笹野一刀彫の直江兼続Verを見たりした米沢の地で、シメに選んだ料理は米沢蕎麦?!【東北旅行記97】

東北旅行記2020年冬-97:山形編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(After seeing the Naoe Kanetsugu Ver. of the Sasano Itto-bori carving, I chose Yonezawa Soba for my last meal.  [Tohoku Travelogue 97])

蕎麦、それともうどん?!

ここは米沢市の中心部だった米沢城跡脇に造られている、「上杉博物館」。この米沢の地にあった米沢藩を治めていた上杉家にフォーカスした博物館となっていて、見所満載の博物館となっていた。

 

【米沢市上杉博物館・置賜文化ホール】

住所:山形県米沢市丸の内1-2-1
営業時間:9時~17時頃(※定休日:5月~11月は毎月第4水曜日、12月~3月は毎週月曜日)
電話番号:0238-26-8001
入館料:大人410円/高大学生210円/小中学生110円

 

 

 

 

「上杉博物館」の見学の続き!

ただ、この「上杉博物館」は1フロアのみで、外観から見た建物の大きさ程には広くなかった印象だ。以前に訪れた仙台や沖縄の博物館の方が圧倒的に色んな文化財や資料が展示されていたように思うが、そこまでの歴史マニアじゃない観光客からすれば、これぐらいのボリュームの方がいい塩梅なのだろうが。。

 

ここから奥に進むと、ガラス張りの「展望室」が造られていた。この米沢の地は昔から”置賜(おきたま)地方”と呼ばれており、この博物館脇にはその置賜地方の昔ながらの庭園が造られているようだ。

 

ただこの置賜地方の冬は、山に囲まれた盆地という事もあって東北の中でも豪雪地帯としても有名な場所でもある。なので、ご覧のように植木などには”雪囲い”という木の板で囲いが造られており、雪国ならではのライフスタイルを感じる景色でもあった。

 

ただこのような地域に先祖代々住んでいる人からすれば、そのような冬の豪雪も慣れたもので、そのような気候に特化した生活様式で暮らしているようだ。だから米沢の地に移封されてきた上杉家も最初はそんな気候に戸惑った事だろうが、住むにつれて米沢の地に同化していくようにライフスタイルを変化させていった事だろう。

 

こちらの庭園には上杉鷹山が飢えを凌ぐ為に食べる物として指定した植物「かてもの」の、色んな種が植えられているようだ。現代の日本に住んでいると、餓えて死ぬ人間が居てるなんて事すら想像できない程に豊かな時代になっているが、昔は冷害が発生すれば全国的に多くの餓死者が発生していたのである。

 

そして博物館内には、こちらの”直江兼続Verの笹野一刀彫”人形が置かれていた。さすがに『愛』の前立ては別パーツかもしれないけど、髪の毛や鎧の跳ね返りが上手い事表現されている作品だった。

直江クン
直江クン

拙者も笹野一刀彫で彫られる程になっているのか・・・

 

ただこの”直江兼続Verの笹野一刀彫”はここで見た物しか見かける事が無く、他のお土産物屋さんなどで見かける笹野一刀彫は人気の鷹Verばかりだった。この直江兼続Verは刀や『愛』の前立てという別パーツも必要で手間が掛かるからか、一般には販売されていなかったのかもしれない。

 

そして上杉博物館で、最後に鉄砲足軽体についてのコーナーがあった。戦国時代に日本に上陸してきた鉄砲が、日本国内の戦いを大きく変化させていった。この米沢藩でもその先端技術だった鉄砲に注力し、藩内で鉄砲作りに力を入れて、またその鉄砲を扱う兵士も鍛錬を強化させていった。

 

 

こちらは米沢藩の鉄砲足軽体で、行われていたルールなどが解説されていた。それまでの時代では騎馬隊などが花形だったが、この時代には最先端の武器である鉄砲を扱える部隊がエリートとされ、それに伴って厳しい仕来りがあったようだ。

 

この当時の鉄砲は今みたいに完成品の銃弾を鉄砲に詰め込めば簡単に撃てる代物ではなく、まずは銃身に火薬を詰め込んで、その後に弾を詰め込んで火打ち式に発射させていたオールドスタイルの銃だった。だから10人が撃っても同じようには飛ばず、火薬や弾を込める塩梅によって個人差が生まれていた。だからより熟練の技術取得が必要だった為に、厳しい訓練が行われていたようだ。

 

という感じで上杉博物館の見学は、これにて終了。いつもの博物館見学と違って、少し早めに終わった印象だった。そして出入口付近のホールに鎮座していたのが、この3つの米沢市のマスコットキャラクター達のパネル。一応直江兼続の親分だった上杉景勝のマスコットキャラクター「かげっちさま」が真ん中に配置されているが、知名度では直江兼続がNHK大河ドラマの主人公となった事で、遥かに上を行ってしまっているが。。

直江クン
直江クン

大河ドラマの影響って、意外と怖いね・・・

 

その横には、直江兼続のマスコットキャラクター「かねたん」が単体で大きなパネルで置かれていた。この様子を見ているだけで、上杉家の米沢というよりは、今では”直江兼続の米沢”という印象を受ける人も居るかもしれない。

直江クン
直江クン

拙者はあくまで脇役ですからね・・・

 

博物館の外に出ると、既に正午ごろの時間帯となっていた。東北旅最終日は前田慶次ゆかりの土地と、この上杉博物館の見学を目的にしていたのだが、これにて今回の旅の目的を全て達成した事になる。あとは帰りの飛行機が出発する時間まで、のんびりとこの山形の空気を吸いながら、この地を満喫する事にする。

 

上杉博物館で上杉鷹山の偉業の数々を目の当たりに勉強した後に、再び上杉鷹山の像を見ると、以前に比べてより重みと迫力を感じたような気がした。物質的には昨日とは何ら変わりのない像なのであるが、見るサイドの脳みその状態によって、見え方が変わるという人間らしいシステムの影響だったようだ。

 

さて、とりあえず米沢駅の方に向かって帰る事にしたが、その途中にこのような米沢牛や米沢牛のコロッケなどの絵が描かれたバスに目が行ってしまう。ちょうど昼時という事もあって何か食べたいなと思っていたので、そういう心理状態の時程にこのような食べ物を訴求するイラストに反応してしまうのだろう。

 

 

こちらは山形県のご当地デザインのナンバープレートで、ご覧のようにサクランボのデザインとなっていた。ただ今回の旅はサクランボの時期では無かったので、全然サクランボを見れなかったのがちょっと残念ではあったが。。

 

昨日直江兼続の鎧が民家の壁に飾られていた交差点で、こちらの「万世大路道路元標」を発見する。この道路元標は明治14年に、この米沢市と福島市とを結ぶ「万世大路」という便利な道路が造られた事を記念して、近年に設置されていたモニュメントだった。

 

 

今日はご覧の通りに天候があまりよろしくなく、小雨が降ったりして、いまいちスッキリしない天候となっていた。しかし個人的には東北旅の最終日でもあり、あの『花の慶次』でもお馴染みの前田慶次ゆかりの土地を訪問する事が出来て、とても幸せな気分だったので、雨に濡れようがお構いなしの無敵モードだったのであるが。。

 

ただ既にこの時点で今回の旅での目的を達成していたので、気持ちは昼食に何を食べるかモードに入っていた。米沢城跡から米沢駅まで向かう道沿いには、そこまで飲食店が見られなかったけど、このように所々に米沢らしい食べ物の旗が立てられていて、数少ない観光客を釣ろうとしているかのようにも感じたのであるが。

 

 

「そばや:伝右エ門」で昼食タイム!

昨日米沢に来た時の夜は結局満足に米沢らしい料理屋さんを訪れる事が出来なかっただけに、今日はそのリベンジも兼ねて、早めにこちらのお店「そばや:伝右エ門」さんに入る事に決めた。

 

【そばや:伝右エ門】

住所:山形県米沢市相生町2-74
営業時間:11時~15時&17時~20時頃(※不定休)
電話番号:0238-22-7804

 

 

個人的には米沢牛にはそこまで興味を惹かれなくて、蕎麦も全国どこでも食べる事が出来るけど、さっき見た旗で「米沢蕎麦」という文字を見てこちらのお店に入る気になってしまった。ただ外から店内を見ている分には、観光客が全然居なかった米沢でも、それなりにお客さんの姿が見られたので、それなりの人気店のようにも感じたのである。

 

店内に入ると、1人ながら座敷席に案内してくれた。1人身なので小さなテーブルで充分なんだけど、お店的には充分に余裕があるから広い座敷を案内してくれたのかもしれない。そして東北の冬は寒いので、このように店内には大きなストーブも置かれていた。

 

ここ米沢では上杉鷹山公の生誕日に合わせて、毎年7月に”Y-1グルメグランプリ”という米沢のご当地料理のグルメグランプリが開催されているようだ。こちらのお店「そばや:伝右エ門」も過去に「もち天雑煮」を出品し、優勝した事もあるという。

 

 

そんな米沢の地でもそこそこに有名と思われる蕎麦屋さんで注文したのが、こちらの蕎麦・・・ではなく、蕎麦を頼んだつもりで間違えて「うどん」を頼んでしまっていたのだ。このような蕎麦屋さんやうどん屋さんでは、うどんと蕎麦、それぞれを提供できるようになっているので、うどんを頼んでも普通にうどんが出てくるのだ。。

 

蕎麦しか提供しないお店だったら、間違えてうどんを頼んでしまっても、「ウチは蕎麦しかないんで、蕎麦でいいですか!?」と言われただろうけど、普通にうどんが出てきた。普段は蕎麦かうどんかの2択だったら、うどんを頼む機会が多いだけに、普段の癖が出て米沢蕎麦を食べたい気持ちでありながら、米沢うどんを食べる事になったという訳。。

オカン
オカン

アンタも遂にボケが始まったか!(笑)

 

まあ出て来てしまってから変更は出来ないので、気持ちを切り替えて”米沢うどん”を味わう事にした。やっぱり寒くなってくる冬には、このように温かいうどんや蕎麦が体に染み渡るように温かみを与えてくれるので、余計に美味しく感じられたうどんであった。。

 

こちらは地面に埋め込まれていた「米沢の味:ABC」というレリーフ。どれもこの米沢の地だけではなく、日本全国で栽培・飼育されているのだが、この米沢の地で育った物にはこの豊かな大地の自然の恵みが詰まって、より美味しくなっているのかもしれない。

 

そして米沢駅に到着し、電車の発車時刻まで余裕があったので、駅舎内のお土産屋さんを覗いてみた。すると、このように笹野一刀彫でも一番人気の「お鷹ぽっぽver」が何種類も展示されていて、北海道の木彫りの熊よりも、こっちの方がお土産に良さそうに思えた。

 

ただ熊の木彫り人形と違って、この笹野一刀彫は薄くスライスした羽部分の取り扱いに慎重さが求められるので、ポイっとカバンに詰め込むという事が出来ないのが難点かもしれない。

 

しかしこのような鳥の羽に見えるような加工が、木を薄くスライスした物で出来ているとは、なかなかのアイデア商品に思えた。この米沢の地は冬場に豪雪が降る地域で、外に出れない時期が続くだけに、家の中で内職作業のように出来る仕事が重宝されていた事だろう。

 

そしてすっかり大好きになってしまった米沢の地を去る時間がやって来た。まだ山形県内の滞在時間は残っているのだが、個人的には山形というよりも、ここ米沢のイメージが強過ぎて山形県に居るという感覚はあまり無かったのだが。。

 

JR奥羽本線の車内には高校生らしき姿が多く見られたが、電車の中で彼らは殆ど全員が自分のスマホの画面を眺めているだけだった。目の前には雄大な鷹山公が築いた素晴らしい米沢の地が拡がっているのに、灯台下暗しのようにそんな地には興味がなく、若者はSNSという無機質な世界の方が良い物と思っていたのかもしれない。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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