尾道(広島)&岡山旅行記2021年3月-⑦
旅行期間:2021年3月某日(3泊4日旅)
城跡が僅かに残る三原市!
ここは広島県の三原市で、場所的には広島市よりも東側の方にある、瀬戸内海に面した小さな港町。ただ昔と違って”しまなみ海道”の道中が橋で繋がってしまったので、渡し船やフェリーの需要が減ってしまった。その為に尾道港を含む周辺の港と合併していき、こちらの三原港は現在は旅客専用の船ターミナルとなっている。
三原市内にて
三原港ビル1階が三原港から出港する旅客船や高速船の、チケット売り場&乗り場となっている。この三原港から出ているフェリーなどは、基本周辺の瀬戸内海の島々へ向かう航路ばかりで、大阪や九州方面に向かう航路などはない。
近年はサイクリングロードとしても人気の”しまなみ海道”は、愛媛県の今治と広島県の尾道の間を結ぶ道で、その道中の島々に橋が架けられて簡単に通行できるようになっている。しかし、この三原市から瀬戸内海の島々に向かうには、近くに橋が架けられていないので、ここからフェリーなどの船に乗って移動する必要があるのだ。

昔から船で移動するのが普通だったんだけどね・・・
今回の旅では後日、尾道側からしまなみ海道をサイクリングする予定だったので、ここで瀬戸内海行のフェリーには乗らずに、もう少し三原の町散策を継続する事にした。
歩いている途中に大きな駐車場がある施設が見えてきたけど、こちらの建物は「三原市役所」だった。この建物はまだ比較的新しそうに見えたけど、どうやら2019年5月にオープンしたものだった。
三原港から南の方に延びる道の先に「三原市歴史民俗資料館」という、無料で見学できる施設があったので、そこに向かってもう少し南下する事にした。ただ、こういった地方の町にやって来ると、移動の足は徒歩ではなく車が一般的になっているので、あまり道を歩いている人の姿を見る事が出来ない。
こちらはその歩いている途中に渡った「曙橋」という、特に変わりのない普通の橋。こちらは東側の景色なので、この先奥に尾道の街があるハズだが、約13km離れた場所にあるのでさすがに見えない・・・。
「三原市歴史民俗資料館」にて
そして「並木通り」という名前が付けられている道を少し歩いて行くと、右手の方にちょっと古そうな建物が見えてくる。ただこのように地味な外観の建物だったので、ボケッ~~と歩いていたら見逃す所だったが。。
この「三原市歴史民俗資料館」では、三原市内で発掘された古墳時代以前までの出土品などが展示されている。またそれ以外にも三原城の古い地図や城の解説なども用意されているが、残念ながら館内は全て写真撮影禁止!となっていたが。。
入口脇にあったこの看板のように、ナウマンゾウの化石も展示されていたり、また三原市の重要文化財になっている「のぞきからくり」も展示されている。この「のぞきからくり」は幕末から明治時代に人気を博した大型の紙芝居みたいな物で、覗きレンズから箱の中を見て楽しんでいたそうだ。
三原城 本丸中門跡にて
三原市歴史民俗資料館を見学し、それ以上南下しても特に何も無さそうだったので、三原の市街地に戻ってくる。そして駅の方に戻ろうと歩いていると、この大きな商業ビルの脇に「三原城 本丸中門跡」という碑を見つけたので、ちょっと足を止めてみた。
三原の歴史を知らない人が三原の町を訪れると、「小さな天守台だけ残っているんだな~」とその三原城が小さく感じてしまう事だろう。しかし、実際にはさっきの三原市役所付近まで敷地が拡がっていたそこそこに大きな城で、ここには本丸に入る際に通らなければならなかった「中門」が存在していた場所。
ただ、江戸時代に日本全国に沢山存在していた城も、明治維新後にその多くが取り壊されてしまった。それにより国内で多くの歴史的建造物が失われてしまったけど、逆に城を壊して新しい都市を形成していった為に、その後の日本国の経済発展に大きく貢献したのである。
こちらは昔の三原城の地図を再現したプレート。今では電車の駅構内の階段を登れば簡単に三原城の天守台に辿り着けるけど、昔は4つ程の門を通過しないと天守台まで到達できない程に、堅固な城郭となっていたようだ。
このように当時の石垣の一部が未だに残されているのが見える。歴史的な建造物を壊して新しい都市を創り上げるという、明治時代の思い切った選択に思えるけど、当時の明治政府中枢の人達からすれば、先進国の欧米諸国に何としてでも早く近づく事が火急の目標だった事だろう。
普通に尾道だけを訪れていたとしたら、恐らくこの三原市には来る事が生涯無かったかもしれない。今回は初めて”青春18キップ”を使ったが、何事も新しい事を試して、それにより初めての体験をして色んな刺激を受けていく重要性を感じた旅でもあった。
三原駅内では、このように「#きてみて三原」というボードを掲げた観光案内所もあったけど、日本全国から観光客を呼べるほどの材料があまり無いので、正直現状は苦しいように見えた。個人的にも広島県三原市については全く知らなかったけど、こうやってたまたま訪れるだけでも色んな事が勉強できるので、”何も考えず寄り道”するもいい選択だと思うが。
広島県の「尾道駅」に到着!
そして三原駅からJR山陽本線を反対側に戻って、一度は素通りした、今回の旅の目的地でもある「尾道駅」に到着する。尾道という名前は聞いた事があったけど、実際に尾道を訪れたのは今回が初めてである。
なお、新幹線の停まる「新尾道駅」という駅も存在するけど、この観光客に人気の尾道市内からは離れている(約3km)ので、初めて尾道に行く際には駅を間違わないように注意が必要かもしれない。
さて今回の旅の目的地である「尾道」に、足を踏み出して行く。この尾道市は2010年代に毎年右肩上がりに観光客が増えた街だけど、個人的には実際に訪れるまで”尾道の何がいいのか?”を知らなかった。ただ今回尾道を訪れたのは、過去に今治側からしまなみ海道サイクリングをしてその半分までしか行けなかったので、その残りの道を自転車で走りたかったのと、それと「ニャン(猫🐈)」である。
こちらは2019年に新しく建て替えられた、新しい駅舎となっている「JR尾道駅」。もっと古そうな駅舎をイメージしていただけに、ちょっと違和感を早速感じてしまった。
なお、”しまなみ海道”は尾道~今治間となっているが、この尾道の方が交通の便がいいので、サイクリング目当ての人はこの尾道からスタートする人が多いようだ。

自転車を電車で運んできて、駅前で組み立てている人の姿も多いよ!
住所:広島県尾道市東御所町1-1
こちらは尾道駅正面のロータリー脇にあった「蘇和(そわ)稲荷神社」。常駐している人がいない無人の小さな神社になっていて、わざわざ駅前の一等地にこんな神社が何であるのかと思っていたけど、実は「山口 玄洞(げんどう)」という尾道出身で明治時代~昭和初期に活躍した実業家が、尾道市に多額の寄付をした際に尾道側からのお返しとして、ここに神社を遷座して欲しいと希望した為だという。
2010年代に観光客の数が大幅に増えた為か、尾道駅前は意外と近代的な街の入口みたいに、道路を挟んだ建物間に遊歩道などが設置されていた。
そして尾道は「坂道の街」としても有名であるが、今回宿泊するホテル「尾道ビュウホテルセイザン」はこの坂の上に建っているホテルである。※左上の白い建物
そして尾道駅前に早速見えるのが「尾道水道」と昔から呼ばれる、瀬戸内海でも交通量が多い「水道」である。ただ「水道」って言葉を聞くと、現代人は上水道をイメージしてしまうけど、「水道」という言葉は元々『水が流れる道筋』・『舟が通る道』の意味のようだ。
尾道水道は瀬戸内海で昔から物流の拠点として使われてきた事もあって、対岸の向島には造船所が並んでいる光景も見られる。瀬戸内海でも内海的な場所になっている尾道水道沿いは波も穏やかで、嵐が来てもそんなに荒れる事もないので、その環境を選んで造船所が並んでいるのだろう。
尾道駅前の向かい側には「向島ドック」という、主に大型船舶の修繕を行う会社のドックが見えている。ここには5つのドックが造られており、夜間にはライトアップされて、尾道の夜景の中でも人気のライトアップになっているようだ。
そして東の方角には、この尾道水道に架かる「尾道大橋」と「新尾道大橋」が小さく見えている。奥の方にある尾道大橋の方が先に造られた橋(1968年開通)で、それまでは対岸の向島に渡るには渡し船しか方法が無かったが、この橋が開通した事によって、車や徒歩でも渡る事が出来るようになった。

ただ尾道大橋は、歩行者用通路が狭いのが難点です・・・
尾道駅前からの景色! 動画
そして尾道水道沿いは再開発された地区となっていて、古臭い港町というイメージではなく、”綺麗で近代的っぽい雰囲気の街”に思えた。この先には「尾道港レンタサイクル」という、公営のレンタサイクル屋があるが、後日レンタサイクルを借りる予定だったのでとりあえずその場所を下見しておく。
この尾道水道沿いには船着き場もあって、その殆どが旅客船になっているようだ。昔は荷物なども船で運んでいたが、1950年代から世界的にコンテナによる物流網が発達した為に、昔からの港は廃業するか、このように旅客専用ターミナルと姿を変えているようだ。
そして世界的にはあまり人気が無い造船業界だけど、地球上の人間にとって日々便利な生活が今出来ているのは、この船のおかげである。ボクも今までこのような船業界には一切興味が無かったが、昨年に株式投資をし出してから、この船という物が世界経済に大きく影響を与えている事を知ったのである。
こちらのフェリーは尾道から佐木島~因島~生口島(瀬戸田)を行き来する、『瀬戸内クルージング:尾道~瀬戸田航路』のフェリーである。尾道側から”しまなみ海道サイクリングロード”へ向けて自転車で進んで行く観光客は多いけど、その大半はしまなみ海道を貫通する訳ではなく、その途中で引き返して、帰りはこのフェリーに乗って尾道に帰ってくるようだ。
ちなみにボクも今回尾道側から、しまなみ海道をサイクリングしたけど、1日だけの予定だったので帰りはこの「尾道~瀬戸田航路」を利用した。なお、この航路は廃線となっていたが、最近になって観光客が増えて、サイクリング客も増えた為に、復活した航路だという。
ただその代わり、料金が観光客向け値段になっている為に、地元住民が乗る事は少ないとか。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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