北海道/札幌旅行記
旅行期間:2020年9月1日~4日
飛行機の歴史も勉強
このように札幌市内の歩道には足元に大きな北海道日本ハムファイターズの球団ロゴマークが塗装されていて、いつの間にか北海道はファイターズの街となっているようだ。しかし塗装の剥げ具合を見ていると、少々前に塗られたもののように見える。北海道に移転してきた2004年頃に塗られたものだったのかもしれない。
札幌市内にて
サッポロビール園からとりあえずJR札幌駅まで歩いて向かっている途中に、今回の札幌旅で3連泊させてもらった【JR東日本ホテルメッツ札幌】の建物が見えてきた。このJRホテルメッツ・チェーンはJRの主要駅から徒歩2~3分という素晴らしい立地に造られているホテルばかりなので、チェックアウト後に荷物を預けるのにも使えるホテル。しかし今回はこんな駅から近いホテルに泊まったにも関わらず、ここから徒歩2分の札幌駅構内の500円コインロッカーに荷物を預けていた。。
思った以上に大都会だった札幌の街。そして明治時代になって開拓された街はとても綺麗に整備されており、また明治時代に造られた歴史的な建造物が未だに街中に調和していたりと、すっかり雪が降らない時期にはお気に入りとなってしまった街。
また遊びに来てね~!
そして札幌の街は飛行機を使う人間には便利な立地ともなっていて、国際線も通常なら運行されている新千歳空港まではJRの「快速エアポート」という電車を使えば、約40分程で行き来できる。
しかも1時間に5本も運行されているので、とても空港までのアクセスがいい札幌です!
という事で1150円を支払って、新千歳空港までは便利な「快速エアポート」に乗り込みます。通常なら混み合っているハズの電車であるが、2020年コロナ禍の影響で結構に空いていた。
新千歳空港にて
そして札幌旅の終焉地である新千歳空港まで戻ってきて、とりあえずはこれから利用するJALの機械でチェックインを行う。この2020年に行った国内旅行では基本的に預け荷物を持たないようにしていたので、チェックインを済ませた後に荷物を預けるカウンターに並ぶ必要が無かったので、荷物を減らして旅行する事の大事さを知った2020年でもあった。
数日前に新千歳空港に到着した際はそのまますぐに出ていったけど、改めて新千歳空港内に足を踏み入れてると、その大きさが分かるし、結構賑やかな空港というもの分かる。これでもコロナ禍の影響で利用客が大幅に減少しているのであるが、通常期であればもっと人が多かったのであろう。
このコカ・コーラ瓶を抱えた白熊さんの置物は、以前に見た記憶がある。2017年の夏に甥っ子ちゃんと北海道旅行した時に、この白熊さんと記念写真を撮った事を思い出す。しかしこの時は細々と雑記ブログはしていたけど、まだ今みたいに旅行記はアップしていなかった頃である。
2020年はコロナ禍の影響によって大幅に旅客が減って、飛行機需要が大幅に減少した年であった。しかしこの2020年9月上旬には、そんな落ち込んだ経済を回復させる為に”GO TO キャンペーン”という旅行キャンペーンを大きく打ち出して、徐々に旅行客が戻り出していた頃。ただ「地域共通クーポン券」という、旅先で使えるクーポン券の配布はまだされていなかった頃(この翌月の10月1日からスタート)。
この2020年の国内旅行では基本的に飛行機で行く旅となったが、その時選んだ航空会社はJALオンリー。今までの国内線飛行機にはあまり乗った事は無かったけども、そんな数少ない飛行機搭乗機会の中でも、JALのCAさんの応対や気遣いが一番良かったと感じていたからJALばかりを選択したのであった。
新千歳空港は北海道内でも最大の飛行場であるが、このイートインコーナーも広かった。でも前(2017年)に来た時はこんな大きなイートインコーナーなど見なかった印象があるが、新しく出来たのであろうか?!
「大空ミュージアム」にて
基本的に空港には早く行く事にしているので、だいたい空港に着いてから搭乗までは時間が余る。だからそんな待ち時間をずっと椅子に座るのではなく、このようになるべく歩き回って散策するのである。すると「大空ミュージアム」というエリアを見つけた。
勿論「大空ミュージアム」は入場無料だったので、入ってみる。個人的には飛行機自体には全然興味が無いけども、甥っ子ちゃんが大の飛行機マニアなので、飛行機に関連する写真などをたっぷりと撮って送りつけるつもりで、館内を見学する事に。
一応「大空ミュージアム」という名前だけあって、人類が空に向かって挑戦した歴史が簡単に紹介されている。人類が空に飛び立つ事を夢見たのは大昔だろうが、それが実際に現実的に動き出したのは18世紀後半になって開発された気球からである。
空を飛びたい人間からすると、空を飛ぶヒントを鳥や昆虫の羽に見出した。しかし鳥や昆虫に比べて体重が重た過ぎる人間の体を支える構造物を、当初の頃は造る技術が無かった。だから昔は竹で組んだ飛行機などを造って、着地の度に壊れてしまう飛行機しか造れなかった。しかしイギリスで起こった産業革命の影響で色んな技術が飛躍的に向上し、軽くて丈夫な素材が開発されていき、それらが飛行機へと形を変えていく。そして有名なのが1903年に”人類初めての有人飛行”を成功させたライト兄弟。
凄いね~人類って、本当に空を飛べるようになるんだから~!
そんな飛行機はその後に起きた第一次世界大戦で、実用化に向けられて大きく開発が進む。そしてあっという間に民間人輸送の飛行機が続々と世界中で誕生していき、第二次世界大戦では今までの戦艦中心だった戦争が航空機メインの戦争へ突入する。そんな戦争に利用された為に極限まで性能を伸ばす為に開発された技術が、今の安全に飛ぶ飛行機技術などに生かされているのである。だから戦争では多くの命が戦闘機によって奪われているが、そんな戦闘機で開発された技術が後年の人類の命を救っている訳でもある。
特に航空業界は他の輸送業界に比べても1回事故を起こすと、多くの命を失う危険性がある為にトラブルがあると徹底的に問題点を洗い出して改善策を図る。2009年に起こった航空機事故をクリント・イーストウッド監督が映画化した『ハドソン川の奇跡』では、制御不能に陥った旅客機が空港まで辿り着けないと判断した機長がハドソン川に不時着をするという実際に起きた事件を描いている。その中では川に不時着するという決断をした機長に対して、事故調査委員会が徹底的に機長の判断に対して追及している。さすがに厳し過ぎるような取り調べであるが、このように厳格化されている航空業界だから、道端を歩くよりも飛行機に乗っている方が安全とも言われる業界になっているのだろう。
移動する距離別でみると、意外と飛行機が一番事故の確率が少ないんだってさ~!
乗りたいけど、屁を我慢しないといけないんだよね~!
こちらは落下傘の原理であるが、体にロープを固定している訳ではなくて、ロープが結ばれている金具を手で持っているだけである。これだと長距離移動する際に握力が必要となって、途中で落ちてしまいそうにしか見えない・・・。
こちらはかのレオナルド・ダ・ヴィンチが開発していた、今のヘリコプターの原型となるもの。勿論これだけでは飛ぶ事が出来なかった訳だけど、彼が空に人類が飛び立つ為には何が必要だったかという理論に気が付いていたのはとても重要な事だった。
そんな飛行機の原型となる模型は僅かで、後は大空を自由に飛べたてる時代に造り出された飛行機の模型が並べられている。
こちらのは模型でもその実物の大きさが分かる位のものだ。「人類史上最大の木造飛行艇」と書かれていて、第二次世界大戦時にドイツ軍の潜水艦『Uボート』によってヨーロッパへの物資輸送船が沈められていた現状を打破する為に、このような大型の輸送用飛空艇が造られたという。
この飛行機の開発は実業家でパイロットでもあったハワード・ヒューズが所有する会社で製造されたもので、『ヒューズ H-4(1) ハーキュリーズ』(Hughes H-4 Hercules)という名前が付けられた。翼幅:約98m・全長:約67m・全高約24mという巨大な飛空艇であるが、当時はそんな大きな飛行機を作る工場が無かった為に、わざわざそれ用に幅75m・長さ225m・高さ30mという巨大な木造工場が造られたという(当時は戦時中の為に鉄が不足していた為に、木造となった)。
しかしそんな巨大な飛空艇が完成する前に、第二次世界大戦は終結してしまう。しかし飛行機マニアだったハワード・ヒューズは世界最大の飛行機を是が非でも飛ばしたかった為に開発を続けて、やっと1947年11月に起動テストが行われる事になった。そして3回目のテスト時に水面から巨大な飛行機は空へと飛びあがり、数十秒間だけだが空を飛ぶ事に成功した。しかしその巨大な木造飛行艇は実用化にするには問題だらけで、結局お蔵入りとなって今ではアメリカの博物館で保管されているという。
こちらは有名なチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)が”大西洋単独無着陸飛行”を人類で初めて成功させた時に使った『スピリット・オブ・セントルイス号』(Spirit of St. Louis)の模型である。なお勘違いしやすいがこのリンドバーグが、初めて飛行機で大西洋を横断した訳ではない。このリンドバーグが成功したのは、大西洋をこの飛行機に1人だけで乗って途中で着陸する事なく、ニューヨーク~パリ間約5,800kmを飛んだ事である。
なおこのリンドバーグはこの”大西洋単独無着陸飛行”にて世界中の有名人になってしまい、彼の実の息子が誘拐されて身代金を要求された挙句の末に死体で発見されるという悲劇を経験した人物でもある。そしてアガサ・クリスティー原作の映画化された『オリエント急行の殺人』(Murder on the Orient Express)の中では、この時の幼児誘拐殺人(一応架空の人物設定)に関連した人物達が登場する内容となっている。
こちらにある飛空艇の模型も先程見た「ヒューズ H-4(1) ハーキュリーズ」に負けない程の物に見えるけど、翼幅:約48m・全長:約40m・全高約6mとそれよりも約20年前に造られた飛空艇なので、だいぶ小さいようだ。しかしこの『ドルニエ Do X』という飛空艇が開発された1929年頃には世界最大級規模であり、ツェッペリン飛行船を開発した人物として有名なクラウディウス・ドルニエ(Claudius Dornier)が興したドイツのドルニエ社が製造した豪華旅客飛空艇だったもの。
当時はまだまだ飛行機で大西洋横断大量輸送は現実的でなかった時代に、空飛ぶ豪華客船を実現させる為に建造されたビッグプロジェクトだった。乗客定員150名という当時にしては大きな飛空艇だったが、12基も設置されていたプロペラエンジンではあるが当時の技術ではそこまで沢山のプロペラを安定的に動かす動力が無くて、飛び立つには成功したものの、大西洋を横断するのになんと7ヶ月も要したという。。
人類は昔から”ロマン砲”や”ロマン戦艦”などにも象徴されるように、大きなものに憧れる性質がある。日本の歴史を見ても第二次世界大戦中には時代遅れとなりつつあった戦艦に力を入れて、巨大戦艦「大和」などを建造している。しかしそんな巨大な戦艦は建造するにも長い時間を要してしまい、その間に時代が変わってしまっており、航空部隊を搭載する空母がメインの大戦へと変貌してしまっていた。その為に搭載された巨大な大砲を撃つ度に進路がズレたとも言われる戦艦ヤマトは、大した戦果を収める事なく、日本軍の結末を象徴するかの如く、沖縄の海に沈んで行くのであった。。
こちらの模型は『ジービーR1』という1930年過ぎに開発されたエアレース用の飛行機である。なおこの模型では正面前方部分にエンジン部分が見当たらないが、これでは飛ぶ事が出来ないので実際にはここにエンジンとプロペラが搭載されている。そして1932年にはこの機体で時速473kmという、当時の世界記録が計測されている。しかしそんなスピードに魅了された末に開発された機体は安定性に欠けており、度重なる事故に見舞われて多くの人命が失われたという。
次はちょっと変わった飛行機の形をしている、通称”ベルーガ(シロイルカ)”とも呼ばれる『エアバスA300-600ST輸送機』という貨物機の模型。この機体はまず一般的には目にする事が出来ないもので、というのも基本的には飛行機メーカーであるエアバス社の飛行機部品輸送専用機である。飛行機の基本的な部分は「エアバスA300-600R」が使われており、上の客室となる部分に飛行機部品を積み込んで輸送しているという。
だから正面先端にはその部分から部品を運搬できるようにという事で、口のようにも見える開口部がある。また見た目からイルカのようなデザインになっている為に、”ベルーガ”とも呼ばれているという。そして現在5機が生産されて世界中を今でも飛んでいるが、後続機が開発された事もあって2025年中にはその役目を終了するという。
こちらにはボーイング787の実物タイヤが展示されている。なおこのタイヤの大きさは直径50インチ(約127cm)もあるが、製造しているのは日本を代表するゴムメーカーでもあるブリヂストン社である。
小さい飛行機であればその近くまで近寄る事もあるかもしれないけど、大きな飛行機程にその近くまで行く事はあまりない。だから大型のジャンボジェット機のエンジンの大きさが、これぐらいに大きいとはあまり思えない位であるが、こちらでは原寸大サイズのエンジンの絵が描かれている。
こちらはANAで実際に使われる、搭乗者の預け荷物を入れる専用コンテナー。コンテナーというと四角い長方体のイメージが強いけど、飛行機用のコンテナーは飛行機に積み込みやすい形に特化しているので、このように台形っぽい形となっているようだ。
飛行機の胴体部分はこのように円型になっており、上半分は乗客スペースで、荷物を搭載するスペースは下半分。こんな飛行機用のスペースに四角いコンテナーを積み込むと、積載効率がとても悪くなってしまうので、このように角が削られている形になっているようだ。
こちらの飛行シュミレーターはコロナ禍の影響で、残念ながら使用禁止となっていた。という事でそこまでは広くなかった「大空ミュージアム」という場所で、飛行機マニアでなくとも楽しめる飛行機の歴史を学べる所であった。
こんな旅はまた次回に続きます!
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