「弘前市リンゴ公園」で、雪が積もる雪国で育てられてきた歴史をお勉強【東北旅行記㊷】

東北旅行記2020年冬-㊷:青森編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Learn about the history of growing apples in a snowy country at the Hirosaki Apple Park. [Tohoku Travelogue 42])

雪の公園?!

弘前市中心部より、徒歩で約40分掛けて移動して到着した「弘前市:リンゴ公園」。いつもながら訪問先の下調べをあまりしておらず、単純に「日本国内で最も生産量の多いリンゴを、それなりに勉強できる場所だろう!」という安易な気持ちでやって来たのである。

 

【弘前市:リンゴ公園】

住所:青森県弘前市大字清水富田字寺沢125
営業時間:9時~17時頃(※園内の施設)
電話番号:0172-36-7439

 

 

 

「弘前市:リンゴ公園」にて

このリンゴ公園には「80種、約2,300本」のリンゴの木が植えられているそうだが、この12月上旬に訪れてみたら、当然ながらこのように雪だらけでリンゴがそこら中で実っているという景色は見られなかった。リンゴも80種類もの多様な品種が栽培されているので、その収穫時期は全く同じではなく、ここリンゴ公園では8月上旬~11月上旬頃に有料の収穫体験などが行われているようだ。

 

そこまでリンゴに情熱を持ってやって来た訳ではないので、そこまで期待外れという感じも受けなかった。それよりも期待していた雪だらけの景色が目の前に広がっていたので、公園内に造られていた施設に入る前にその雪が積もる景色を高台から眺めてみる事にしてみた。

 

この公園は約9.7ヘクタールの敷地があり、”東京ドーム換算では約2個分の広さ”のようだ。日本で一番のリンゴ生産量を誇る弘前市では、ここから見渡せる場所付近以外でも多くの場所でリンゴが栽培されている。

 

 

リンゴ公園の景観! 動画

 

 

今までオリーブの木が沢山並んでいたりする光景は見たことがあるけど、これだけリンゴの木が並ぶのを見たのは初めてであった。旅先では人工的に造られた派手な建造物などに目が行きがちだけど、このようにその土地でしか見かける事のない景色を堪能するのが旅ではとても大事だと思う。

青森ンゴ
青森ンゴ

リンゴの木があるから、美味しい実が実るのヨ!

 

ここは「リンゴ公園」という名前の公園だけあって、敷地内にはこのように普通の公園にも設置されているようなベンチや遊具などが置かれているのが見える。こちらに置かれていたのは「背伸ばしベンチ」で弘前市ならではの、リンゴの赤いカラーリングが施されていたけど、このように雪が上に積もっていたが。。

 

こちらにもリンゴを模った物が置かれていたけど、これは何だったのか? 構造的には動かないように固定されているっぽく見えるから、遊具というよりはリンゴの形をしたベンチだったのかもしれない。

 

こちらはリンゴのデザインをモチーフにした、滑り台付ジャングルジムっぽい遊具が設置されていた。しかし弘前市では12月になると降雪の為に、このように雪が積もっている光景が見られる。雪国では雪が積もっても子供達が遊び回るイメージがあるけど、さすがに今日はそんな元気のいい子供達はこの公園に出没していないようだった。

 

現在の青森県の西側半分の領土を治めていた弘前藩の中心地となっていた、ここ弘前市。今では街はだいぶ廃れてしまっている印象を受けたけど、この地名産のリンゴはこれから来年の収穫時期に向けて厳しい寒さを耐える日々が始まるのだろう。

 

 

旧:小谷内家住宅にて

そんな静かなリンゴ公園の敷地内には、こちらの「旧:小谷内家住宅」という弘前市の有形文化財に指定されている古民家が設置されている。この建物は1863年頃に造られたと推定されている幕末時代のこの津軽地方の農家住宅で、その当時の特徴が反映された建物として、農民生活を伝える為にここに移転して保存されているようだ。

 

この施設は無料で内部を見学できるようになっていたので、とりあえず少しお邪魔して見学させてもらう事にした。日本人からすれば昔の日本風古民家なんて特に珍しさを感じないけど、新しい時代になればなる程にこのような古民家は姿を消して稀少価値が出てきている。

 

江戸時代末期に建造されたという事は、この古民家は勿論木造住宅となっている。平成になってからこの場所に移転されたので、少しは免震構造などはされているけど、基本的には昔そのままの状態で保管されている。

 

この家が造られた江戸時代末から比べると、その生活スタイルが現代では大きく変わり果てている。そして農業のやり方や道具なども大きく進歩しており、現代に生きる人間からすれば、本当にこのようなアナログ過ぎる道具を使って農業をしていたとは想像しにくいような道具が陳列されているのが見られる。

 

こちらの上に見える木組みの柱のような物は「型枠」で、田んぼの田植えの際に均等に苗を植えれるようにと、こちらの木枠を先に転がして田んぼに印をした物のようだ。江戸時代に生産性が大きく向上した米作では、単純なように見えるけど、その裏側では農家の人達が色んな努力を重ねて生産性を向上させてきたようだ。

 

今では耕作や刈り入れ時にはトラクターなどの機械で行われているのが増えているので、このような古典的な道具はあまり使われなくなりつつある。この150~200年程の間で行われた技術革新は凄まじい勢いがあったけど、アナログの良さをデジタルが越えれない壁というのは必ずあると思う。

 

そして昔の農家などの耕作地では、牛や馬などにその耕作の一部を手伝わせていた。だから今では牛というとその美味しい肉を連想してしまうけど、江戸時代当時は牛は耕作を一緒にする仲間であって、食用にする目的では全く考えていなかった。

 

こちらには「ケラ(毛羅)」という、ワラや海藻などを材料に用いて作られた蓑。雪国では雪対策としてこのような蓑虫のような蓑が使われており、寒く雪深い東北ならではの上着であったようだ。

ハゲる前君
ハゲる前君

ケラが無いと仕事ができんゾ~!

 

雪国では雪対策グッズが藁で作られていた物が多く、今ではビニールの長靴で代用されてしまっているけど、昔の人達は地道にこのような「ふかぐつ」を編んで、雪国の暮らしを送っていた。

 

そして江戸時代の人々は現代人のように靴を履いていたけど、勿論今のような足を包む靴ではなく、このような藁草履と呼ばれる草履タイプであった。また江戸時代は基本的に歩きのみの移動手段しかなかった為に、このような藁草履は直ぐに消耗して使えなくなっていた為に、全国の街道にある宿場町の入口周辺には大量に吐き捨てられた藁草履が散在していたとか。

 

 

こちらも江戸時代の・・・・ではなく、籠の部分が弘前らしくリンゴをモチーフにした形になっている三輪車。レンタサイクルにしては2台しか置かれていなくて少なく見えたけど、この自転車の籠に獲れたてのリンゴを山積みにして、街を走りながら配るのも楽しそうに思える。

 

そしてこちらの小屋には、このようなリンゴ公園の歴史が書かれているボードも掲げられている。このリンゴ公園が造られている場所では、その昔弘前城が築城される時に使われた石垣の岩が、ここから採られる石場だったようだ。

 

江戸時代に建てられた建物だけあって、床は畳で部屋は障子などで仕切られている。また天井は大きな木で組まれていて、いかにも昔の木造建築物らしい雰囲気をそのまま漂わせている。しかし楽に生きる方向を目指す人が多い現代では、このような手間が掛かる内装は少なくなっており、これから数十年が経った世界ではこのような建物も殆ど無くなっていくのかもしれない。

 

特に茅葺屋根というのは、その材料となる茅葺自体の生産量がとても少なくなってしまっているので、定期的に茅葺を張り換える作業が必要なだけにその維持が大変らしい。そういう維持費用が想像以上にかかる茅葺屋根の古民家は、どんどん姿を消していっている。

 

そしてこちらで”リンゴ栽培の先駆者”として、3人のリンゴに纏わる偉人が紹介されていたので、その人物について少し勉強をしてみる。まずは「菊池 楯衛(きくち たてえ)という元弘前藩士で、リンゴ栽培の開祖とも言われる人物。明治8年に国から無料で配布されたリンゴの苗木を、津軽地方の旧士族達に配布してリンゴ栽培の礎を築いたという。

 

こちらは「楠美冬次郎(くすみ とうじろう)という、この人も弘前藩士に生まれた人で、同様にリンゴ栽培に取り組み成果を上げた。そしてその成果を『津軽苹果要覧』という資料に共著でまとめ、後世にリンゴ栽培の道を伝えた人物でもあったようだ。

 

こちらは「外崎 嘉七(とのさき かしち)という、”リンゴの神様”とも称されている人物。菊池 楯衛に弟子入りしてそのリンゴ栽培の技術を教わり、津軽のリンゴ品評会で連続して一等を受賞して頭角を現す。またリンゴの生育を阻害する病気についても研究を重ねて、その病気に対する農薬を開発したり、また剪定技術などを生み出した人物とされている。

 

このようにリンゴ公園内には約80種に及ぶリンゴの木々が植えられているけど、その源には先程パネルを見てきたように明治時代にリンゴの生産に尽力した人達の努力があって、今ここに見られるのである。現代人は簡単に今ではリンゴを口にする事が出来るけど、そこまでに至るには先人達の苦労があったのである。

 

こちらのリンゴの木は「ホパ(Malus Hopa)」という、1920年にアメリカの農場で品種改良されて生み出されたリンゴの一種。赤い花をつけるリンゴの木だけど、成熟した果実は普通の想像しているリンゴよりもだいぶ小さめのようだ。

 

こちらにはリンゴ王国のクイズラリーと称した問いが張られていたけど、「極早生種のリンゴはどれ?!」という質問の時点でその意味が分からない。そして答えとなるリンゴは3択で既に記載されていたけど、そのリンゴの名前も全部知らない名前だし・・・。

青森ンゴ
青森ンゴ

もっとリンゴについての勉強もしないとダメだヨ!

 

こちらは「マンチュリカ」という、中国からヨーロッパ経由でアメリカにも移っていったクラブアップル。ちなみにこの「クラブアップル(crab apple)」とは実が小さくとても酸っぱい原種のリンゴの事を指し、一般的な食用のリンゴよりも味や香りが劣る為に、加工用に使われて果実酒やりんご飴などに使われる事が多いとか。

 

クラブアップルは日本では「姫りんご」と呼ばれるようだが、この発育途中のマンチュリカを見ている分にはリンゴではなく、サクランボに見えてしまうが。。

 

そして次にあったのが「アメリカン・ビューティー」というアメリカで品種改良されたクラブアップル。「アメリカン・ビューティー」という名前を聞くと映画好きなボクは、1999年に製作されたアメリカ映画を思い出してしまう。

 

ケヴィン・スペイシーが出演している映画で、アカデミー作品賞を受賞した作品でもある。ただ内容自体は中年のオジサンが娘の同級生に夢中になって不倫するという、万人向けの内容ではないが。。

 

このリンゴ公園内には約80種ものリンゴが植えられているが、世界中にはリンゴの種類だけで数千種類以上が存在しているという。これだけ世界中で色んな品種が存在しているという事は、リンゴという果物がそれだけ世界中の人々に愛されているという事の証なのかもしれない。

青森ンゴ
青森ンゴ

リンゴを嫌いな人は人間にはいないネ!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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