米沢城跡近くの上杉伯爵邸の庭や城下町を散策し、帰りに米沢そばを味わう【東北旅行記90】

東北旅行記2020年冬-90:山形編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Stroll around the garden of the Count Uesugi’s residence near the ruins of Yonezawa Castle and the castle town, and taste Yonezawa soba on the way home. [Tohoku Travelogue 90])

鷹山が再興した米沢!

ここは米沢城の二ノ丸跡に造られている「上杉伯爵邸」。明治時代になってから米沢藩で最後の藩主となった「上杉茂憲
(もちのり)の邸宅として造られた建物だが、今では料亭のように米沢の郷土料理を味わえるレストランとなっている。

 

【上杉伯爵邸】

住所:山形県米沢市丸の内1-3-60
営業時間:11時~21時頃(※食事/定休日:水曜)
電話番号:0238-21-5121

 

 

 

上杉伯爵邸の庭を散策!

なお、この上杉伯爵邸の庭自体は一般開放されていたので、その敷地内にお邪魔して少し散策してみる事にした。今ここで見られる建物は大正時代に再建された物で、初代の建物は米沢城で発生した大火で全て焼失してしまったそうだ。

直江クン
直江クン

建物も焼ける時は一瞬だね・・・

 

そしてこのような大名屋敷では、日本庭園が造られている場所が多い。この上杉伯爵邸でも、この扉の奥にそれらしき庭園があるようなので進んでみる事にする。

 

奥の方に進んで行くと、このような日本庭園が見えてきたけど、東北地方でも特に雪深い地域とされている米沢だけに、既に景観を楽しむという景色ではなく、これからの冬に備えるように植木に木の囲いがされていた。今まで東北地方に足を運んだ事が無かっただけに、雪国にはそれに特化した生き方がある事がよく理解できた旅であった。

 

大正時代に再建された建物ではありながら、既に100年以上が経過している歴史的な日本家屋の豪邸は、今では”国の登録有形文化財”にも指定されている。また日本家屋と言っても、寒い地方だけに廊下の外側にガラス戸が取り付けられているのが、印象的に感じた。

 

基本的には庭園の見学は24時間できるようで、またこの歴史的な建物内の見学も食事しなくても10~17時まで見学できるようだ。また茶店なども用意されているので、ちょっとお茶やコーヒーブレイクで建物の雰囲気を味わいながら休憩するのに使える場所でもあるようだ。

 

「登坂 又蔵(とさか またぞう)という米沢で1875年に生まれた実業家であり、政治家であった人物の胸像が設置されていた。またここ米沢市の市長を務めていた人物でもあるようだ。

 

こちらには江戸時代末期にかけて米沢藩の家老だった「色部 久長(いろべ ひさなが)※長門(ながと)とも という人物の追念碑が置かれていた。この色部家は上杉謙信時代から代々上杉家の重臣を務めてきた家系で、この色部久長は明治時代に迎えた戊辰戦争で、新政府軍と戦った末に新潟で壮絶な最後を遂げて戦死したという。

 

そして新政府軍が勝利した戦いの戦後処理で、米沢藩からの戦犯を決める際に藩主らから首謀人を既に死んでいる色部久長1人として、残りの人を助けて欲しいと懇願した。それが認められ、戦犯処理で新たな死人を出す事なく乗り切り、その大きな恩に報いる為に「色部久長」の追念碑が造られたという。

 

 

米沢駅に向けて、ブラ歩き!

さて米沢城付近で一応見学できる場所はそれなりに見終えたので、そろそろ米沢駅の方に戻るとする。さっきコロッケを1つ食べただけでお腹がもっと何かを欲しがっていたが、近くに「米沢ラーメン」という看板が見えたけど、そのお店は営業していないよう外観だったのパス。。

直江クン
直江クン

営業時間は11時~15時までみたいだね!

 

 

「米織会館」にて

そして米沢駅に向けて適当にブラ歩きをしながら帰っている途中に、こちらのちょっと歴史ありそうな建物が見えてきた。こちらは「米織(よねおり)会館」という、米沢織物の歴史資料館でもあり、米沢織を販売しているお店でもあった。

 

【米織会館/米沢織物歴史資料館】

住所:山形県米沢市門東町1-1-87
営業時間:9時30分~16時30分頃(※12~3月:土日祝休み)
電話番号:0238-23-3525

 

 

こちらの建物は米沢織物組合:事務所として、大正時代の1922年に建てられた建物で、外見はリフォームされているのでパッと見にはそこまで古そうにも思えない。2階が米沢織物などの展示室となっていて、1階では米沢織物が販売されていたり、着物のレンタルサービスが行えるようだ。

 

「酒造資料館:東光の酒蔵」にて

そしてかつて城下町だった街の景観を楽しみながらブラ歩きしていると、こちらの日本酒を販売しているお店が見えてきた。こちらは「東光の酒蔵」という、慶長2年(1597年)創業で約400年の歴史を持つ日本酒蔵だった。米沢駅近くの建物上に大きく見えていた「米沢藩御用達:東光」という看板が気になっていたけど、このお店だった訳である。

 

 

さすが創業して400年の歴史を持つ酒造会社だけあって、このような大きな蔵も綺麗な状態で保存されているのが見える。頑丈な造りの蔵も時間が経つと外観とかが劣化してくるが、そのまま放置しているボロボロになって目も当てれない状態になっているのをよく見かける事がある。だからこのように綺麗な蔵は、それだけ綺麗に手入れが行われ続けているという証でもある。

 

ここでは酒蔵でありながら「酒造資料館」ともなっているので、お酒造りや400年の歴史を勉強できる所のようだ。ただ既に時間がちょっと遅かったし、もう夕方になっているのでボクの電池の残量が減っていた為に、見学はパスする事にした。

 

日本酒の作り方は全国的に似たような方法で造られているので、今更そこまで見てみたいとも思わない。また昔に知り合いの酒造会社で酵母菌を振る作業とかを手伝わせてもらった事があるけど、どちらかというと、日本酒作りより、日本酒を飲む方が好きなのであるが。。

 

そして街中を歩いていると、このように綺麗に積み重ねられた薪が見られる。都会に普段住んでいると、こういった薪が並んでいる光景を見かける機会が少ないだけに、人類が昔から使っていた薪を見るだけでも物珍しさを感じてしまうのである。

 

交差点に設置されているゴム製の赤いポールに、長い木の枝が縛り付けられていた。周りに住民らしき人の姿を見かけなかったので何の為に設置されているかは分からなかったけど、このポールの高さ以上の積雪が積もっても、ポールの位置が判るようにという工夫だったのかもしれない。

 

そのポールのあった交差点付近の家の壁の中に、直江兼続の鎧兜を模った物が展示されているのを見かける。この有名な『愛』の文字を模った前立ての鎧兜の現物は、先程訪問した上杉神社の宝物庫に保存されているが、冬場には閉館となっているので見れなかった。その為に本物に似せて作った鎧兜だけでも、見れた事に感謝するのであった。

 

今までは上杉家の米沢として観光客に売り出していた米沢市も、NHK大河ドラマのヒットを受けて、今までは脇役に過ぎなかった直江兼続を主役扱いするようになっていた。なので今では主君だった上杉景勝の事は全然知らずに、重臣だった直江兼続目当てに訪れる人も多そうだ。

直江クン
直江クン

拙者はあくまで脇役のハズなんだけどね・・・

 

さて夕方になってきたが、この時期は観光客もあまり見かけなかったし、地元の住民もそこまで道を歩いている姿を見かけなかった。最上川を渡って米沢駅の方に戻っていく途中に、往時に渡った橋と違う橋を渡ったけど、ちょっと味気ない橋だったが。。

 

さてそろそろ晩御飯を食べれるお店も探しつつ駅に向かって歩いていたが、閉まっているお店が多かったりで、あまり良さげなお店が見つからない。それと近所を歩いている人の姿もあまり見かけなかっただけに、こんな状況下で営業している飲食店自体も、経営が大変なんだろうと感じたが。

 

そして結局米沢駅までススッ~~と辿り着く。さっき途中で見た「旧米沢高等工業学校:本館」という、明治時代の終わりに造られた洋風建築物校舎がモチーフとなっている米沢駅。ただあまり大人の姿は見られず、逆に中高生の利用客が多かったように見えた。

 

さて駅まで来たけど、すぐに山形駅行きの電車が来ないので、周辺に”隠れた名店”が無いかを探してみる事にした。しかし、意外と駅前周辺にはボク好みの飲食店が見つからなかった。。

 

こちらは米沢駅前の交差点角にあった、立地の良い米沢牛を味わえるステーキレストラン『ステーキ 東洋館』というお店だけど、残念ながらこの月曜日は定休日になっていた。。

一応食べログ評価は☆3.4と、それなりの評価となっているみたい!

 

 

そして30分ほど米沢駅周辺を練り歩いたものの、結局良さげな飲食店が見つからず、仕方なしに米沢での晩御飯を諦めて山形駅に戻る事に決めたのである。。

オカン
オカン

相変わらずのパターンやな・・・

 

 

米沢駅構内でそばを味わう!

そんな少し落胆した気分で米沢駅構内に入ると、立ち食いそば・うどんのお店が目に入った。いつもだったら素通りしていたかもしれないけど、さっきまで30分ほどこの周辺で飲食店を探す為に徘徊して疲れた事もあって、今回は迷うことなく狭いお店だったけど飛び込んだのであった。

 

 

こちらのお店は『立ちそば処 鷹』という、米沢駅の改札外にあった立ち食いの蕎麦屋さんで、うどんや丼メニューも用意されていた。このような駅内にある立ち食いそば屋は、パッと注文した蕎麦などが出て来てサクっと食べれる為に、意外と通勤客などに人気の名店だったりするのである。

 

そして注文したのは、こちらのシンプルな「山形のだしそば」(この当時450円)。たぶん蕎麦の方を選んだと思うけど、このブログを作成しているのが、この米沢を訪問してから約1年半経ってからなので、ここで蕎麦を食べたか、うどんを食べたかまでは思い出せないのである。。

翌日も蕎麦を食べようと入った蕎麦屋さんで、間違えてうどんを頼んでしまったけど・・・

直江クン
直江クン

米沢蕎麦も人気だよ!

 

そして米沢駅構内で晩飯にありついた後は、まだ電車が来る時間までゆとりがあったので、米沢駅構内を少し散策してみた。するとこのように、”米沢弁”という、この山形県でもここ米沢で使われている方言の、相撲みたいな番付表が飾られていた。

 

直江クン
直江クン

観光する際は、現地の方言も勉強したら面白くなるよ!

 

そして夜の山形市内に戻ってくる。いつもだったら、ここから夜にライトアップされた山形城を観に行ったりするのだが、この東北旅で最後の夜だった事もあり、また米沢市内を散々歩いて少々お疲れが出て来ていたからか、このままホテルに戻って体力回復を優先したのであった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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