日本唯一の犬の博物館である、秋田県の秋田犬会館で学ぶ秋田犬の歴史【東北旅行記㊼】

東北旅行記2020年冬-㊼:秋田編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Learn about the history of Akita Inu at Japan’s only dog museum, Akita Inu Kaikan in Akita Prefecture.[Tohoku Travelogue 47])

狩猟のお供だった秋田犬!

ここは秋田県大館市に造られている「秋田犬会館」の、3階スペースに設置されている秋田犬の博物室。日本国内でも唯一の犬の博物館というこの珍しい場所で、秋田県伝統の秋田犬の歴史などをこれから勉強していきたいと思う。

 

【秋田犬会館】

住所:秋田県大館市字三の丸13-1
営業時間:9時~16時頃(※年末年始休み)
電話番号:0186-42-2502

入館料:大人200円/子供100円

 

 

 

秋田犬会館の秋田犬博物室にて

日本国内では古来から人類のお供として、犬の存在が身近だった。特に東北地方では熊や鹿などを狩猟する”マタギ”で大切な役目を果たしていたので、東北地方では多くの日本犬が存在していた。現代も生存する国の天然記念物にもなっている日本犬は秋田犬を始め、柴犬・北海道犬・甲斐犬・紀州犬・四国犬などが存在している。しかしこれらの種以外の純血種では途絶えてしまった犬も多い。

 

日本人は古代から農耕民族だと思い込んでいるけど、地方によっては昔からこのような”マタギ”と呼ばれる狩猟を生活の糧にしていた人が多く存在していた。特に冬に雪が沢山積もる東北地方に住む人達にとっては、そんな時期に農作物を育てる事が出来ないので、このような狩猟が多く行われていた。

 

最近では餌を求めて山から出て来て街に出没した熊を銃殺したニュースを目にする機会が多いけど、このマタギは身の危険を回避する為に熊を駆除していた訳ではなく、生活の糧として熊などの野生動物を狩っていた。特に熊はその毛皮や肉だけではなく、「熊胆」(ツキノワグマの胆嚢)が何にでも効く薬として重宝されていたり、骨や脂肪までもが売れた為に狙われていたようだ。

 

人間が生きていく為に山の奥に入って熊を狩っていたなど、食糧が溢れて簡単に手に入る現代に生きる人々からはあまり想像が付かない事だろう。しかし雪深い地方に住んでいた人々にとっては、生き残る為には何でもする必要があり、現代人が牛肉を食べているように、その時代の東北の人々は熊の肉を食べていた事だろう。

 

こちらには「ほっくん」という北都銀行のイメージ・キャラクターが置かれているのが見えたけど、特に捻りも面白みもない普通のデザインに感じた。地方で町興しに使う”ゆるキャラ”ではなく、御堅い銀行のキャラクターだっただけに、このような当たり障りのないデザインが好まれたのかもしれない。

 

1987年公開の映画『ハチ公物語』のパンフレットや、そのワンシーンの写真などが飾られている。映画自体はそこまで古い物ではないけど、ハチ公が生きていたのは1920~1930年代という戦前なので、その時代に合わせてか白黒写真が飾られていた。

 

こちらにはJR大館駅前に設置されていた、秋田犬群像の原型となった石膏像が置かれていた。ただ秋田犬群像は5頭から成る秋田犬ファミリーとなっていたけど、ここで置かれていたのはこの一体だけだった。

 

秋田犬というと最近ではロシア人のフィギュアスケート選手に贈呈された記憶があるけど、それよりも約80年前には日本に来日したヘレン・ケラーにも秋田犬が贈られている。

 

ちなみに2012年には今年2022年に世界中を色んな騒動に巻き込んだ、ロシアのプーチン大統領にも彼が犬好きだという事もあって一頭の秋田犬が贈呈されている。これはただ単純にプーチン大統領が犬好きだからプレゼントしたという訳ではなく、北方領土問題を解決する為に日本はロシアと親密な関係を築く為の『秋田犬外交』だったようだ。

 

 

こちらは2018年に秋田犬保存会から一頭の秋田犬が贈呈された時の、ロシア人のフィギュアスケート選手「アリーナ・ザギトワ」の微笑ましい写真が飾られていた。またこの贈呈された秋田犬はザギトワ選手が「勝つ!」という意味を籠めて『勝(マサル)』という名前を付けた。日本人だったらメスの犬には付けない名前だけど、ロシア人の女の子にすればそんなのはお構いなしのようだ。

 

そしてその二ヶ月後には元横綱:朝青龍にも、このザギトワに贈られた秋田犬のイトコに当たる血縁関係の秋田犬が贈呈されている。元:朝青龍は引退後日本相撲協会には留まらずモンゴルに帰国し、この時は【モンゴル国大統領:日本関係特任大使】というイマイチその役目がピンとこない役職に就いていた為に贈呈されたようだ。

 

ちなみにこちらはあまり知られていないが、朝青龍のライバルだった大横綱の白鳳も2017年に一頭の秋田犬が贈呈されている。ただこのような秋田犬の贈呈は単に秋田犬ファンの有名人に好意で贈っているようにも思えるけど、秋田犬保存会の会長が現職の衆議院議員という事もあって政治利用されているという批判も起きている。

 

 

マタギという狩猟が盛んだった秋田県では、江戸時代からその狩猟を共にする番犬的な役目の秋田犬を、闘争本能を強くする為に積極的に交配されてきた。それもあって秋田犬は他の日本犬に比べても気性が荒いとされており、一般的にハチ公のように静かで従順なイメージを持ってしまうけど、そうでもないようだ。

 

鎖国されていた事もあって日本国内ではそれぞれの地方で日本犬が代々育てられてきたが、開国となって急に外国文化が流入してきた明治時代になると、外国犬の導入や生活様式の西洋化もあって、日本犬が減少していった。そんな減少していく日本犬の伝統を守る為に、日本犬を”国の天然記念物”にして保存するよう働きかけた。

 

2020年にコロナ禍によって新しい番組が作れなかったNHKが最近昔に放送した番組を再放送していて、最近目にしたのが数十年前に放送されていた東北地方のマタギ狩猟に同行したドキュメント番組だった。このマタギという文化は神聖なる山を狩猟の場としている事もあって、昔の日本伝統的な考えでもある”女人禁制”として男だけで狩猟が行われていた。

 

こちらには秋田犬の首輪が置かれていた。こんなヘビメタの衣装にも使われるようなゴッツイ首輪が置かれていてビックリしたけど、昔は闘犬にも使われていた秋田犬だったので、その横綱にもなるとこのような周囲を威嚇させるイメージの首輪が取り付けられていたのだろう。

 

現代ではスペインなどの地方で昔から行われてきている伝統的な闘牛などについて、動物虐待の観点から冷ややかな目が当てられているが、日本でもこのように闘犬などの見世物として秋田犬が使われていた。またそのような闘争本能が強い犬だった事もあって、番犬などとしても重宝されていたようだ。

 

このような写真でもあるように、人々の秋田犬に対してのイメージは、温和で可愛らしいという印象を持っているだろう。しかし一般人が持っている世間一般のイメージの大半は、テレビなどのマスメディアが創り上げている事を信じている場合が多くて、実際に現地を訪問したりして体感して得たイメージではない事が多い。だから秋田犬といっても、メディアが取り上げる”可愛らしい”というイメージが先行しているだけかもしれない。

 

お次は秋田犬を代表する、日本で最も有名な犬でもある「ハチ公」の展示コーナーが作られている。ハチ公という犬はボクの中では映画の中での存在という感じがしているが、実際にこの世に存在していた犬である。

 

この秋田で生まれたハチ公は、その後に新しい主人となる東京大学の教授宅宛に送られる事になる。その教授宅では既に2匹の先輩犬が飼われていて、教授を駅まで出迎える時にはそれらの犬と共に行っていたとか。しかし、ハチ公が東京に来てから1年足らずで、その飼い主である教授が脳溢血で倒れてそのまま亡くなってしまう。

 

それ以降はその教授の親戚や知人の家に預けられるも、度々亡き主人宅や主人が戻ってくるハズだった渋谷駅などをよく徘徊していたようだ。しかし当時の渋谷駅で主人の帰りを待ち続けたハチ公は、その辺りで商売している人達や子供達に虐げられていたという。そのハチ公が虐待される様子を見て悲しんだ日本犬保存会の会長が、ハチ公についてを新聞社に投稿し、その新聞記事を見た人達が同情して、それからは手厚く保護がされたという。

青森ンゴ
青森ンゴ

人々に愛されてばかりのハチ公と思ってたけど、実際には虐待されたから有名になったのネ・・・

ネプちゃん
ネプちゃん

世の中は複雑だべ・・・

 

本来は白い毛並みだったハチ公も渋谷駅周辺に出入りしている内に毛並みが汚れていき、その汚らしい外観もあって野犬と思われた為に虐待されていたようだ。前にモロッコやチュニジアの街に行った際に、首輪で繋がれていない綺麗ではない犬を見かけたけど、人間にとっては犬の判断も見た目が大事なようだ。。

 

こちらには大館駅と、有名な渋谷駅前に設置された初代のハチ公像の写真が飾られている。渋谷駅のハチ公像はハチ公が生存していた1934年に、日本犬保存会の会長であり、ハチ公の虐待を哀れに思って新聞に投稿した斎藤弘吉が、懇意にしていた彫刻家:安藤照に製作を依頼した。

 

なお、このハチ公像を製作した彫刻家の安藤照は、鹿児島市にある西郷隆盛像を製作した人物でもある。

※上野の西郷隆盛像の作者は、別の人物

 

犬というと現代ではペットとして人間に飼われていて、とても身近な存在となっている。しかし、別の見方をすれば人類の都合によって好き勝手に飼育されている動物であり、今では野生で自由に生活する事が出来なくなっている動物でもある。

 

 

『犬ぼえの森』コーナー

こちらからは昔から伝わる『犬ぼえの森』という、マタギとその愛犬に纏わる民話を民話絵本にして出版された時の原画が飾られている。この民話に出て来るマタギは「定六」という男と、その相棒で愛犬でもある「シロ」という白い秋田犬の話。

 

この定六というマタギはとても腕が良く、その殿様も関心する程だったという。そしてある日、殿様から”天下御免のマタギ免状”という他所の領地でも自由に狩猟をしていいという書状を貰う事になった。時は経ち、ある寒い日に狩りに出掛けた定六は、その免状を持って行くのを忘れて出て行ってしまった。

 

天下御免の免状は忘れたものの、それを貰った事により、どこでも自由に狩りが出来るという考えになっていた定六は、獲物を見つけて隣の領地まで踏み込んで行く。そして隣の城の近くまでカモシカを追い詰めて、城の近くでカモシカ目掛けて持っていた鉄砲を放った。

 

するとその銃声を聞き付けて城から沢山の兵士が定六の元に駆けつけて来た。定六は「天下御免の免状を貰ってるから・・・」と主張したものの、その免状を持ち合わせていなかった為にアッサリと定六は兵に捕らえられてしまった。

 

そして牢屋に閉じ込められてしまった定六の元に愛犬シロがやって来て、定六はそのシロに向かって、相手が人間のように「天下御免の免状を取って来てくれ!」と何回も懇願する。すると愛犬シロは家に帰り、定六の嫁に向かって何回も「ワン、ワン、ワン!」と吠える。しかし定六の嫁はシロが何を伝えたいか、全然分からずに困惑する一方だった。

 

そんな状況にシロは再び定六の牢屋へ戻って行った。その際に定六は「免状は仏壇の引き出しに仕舞っているだべ!」と、再び何度もシロに言い聞かせる。それを聞いたシロは再び定六の家に戻って、免状を入れている仏壇の下で激しく吠えたという。

 

そのシロの様子を見ていて、定六の嫁がやっと免状の事だと気付く。すると嫁は直ぐに免状を取り出してシロに渡すと、シロは全身全霊を掛けて全力で定六の元まで駆けていった。しかし、定六の牢屋に着くと既に処刑されて息絶えてしまった定六の亡骸が横たわっていた。

 

そんな主人を失ったシロはとても悲しみ、毎日毎晩悲しく吠え続けたという。そしてその後は定六の妻と転居していき、最後は近くの丘で白骨化したシロが発見されたそうだ。その様子を見ていた村人は、シロの忠誠心を称えて祠を立てて、シロの霊を祀ったという。

 

ある話によると、シロが悲しく吠え続けた結果、定六の処刑に関係した隣の領地の人間が次々と無残な死を遂げたという。

「運転免許証も運転時は、携帯しないとダメだよ!」という話?!

青森ンゴ
青森ンゴ

処刑に関係した人物が呪われたという方が悲惨に思えるけど・・・

朋ちゃん
朋ちゃん

大事な免状を犬に渡す嫁も、どうかと思うけど・・・

と色々とツッコミ甲斐がある昔話でした。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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