大塚国際美術館旅行記 2022年6月-4
旅行期間:2022年6月上旬(当日旅)
魂の籠った芸術!
大塚国際美術館で約1時間ほどの見学をして、ちょっと休憩も兼ねて「モネの大睡蓮」という中庭を散策して、広場で早めの昼食を食べてから、再び大塚国際美術館の館内に突入していくのであった。
住所:徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦字福池65-1
営業時間:9時30分~17時頃(※月曜定休日)
※ただし祝日の場合は営業し、代わりに翌日火曜日が休館
電話番号:088-687-3737
入館料:大人3,300円/大学生2,200円/小中高学生550円
(※前売券大人3,160円/大学生2,140円/小中高学生530円)
●美術館専用駐車場:無料 450台分あり
B2Fの「ルネッサンス/バロック」ゾーンの鑑賞!
by ヤン・ブリューゲル【父】eJan Brueghel de Oud)
ウィーン美術史美術館(オーストリア)
こちらは旧約聖書の『創世記』に出てくる、天まで届く高さとされていた、人間が築いた超高層建築物を描いた作品。
しかし、人類の人工的な建造物が天にまで届きそうになった為に、神様が怒り狂ってバベルの塔を壊したという伝説が残っている。
ただもしこの世に神様が存在していて、このような高い建造物を再び造ったら、また神様が怒って破壊するハズである。
現代ではこの絵に描かれている塔よりも、遥かに高い”超高層建築物”が世界中でドンドンと建てられている。しかし、それらの建物はまだ大きく倒壊した事が無い為に、もしかしたら神様がこの世にいないのか、それともまだ神様は怒りを我慢している最中かの可能性があるように思うが。。
by ヴィットーレ・カルパッチョ(Vittore Carpaccio)
アカデミア美術館(イタリア)
ここに描かれている「聖ウルスラ」はキリスト教の”聖女”で、今でもキリスト教系の女子学校ではその名前が付けられる事が多いという。ただその実在性については近年あまり信憑性がないらしいが、強い信仰心が根付いている為に、架空の人物でも聖人として認められている存在になりつつあるようだ。
なお、この作者の名前が「ヴィットーレ・カルパッチョ」となっているが、この画家が好んで「カルパッチョ風」の料理を食べていた事から、カルパッチョの料理の名前の由来になっているんだとか。。
ヘ~~!
ヘ~~~~!!
「ダヴィンチの間」にて
by レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)
サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院(イタリア)
そして世界で最も有名な画家の1人としても知られる、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の作品が多数展示されているコーナーにやって来る。
その代表作品でもある、こちらの『最後の晩餐』はイタリアにある修道院の食堂の壁画として、約3年の歳月を掛けて描かれた作品となっている。また絵の大きさは縦:約4m×横:約9mという中々に大きな作品となっているが、このように劣化が激しくなっている作品としても知られている。
この部屋には『最後の晩餐』の、修復前状態の作品と、修復後の作品の2タイプが展示されていた。ただこの見学の時には展示されている絵にすっかり魅入ってしまった為に、この修復前状態の写真しか撮る事が出来なかった。
こちらはオカンが2019年4月に訪問した、この『最後の晩餐』が描かれている「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」の建物を写した写真である。
ボクはイタリアのミラノには行った事があるけど、残念ながらその参加したツアーの旅程に、この『最後の晩餐』鑑賞は入っていなかった。というのも、『最後の晩餐』鑑賞の場合は予約が必須で、団体行動のツアーとしては旅程に入れにくい場所なのである。
だから、普通のイタリアを巡るツアーにはこの『最後の晩餐』鑑賞は基本入っていないので、どうしてもイタリアで見たい人は「最後の晩餐を鑑賞します!」というツアーを探して参加する必要があるのだ。
なお、オカンのスマホはあまり性能が良くないので、このように肝心の『最後の晩餐』を写した写真の画像が荒過ぎる。。
これでもエエねん、自分の目で見たという事実があるからな!
なお、約20年前に修復された本物の壁画はかなり綺麗な状態まで回復しているそうだが、本絵があるグラーツィエ修道院は入場規制があるのでゆっくり見学できないとの事。また、予約も必要な為に訪問するのであれば、計画的に訪れた方が良さそうだ。
ただ、この『最後の晩餐』のあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会には、なんとGoogleマップのストリートビューでも撮影されていた・・・。
なので、わざわざ予約を取りにくい現地を訪れなくても、このストリートビューで世界の名所へ行った気分になれる時代となっているのである。。
ちなみにこの反対側にも絵があったけど、それは全く人気なかったで!
by レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)
ルーヴル美術館(フランス)
こちらもレオナルド・ダ・ヴィンチの作品である『岩窟の聖母』となっている。なお、『岩窟の聖母』はダ・ヴィンチが2パターンの絵画を製作しており、1つはルーヴル美術館にあって、もう1つはロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている。
by レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)
ルーヴル美術館(フランス)
この「洗礼者ヨハネ」は、イエスキリストに洗礼を行った人物としても知られている。しかし、キリストの弟子だった「使徒ヨハネ」とは別人らしく、同じ名前が近くにいるので覚えるのがヤヤコシイのであるが。。
by レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)
ルーヴル美術館(フランス)
そして世界で最も知られている絵画と言っても過言ではない、『モナ・リザ』である。
ダ・ヴィンチはフランスで『モナ・リザ』未完の状態で、1519年に亡くなってしまう。その遺作は弟子に渡り、それからフランス王国の王室に渡り、フォンテーヌブロー宮殿やヴェルサイユ宮殿に飾られた。フランス革命が起きた後はルーヴル美術館に移ったが、時代に応じて転々とし、フランス皇帝:ナポレオン1世の寝室にも飾られていた時代があるとか。
そして1910年代には『モナ・リザ』の盗難事件が起こり、約2年間に渡ってルーヴル美術館に『モナ・リザ』が存在していない時期もあった。しかし後に盗んだ犯人が絵を他の美術館に売ろうとして逮捕され、無事に戻ってきたのである。
ルーヴル美術館で本物の『モナ・リザ』、見た事あるデ♪
またそれ以外にも、観客から酸性物質を掛けられたり、石を投げつけられる事もあったようだ。そのような酷い行為から絵を守るために強化ガラスで絵がカバーされ、今日ではそのおかげで絵が損傷される機会が無くなっているという。
by レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)& アンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio)
ウフィツィ美術館(イタリア)
こちらの作品はダ・ヴィンチの師匠である、「デル・ヴェロッキオ」との有名な合作である。
なお、ヴェロッキオ工房ではダ・ヴィンチ以外にも多くの弟子を取っており、それぞれに絵画制作を手伝わせていた為に、この絵にもダ・ヴィンチとヴェロッキオ以外の人間によって描かれている部分もあるようだ。
またこの作品の時にダ・ヴィンチは20歳頃で下積みを一通り経験し、この作品から初めて筆を入れる事が許された処女作でもあるようだ。有名なエピソードでは、この時にダ・ヴィンチが描いた描写力に師匠ヴェロッキオが驚愕し、それ以来は絵画を描くのを辞めてダ・ヴィンチに託したとされている。
by レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)
チャルトリスキ美術館/クラクフ国立美術館分館(ポーランド)
こちらの黒い背景が不自然な、ポーランドのクラクフにある美術館に収められている『白貂を抱く貴婦人』もダ・ヴィンチ作品である。
この作品の現物は、ポーランドのクラクフで実際に見学した記憶が残っている。ただ、クラクフの美術館では写真撮影が禁止されていたが、我々のツアー参加者だけのほぼ貸し切り状態だったので、思う存分実物のダ・ヴィンチ作品を拝見できたのである。
ポーランドって、いい所か?!
by レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)
ナショナル・ギャラリー(イギリス)
こちらの作品はダ・ヴィンチが残した、”ドローイング”という下絵などで見られるスケッチとなっている。ただダ・ヴィンチ作品で、下絵にこのようなドローイングが用いられていた作品は他にないらしく、とても貴重な作品となっている。
ダ・ヴィンチがもっと長生きできれば、この作品も仕上がっていたかもナルト!
バロック絵画ゾーンにて
by カラヴァッジオ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)
サン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂(イタリア)
ここからは『バロック』のゾーンとなっている。ルネッサンス期からの転換点として生まれたバロックは、その時代の宗教や政治や社会的背景などに影響されて、「装飾的な複雑さ」・「豪華な細部」・「強いドラマティックな要素」などが特徴となっていった。
カラヴァッジオの作品はこの作品を見れば分かるように、”光と影”の明暗をハッキリとさせて、人間の描写が写実的に細かく描かれているのが特徴となっている。これまではキリスト教の聖書に載っているエピソードなどの場面が多かった絵画に、このような日常的なワンシーンなどが描かれるようになっていった。
by カラヴァッジオ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)
サンタ・マリーア・デル・ポポロ聖堂(イタリア)
こちらはイエスキリストの第一弟子である「聖ペテロ」が、当時のローマ皇帝から迫害を受けて捕まり、”逆さ磔”なる拷問が行われるシーンを想像して描いた作品となっている。
まさに”頭に血が昇る”ってヤツやな・・・
「レンブラント」の間にて
そんなバロック絵画が並ぶエリアで、ひと際立派な個室になっていたのが、オランダの有名な「レンブラント」の作品ばかりが展示されているブースだった。個人的にはレンブラントの作品を気に入っている事もあって、このように特別ブースがあった事をとても嬉しく感じたのである。
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)
ルーヴル美術館(フランス)
先程見たカラヴァッジオと共にバロック絵画を代表するレンブラントの作品だけあって、明暗の分かれた構図が特徴的である。また円形の階段が描かれているが、こういった所にもその時のレンブラントの心境などが投影されているのだろう。
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)
マウリッツハイス美術館(オランダ)
こちらの人体を解剖している様子を描いた作品は、レンブラントの代表作の1つとしても有名である。
この絵はレンブラントが26歳頃の1632年に描かれたとされている。
また、この時代のトゥルプ博士が勤めるアムステルダム外科医師会では、年に1度だけ公開解剖が行われていたらしく、その日の当日に絞首刑で処刑された囚人の体を切り開いて見せている様子が描かれている。
そして遺体の左手を解剖して、その中にある腱や筋などを正確に描写している。
それと、この公開解剖を見学している人物の中には、レンブラントのパトロンとして絵画制作費用を出していた人の顔も描かれているとか。
やっぱり金持ちは、何だかんだで顔を出したがるナルト!
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)
シュテーデル美術研究所(ドイツ)
こちらは旧約聖書に出てくる、古代イスラエルの指導者「サムソン」について描かれている作品である。
モーセの指導のおかげで紅海を渡って”約束の地”カナンまで辿り着いたヘブライ人だったが、そのカナンでは「ペリシテ人」という地中海からやって来た民族と対立して苦しめられていた。
そんなある日、ヘブライ人のある女性に神様からお告げがあって、その約束を忠実に守った褒美として男子を授かる事になった。その男子が後に成長して、サムソンになるのである。
そのサムソンは超人的な活躍を見せて、ヘブライ人の敵であったペリシテ人を多く殺して、カナンでのヘブライ人の立場が強くなっていった。しかし、対するペリシテ人も手を加えて見ているだけではなく、そのサムソンの弱点を探る事に必死になっていた。
そんなある日、サムスンの元に「デリラ」という娼婦を送り込むと、計画通りにサムスンと恋仲になった。そしてサムスンの身近でデリラをスパイさせた結果、やっと”サムスンの弱点”を聞き出したのである。
デリラが聞き出した”サムスンの弱点”は「髪の毛」だったらしく、ペリシテ人の数人がサムスンの元に忍び込んで頭の毛をカットすると、サムスンの超人的な力が失われてしまった。そんな無力な男となってしまったサムスンにペリシテ人が更に襲い掛かり、サムスンの両眼を潰したというシーンが描かれているのがこの作品だという。
なお、サムスンは殺されずにペリシテ人の見世物とされ、更には牢獄で粉を引かされる虐待を受けた。しかし、サムスンは最期に神様に祈って強大な力を得て、その場にいた何千人ものペリシテ人を道ずれに死んでいったとされているようだ。。
髪の毛を切られた時に、神様に祈れば目を潰されなくて良かったかもね!
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)
エルミタージュ美術館(ロシア)
こちらは硝酸が掛けられた事件でも有名な、レンブラントの『ダナエ』である。ダナエはギリシア神話に出てくる「英雄:ペルセウス」の母であるとされており、その為に多くの画家によってダナエの絵画が描かれてきている。
その中でも、このレンブラントのダナエは、『ダナエ』 絵画を代表する傑作であり、レンブラントの傑作でもある。
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)
アムステルダム国立美術館(オランダ)
そしてこちらはレンブラントの代表作品としても名高い『夜警』である。1642年頃に製作されたと考えられており、その当時のオランダは『八十年戦争』という独立戦争の後半で、この時代からの17世紀が”オランダ黄金時代”と称されている。
フェルメールもこの黄金時代の画家ナルト!
この絵を描いていた頃のレンブラントは絶頂期にあったとされているが、この作品以降、愛妻のサスキアが亡くなった事もあって、俗にいう”転落人生”を歩む事になる。
富豪の娘だったサスキアの財力を活かして、高価な美術品を買い集めたり、またこのような肖像画の依頼主の希望を無視して、自分の思うがままの作品を製作して、依頼主と揉める事が多くなっていったという。
ちなみにこの『夜警』というタイトルは、この絵の周囲が黒くなっているから、その印象を受けて付けられている。ただ、実際には夜を描いた為に黒かった訳ではなく、元々の絵はもう少し明るかったという。
また、この絵は依頼主達が火縄銃手組合集会所に長く飾ったが、後にアムステルダム市役所に移設された。その際に展示する部屋に対してこの夜警の絵が大き過ぎたので、なんと左右と上部分を切り落としてしまったという。。
これもその当時のコピー(模写)が残っているので、多少の再現はできるナルト!
そんな「夜警」の中にも、愛妻だったサスキアがしっかり描かれているのが分かる。
レンブラントは依頼者から依頼人の人物像を絵に描き加えるように要求されていたが、それらは適当に無視して、愛妻サスキアはどさくさ紛れて、ちゃっかり絵に描き入れていた。
それもあって、愛妻サスキアへの愛が表れているように感じる、レンブラントの作品であった。
『ダナエ』も元々はサスキアの顔が描かれていたんだナルト!
サスキアもあまり綺麗でなかったんだね~!
こんな旅はまた次回に続きます!
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