スリランカ旅行記:3日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日
岩の隙間に造られた寺院
さてこれからはダンブッラの街にある、世界遺産に登録されている「ダンブッラ黄金(石窟)寺院」(Golden Temple of Dambulla)の見学をしていきます。
住所:Kandy – Jaffna Hwy, Dambulla, Sri Lanka
ダンブッラの街にて
この階段の横にはチケット売り場があります。なお、反対側から登る道の入口にはチケット売り場が無いらしく、もしそちらから登る時はわざわざ一旦山を降りてからここでチケットを購入し、再び山を登らないといけないようだ。
そして目の前には再び階段が待ち受けている。ダンブッラ石窟寺院の入口は高さ約180mにある岩の上だという。先程登ったシギリヤロックとほぼ同じ高さである。
ただここの階段は綺麗に舗装されていて、段も均等になっているのでとても登り易かった。まあこんな階段程度を登る事がシンドイと思う人は観光など充分に満喫できないだろう。
階段を登って寺院に向かう
階段の横はこのように緑が生い茂っている景色が見える。自然に囲まれた場所なので、暑い以外はとても気持ちがいい場所でもある。
石窟寺院までの階段を登る 動画
ここも勿論エスカレーターやエレベーターという、近代的な物は取り付けられていないので、ひたすらに自分の足で登っていく必要がある。
しかしシギリヤロックと違ってヘルパーさんが見当たらないので、それだけこちらの階段の方が楽だという事でもある。
段々と上の方に登って来ると、周辺の景色が見えるようになってくる。奥にある山は綺麗な芝生が生えていて、とてもその緑が綺麗に見える。
こういう階段を登るのがシンドイ人は考え方をちょっと変えてみたらいいと思う。
さっきまで綺麗な階段だったけど、上に登る程にこのような大きな岩の上に削られた階段を登って行くようになっている。
たった180m位の高さでも上まで登ってみると、凄く見晴らしがいい。普段の生活環境では近代的な人工物ばかりを目にしているので、たまにはこういった自然の環境をゆっくりと眺めてみるという事がとても大事に感じる。
こんな岩の上にもワンちゃんがいる。ワンちゃんの目にはどんな景色が見えているのだろうか?
頂上付近の階段には年配の欧州系観光客と見られる方々の姿が見える。たった180mを登っただけでちょっとお疲れのご様子・・・。
これから見学する場所は仏教徒にとって神聖な場所なので、勿論ここでも靴を預けて裸足になる必要があります。
そして相変わらず、どこの靴預け屋さんも周辺に”香ばしい香り”が充満している・・・。普段靴を履いていると、どうしても靴の中が蒸れて、それで足の雑菌が増殖して臭い匂いを造り出すのだろう。
スリランカでは寺院などでは必ず靴を預けないといけないのだが、どこの靴預け屋さんでも識別札などは何もくれない。だからボクらみたいな日本人団体の時は「ジャパニーズっ!」って言って、まとめて認識しといてもらわないといけない。
個人的には「他人の靴を盗む人なんているのかな?!」と思うけど、似たような靴だと勘違いして間違えて履いて帰る人や、自分の靴よりも綺麗な靴だと思って人の靴を履いて帰る人が居るという。
だから靴を脱いで見学する場所には、盗まれる可能性を考慮して新品の靴で行くのは見合わせた方がいいんじゃ!
こちらの看板にはお土産で販売しているマグネットが勝手に飾られていた。こんな看板も商売道具に利用するという発想は、とても素晴らしい考えだと思った。
この岩山はまだまだ上の方まで続いている。一応180mの高さにある寺院との説明だったけど、今立っている場所が180mなのか、それともあの上に見える岩山の頂上が180mなのか?
そしてこちらの入口が「ダンブッラ黄金(石窟)寺院」の入口である。ただしここでは黄金と言われる由縁はあまり見てるだけでは分からないのであるが。。
ダンブッラ寺院の入口周辺の景色 動画
さてここからまた裸足ゾーンだけど、普段足の裏を甘やかしている日本人にとっては裸足では地面が暑すぎる。ただし靴下で歩くと靴まで汚れるので、更に靴下の上に靴下を二重に履いている様子が見える。
ダンブッラ石窟寺院に入る
さて本日2箇所目のスリランカでの世界遺産に入場して行きます。こちらは1991年に文化遺産として登録されている場所です。
左手に見える山の上の方は、自然に出来たような景色に見えないけど、とても青々として綺麗である。ただ特に何も人工物は無さそうに見えるが。
こちらがその入口を進んだ先の境内である。大きな岩の崖がせり出してきている隙間の中に建物を造ったように見える。
こちらの岩山は比較的硬い岩なので、簡単にそれを削るという事は容易な事では無かったようだ。
スリランカと日本では同じ仏教といっても、全然流派が違う。元々は仏陀が約2500年前に悟りを開いて真理を見つけた訳だが、その教えは世界中に拡がるにつれて形を変えていくのである。ただそれは仏陀の教えが変わった訳ではなく、後年の仏教伝道師達の考えが変わっていっただけであるが。
ワシの考えも長い年月と色んな人達への伝授によって、今ではその内容もだいぶ変わってしまったんじゃ!
今から約2500年前にヒマラヤ山脈の麓でインドとネパール国境付近に住んでいたシャーキヤ族の王子として生まれた「ゴータマ・シッダールタ(Gautama Śiddhārtha)」、彼が俗に言うお釈迦様・仏陀である。
ちなみにお釈迦様とはシャーキヤ族の名前から来ていて、仏陀(ブッダ)は”目覚めた人”という意味で当時の賢者などに使われた呼称である。仏様というのはこの仏陀の略語である仏から来ているのである。日本ではこの人物の呼び名が沢山あり過ぎるので、少しややこしく感じるかもしれない。
こう見えても元々は王子なんじゃ!
仏陀は生まれて7日後に母親が亡くなり、叔母が彼の面倒を見たが小さい頃から非凡な才能を見せたという。しかし合わせて父親は彼を溺愛し、甘やかして育てた為にわがままな性格に育ったという。そして仏陀は王位継承者として父親の跡を継ぐ存在で、16歳の時に結婚させられる。
この頃はワシも若かったんじゃ!好き放題に遊んでいた時期じゃ!
だが仏陀は憂鬱な気分に悩まされ、ず~~っと王位は継がずに出家したいという気持ちが募ってきた。そんな気持ちを父親は見透かしており、仏陀にありとあらゆる贅沢をさせて気持ちを留めさせる作戦に出た。そしてその後奥さんとの間に子供が生まれるものの、気持ちは翻意せずに29歳の時に何もかも捨てて出家の道を選ぶのであった。
そのままモヤモヤな人生を送るより、たった1度の人生なんで自分がやりたい事を選んだんじゃ!
第一石窟にて
さてここは石窟寺院というだけあって、石の洞窟の中にある寺院なのである。そしてここは第一石窟(Dava Raja Vihara)と呼ばれる、この寺院内でも最古の部屋である。
中に入るとまずは大きな寝釈迦像が横たわっているのが見えますが、残念ながらこの立ち位置ではその全景を捉える事は出来ません。。
こちらがこの場所の天然石を削って作成したという、全長約14mの寝釈迦像である。そしてこの寺院が「ダンブッラ黄金寺院」と呼ばれる所以は、この仏像が金色に塗られているからだというが、洞窟内が暗かったのもあって全然金色のイメージがなかった。
足元で立っている像は仏陀の重要な弟子である「アーナンダ(阿難)」であり、仏陀が涅槃に入った時を見守ったとされている人物。
仏陀は亡くなる時(涅槃に入る)に北向きに寝ていた為、日本の仏教徒の葬式では必ず遺体は北向きに寝かされるのである。
この石窟寺院の壁には多くの壁画が残されている。ここの壁画に描かれているフレスコ画は世界で最も面積が大きく、かつアジアで最も古いものだという。フレスコ画は昔の時代に流行った手法で壁に塗った漆喰が乾かない内に、顔料を塗りつけるのでスピード優先のやり直しが利かない手法である。しかし湿気などによる耐久性は優れているので、昔のフレスコ画は想像以上に綺麗な状態で保存されている物が多い。
仏陀の足の裏は土踏まずが全然ない偏平足であったという説の為に、このように寝釈迦像の足の裏も偏平足で平らに造られているのである。
こちらの像は先程説明した「アーナンダ(阿難)」の像。
こちらは座する仏像。仏陀は32種もの特徴(微妙な違いまで含むと80種)があったとされていて、この特徴的なパンチパーマにも見えるような頭もその特徴の内である。
この髪質で小さい頃は、よくイジメられたんじゃ・・・
そしてここの寝釈迦像の足の裏が特徴的なのは、このように花の柄が入っているのと足の裏が赤っぽいのである。この足の裏が赤いのはスリランカだけに、シントラ人として最初にインドから渡ってきたウィジャヤ王子が辿り着いたタンバパニンという土地の土が赤色だった。そんな赤い土を踏みしめたウィジャヤ王子の足の裏が赤かった為に、この寝釈迦像も同じように足の裏を赤くしているという。
そして寝釈迦像でややこしいのが仏陀が生きている状態を表しているのか?、それとも死んでいる(涅槃に入った)状態を表しているのか?である。両方ともに目は見開いているので目では判別できない。かと言ってエジプトのファラオの王のように手の組み方が違ったりもしない。そんな仏陀像の見分け方はこの足の指先である。このように左右の足の指が揃っておらず、ズレていると死んでいる(涅槃に入った)という事を表しているのだ。
この石窟寺院には壁だけでなく、天井裏にも仏陀のフレスコ画が描かれている。壁ならともかく天井裏までフレスコ画を描こうと思ったら、大変な作業だっただろう。。
仏教では偶像崇拝は禁止されていないけど、悟りを開いた仏陀としては自分の像を造って、自分の事を崇めて欲しいという気持ちは全然無いと思う。仏陀の考えは他人に何かを求めるのではなく、自分自身と向き合って答えを見つけるという事なので、このような仏像は後年の人間達が自分勝手に作成したものだろうと思う。
仏陀は仏像にされて祈られても「オレは他の神様みたいに、祈られても何も出来ないよ。君の問題は君の中にあって、それを解決するのは君自身なんだから・・・」と思っているのかもしれない。。
ワシは神様のような超能力は持っていないんじゃ・・・
第一洞窟の景色 動画
こうやってあとで写真を見返すと、確かに金色っぽい感じが見て受ける。
タイのワットポーで巨大な金ピカに輝く寝釈迦像を見た後だけに、この像が黄金色に見えなかっただけかもしれない。。
この洞窟の部屋内は狭いので、奥に入って写真撮影をしている人が何人かいると、身動きが取れなくなってしまう。それと勿論空調設備も無いので、洞窟内はとてもムワっとしている。
目を開けたまま涅槃に入った仏陀。涅槃像(寝釈迦像)も目を閉じたVerもあったりするそうだ。目を閉じた涅槃像は既に死んでいる(涅槃に入った)状態で、目を開けているものは最後の説法を行い、これから涅槃に入る直前のものだという。
最後は寝落ちしてしまったんで、目が開いたままじゃ!
一番古い洞窟だけあって、かなり狭くて長時間入っていると暑苦しくなってくる。こちらは足だけ取って付けたようにも見えなくもない、入口を警備している像?!
洞窟内はムワっとして暑いけど、外の日差しはもっと暑い。入口付近に座っている人達は疲れて座っているというよりは、日差しを避ける為にわざわざ日陰に座っているのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
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