九州縦断旅行記(秋)2020年-⑧
旅行期間:2020年10月24日~28日
(Feel the breeze of Hakata in the water park at the tip of Nishinakasu.)
タイタニックポーズの名所?!
こちらは天神中央公園の隣にある、一瞬は公園の一角にも見えてしまうような緑に覆われた外観となっている「アクロス福岡」という複合施設。天神中央公園のある南側から見ると複合施設の建物には見えないけど、このように脇に回ってみると現代的な建築物だったという事が理解できる建物である。
博多の街にて
そんな博多の街で見つけたこちらの銅像は『桂の影』という、この博多出身の近代彫刻を代表する彫刻家:山崎朝雲の作品である。この像は博多の街中にあった日本生命ビルの前にひっそりと立っていたけど、昔はこの通りには路面電車が通っていたらしいけど、今では路面電車は廃止されて地面の下を通る地下鉄が走っている場所となっているようだ。
こちらの像はこのような説明文がわざわざ添付されていて、親切だった。『桂の影』とは「月の光」を表す昔の言葉らしく、ウサギを片手に掴んで、反対の手では卯月(旧暦の4月)が来るのを指折り数えている少年の像のようだ。
こちらはさっき見たアクロス福岡の北側入口面となっているが、こちら側から見ると全然緑化された施設に見えない。こちらは北側になるのであまり日当たりが良くないからか、緑化されているのは日当たりがいい南側限定となっているようだ。
シップスガーデン 水上公園にて
天神の街を進んでしまうと現代的な都会の景色が待ち受けていて、イマイチ新鮮さに欠けたのでさっき見えていた西中洲の先端に突き出ているような岬の建物をしばらく眺める。すると屋上でくつろいでいる人が見えたので、自分もそこに行ってみる事にする。
住所:福岡市中央区西中洲13-1
営業時間:6時~24時頃(屋上デッキ)
てっきりこんな立地にある建物だからレストランの建物だと思い込んでいたけど、ここは「水上公園」となっている場所でその建物の中にレストランなどが併設されており、その屋上に公園というか展望台というか、リラックススペースが用意されているような場所。
最初はレストラン専用のデッキになっていると思っていたけど、このように水上公園の屋上デッキは自由に立ち入りが出来るようになっている。
ここは小さな岬の先端になっている隠れ家的な場所でもあるので、比較的のんびりと休憩するにはうってつけの場所。今のこの時間帯だとギラギラした中州の街も見えないし、青空と那珂川のコンビネーションが爽やかに見える。
ここは川沿いなので川に沿って吹き付ける風を心地よく感じれる場所でもあった。川は綺麗な水を楽しめる場所だけではなくて、風の通り道でもあるのでリラックススペースとしては、この博多の街でも有数の場所となっていた水上公園だった。
しかも入場料無料だし!
ただこの水上公園の椅子はこのように中州側に向けられていた。個人的には全方位が見渡せれるようにしてくれていれば嬉しかったけど、それだけ中州を見せたいというここを設計した側の意図が垣間見れる椅子の配置であった。
ここからはさっきのアクロス福岡も北西側から見えており、ここから見ると南側が階段状になっていて、その部分に緑が敷き詰められているのが分かる。この建物は全体を緑化した訳ではなくて、逆に緑を強調する為にこのように一部は近代的な建築物を見せつけているのだろう。
水上公園からの景色 動画
そんな水上公園の先端部分にはこのようなロゴが設置されていて、過去に大ヒットしたアメリカの映画を彷彿とさせるポージングを楽しむ場所になっていた。
ただ今回は相手役が居なかったので、パスしたけど・・・
ここから見る中州の街の雰囲気も、昼と夜では全くその装いを変えてしまう。人間という生物は不思議なもので、明るい時間帯と暗くなった時間帯で行動内容が大きく変わる人が多い。夜行性が多いという訳ではなくて、暗くなると人目を気にせず済むので、今まで抑圧していた願望が抑えきれなくなってしまう人が多いのだろう。
水上公園から(タイムラプス) 動画
今はどの街でもこのように川がある所は綺麗に整備されているので、とてもリラックスできる。ボクの住んでいる大阪でも大川という、中の島がある場所はこのような川に挟まれた島があって、とても気持ちいい場所となっている。
そんな水上公園で小休止した後は再び天神の街を進んで行く。すると目の前に現れたのは、いかにも歴史がありそうな赤レンガの建物だった。こちらは元々は1909年に日本生命保険株式会社九州支店して建てられて、今では「福岡市赤煉瓦文化館」となっている赤レンガの建物。
なおこの建物の近くには、足元にこちらの「福岡市道路元標」が見える。明治時代にはこの那珂川に架かる、さっき見た天神橋はまだ設置されていなくて、その北側にある西中島橋しかなかった。なので明治時代までは天神との街を行き来するのはこちら側の道路であり、この天神の先にある福岡城へ繋がる道の城下町入口にあった桝形門の袂にこの道路元標が設置されているようだ。
こちらが昔から那珂川に架かっていた西中島橋。勿論今見られる橋は当時の古い橋ではなくて、架け替えられた新しい橋になっている。この西中島橋と奥にある東中島橋が福岡と博多を繋ぐ橋となっていて、明治時代の中頃まではここに侵入者を防ぐ為に江戸時代に造られた桝形門という石垣を備えた門があった。しかしその堅固な門の必要性が無くなって、それよりも利便性が重要視された為にその桝形門は取り壊されて、今ではその片鱗も感じさせない場所に様変わりしている。
さっき見た西中島橋の近くに造られている赤レンガの建物を設計したのは、東京駅を設計した事でも有名な辰野金吾&片岡安である。元々はこの場所に第十七国立銀行(福岡銀行の前身)の建物が造られたのであるが、1877年に焼失してしまった為にその後に今の建物が造られた。
明治~大正時代にはこのような赤レンガの頑丈な建物が沢山建てられたけど、現在も残されているのはそれを保存しようという活動が行われている為。全国にはもっと赤レンガの建物がかつては存在していたけど、時代を追う毎に赤レンガの建物を維持するのが大変になって消えていった建物も多い。
そんな福岡市の赤レンガの建物は今では中は「エンジニアカフェ」として、くつろげるスペースも用意されているようだ。
「Beer」の文字に惹かれます・・・(笑)
まあ建築物マニアからすれば辰野片岡建築事務所設計の赤レンガの建物など唾の出る程にたまらない物かもしれないけど、一般人からすると赤レンガの建物など日本国内を回ればそれなりに見る事が出来るので、あまり建物内に入ってまで見学してみようとは思わないが。。
そんな赤レンガの建物脇には、何とも珍しい鳥居とのコンビネーションされた景色が見える。全国に現存する赤煉瓦の建物でも、こんな真横に神社がある場所は少ないのではなかろうか。。
水鏡天満宮にて
その鳥居をくぐって赤レンガの建物脇を抜けて、こちらの神社の正面入り口に辿り着く。こちらの神社は「水鏡天満宮」という場所で、菅原道真が京から太宰府まで移動する途中にとある川の水面に映る自分の姿を見て、その自分の姿がやつれている事に気付き嘆き悲しんだ場所とされているという。
ただし今見られる水鏡天満宮のある場所は、江戸時代前半に福岡藩初代藩主:黒田長政によってこの場所に造られた神社となっているので、その藤原道長が嘆き悲しんだという場所では無くなってしまっているという。。
福岡県の観光名所というと、その藤原道長が左遷された太宰府天満宮がとても有名な場所となっている。前回福岡に来た時はその太宰府天満宮を訪れてみたけど、参道にズラリと並んだお土産屋さんなどが充実しているだけの場所にしか感じなかったが。。
昔の人達が通っていた観光地などの参道は、長い年月を掛けてお土産屋さんばかりとなっているので、そんな参道のある歴史的な場所に行くのが面白く思わなくなってしまう。結局太宰府天満宮は学問の神様を祀っているので勉強に御利益があるとかいう話をよく聞くけど、実際にはそんな場所にやって来る観光客のお金をお土産と引き換えに手に入れようとする輩が集まっている場所にしか思えないのである。。
こういう奴は祭も楽しめないけ!
こちらの灯篭は珊瑚の岩のような材質で出来ているように見えて、更には上に雑草が髪の毛に見える感じに生えていた。こういう景色を見ると、上原浩治の”雑草魂!”じゃないけど、雑草の生命力の凄さを改めて感じるのである。
こちらが水鏡天満宮の社殿だけど、神頼みしない人間からすると何も感じない場所。しかし現代の世の中にも神頼みを未だにしている人はそれなりに多く、この神社に滞在している時にわざわざここに立ち寄ってお参りする人の姿を見かけた。
そんな神社の境内にあった、こちらの句碑は高濱虚子の曾孫に当たる「稲畑廣太郎」という人物が詠んだ句の内容が彫られている。
福岡の街も江戸時代から明治時代になった時に、大きく区画整理などが行われて、変貌を遂げた場所である。逆に言えば明治時代を迎えて、これからの大都市の在り方という将来性を考えて、車メインの道路を造ったりという先見の明を持った指導者がいたからこそ、これだけの大都市に発展した訳である。
こんな旅はまた次回に続きます!
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