山形県の山寺で1015段の石段を登った上に造られている奥の院に到着【東北旅行記79】

東北旅行記2020年冬-79:山形編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Arriving at the inner sanctuary built on top of 1015 stone steps at a mountain temple in Yamagata Prefecture.  [Tohoku Travelogue 79])

煩悩が消えた瞬間?!

山形市の東側で奥羽山脈を東西に横切る渓谷沿いにある、平安時代に建立されたという「山寺(立石寺)」。本堂自体は山の麓にあるが、1015段の石段を登った上にある奥の院や見晴らしの良い開山堂まで訪れるのが人気となっている寺でもある。

 

【山寺(立石寺)】

住所:山形県山形市山寺4456-1
入山時間:8時~17時頃(※受付16時/冬は15時)
電話番号:023-695-2843
入山料:大人300円/中学生200円/子供100円

 

 

 

仁王門から先に進む!

2対のイカつい顔をしている仁王像が安置されている仁王門を抜けると、このように上に建物が見えて来て、1015段の石段もそろそろ終わりの雰囲気を感じる。この山寺では石段を1段ずつ登る事によって、”煩悩が取り除ける”と昔から考えられている為に、この時点でかなりの煩悩が取り除かれているハズである。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

王子は煩悩の塊やけ!(笑)

 

そして残り少なくなった石段を登っている途中に左側を見ると、この山寺の中でも一番写真で出てくる「納経堂」という、岩の上に造られた写経が収められてきた小さな建物が見えてくる。この納経堂は山の上に造られている建造物の中では最も古い物らしいが、現在の建物は1705年に再建された物のようだ。

 

昔の僧侶などはこのような山奥の岩場に住み着いて修行の場にしていたのは、日本だけではなく、世界的にも同じような考えだったようだ。というよりも元々はインド地方で派生した仏教が、迫害を受けた時期もあって山奥に逃げ込んだ事もあって、そういった歴史を持った仏教思想がそのまま日本国内に伝来したという流れの方が自然に思える。

 

石段を登っていると右側には、「修行の石場」と呼ばれる崖に剥き出しになっている岸壁に、小屋や空洞があるのが見える。断崖絶壁にある場所なので危険ではあるが、ここで修業をする事で凄い見返りがあると昔は考えられていた為にここで修業したい人間が次々とやってきたが、この岩場から転落して死亡する人が後を絶たなかった。

直江クン
直江クン

今では立ち入り禁止の場所になっているよ!

 

このような山奥の岩場で修業するという行為は、仏教だけではなく、キリスト教などでも共通している考えである。聖書によると、イエス・キリストも山奥に籠って誘惑を遠ざけて修行に励んだとされているが、人間にとって一番危険な物は自分の中にある欲望だという事を人類は昔から知っていたのである。

ブッダ君
ブッダ君

ワシも欲望を消し去るのに苦労したわい!

 

この辺りまで登ってくると、ちょっと空気が変わってきたような雰囲気を感じて、また朝早めの静かな時間帯という事もあって、何だか神秘的な雰囲気も感じられる場所のように感じた。

ブッダ君
ブッダ君

だいぶ煩悩が取り除かれたからじゃ!

 

こちらの小さな建物は「最上義光公 御霊屋」という、この山寺を再建した斯波兼頼が始祖となった最上氏で最盛期を築いた時の当主とその家臣団の位牌が収められている場所。この最上義光は江戸時代に入って成立した山形藩の初代藩主になった人物で、山形城跡に騎馬像が設置されていた人物でもある。

直江クン
直江クン

最上義光公は、山形の象徴的な人物ですね!

 

そしてエレベーターもエスカレーターもない、約1000段の石段を登るしかこの山の上に辿り着く方法の無い場所に、なんとこのように郵便ポストが設置されていた。休日以外は1日1回の集荷と記載されているが、集荷に来る郵便局員はここまで毎日登ってくる事によって、煩悩など全く持ち合わせていない人間となっている事だろう。

 

そして更に奥に進んで行くと、この辺りでやっと長い石段も終わりとなり、奥に見えている建物が「奥の院」のようだ。ただここにやって来る観光客からすれば、観光パンフレットなどで目にする山寺の写真では、この奥の院ではなく、先程見た岩の上にあった小さな納経堂が載っている場合が多いので、この奥の院を見てもそこまでの感動も感じないようだが。。

 

この奥の院の中には、織田信長が焼き討ちにした比叡山延暦寺から分火された常灯が安置されているという。そして後に比叡山延暦寺が再建された際には、ここの常灯の火を分火して延暦寺に運ばれたという。

朋ちゃん
朋ちゃん

オリンピックの聖火みたいな物なの?!

 

 

奥の院に到着!

ここを訪れた時は冬の12月でしかも朝という事もあって人もあまりいなかったけど、昔から写経道場として多くの参拝客が訪れる場所としても有名だという。そして先程見た納経堂は、ここで衆徒が写経を行なった物を納める為のお堂だったという訳である。

 

この奥の院は正式には「如法堂」と呼ばれており、この山寺(立石寺)の開祖である円仁(慈覚大師)が中国に修行に行っていた時に、常に持ち続けていたという釈迦如来多宝如来を本尊としている。円仁(慈覚大師)は9世紀頃の僧で、”最後の遣唐使”として命懸けで中国に留学した人物でもある。

 

写経道場として使われている建物の隣にあった、こちらの古そうなお堂には「大仏殿」と呼ばれていて、高さ5mほどの金色をした阿弥陀如来像が保管されている建物だという。ただこの訪問時は、このように扉が閉まっていた為に、その凛々しい姿を見る事は出来なかったが。。

 

さて、この奥の院が山寺で最も上に造られている建物らしく、ここで石段登りが終了となる。上に登ってくると、ツアー旅行客と見られる団体を見かけたけど、奥の院の大仏殿なども扉が閉まっていた事もあって、「えっ・・・これで終わり・・・?!」という顔をしてトコトコと階段を降りていく姿を見かけた。

直江クン
直江クン

ここまで登ってくる事に意義があるのに!

 

しかし冷静に考えれば、このような山の上に集荷に来ないといけない郵便職員も大変だろうけど、このような蔵や他の建物を造った時も大変だった事だろう。車などが建ち入れない山の上なので、全て人力で材木などの材料を全て運んでいたのだろう。

 

そして奥の院から下って行く途中に、「華蔵院:三重小塔」「重文」という看板が目に入った。この「重文」という文字は普段見かける機会は少ないけど、旅行好きの人間からすれば、この文字を見れば「重要文化財の略だ!」と頭に閃いたのである。

 

 

華蔵院の三重小塔!

旅行記作成ありきで旅している人間からすれば、その訪れた場所にある重要文化財などの建造物には、特に注意を惹かれる。そこまで歴史などに興味を示さない人からすれば気にならないかもしれないけど、このような重要文化財を詳しく調べる事によって、その土地の歴史などをより深く勉強する事が出来る大事な物である。

 

その華蔵院という建物の手前脇にあった、この岩場をくり抜いたような場所に造られていたのが、国の重要文化財に指定されている「華蔵院の三重小塔」のようだ。ただ表から見ているだけでは、前面に窓が一応あるけど、ちょっと内部の構造が見えにくい。。

 

この中に収められている三重小塔は、高さ約2.5mで1519年頃に木造で作られた小さな建築物とされている。三重小塔の名前からも分かるように、国内で建造物としては最も小さい三重の塔らしく、この岩場の洞穴に収まるサイズで作られたのかもしれない。

 

ただこの三重小塔は見学者泣かせのように、じっくりとその全景を眺める事が出来なかった。このように木枠の窓が邪魔して、写真を撮ろうにもその窓に光が反射して綺麗に写らない。今から約500年程前に作られたとされる歴史的な三重小塔なだけに、もっと見学者が見やすいようなガラスだけの窓に変更してもいいのではと思ったが。

 

この三重小塔は1981年頃に解体修理が行われており、その際に三重の塔が3つに分離できる構造になっている事などが発見されている。という事はこの岩場の洞穴の中で作られた物ではなく、別の場所で作った物をここに運んで組み立てた可能性が高いようだ。

 

今日はこの山寺を見学した後に米沢市を訪れる予定にしていた為に早い時間にやって来たが、それもあってヒンヤリとした空気と静けさが何とも言葉に出来ない清々しい気持ちになれた。松尾芭蕉がこの冬場に山寺を訪れていたとしたら、あの有名な句の中に蝉が登場する事が無かったかもしれない。

 

こちらは明治41年に後の大正天皇となる皇太子が山寺を訪れた際に、休憩した「行啓 山寺記念殿(通称:行在所)」という名前の建物となっている。その時に皇太子は「もう一度来てみたい!」という言葉を残したらしいが、再訪できたのかは分からない。

直江クン
直江クン

旅行に行った際に、必ず言ってしまう言葉アルアルですね!

 

この高台まで登ってくると、このように渓谷に沿って平地部分に人が住み着いている様子がよく分かる。東側から綺麗な川も流れていて、人里離れて住むには素晴らしい場所のようにも思える。

 

 

山寺の上からの眺め! 動画

 

 

さて奥の院の見学は一応済んだので、煩悩が取り除かれて軽くなった体を動かして、この山寺の代名詞的な場所にもなっている、この先に見えている「納経堂」「開山堂」も見学しに行きます。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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