かつて紀州藩の台場として砲台が置かれていた雑賀崎の灯台を目指す【和歌山市旅行記⑳】

和歌山市旅行記2021年1月-⑳

旅行期間:2021年1月某日(当日旅)

トンガの鼻?!

ここはかつて和歌の浦という、日本古来から人気の景勝地だった場所の近くにある雑賀崎の集落。漁港近くの坂道に住居が密集して建てられている場所で、一部から”日本のアマルフィ”とも呼ばれる事もあるという、独特な光景の場所でもある。

 

 

雑賀崎にて

奥の中央付近に見えているのが雑賀崎漁港で、その奥の方にあったのが「和歌の浦」と呼ばれた景観地。1000年以上にも渡って日本人を楽しませてきた景観地も、高度経済成長期に大きく開発されてしまって環境破壊が進み、人類の発展が地球環境にとってはマイナス面がある事を思い知らされる光景でもある。

 

この雑賀崎は和歌山市内から南側にあり、また海に突き出している事もあって、江戸時代後半には外国船来襲を想定して、砲台跡の台場となった場所でもある。なお、「台場」と聞くと東京の”お台場”を連想するけど、その一帯の固有名詞ではなく、江戸時代後半に砲台場として造られた場所の跡地の名残である。

 

そして雑賀崎の一部に「トンガの鼻」という名前が付けられている一画があった。「トンガ」と聞くと太平洋のオセアニア地域にある島国のトンガを連想してしまうけど、そのトンガとは違うようだ。この辺りでは昔から畑を耕す鍬を「トンガ」と呼んでいて、この一画に畑が拡がっていたから、地元民から「トンガ」のある場所というイメージで付けられたようだ。

 

そんなトンガの鼻はどちらかというと愛称のような名前で、案内板には「雑賀崎台場」となっている。江戸時代は江戸幕府が200年間も日本を独占的に支配し続けた為に、諸外国との交流もなく国内だけに目を向けていれば良かった時代。しかし1853年に浦賀に乗り付けた黒船来航によって、江戸幕府は外国船来航に恐怖を感じて、全国で緊急にこのような台場が築かれていく事になる。

 

 

「雑賀崎台場」にて

そして案内板に導かれるままに「雑賀崎台場」の先に進んで行くが、特に何も見当たらない。勿論当時使われていた砲台など残されていないのであるが、元々畑だった場所でもあり、今でも何かを栽培している様子が見られた。

 

【雑賀崎台場跡/トンガの鼻】

住所:和歌山県和歌山市雑賀崎

 

なので公共の土地というよりは、一部に私有地がありそうな感じだったので、台場跡を見学する際はどちらかというと静か目に見学した方がいい場所のようにも思えた。

 

先に進もうとすると、このように遊歩道には雑草が多く茂っている光景が見られる。特に人が多く訪れる遺構跡という訳でもなく、地元の人が散歩で通るような場所にも思えた。ただ、本当に全く人が来ないような道ではなく、普通に観光客でも問題なく通れる道ではあったが。

 

 

雑賀崎台場の光景! 動画

 

 

この”トンガの鼻”と呼ばれている場所からは、目の前に3つ程の小さな島が見えている。なお、この周辺は “瀬戸内海国立公園” にも指定されている場所なので、当然の如く、ゴミを捨てるなどNGである。

 

そしてこの台場跡の奥へと進むと、和歌山市内や和歌山港が見渡せる光景が見えてくる。ただし、このように木々が生えており、展望台という程にいい景色ではなかったが。。

 

ここからは和歌山城の天守閣も見渡せるというが、目を凝らしても和歌山城の姿は確認出来なかった。和歌山市内もそれなりに大きな建造物が造られている事もあって、天守閣がちょっと分かりにくいようだ。

 

ここにはこのように和歌山城の天守閣の写真も貼られていて、天気が良い日には普通に見られるようだ。ただこの台場跡で普通に立って見ている分には見つけられなかったので、脚立などに登って少し高い位置から見た景色なのかもしれない。

 

そろそろ陽が沈みだす時間となってきた事もあって、このように赤く焼けていた景色が見られる。台場跡ではありながらも、和歌山県でも西側の海沿いに位置するこのエリアは、昔から夕陽を眺める絶景ポイントでもあったのだろう。

 

そして後ろ側には、雑賀崎の灯台が見られる。なお、この訪問時は知らなかったけど、灯台付近の高台には昔にこの辺りで傭兵軍団として恐れられていた雑賀衆が集う雑賀城跡があった場所でもあった。

 

時間があればこの奥の方まで行きたかったけど、既に夕方になりつつあったのでここから見ているだけにする。ただこの道沿いには昔の旅館だった建物が廃墟として残されていたりで、昔は栄えた場所が寂れてしまった雰囲気も感じられた。

 

 

雑賀崎の景色! 動画

 

 

そしてこの周辺に、このような庭園っぽい場所も見られた。こちらは現在「番所庭園」と呼ばれる芝生が綺麗に敷き詰められた景観地となっていて、ちなみに入場料500円を支払わないと入れない場所となっている。

 

 

 

番所庭園を眺める! 動画

 

 

そして最後の目的地でもある雑賀崎の灯台へと向かう事にする。灯台まではこのように道路が一本延びているので、これを進んで行けば恐らく辿り着くハズである。

 

そして灯台に向けて道路を歩いていると、目の前に野良犬のようなワンちゃんが出迎えてくれている姿が見えてくる。飼い犬というよりは野犬のような雰囲気で、特に吠える訳でもなく、またすぐに近寄ってくる訳でもなかった。ただ最近はこのような野良犬をあまり見かけない事もあって、ちょっと警戒してしまう。

 

 

野良犬が出迎えてくれる雑賀崎の灯台! 動画

 

 

 

「雑賀崎灯台」に到着!

この周辺にいた野良犬は、どうやら餌を定期的に与えている人がいるようで、帰り際には車の窓から餌を与えている光景も見られた。この犬達も好きで野良犬になりたかった訳でもないだろうし、元々は飼われていた犬が飼い主に捨てられた可能性もある。

 

【雑賀崎灯台】

住所:和歌山県和歌山市雑賀崎809-2
電話番号:073-435-1234

 

 

野良犬側もこちらを警戒しているようだったが、この辺りの縄張りを守るために飛び掛かってくる事もなかった。ただ下手に犬に近づくと噛まれる可能性もあるので、なるべく犬を避けて灯台に足早に向かった方がいいだろう。

 

雑賀崎からは手前に3つの小さな島が見えていて、奥の方にうっすらと見えている大地は淡路島である。大昔にはこの和歌山県と大阪府の県境に東西に延びる「和泉山脈」の先で、淡路島と陸続きになっていたとされている。しかしそれは気が遠くなりそうな程に大昔の事であり、今では信じられない程であるが。。

 

しかしこのように海沿いで沈みつつある夕陽を眺めると、良い景色に思えてしまう。江戸時代には海上を警備する見張り番所が設置されていたというが、外国船を探しつつも、毎日の沈みゆく夕陽を眺めれる特等席だったのかもしれないが。。

 

雑賀崎でも一番の高台になっているここは「鷹の巣」という、鷹が巣を作るような断崖絶壁だった事から名付けられた場所になっている。そんな断崖絶壁の下には洞窟があって、織田信長に攻城された石山本願寺を追われた本願寺第12代法主:本願寺教如が匿われた場所だという逸話も残っているとか。

 

そんな雑賀崎の灯台はその立地からして、昔から灯台があった場所かと思いきや、1960年頃に和歌山市が”観光用展望施設”として造った建物の上に便乗して灯台を設置した物だという。という事はそこまで灯台の役割が必要な場所でもなかったという事でもあろう。

 

ここを訪問した2021年1月当時は、このように敷地が閉鎖され、右側に見える古そうな建物も閉まっていた。ただ今ではこの右側に「Oceanたかのすセンター」というカフェが設置されていて、この駐車場は500円の駐車料金が掛かる場所となっているようだ。ただし、その駐車料金500円でカフェのドリンクなどが200円割引券にもなっているようだ。

 

 

1960年頃に造られた「雑賀埼灯台」に、これから登っていきます。既に16時を過ぎており、夕陽が沈みつつある時間帯を迎えてきた事もあって、海に夕陽が沈む美しい景色が見れると思うと、心なしか興奮してくる階段でもあった。

 

なおこの和歌山を訪れた時は2021年1月で、このブログが公開されるのは2022年11月下旬。緊急事態宣言などが出されていた頃が今思えば懐かしいとも思えるが、どんな事も後になってみればそう思える事だろうが。

 

 

雑賀崎灯台に登る! 動画

 

 

そして灯台の上に登っていくと、周辺に視界を遮るような大きな建造物も見当たらないので、このように和歌山市内を一望できる展望台となっていた。大阪人からすれば意外と近い和歌山に足を運ぶ事が少なかったけど、実際に訪れてみると色んな素晴らしい景色などが待ち受けている和歌山でもあった。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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