」。ここには江戸時代から現存する天守閣が残されている場所だが、この山奥の小高い所に山城として造られた事もあって、明治時代以降に取壊しを逃れた城でもあった。
備中松山城にて
この備中松山城は江戸時代までは備中松山藩の居城として存在してきたが、明治時代になると廃城令により払い下げで売られてしまった。他の城は自治体の大きな建物や学校などに様変わりした所も多いけど、この備中松山城は標高400mを超える山城という事もあって、不便な場所だっただけにその跡地は利用されずに放置され続ける事になる。
しかし放置されて荒れ果てたものの、そのおかげで現在にまで残る江戸時代の城跡として現存する事になった。勿論、江戸時代に造られた建造物なので、長年放置され続けた時代は建物なども荒廃していたので、その後に大規模な修復作業が行われて、今日の備中松山城となっている。
備中松山城を眺める! 動画
こちらは「三の平櫓跡」という碑が見られる。このように全ての当時の建物が現存している訳ではないので、余計に現存している建造物が貴重に思える。
三の平櫓跡からの眺め! 動画
このように標高400mを超える場所に造られた山城だけあって、先程歩いてきた高梁市の町が遥か下に見えている。しかし、この備中松山城の周辺には木が生い茂っているので、そこまで高梁市の町がクリアに見下ろせる訳でもないが・・・。
さて、ここは山城なので天守閣へと続く階段は、まだまだ続きます。逆にこのような何段も続くように思える階段こそが、山城の醍醐味な所でもあるので、階段上りを楽しむ気持ちで歩けば、より一層城見学が楽しめる事だろう。
基本的にこのようなお城の天守閣というのは、敵が攻め込んできた緊急事態の際に籠城する最後の逃げ場だった。なので普段から殿様が住んでいた場所では無く、あくまでもシェルター的な使い道の為に建造されていた。
そしてこんな山城の高台にも関わらず、ここには城郭風の外観をしたトイレが設置されていた。こんな場所まで水洗トイレを設置するなんて、現代人の技術力の凄さを感じてしまうトイレでもあったが。
現代人からすれば、このような標高400mを超える場所に造られている山城に登るだけで大変だと感じるだろうけど、昔の人達はそんな場所に城をこのように築いていた訳である。そう思うと、現代人と江戸時代の人々では根気というか、根性の質が全然違っていたのかもしれない。
備中松山城の石垣はこのように”野面積み”となっていて、全国の城跡でよく見かける石垣となっていた。徳川幕府が再建した大阪城などは、幕府の権威を魅せ付ける為にも大きくて整った石が使われた石垣になっているけど、現実的にはこのような野面積みが一番最適な石垣だった事だろう。
それにしてもパズルのように、大きな石の隙間に上手い事、小さな石が嵌められているのが見られる。このような小さな石を隙間に詰めるのも、その石垣職人のセンスが表れているようにも感じる光景である。
そして階段を登っていくと、やっとこさ備中松山城の天守台が見えてくる。下の登山道に差し掛かってから約40分掛けて天守閣が見えてくると、やっぱり嬉しさがこみ上げてくる。
この備中松山城は鎌倉時代~室町時代に掛けて形成された城で、その後に江戸時代に入って大きく改修されて、今の形になったとされている。そして江戸時代には徳川の譜代大名が多く入れ替わって、落ち着きのない時代が長く続いた城でもあった。
この備中松山城の天守閣は単体ではなく、”八の平櫓”から回廊で繋がる連立式天守だった。ただその八の平櫓から繋がっていた回廊は、戦前の修理の際に補修しようがない程に荒廃していたので、破棄されてしまっているが。
天守閣を眺める! 動画
天守閣に入城!
そしてこの天守台の中に入るのに”入城料”が発生する。その入口は手前に見える階段を登った先にあり、そこで入城料を支払う。
備中松山城の天守閣への入城料は、このように大人500円となっている。このような江戸時代から現存する天守閣を見学する際に支払う費用は、支出というよりも、この貴重な文化財を維持/管理してもらう費用として考えるべきかもしれない。
そして中に進むと、やや小ぶりな2層の天守閣が見えてきます。昔は櫓と繋がっていた回廊があったけど、今は天守閣の左側にある階段を登って、隅っこの出入り口から入る仕組みとなっている。
江戸時代から現存する天守閣12個の内、「姫路城」・「松山城」・「弘前城」に続いて4番目に到達した備中松山城。
ちなみにこの旅の後には、更に「松本城」・「彦根城」・「松江城」・「高知城」と訪れており、残すは「丸岡城」・「犬山城」・「丸亀城」・「宇和島城」の4箇所となっている。
そして江戸時代から現存する天守閣と共に、もう1つ楽しみにしていた「猫城主:さんじゅーろー」だったけど、残念ながら新型コロナウイルスの影響で触れ合いが中止となっていた・・・・。
この時だけはコロナを恨みました!
備中松山城の猫城主・さんじゅーろー(朝日新聞社)
猫城主に会いたかったね!
という事で楽しみにしていた猫の城主に挨拶できなかったので、もう一つの楽しみとしていた備中松山城の天守閣を満喫する事にする。ちなみに今の天守閣は数回に渡って補修工事が行われているので、このようなそこそこ綺麗な外観になっているが、戦前までは放置されて考えられないような惨めな姿になっていたようだ。
天守閣を見上げる! 動画
この備中松山城の天守閣は、期待する程に大きな建造物ではなく、こじんまりした大きさとなっていた。備中松山藩の規模自体が約5万石だった事もあって、それ程に大きな城が築かれる事もなかったようだ。
さすがにこの場所まで登ってくると、下に流れる川が遥か遠くに見える。この場所は天守閣に併設されていた”ハの平櫓跡”で、天守と繋がる回廊があった建物跡だ。
江戸時代から現存する天守閣とは言いながらも、昭和と平成時代に大掛かりな解体修理工事が行われているので、城に使われている部材が江戸時代からず~~っと使われ続けている訳ではない。また、外壁や瓦なども餌付けして個体数が増えた猿によって、汚れたり破壊されたりした箇所も合わせて修復されている。
なので外観だけ見ていると、江戸時代に建造された建物には思えない程に綺麗だった。しかしこういった江戸時代に造られた天守などは、内観がどうなっているかの方に興味がある。やっぱり昔の狭い木造建築物の天守閣は、勾配のキツくて登りにくい木の階段などが特徴的でもある。
そして天守閣の出入り口に進むと、中は土足厳禁となっているので、まずここで靴を脱ぎます。スリッパもなく素足もしくは靴下を履いた足で進んで行くので、冬場には足元が冷たくなる可能性が高いので、スリッパを持参した方が良さそうな場所にも思えた。
こんな旅はまた次回に続きます!
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