北海道/札幌旅
旅行期間:2020年9月1日~4日
北の大地でのウイスキー
ここは日本を代表する国産ウイスキー会社であるニッカウヰスキーが創業された、北海道余市町にある余市蒸留所敷地内に造られている、ウイスキー博物館。なおこの建物内にはニッカウヰスキーのウイスキーが有料試飲できるコーナーもあって、ここは既にその試飲コーナーを過ぎて奥に進んだ資料などが置かれている場所となっている。
余市蒸留所にて
こちらは先程もチラっと見た、『ニッカウヰスキー(第1号ウイスキー)』の瓶である。この昭和15年(1940年)に発売されたのが今ではニッカウヰスキーとなっているこの会社で、名前の通りに最初に発売されたウイスキーの製品である。なお創業されたのは、このウイスキーが発売される約6年前の1934年。ウイスキーが原酒が出来上がった段階では、単なる高アルコール液体で味や香りや色などが付いていなくて、樽で5年以上熟成させてやっと発売出来る状態に仕上がるのである。
ただし当時の酒税法ではウイスキーに原酒を入れる度合いが、1級・2級・3級とそれぞれに決まっていた。なお一番下の3級では、0%~5%未満のウイスキー原酒が入っているお酒であればウイスキーと見なされたという。だから当時はウイスキー原酒が入ってなくて酒税を払いさえすれば「ウイスキー」として、販売が出来る時代だったので模造ウイスキーが平然と売られていたという。
それとやっと出来上がったウイスキー原酒だが自分で薄めて販売するのに抵抗があったらしく、また世間で販売されているウイスキーの品質向上を図る為にも、仕上がったウイスキー原酒を自称ウイスキー製造会社30社程にまずは卸したという。そして自称ウイスキー製造会社に自分が頑張って造ったウイスキー原酒が混ぜられる事によって、世間に流通していた模造ウイスキーも多少なり品質が上がった事に竹鶴は喜んだという。
だからニッカウヰスキーは創業当初「大日本果汁株式会社」という会社で、主にはジュースやゼリーなどを資金稼ぎに販売していた。だからようやくウイスキー原酒を仕込んでから5年経って、やっと発売出来たこの第1号ウイスキーがここから出荷される時には社員一同で馬車に乗って出荷されていくウイスキーを見送ったという。なお、この容器は封されているが、中のウイスキーが目減りしている。こちらは最初に造られた時から一切封を開けていないが、1940年から現在まで約80年間保存している間に、これだけ中身が蒸発してしまったのだという。
瓶に入れてても蒸発しちゃうんだね~!
昔の北海道ではこのような熊が多くいたようで、こちらは昭和35年(1960年)にこの周辺で280kgもの体重の熊を仕留めた時の写真だそうだ。右後ろに見えるのはこの国の登録有形文化財に登録されている、この余市蒸留所の正門のようだ。
人間がオレの仲間をどんどん殺して、生きにくい世界になっちゃったよ・・・
なお竹鶴が余市で工場を開業した時は、北海道ではまだまだ野生の熊がいた。そして第二次世界大戦で負けて連合国の占領軍によって、刀剣と銃が取り上げられる事になってしまった。しかし北海道では熊退治に猟銃が必要だった為に、英語の達者だった竹鶴は占領軍司令部へと出向き、その猟銃の必要性を熱く司令官に説いて猟銃の所持を認めさせた。しかし次は鉄砲に使う火薬が取り上げられてしまい、再び竹鶴は占領軍司令部へと出向いて猟銃に使う火薬の使用も認めさせたという。
こちらの大きな魚拓は「三尺八寸」とサイズが書かれているが、今のセンチメートルに換算すると約145cmの大きな魚を竹鶴が1962年に釣り上げた時の物のようだ。この魚は「イシナギ」と一般的には呼ばれる海水魚で、北海道では「大魚」と書いて「おおよ」と呼ばれているそうだ。春にはこれだけ大型化したイシナギが獲れる可能性があるという。
なお竹鶴はこの北海道では「オウヨ(イシナギ)」と呼ばれている魚を釣る為に、地元漁師に弟子入りした。そして弟子入りしてから約5年が経った1962年に、2時間格闘した末にこの巨大な魚を釣り上げる事に成功したという。なおこのオウヨを釣る際には全長2メートル位の小さな船で出発し、エサには生きた烏賊を使って約100m程下ろして釣るという。なのでこのオウヨと格闘になった際は、この小さな船が引きまわされたという。。
こんな大きな魚は、さすがに今まで喰った事無いな・・・
こちらのブースは英国のパラグラフ・パブリッシング社が毎年開催する世界的なウイスキー・アワード『アイコンズ・オブ・ウイスキー2016』で、「ワールド・ベスト・ディスティラリー・マネージャー」という商品に対してではなくて、この余市蒸留所の責任者であった西川浩一工場長に対して贈られたもののようだ。
お次のブースは世界的な酒類品評会『インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ2017』で、ウイスキー部門の金賞にこの5点が選ばれたという。ちなみにこの品評会では10年間続けて毎年ニッカウヰスキーのウイスキーが選ばれているらしいが、この年はそんな金賞に5点も選ばれたようだ。
金賞も1個の方が価値がありそうに思うけどね~!
こちらはこの余市工場で作られている『シングルモルト余市』で、1989年から発売されたもの。ニッカウヰスキーの中でも高級ブランドのシングルモルト・ウイスキーとしての格付けがされており、過去には上記の『インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ』で何回も金賞や銀賞を受賞している。
「シングルモルト」って、1つの蒸留所だけで造られたウイスキーって事ね!
なおここ20年程の間でこのニッカウヰスキーやサントリーが造ったジャパニーズ・ウイスキーが、世界的な賞を何度も受賞して国際的に日本産ウイスキー人気が急騰している。それによって海外から日本のウイスキーをわざわざ買いに来る人がいる程だけど、逆に日本国内ではウイスキー産業が右肩下がりの兆候にあったので、ウイスキー原酒の生産量を絞って近年は生産していた。
しかし世界的に評価が高くなって思った以上にウイスキーが売れるようになっても、肝心のウイスキー原酒は1~2年で簡単に熟成するものではない。特にこのような竹鶴17年などはその名の通り、ウイスキー原酒を17年間以上熟成したもので、同じものを作ろうと思っても原酒製造から始めても最低17年間は出来上がるまで時間が掛かるのだ。だから今流通している高級ウイスキーなどは品薄状態になって、どんどん値段が吊り上がっていってプレミア値段になっているのである。。
こちらは2014年秋に朝ドラとしてNHKで放送された『マッサン』で、使われた衣装や小道具などが展示されている。このドラマでは実在する人物や会社名などが使われていないので、こちらの「鴨居ウヰスキー」と書かれているのは、現在サントリーとなっている当時は寿屋という名前だった会社の物。
勿論このNHKドラマも見ていないけど、竹鶴政孝は「亀山政春」という名前になっており、ニッカウヰスキーの前身である大日本果汁株式会社は「北海道果汁」として描かれていたという。だからそのドラマの際に使われたこちらの衣装にはニッカではなくて、「DOUKAH(ドウカ)」(ドウカウヰスキー)という文字が入れられていたようだ。
そんな国産ウイスキー造りに命を懸けた竹鶴政孝が造った、ニッカウヰスキーについての博物館はこれにて終了。たった15CCのウイスキーを試飲しただけで少々気持ちいい感じとなっていたので、記憶代わりに写真を撮っておいてよかった。。
こちらに置かれているのは何回も世界的な賞を受賞している、ニッカウヰスキーでもこの余市工場ならではの、ポットスチル型単式蒸留器で石炭直火を未だに行って仕上げている『シングルモルト余市』である。そんな余市ならではのウイスキーも10年/12年/15年/20年熟成と熟成年月違いがあって、終売となっているシングルモルト余市20年熟成物は今では1本30万円近くで売買されているようだ。
新しい機械や製法を使えば生産効率の良い・仕上がりにムラの無いウイスキーが造れるにも関わらず、アナログ時代の器機を未だに使い、毎回仕上がりが違う個性的な酒造りが竹鶴政孝亡き後も、このニッカウヰスキーには引き継がれているのである。そういう意味では創業者:竹鶴政孝の魂が継承されている、余市工場で造られたウイスキーのみ使われている『シングルモルト余市』である。
そしてウイスキー博物館を出ると、外にはこのような「竹鶴政孝記念庭園」という文字が入っている石碑が建てられていた。なおこちらに手書きの文字が彫られていたが、この文字を書いたのは竹鶴政孝の甥っ子(竹鶴の姉の息子)で、のちに彼の養子となる竹鶴威である。竹鶴威は大日本果汁時代に入社して、後にニッカウヰスキーの社長になった人物である。
ニッカウヰスキー余市工場内の売店にて
そして工場の奥にはニッカウヰスキー関連の商品が売られている売店がある。だいたいの工場見学客はまずニッカウヰスキーを試飲してから、次にこの奥の売店でニッカウヰスキーのウイスキーを買って帰るのであろう。
個人的にはあまりウイスキーは飲みたいとは思っていなかったけど、とりあえず売店へと向かいます。なおこの訪問時はコロナ禍の影響もあって、余市工場は16時をもって閉館となっており、それに合わせてこの売店も15時50分で閉店となっていたので、あまりゆっくり見て回る時間は無かった。
このニッカウヰスキーの売店に入ると、まず正面には晩年の竹鶴政孝の顔が大きく印刷されているのが見える。そしてニッカウヰスキーの色んなお酒が販売されているが、ここではお土産用に小瓶がセット品として色んな種類が置かれていた。
プレゼント用に1本700mlのウイスキー瓶を渡すには、大き過ぎるし値段も高くつくし、まして全部飲むのも大変だろうという事で、このような小瓶が多種販売されていた。そして単なるウイスキー小瓶だけではなくて、このような可愛らしいクマさんが抱いたギフトボックスなども色々とあった。
こちらはこの売店で販売されていた、ニッカウヰスキーの帽子とマスクである。余程のニッカウヰスキー・マニアしか買いそうにないように見えるけど、実際に売れているのかは不明。
ただ売れるから販売しているのだろうと思うけど・・・
世の中には、お前みたいなヘンな奴が多いからな!
せっかく訪れたニッカウヰスキー余市蒸留所で、何も買わずに手ぶらで帰るのもどうかと思って購入したのは、こちらニッカウヰスキーでもウイスキーよりも前から発売されているロングセラー商品『アップルワイン』である。この時はそんなロングセラー商品という知識は全然なくて、甘いお酒が好きだったから購入したもの。
なおこの『アップルワイン』は昔はこの余市蒸留所で造られていたが、今では余市ではなくて青森の弘前工場で造られている。ただしここ余市蒸留所で売られているアップルワインだけは、この貼られているラベルが「ニッカウヰスキー北海道工場」となっているそうだ。
敷地内にある竹鶴政孝の胸像
そして売店でお酒を買ってから、工場の入口へと向かう途中に竹鶴政孝の銅像を発見する。ただこの銅像はガイドツアーの最初に貰った手書き地図には載っていないので、下手したら見逃して帰ってしまいそうになるもの。
まして周りが緑で囲まれていて分かりにくいけど、余市の工場見学に行ったら必ず見ておきましょう!
この竹鶴政孝は酒豪だったらしく、毎日ウイスキーを1本飲んでいたとか。そして85歳まで生きて亡くなった竹鶴政孝のお墓は、この余市町に造られているという。そしてそのお墓には愛妻だった竹鶴リタと一緒に並んで、この余市蒸留所が見下ろせる高台で仲良く眠っているという。
個人的には普段ウイスキーは全然飲まないので、竹鶴政孝の人生や彼が創業したニッカウヰスキーの歴史についても全然知らなかった。しかしこうして実際に彼がこだわって創業したニッカウヰスキー余市蒸留所を訪れて、職人気質だった彼の人生を勉強できた事は大いに自分の財産となった。
このブログを作成していると更に竹鶴政孝氏の生涯やその考え方を知りたくなったので、このような自伝も出版されているので読んでみた。やっぱりネットで検索して出てくるだけの情報とは違って、本には色んな事が書かれていて、目から鱗状態だった。
やっぱり創業者ってのは色んな苦難があったけど、何だかんだと強い意志を持って乗り越えてきた人達ばかりである。この竹鶴政孝氏も戦争による不況や、自分の事業を興してみても全然商品が売れなかったり、自分の愛妻が西洋人であるから戦時中には警察にマークされていたりと、その苦労を数え上げればキリがないかもしれない。ただそんな苦労話を聞くよりも、彼が遺したこだわりが詰まったウイスキーを飲めば、竹鶴政孝という人間の事が理解できるのだろう。。
どう、いい経験となった~?!
おかげ様で竹鶴さんについて、いい勉強になりましたよ!
そんな竹鶴政孝氏がスコットランド留学後に住んでいた場所が、ボクの小さい頃から住んでいた場所の近所だったという事と、そんな場所がボクの親父がデザイナーとして事務所を構えていた場所の真裏だったという事を知って、急に親近感を持ったのでもあった。
人間って物事を自分の都合のいいように、解釈する本能があるらしいよ!
何気なく連れてきてもらって、しかも何時間か待ってまで見学した余市工場だけど、その待った甲斐があった工場見学となった。何でも詳しく調べてみると歴史があり、今まではその歴史についてなんか全く知らなかった事でも、その歴史をちょっと紐解くだけで急に興味が出てきてしまうようになってきた。
そういう意味では、今がボクの全盛期ですね!
もっと大きな男になってくださいね~!
ニッカウヰスキー余市蒸留所は北海道工場とも呼ばれている。そんな看板の前で今回の訪問でとても興味を持った竹鶴政孝氏についてもっと調べる為に、何冊かの書籍を読もうと思っている男?!
こちらはこれから運転しないといけないので、残念ながらニッカウヰスキーの試飲が出来なかったメグちゃん。
いいよ~ワタシはウイスキーよりワインの方が好きだから~!
今回の訪問で「ニッカ」というブランド名が付けられている由縁も分かったし、本当にとても勉強になった余市蒸留所。皆さんもこれから訪れる予定があれば、是非ウイスキーの試飲だけではなく、博物館内に展示された色んな資料などを見て、竹鶴政孝という人間の生き様を是非勉強していって欲しいと思う。
という事で工場見学を済ませて、閉館直前の15時50分過ぎに工場を出て駐車場に行くと、さっきは数台停まっていた車が、メグちゃんの愛車であるハスラー1台のみとなっていた。他の人達はサ~~ッと工場見学して、試飲もして買い物を駆け足で済ませて帰って行ったのであろう。。
そして余市蒸留所の見学が終わって16時となったが、今回北海道旅をアテンドしてくれるメグちゃんはまだ札幌には帰らずに、更に西の方にある絶景が見れる岬へ連れて行ってくれるという。すっかりこの時はニッカウヰスキー「竹鶴21年ピュアモルト」を試飲して、竹鶴政孝という人間の歴史を垣間見れて気分が良かったけど、居眠りする訳には行かなかったので助手席で寝ないようにしっかり気を張っている時だった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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