東北旅行記2020年冬-㊴:青森編
旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(The cityscape of Hirosaki City, which has been shrouded in darkness, is a different scene from that of the daytime. [Tohoku Travelogue 39])
ライトアップの威力!
さて青森県弘前市の中心部にあった「弘前市立博物館」を約1時間掛けてジックリ見学して外に出ると、そろそろ冬の16時頃と暗くなり始める時間帯に差し掛かっていた。とりあえず弘前城などを見学して満足したので、一旦ホテルに戻る事に。
ちなみに、こちらのライトアップされているレトロな煉瓦造りが目立つ教会は、さっきも見た「日本聖公会 弘前昇天教会」。
宿泊する弘前パークホテルの前に延びる「青森県道260号石川百田線」の道路の一部は、実は弘前ねぷた祭で山車が通る道でもあるようだ。そのような弘前市を代表する道でもあるので、その道沿いにホテルがちょこちょこと建設されているのだろうか。
「弘前パークホテル」の部屋にて
そして弘前市に到着した時に、先に荷物だけ預けに訪れた「弘前パークホテル」に戻って来る。弘前市には意外と大きなホテルが多いけど、この道沿いにあるホテルの中でも特に大きな建物になっているので、そこまで迷わずに辿り着けるホテルだと思う。
こちらは弘前パークホテル内に飾られていた絵だが、ここに描かれている場所はボクが行きたかった場所。しかし青森県に来た初日に向かおうとしたら、夕方になって雪がどんどん降ってきて、向かうのを断念してしまった場所でもある。
この場所は津軽半島の最北にある竜飛崎の、日本国内でも珍しい「国道に指定されている、歩行者専用の階段」である。国道という指定を受けながら車やバイクが通れないという珍しい道ではあるが、冬場には足元が凍結する為に通行禁止になっている。
まずは預けた荷物を引き取って、チェックインを済ませる。ちなみに今回の宿泊は宿泊予定のスマイルホテルがコロナ療養者施設に決まった事を受けて、楽天トラベル側から代替えホテルとしてこの弘前パークホテルに変更となった。当初のスマイルホテルでは無料の朝食が付いている事もあって選んでいたのであるが、ここ弘前パークホテルは朝食が有料だったのだが楽天トラベル側の配慮によって朝食を無料で付けてくれたのでラッキーであった。
この2020年12月上旬は恐らくだけどあまり観光客が来ていなかったと思われる弘前市だったので、恐らくこのホテルも宿泊客があまり居ないと思うけど、宿泊する部屋が上層階だったので少し喜んでしまう。ガラガラなホテルでも下の階の部屋だと、少しイラついてしまうというのも自分勝手な事なのであるが。。
今回の宿泊はシングルルームだったので、大きなベッドがド~~ンとある位で、それ以外は別に特色もなく、そこまで広い部屋でもなかった。また新しいホテルではなく、レトロさというか古さのあるホテルだったけど、タバコ臭さもなくて泊るだけだと文句を言う必要もない環境ではあった。
このようにシンプルな部屋とベッドで、特に感想を言う程の部屋でもなかった。楽天トラベルなどでのホテルに宿泊した人のコメントを見ていると、たまにヒステリーのように「毛が落ちていた・・・」とか書き込みしている人がいるけど、そういう人はまず中東や南米やアフリカ大陸などに旅が出来ない人なんだろうと思う。
私も汚いホテルには泊まれない人ですが、文句ありますか・・?!
今回の東北旅では基本的に宿泊料金の安価なビジネスホテルをメインで選択していたので、インスタなどでアップするような自慢できる箇所は残念ながら見当たらない。このように至ってシンプルな狭いユニットバスしかない光景だけど、世界を巡るとこのような環境が用意されているだけでも幸せに感じるのである。
そして日本のホテルが最高なのが、まずこのようなシャワーからほぼ確実にお湯が出るという信頼感のある所。海外のホテルにチェックインすると、まず最初にシャワーからお湯が出るかの確認をする事が習慣化してしまうが、それをしなくて済む日本の素晴らしさがここにあるのである。
お湯が出ないと、何も出来ない・・・
ただこの弘前パークホテルの部屋で気になったのが、こちらの部屋内に用意されていたハンガーの少なさ。シングルルームなので1人で泊まるだけだが、冬場だとジャンパー以外にも何枚も服を着ているので、さすがに2個だけでは足りない。更には洗濯もするのでもう少し欲しい所ではある。ただフロントに言えばハンガーなんて何個でも用意してくれるのだろうが、言われる前に最初からそういった配慮の心が欲しかったというボクの考えである。。
フロントに電話すればエエだけやんか?!
根性でハンガー2個のみで乗り切りました!
そして弘前パークホテルの印象が強く残ったのが、こちらのレトロなヨーロッパの旧市街地で歴史ありそうなホテルで使われていそうなアナログな鍵。このようなビジネスホテルでもこのような鍵を使用しているとは考えもしなかっただけに、余計に記憶に残った。ちなみにドイツに行った際に旧市街地(ローテンブルグ)のレトロなホテルでもこのような鍵を渡されたけど、ツアーで来ていた人達がこのような鍵で部屋のドアの開けるのに難儀していた記憶も蘇る。。
このホテルはこのようなアンティーク調な雰囲気の内装でもなかったけど、部屋に置かれていたランプといい、部屋のカギといい、微妙なレトロ調が何とも言い難い雰囲気だった。今ではカード型の鍵が増えている国内のホテルばかりだけど、たまにはこのようなひと昔前の雰囲気を味わえるのもアリだと思う。
宿泊した部屋は10階という事もあって、このように弘前市内を見渡せる高さ。目の前には弘前城方面の弘前市中心部の方向であるが、ここから見ているだけで下に見えている道に人通りが全然見当たらないのが少々気になるが。。
夜の弘前市内を散策!
そして弘前市での晩飯と、夜になって昼間と打って変わった弘前の街の景観を楽しむ為に、ほどなくホテルの部屋から飛び出して歩いて行く。暗くなってから少々小雨が降り出した事もあって、道路が雨に濡れており、そこに商店街の街灯が反射して煌々とした雰囲気を感じる。
ホテル前の道沿いには商店が沢山並んでいて、リンゴの生産量が日本一を誇る弘前市だけあって、そこにはごく自然にこのような多種多様なリンゴが販売されている光景が普通に見られる。これから晩飯に向かうのでリンゴを試し食いしなかったけど、普段食べれないような珍しいリンゴもあったので、今思うと試しで食べておけば良かったと思ってしまう。。
弘前には珍しいリンゴが沢山あるからネ!
普段生活している圏内では見る事の出来ないリンゴも沢山あったけど、このように店の手前には大量のフジのリンゴが箱に入れられている。さすが最も生産されているリンゴの品種だけあって、箱詰めという言葉が似あうフジであった。
そしてとりあえず弘前城方面に向かって適当に歩いて行くと、その途中にこのようにライトアップされた歴史ありそうな建物が見えてきたので、闇夜の中で電灯の明かりに吸い寄せられる昆虫の如く、その灯りに釣られてその建物を見に行く事にしてみた。
こちらの建物は「弘前市立:百石町展示館」という、明治16年(1883年)に火事で簡単に燃えない建造物を目指して造られた建物。この建物が造られる3年程前に、ここ弘前では”弘前大火”と呼ばれる1000戸以上の建物が火事で燃えてしまうという大惨事があり、その教訓を生かしてこのようなしっかりとした土蔵造りが造られ、そして当初は呉服屋として使われていたという。
この建物は建造当初から呉服屋として使われていたが、大正6年(1917年)に津軽銀行がこの建物を買い取り、それ以降は銀行向けの建物に改造されて銀行として使われていた建物。その為に窓から建物内を眺めると、本日訪れた「旧第五十九銀行本館」っぽいような柱なども見えたりと、銀行らしい雰囲気を漂わせていた内装だった。
そして夜道を歩いていると段々雨が降ってきて、写真にもその雨脚が写る程に降ってきた。しかし旅行中は基本手ぶらというのが大原則のボクは、ヨーロッパの人々と同じで雨が降ると傘を差すのではなく、そのまま気にせず歩く事をポリシーとしている。そのポリシーを貫き、濡れながら歩いていると、また別のライトアップされた建物が目の前に現れてきた。
こちらの教会は「弘前カトリック教会:教会堂」という、明治43年(1910年)に建てられたそれなりに歴史のある教会のようだ。なお、この教会を手掛けたのはここ弘前でも有名な建築家:堀江佐吉の弟である「横山常吉」で、まさに堀江ファミリーの建築物だらけの弘前市でもあった。
その後ブラブラと弘前市の街を歩いていると、さっき見た教会とはまた別の教会が綺麗にライトアップされている光景が見えてくる。こちらの教会は「日本基督教団:弘前教会」という”東北地方で最も古いプロテスタント教会”らしく、建物自体は1906年に建てられた建物。
この建物自体は1906年建造だけど、この日本基督教団自体は1875年に自由民権運動などを推進していた東奥義塾の塾長となっていた本多庸一や、弘前市にリンゴを広めたとされている東奥義塾の英語教師だった宣教師ジョン・イングらによって設立されている。
最初の教会堂は1880年に小さな建物として造られ、その後にもう少し大きな教会堂に建て替えとなった時は、あの堀江佐吉によって建造された。しかしその堀江佐吉が建造した教会堂は1904年に残念ながら焼失してしまい、その後に現在見られる教会堂が建て直されたようだ。もし弘前で火事が無ければ、もっと堀江佐吉が手掛けた歴史的建造物が現存していた事だろう。。
そしてウロウロと弘前市内を彷徨っていると、道路の反対側に綺麗にライトアップされた「旧第五十九銀行本館」の建物が見えてきた。この建物こそ当時の青森を代表する建築界の巨匠であった堀江佐吉の、最高傑作と謳われる程の建物であるが、残念ながら現代には横にガソリンスタンドが造られており、その灯りに邪魔されて歴史的建物の威厳が少し失われてしまっているようにも感じるのであるが・・・。
そして弘前城の外堀に辿り着くと、このように自然界の色にはとても思えないような、江戸時代の人が見たら”不吉な赤”と思ってしまいそうな色で桜の木々がライトアップされている光景が見られる。今回訪れたのは冬場だったので勿論ここに植えられている桜の木には綺麗な花が咲いてないので、その代わりにこのように赤色でライトアップしてくれていたのかもしれないが。。
黒い水面に反射する赤い桜の木が、何とも言えないネ・・・
このように弘前城外堀の外周に沿って、至る所で同じように赤色でライトアップされている光景が見られる。赤色というのは桜の花の代わりではなく、ひょっとしたら弘前市を代表するリンゴのイメージカラーだったのかもしれないな。
それにしても夜間に赤色のライトアップされている光景をあまり見慣れない事もあって、不自然な感覚にしか思えなかった光景。仙台城で伊達政宗の像がピンク色にライトアップされるのを見たけど、その時もここと同じように不自然な印象を受けたのであったが。。
ただこのようなライトアップも勿論弘前市が観光客向けに費用を掛けて行ってくれている事なので感謝しないといけないが、それにしてもこの2020年12月上旬のただ寒い頃の弘前市には、ボク以外に寒い中でも夜の弘前城を見学しようと思っている観光客の姿は殆ど見かけられなかった。。
しかし個人的には大勢の観光客で溢れる場所よりも、他に誰も居ないほどの場所の方がじっくり誰にも邪魔されずに見学できるので嬉しいのである。という事で昼間に来てからまだ2時間ほどしか経過していないけど、すっかり暗くなって昼間とは全然違う景色になっているであろう弘前城の夜の見学を開始するのであった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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