夜の白石城でライトアップされる天守閣と横綱:大砲【仙台旅行記㉙】

仙台旅行記2020年秋-㉙

 旅行期間:2020年11月3日~5日
(The castle and Yokozuna: Taihou lit up at Shiraishi Castle at night.)

明治の大砲!

仙台の旅2日目は仙台市の東側にある石巻市まで行ってから、一旦仙台駅まで戻ってきて、そこから更に南下して白石市にやって来ました。ここは江戸時代に仙台藩の南の拠点となり「白石城」があった場所で、今でもその時の城下町の雰囲気が残っている場所です。

 

【白石城】

住所:宮城県白石市益岡町1-16
営業時間: 9時~17時頃(※定休日:年末)
電話番号:0224-24-3030

 

 

 

白石城へと向かう!

ここ白石城は一国一城が敷かれていた江戸時代でも例外的に認められていた城で、伊達政宗の家臣で右腕的存在だった片倉景綱が1万3000石の城主として拠点にしていた場所でもある。なお一国一城によって約400を超えるという全国の城が破却されたのだが、領土が広い大名では例外的に家臣の城として認められていたようだ。

 

こちらには「城来路(シロクロード)という、城の参道という意味合いの文字でシルクロードの名前に掛けているのが見られる。白石城を初めて訪れる人向けに、その参道をこのような当て字で示していたのかもしれない。

 

白石駅西口から表の参道っぽい通りを真っ直ぐに進んで行けば、多分お城に辿り着くと思いながら進んで行く。しかし夜に白石城付近を訪れると、その道中は意外と暗くて、このような一応道案内をしている看板は見られるけど、あまりにも暗くなってくるので少々自信が無くなってくる頃合いともなっている。

 

もっと簡単に城に辿り着けるのかと思っていたけど、このように道は急に暗くなっており、また周囲を見回しても城らしき姿も見えなくて一抹の不安感を感じ出すオカンであった。。

オカン
オカン

エライ暗くなってきたな・・・

 

そのように薄暗くなってきた小道と、周囲に本当に人が住んでいるのかという位に静けさを漂わしている住宅が立ち並ぶゾーンをとりあえず進んで行くと、このように坂道と共に白石城の案内板が見えてくる。

 

そしてその坂道を登っていくと、既に閉まっていた「歴史探訪ミュージアム」という建物が見えてくる。どうやらこの方向に進んできて正解らしく、このような資料館があるという事は近くに城があるハズだ。

 

 

夜の白石城に到着!

すると横の方に石が沢山積み重ねられている景色が見えてきて、最初は全然気にしていなかったけど、歩いているうちにこれが城の石垣だという事にやっと気づく。

 

白石駅西口を出て約20分ほど歩いた所で、やっとこのようにブルー色にライトアップされた白石城が目に入る。城の周辺からでもひと際高い位置に造られている天守閣が見えるかと思っていたけど、周辺からは木が邪魔していたりして意外とこの天守閣が見えなかった。

 

ただ仙台城のようにこの白石城もブルー色にライトアップされていて、漆喰で白く塗られているというイメージが頭の中にあるせっかくの外壁がこのような違和感のある色になっていると、頭が少々パニ喰って正常化に戻るまで時間が掛かる。。

 

そして足元には白石城が綺麗に描かれたデザインマンホールが見える。この白石城も明治時代に破却された城で取り壊されてしまっているが、1995年に天守閣などが復元されていて、今ではこのような建物が見られる。またこのマンホールにはなんとQRコードが嵌め込まれていて、何かの情報をゲットできる仕組みとなっていた。

オカン
オカン

こんなマンホールのQRコードを読み取る人なんていてるの?!

 

ここを訪れた時は周囲は真っ暗でまだ17時55分頃と夜というには早過ぎる時間だったけど、全然ひと気が無かった。白石城はこの地でも一番人気の観光名所だけど、既に秋の暗くなった時間帯には完全に営業が終了していて、ひっそりとしていた。

 

普段だったらこの天守閣の内部を見学する事が出来るのだが、さすがにこれだけ暗くなっている時間帯なので見学時間は終了していた。という事もあって天守閣の周囲をとりあえずブラブラ歩く事にしたら、その脇に城をバックにして記念撮影をしているかのような力士像が見えてくる。

 

こちらの像のモデルとなっている力士は、この白石市出身で第18代横綱の「大砲 万右エ門」。明治2年(1869年)生まれの明治時代の力士であるが、昔の相撲界というのはあくまでも興業メインであったので、当時として190cmを超える巨大な体格をしていた事もあって、その怪力と相まって昇進していく。ただ幕内初入幕の時に負け越しているにも関わらず、翌場所には小結に昇進していたりと現代の相撲界では考えられない世界だったようだが。。

 

こちらの像は生誕130年を記念して1999年に建てられた物だが、この像を制作したのはあの中村晋也。中村晋也というと鹿児島にアトリエを置いて活動する彫刻家で、鹿児島県では大久保利通やJR鹿児島中央駅前にある薩摩藩英国使節団の『若き薩摩の群像』などを制作している人物。

オカン
オカン

大阪城近くの豊臣秀吉像も、この中村晋也さんの作品やったな!

 

この明治時代の横綱だった大砲も従軍したりで土俵生活ばかりではなく激動の時代に翻弄されて、幕内在位32場所・優勝2回と今では考えられない短い活躍ではあったが、勝率7割越えと横綱らしい成績だったようだ。なおこの時代にはライバルの小錦八十吉(初代)が存在しており、この「小錦八十吉」という名前を聞くとハワイ出身で体重が250キロを超える巨漢の愛くるしい力士を思い浮かべるけど、ハワイ出身の小錦八十吉は実は6代目になるようだ。

 

 

城周りにはこのような像などがあって色んな勉強が出来るので、他に像がないかを探す為にとりあえず本丸の周囲を一周する事にする。しかし特に他に見所のある物は見つけられずに、城の南側には夜間照明の点いた高校のグラウンドが見えてくる。

 

城内は意外と暗い白石城とは違って、グラウンドの照明によって明るくなっている。それとこの道を通っているとグラウンドで練習していた高校球児たちが「コンバンワ~~!」と、それぞれにボクらに向かって声を掛けてくれた。

 

意外と練習に没頭しているのかと思っていたけど、単に野球の練習だけでなく、このような近くを通る人への声掛けも指導されていて、それをキチンと実行していた高校球児たちに少し関心してしまった。今の時代では若い世代程に見知らぬ他人に声を掛ける事が出来なくなりつつある時代に、自分達から積極的に声を掛けるという行動はとても将来に役立つ事だと思う。

オカン
オカン

なんや、私らに向かって挨拶してたのか・・

 

白石城の本丸にて

そして本丸の中に入ってくると、さすがにこの辺りには街灯が設置されていて、それなりに明るくなっている。ただここも全然ひと気がなくて、閑散としていたが。。

 

こちらが120年振りに再建された白石城の天守閣で、三階建てになっている櫓。1995年に復元された城だけど、今どきの鉄筋コンクリート造りではなくて、完全木造建造物となっていて、徹底的に昔ながらの建築方法を守り、補強用などの金具などは一切使用されていないという。

 

その為に樹齢何百年というゴッツイ巨木が建築に用いられていて、燃えなければ200~300年は建物が持つ計算なんだとか。明治時代に壊されたお城を再建するのも、このような他にあまり観光資源を持ち合わせていない自治体程に、その経済効果を狙って建てている所が多いようだ。

 

復元された完全木造建築物の天守閣としては、日本国内でも最大級の大きさと広さを誇る白石城。そんな木造らしい内部構造は建物内に入って見学するのが醍醐味であるが、このように暗い時間帯には外からその外観を眺めるだけ。。

オカン
オカン

残念でした・・・

 

そんな天守閣の入口らしき屋根付きの階段が、建物正面に造られている。色んな城が全国にあるけど、このように入口通路のような階段が設置されている城というのも、珍しいような気がする。

 

ただ昨日見た夜の仙台城もそうだったけど、やっぱり綺麗に漆喰が塗られている外壁なので、その白さを強調する白色系ライトアップにして欲しかった。このような青色のライトアップだったら、白石城ではなくて「青石城」という雰囲気に思ってしまう。。

 

ちなみに北海道の札幌市内にも「白石区」という地名があるが、この宮城県白石市に関連している土地である。というのも実は北海道の白石区は、この宮城県白石市の片倉氏家臣団約600人が移住して開拓した場所なのだ。

 

江戸時代の最初頃までは周辺の大名と戦を繰り広げていた仙台藩も、その後は平穏な時代となって時は進む。しかし幕末の大政奉還後に旧江戸幕府軍と新政府軍との戊辰戦争が勃発し、この仙台藩は旧幕府軍側に加担した。そんな日本を分ける戊辰戦争の結果はご存じの通り新政府軍が勝利し、敗戦した東北地方の藩はそれぞれに処罰が下される。

 

新政府軍の代表である西郷隆盛は敗北した東北地方の諸藩に対して、厳しい処置を行わずに寛大な処置に留めた。しかしそんな甘い考えに納得できない新政府軍要職のメンバーが反対し、満足に飯も食えない程に締め上げられる事になる。そしてそんな貧しい暮らしが続くのを脱却する為に、北海道開拓使の先陣として北の大地である北海道に600人程の一団が移住するのであった。

 

こちらは天守閣と一緒に復元された「大手二ノ門」。城の天守閣内部の見学時間は終わっていたけど、このように大手門の扉は夜でも開いていたので、天守閣の近くまで訪れる事が出来た。

 

明治時代初期には戊辰戦争で敗れた東北地方の諸藩の人々は、雪深く寒かった北海道などの厳しい土地開拓に従事し、大勢の人がその厳しさに亡くなったり、凍傷になって体を壊したという。しかしそんな人達の頑張りもあって今の北海道には大勢の人達が暮らしており、この白石市に住んでいた人々や東北地方から移住した人達への感謝を忘れる訳にはいかないのである。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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