「弘前市立博物館」で津軽弘前藩など弘前の歴史を勉強!(part4)【東北旅行記㊳】

東北旅行記2020年冬-㊳:青森編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Study the history of Hirosaki, including the Tsugaru Hirosaki Clan, at the Hirosaki City Museum! (part4) [Tohoku Travelogue 38])

民俗文化も大事!

青森県弘前市の弘前城跡地の公園内に設置されている「弘前市立博物館」。色んな地方を訪れるとその土地の歴史を知る事がその土地を訪れた一番のお土産というか、自分にとっての後々の財産となります。なのでこのような地方の博物館には、”自分の人生を豊かにするお宝が詰まっている場所”と認識して見学していきたい。

 

【弘前市立博物館】

住所:青森県弘前市大字下白銀町1-6 弘前公園内
営業時間:9時30分~16時30分頃
(※定休日:第3月曜日/他)
電話番号:0172-35-0700
入館料:大人300円/中高生150円/小学生100円

 

 

 

弘前市立博物館の見学は続く!

ただ旅行に行く人の多くはそこまで現地の歴史を知る事を目的にはしておらず、どちらかというとその土地の雰囲気や地元の名産品を買ったり、その地の伝統的な料理を食べて満足している人ばかりに思う。日本の歴史を学ぶという行為は学生時代に散々してきたという想いの人が多いので、大人になって今更日本の歴史を詳しく調べてみようという気にならないのかもしれない。

オカン
オカン

アンタは学生時代に勉強しなかったからな・・・

 

こちらには金屛風に綺麗な花が載った手押し車と、その前にお殿様のような雛人形が並んでいるのが見える。こちらの金屛風は『金地花車之図』で、円山応春という江戸後期に活躍した絵描きの作品。なおこの円山応春というと、あの有名な円山応挙の孫にあたる人物でもある。

 

そんな豪華な金屛風の前に陳列されている雛人形は、「享保雛」という江戸時代中期~後期に江戸などで流行った雛人形のようだ。雛人形というと前回見たような紙で製作した人形から、次第に金持ち用に段々と手の込んだ人形へと変貌を遂げていっている。

 

こちらは貝殻の内側に金などを使って豪華な装飾が施されている。こちらは「御紋付買桶・合貝」と呼ばれた、結婚する際の調度品の中でも最も格式が高かったとされる一品。貝殻は2枚ワンセットになっているけど、同じ形の貝殻が存在しない事もあって、結婚する際に貞節という”浮気をしない”意味合いが籠められていたという。またこちらの作品には公家の筆頭でもあった近衛家の家紋:近衛牡丹紋が施されているという。

 

こちらは「七福神模様打掛」という、江戸時代後期に作られたと考えられている女性の着物。江戸時代を再現しているドラマなどで、地位の高い女性がこのような豪華な装飾の着物をズルズルと引きずって歩いているシーンが思い浮かぶ。

 

「七福神模様打掛」という名前からも、この着物の後ろ側にはこのように七福神がそれぞれに船に乗って川下りをしている様子が描かれている。ただ着物の全体や上半身部分ではなく、足元で引き摺られる部分にこのような絵が入れられている辺りに、その当時の文化が垣間見られる。

 

現代ではこのような羽子板で遊ぶ子供を見かける事はまずないけど、昔はこのような羽子板が一般的な遊具として流通していた。今ではバトミントンの方がより飛ぶし、スピーディーさもあるので、外来種に侵食されて”絶滅危惧遊具”とも言えるのかもしれない。。

 

しかしここに置かれている羽子板を見ると、バトミントンとは違い、それぞれに絵が描かれていて、その個性が出ているのが分かる。現代では競技性が重要視されてバトミントンが遥かに普及しているけど、このような個性的な絵が描かれている羽子板の方が民俗文化的には一枚上手の遊具のように思えた。

 

右側の人形は「御所人形:猩々(しょうじょう)子供」という、公家や武家などに好まれた当時としては気品が溢れていたと思われる人形。左側の馬の人形は「毛植人形:黒栗毛馬」で、それぞれに弘前藩最後の藩主であった津軽承昭の夫人(継室):津軽尹子が所有した物と考えられている。

 

こちらには虎や猿などの人形が沢山置かれているのが見える。これらは江戸時代に天災や流行り病などに直面した時に、それらを追い払う意味合いで作られていた人形のようだ。今みたいに科学が発展した時代ではなかった江戸時代には、目に見えない疫病などは”悪霊の祟り”と一般的に思い込まれていたので、このような人形に願いを託したようだ。

 

 

幕末には海外から入ってきたコレラが国内で流行した際に、それが長崎から下関を経由して大阪や京都の街にまで拡がっていった。そのコレラは3日経てば死んでしまう事が多かったので“三日コロリ”とも呼ばれたらしく、そのコレラによって数十万人が亡くなったという説もある。

 


大阪市道修町の少彦名神社に飾られる『虎張子』

大阪市道修町の少彦名神社に飾られる『虎張子』

その江戸時代にコレラが襲ってきた時、その惨劇に虎と狼が一緒になって襲ってくるような悲劇にも思えた為に「虎狼痢(コロリ)とも呼ばれたとか。そしてその際に大坂で薬問屋が集まっていた道修町で、そのコレラの特効薬として虎の頭骨を混ぜた薬を開発して子供達に摂取させた所、効果が出たという。

 

ちなみにこちらはその逸話を基にした虎の『虎張子』で、大阪市道修町の少彦名神社に飾られる物である。


 

 

そのように虎の頭骨が入って、更には黄色のイメージで病気が退散されるという触れ込みが大きく出回った為に、全国的にこのように沢山の虎の人形が作られたようだ。ただ現代医学と違って江戸時代の医学は今とは比べ物にならない程にアテにならない物が多く、この虎の薬が効いたというよりは、飲んでも飲まなくてもそれほど効果がなかったと考える方が妥当かもしれない。

青森ンゴ
青森ンゴ

特効薬を飲んだという気持ちになるだけで、病気が治ったのかもネ!

 

特別展示室も見学!

さてそろそろ弘前市立博物館の見学も終盤戦を迎えて来て、こちらが最後の展示スペースとなっている「特別展示室」。何が特別展示なのかは入ってみないと分からないけど、歴史的に価値のある品物だから展示していると考えて、見学を進めるのである。

 

それ程は大きくない特別展示室で、その真ん中には東北地方名物ともなっているコケシの大群が展示されているのが見える。今回の東北旅では色んな場所でコケシを目にする機会があったけど、正直そこまで興味がなかったのでとりあえず後回しにして最後に見学する事にしてみた。

 

こちらの絵は「武者絵手鑑」という江戸時代前期頃に製作された物らしく、弘前藩主津軽家で所蔵されていた物のようだ。この作品はねぷた祭の起源を作った人物ともされている坂上田村麻呂が描かれているが、神話時代から戦国時代にかけての著名な武将などが描かれているのが一般的だったようだ。

 

こちらは「鐘馗(しょうき)という、古代中国で道教系の神として信仰されていた神を描いた物。その昔、唐の皇帝がマラリアに罹って高熱で床に伏せていた時に夢の中にこの人物が現れて、それまで暴れ回っていた小さな鬼を食べてしまったという。そしてその人物に名前を尋ねると「鐘馗」と名乗り、その後に唐の皇帝が目覚めると病気が治っていたという。

 

その逸話もあって病気退散などの神様として人々に崇められ、日本でも魔除けの神様として信仰されていく。昔は悪い病気が流行ると祈るしか方法がなかった為に、このような病気を退けると考えられていた神様を頼ったのであろう。

 

そのように現代に生まれた日本人はこれらの物が既に出来上がっている時代に生まれてしまっているので、それらを見ても当然の如く思ってしまって疑問にも思わないかもしれない。しかし、これらの物が作られるにはそれなりの訳が必ず存在しており、今まで知らなかった作られた理由を知る事によって、より深い知識を得て人生をより豊かに生きる事に繋がっていく。

 

 

このような虎の人形も現代であれば何も不思議に感じないが、日本には虎が生息していなかったので本来であればこのような虎の人形が普及するハズがなかった。しかし調べてみるとコレラの流行った江戸時代後期に、大阪の薬問屋が調合した薬に虎の頭骨が混ざっていた事もあって、病気を治すイメージの象徴として拡がっていったという事が分かったのである。

 

物心付く前から雛人形などが飾られていた事もあって、それらの人形の事を気にも留めないけど、それらの物は日本人が長い間この国で過ごしてきた際に築き上げてきた民俗文化の集合体でもある。そしてそれらが保管されて展示している博物館というのは、日本人らしさが籠められている場所と言っても過言ではないのである。

ネプちゃん
ネプちゃん

知識の探求に終わりはないべさ!

 

さて先ずは外堀の展示コーナーを見て回ってから、やっと中央に展示されているコケシ群と向き合います。今まで目にした事のある商品などで販売されているコケシなどは、その外観が綺麗に塗装された物ばかりだが、昔に作られていたコケシは当然ながら現代ほど綺麗に塗装された物はなかったようだ。

 

東北地方の代名詞でもある伝統のコケシは、ここ青森のイメージよりも、宮城県や山形県の物であるイメージが強い。こちらの説明では東北6県の中でもコケシは10系統に分類されており、主に東北南部の方に固まっているようだ。

 

こちらには青森県で唯一の”津軽系コケシ”が展示されている。”津軽系コケシ”には胴体と頭が1本の木から作られているのが多いらしく、また頭部はオカッパ頭が多くて、胴体部分には津軽家の牡丹家紋やダルマの絵などが入れられている物が多いという。

 

こちらには東北地方のコケシの特徴が書かれており、一見同じように見えるコケシも細かく見れば、それぞれに違う特徴を兼ね備えているようだ。作られる場所が変わるだけで作り手が変わり、人が変わればその個性が出て、作られるコケシの特徴が変わっていくという事。

 

最後に雛人形やコケシなどを見て、「これで弘前市立博物館の見学は終わりだ~~!」と思いたくなってしまう。しかしこの博物館の建物を設計したのは前川國男という、戦前・戦後に色んな建築物を残した建築界の巨匠らしいので、最後のパワーを振り絞って建物についても少し勉強してみる。

 

建物に興味がある人は建築家かデザイナーぐらいしか居なくて、それ以外の人は突飛なデザインの建物でなければまず興味を持たない事だろう。というボクもそこまでこの建物には興味を持っていなかったけど、前にポーランド旅行に参加していた建築家のオジサンが居たのを思い出す。その際に感じたのは、建築物についても興味を持って見るだけで世界観が広く見えるという事なので、なるべく目に付く物全てに興味を持って観察すべきかと感じた今日この頃。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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