朝イチに訪れた静かな千光寺で、新鮮な尾道の空気を吸い込む【尾道&岡山旅行記⑰】

尾道(広島)&岡山旅行記2021年3月-⑰

旅行期間:2021年3月某日(3泊4日旅)

相撲好きも楽しめる?!

尾道 千光寺公園 眺め

目の前には瀬戸内海の中でも狭い尾道水道が横切る、風光明媚な街でもある広島県の尾道市。どんな特徴や歴史があるのかをいつもながら、事前にそこまで調べずにやって来たけど、この千光寺山からの景色を見た瞬間に、やって来て正解だと感じた。

もみじ饅チャン
もみじ饅
チャン

尾道は素晴らしい所じゃけ!

 

 

千光寺山にて

尾道 千光寺公園 展望台 工事中 2021年

そんな千光寺山の頂上付近には展望台が設置されていたが、この場所を訪れた2021年3月には展望台がこのように工事中で閉鎖されていた。

 

ただ、2022年にはリニューアルオープンして、近代的で解放感のある新しい展望台となっているようだ。

もみじ饅チャン
もみじ饅
チャン

是非、新しい展望台を見に来てね~!

 

尾道 千光寺 旗

この山の上にある有名な「千光寺」、山号は『大宝山』となっている。

 

ちなみにこの”山号”という言葉は一般人はあまり聞き馴染みがないけど、寺の名前の前に付けた称号のような物。昔の人達も”号”という別名を名乗るのが普通だった時代があり、個人名よりも称号で呼ばれる事も多かったようだ。

 

尾道 千光寺 大石

そして道の脇に見えたこちらの岩肌は「鼓(つづみ)岩」「ポンポコ岩」と呼ばれる、大きな岩場。この鼓岩の上は自由に立ち入る事が出来るけど、奥の方には柵が設置されていないので、あまり奥に行き過ぎると下に落ちる危険性もあるので注意が必要な場所。

 

尾道 千光寺 像 頼山陽

そんな鼓岩の周囲には、こちらの「頼 山陽(らい さんよう)の像が設置されていた。頼山陽は大坂生まれの文化人で、生まれた年の年末に父親が広島藩に雇われた為に、広島で育った。

 

ちなみに「頼 山陽」という名前も、”山陽”は号である。本名は別にあったものの、漢詩などに秀でた人は古代中国文化を尊重するように号を主に名乗っていたようだ。

 

尾道 千光寺 像 頼山陽 プレート

なお、こちらの「頼 山陽」像の作者は、埼玉県出身の橋本次郎という東京藝術大学で彫刻を学んだ彫刻家の作品となっている。

 

尾道 千光寺 平成10年 相撲尾道場所 記念石碑

そしてその像の隣には、1998年10月にここ尾道で行われた「平成10年10月大相撲:尾道場所」(地方巡業)を記念した石碑が設置されていた。今の大相撲は1年間に6場所の本場所が行われているが、その合間にこういった地方に出掛けて地方巡業をしている。

 

 

尾道 千光寺 平成10年 相撲尾道場所 記念石碑 貴乃花 手形

ちなみにこの尾道場所が行われた1998年は、”お兄ちゃん”こと三代目:若乃花が横綱に昇進した年でもあった。小さい頃から相撲好きだったボクは、この当時は毎日の取り組みをテレビで見ていただけに、この石碑に彫られていた力士はほぼ覚えている。

この当時の相撲が一番人気がありましたね!

 

尾道 千光寺 横綱 陣幕 手形石碑

そんな大相撲の地方巡業が行われた尾道では、昨日訪れた寺でもお墓があった「陣幕 久五郎(じんまく きゅうごろう)という江戸時代最後の横綱のゆかりの地でもある。こちらには横綱:陣幕久五郎の手形が入った石が置かれていたが、この岩に合わせてさっきの尾道場所記念碑をここに置いたのかもしれない。

 

尾道 千光寺 横綱 陣幕 手形石碑

有名人のサインなどは見てもイマイチ実感が湧かないけど、このような手形はその人の大きさとかもわかるので、実感しやすいと思う。また相撲取りはサインなどは書かずに、色紙にハンコのようにバンバン手形を捺していくイメージがある。

 

というのも相撲取りは力持ちとして昔から重宝されており、このような手形を持つ事が邪気を払うなどとして考えられた事もあって、現代にもその名残りが伝わっているようだ。

 

尾道 千光寺 横綱 陣幕 手形石碑 案内

ただ江戸時代の大相撲も現代の相撲界とはちょっと違っていたようで、部屋ではなく藩に所属していて、今で言う社会人相撲みたいな存在だったようだ。また体格もよく、力持ちでもあった為に警備も担っていたとか。

 

尾道 千光寺 横綱 陣幕 手形石碑 景色

そんな場所から振り向くと、このように高台から見晴らしの良い景色が目の前に広がっている。尾道に初めて来た人であれば、対岸に見えているのは島とは思えないかもしれないし、また間に流れる尾道水道も海ではなく川に思える事だろう。

 

尾道 千光寺 写生地 オブジェ

そしてここにも”有名画家:写生地”のオブジェが設置されていた。ここには高畠達四郎児玉幸雄児島善三朗などにゆかりの場所みたいだ。またこのオブジェは”尾道焼”という、この地域での焼き物で作られていたようだが、”尾道焼”と聞くと焼き物ではなく”お好み焼き”が頭に浮かぶのであるが・・・。

 

尾道 千光寺 写生地 オブジェ 景観

それにしても朝早い時間に来た事もあって、とても爽やかな空気が流れている千光寺周辺。この近くに住んでいれば、毎朝の散歩ルートとして千光寺の昇り降りをしていれば、足腰も鍛えられて長生きできそうな雰囲気にも感じた。

 

 

千光寺近くの景観! 動画

 

 

 

朝イチの千光寺にて

尾道 千光寺 鳥居

そして昨日は到着した時間が遅すぎて、奥に入れなかった「千光寺」に到着する。この付近までは一応車でも来る事が出来るようだけど、この周辺は千光寺の私有地で、駐車場は近くの「千光寺公園駐車場(※有料)」に車を停める必要があるようだ。

 

 

尾道 千光寺 鳥居 入口

千光寺周辺にゴツゴツした大きな岩がゴロゴロと見られたけど、この千光寺の境内にも大きな岩が見られる。そしてそんな岩の上に柵が見えるので、あの岩の上まで登れるようだ。

 

尾道 千光寺 看板

実際にここ尾道に来るまで、その存在を全く知らなかった「千光寺」。”無知”というか、今まで日本国内に目を向けたり興味を持ったりする事が無かっただけに、人によっては”最悪な事態”と捉える「コロナ禍」だけど、個人的には国内回帰に目を向けさせてくれた、大事な出来事だという認識である。

もみじ饅チャン
もみじ饅
チャン

物は考えようじゃけ!

 

尾道 千光寺 石碑 俚謡

こちらに彫られていたのは「俚謡(りよう)という、その地方で昔から歌われ続けた童謡のようなもの。日本という国も地方によって全然何を言っているか理解できない程の方言があったりして、狭い国ながら多様性が育まれている国でもある。

 

尾道 千光寺 石碑 俚謡 案内

この俚謡は「千光寺の鐘の音色は、遠くまで聞こえる!」という内容のようだ。数十もの寺が密集している尾道で実際に千光寺の鐘の音を聞き分ける事が出来たのか?という疑問は置いといて、この千光寺山の高台から鳴らした鐘の音は、さぞ遠くまで響きやすかっただろう。

 

尾道 千光寺 建物

こちらの建物は「三十三観音堂」という1743年頃に建立された建物で、中には西国観音霊場の各本尊である33体の観世音菩薩が祀られているそうだ。その為に西国観音霊場を全部巡らなくても、ここでお祈りすれば、一括して祈った事になるという便利な場所。

 

尾道、千光寺、公式ホームページ | 広島県尾道市,千光寺は歴史ある玉の岩伝説の伝わる古寺
玉の岩伝説が残る尾道の歴史あるお寺千光寺は千光寺ロープウェイでお参り

なお、この「三十三観音堂」の珍しいポイントは、拝観する場所に鐘ではなく、大きな数珠のような物が吊るされている事だ。これは”百八煩悩滅除大念珠”と呼ばれる物で、祈りながらこの大念珠を引くと、上で玉が「カチカチっ!」と音が鳴るんだとか。

もみじ饅チャン
もみじ饅
チャン

千光寺名物の念珠じゃけ!

 

尾道 千光寺 石碑 社殿

そして山の斜面に造られている本堂は、このようにややせり出している恰好になっている。なお、17時以降になるとこの本堂内には入れなくなるので、入ってお祈りをしたい人は17時までに来るか、本堂の下からお祈りするかだ。

 

尾道 千光寺 石鎚山 

そして本堂の脇には、『石鎚山鎖修行』という場所に繋がる階段もあった。この石鎚山鎖修行は大正15年(1926年)頃に鎖が付けられていたが、戦時中に金属回収令によって寺の鐘と共にこの鎖も撤去された為に、約60年に渡って閉鎖されていたようだ。

 

その後、平成15年(2003年)頃から住職がこの石鎚山鎖修行場の復元を行い、2005年頃から一般参拝客も入れるようになったそうだ。

もみじ饅チャン
もみじ饅
チャン

一応、参拝料金が発生するけどね!

 

尾道 千光寺 石鎚山 景色

昔の僧達は、このような断崖絶壁などで修業するのを好んでいた。それは修行中に誘惑を避ける為でもあり、人里離れた人が近寄らない場所が、このような断崖絶壁だったのだろう。

 

 

尾道 千光寺 石鎚山 社殿 景色

なお、「石鎚山鎖修行場に行く前に、先に本堂でお参りください!」という張り紙があったので、先に本堂へ向かう。1686年頃に造られた本堂は木造建築物となっていて、本堂の本尊である「千手観世音菩薩」は33年に一度しか御開帳されないそうだ。

ちなみに前回の御開帳は2013年に行われたようで、次はあと20年後(2045年予定)になりそうだ。。

 

尾道 千光寺 石鎚山 階段

という事で本堂に先にお参りしてから、階段を登って石鎚山鎖修行場に向かっていく。普段はこのような高い場所にある岩場まで登る機会が無い為に、少しワクワクしてくる瞬間でもある。

ただ高所恐怖症の人は、ちょっと遠慮した方がいいかもしれないが。。

 

尾道 千光寺 石鎚山 夫婦岩

そして階段を登っていくと、こちらの大きな奇形の岩が見えてきた。こちらは「夫婦岩」と呼ばれる、文字通りに夫婦のようにくっ付いている状態に見える岩。

 

尾道 千光寺 夫婦岩 看板

このような一対になっている物に「夫婦○○」と名付けるのが好きだけど、ここでは更に「この岩の前で2人が愛を誓うと、願いが叶うと言われています!」という、何の科学的根拠もないような説明書きが置かれていた。

 

尾道 千光寺 夫婦岩

個人的には「愛は誓う」ものではなく、自分の許容範囲を広げて相手を受け入れる事だと思う。所詮愛を誓っても長年相手と一緒に居ると嫌な面も多々見られて、結婚制度が無ければ、とっくに婚姻関係を解消したハズの人も多い事だろう。

 

特に近年は離婚者数が激増していて、40年前から倍増している。この背景にはかつての家同士などの付き合いが減って、嫌でも別れられなかった時代から、好きに自分で判断できる時代になった事が大きく起因していそうだ。

なお、離婚数が増えているのは日本だけに限らず、厳粛なイスラム教徒の国でも、同じような理由で離婚数が増えているそうだ。

もみじ饅チャン
もみじ饅
チャン

婚姻制度も崩壊じゃけ・・・

 

尾道 千光寺 石鎚山 男鎖跡

この夫婦岩の左側には「男鎖跡」という、かつて使われていた登り場跡が見られる。この岩の上に登るには、夫婦岩の左側にあって傾斜がキツい「男鎖」と、右側にある傾斜が緩く登り易い「女鎖」の2パターンが用意されていたようだ。

 

尾道 千光寺 石鎚山 男鎖跡

しかし「男鎖」ルートの方はキツい傾斜で参拝客が怪我をする可能性がある為に、今では閉鎖されており、右側の「女鎖」ルートのみとなっている。このような「男鎖」「女鎖」という名前は、女性権利運動家から批判の的になりそうにも思えるけど、昔はこういった表現が一般的だったのだろう。

 

尾道 千光寺 景色 塀

このようにこの高さまで登ってきた段階で、既に尾道水道や向島を一望できる景色が待ち受けている。高所恐怖症の人はここまで登っただけでも充分だろうが、高い所が苦手ではないボクは、更に石鎚山の上まで登るのであった。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!

にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ

↓↓↓↓尾道&岡山旅行記:初回↓↓

山陽新幹線の車窓から見える、広島県の福山城に寄り道【尾道&岡山旅行記①】
2021年3月に訪れた尾道(広島)&岡山の旅行記。青春18キップを握りしめて広島県に向かい、山陽新幹線沿いに見えてきたお城跡「福山城」に早々寄り道をするのであった。。
タイトルとURLをコピーしました