夕暮れどきの山形城跡で鏡のように景色を反射する外堀を眺めながら散策する【東北旅行記74】

東北旅行記2020年冬-74:山形編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Strolling around the ruins of Yamagata Castle at dusk with the outer moat reflecting the scenery like a mirror. [Tohoku Travelogue 74])

山形城での黄昏!

山形市内の中心部にある山形城跡敷地内に造られていた山形県立博物館の見学を終えて外に出ると、16時頃になっていてこのように初めての山形県での黄昏時を迎える時間帯になっていた。

 

 

山形城周辺の散策!

ここ山形城跡は江戸時代に山形藩の中心地だったが、最初に山形藩を治めた最上氏が改易された事もあって、どんどん石高が減らされていって貧しい藩へと格落ちしていった。最初は57万石もあった大きな藩も、江戸時代の終わりを迎える頃には僅か5万石になっている。

 

全盛期の石高から最終的には約1/10にまで減った事もあり、城らしい当時の建造物は殆ど現存していない。現在は復元された一部の門などが見られるけど、復元する前の景色は普通に広い公園といった印象しか受けない場所だったようだ。

 

そんな石高が少なく貧しかった山形藩は、山形城の本丸は活用せずに、その堀を挟んで外側の二ノ丸に御殿を造って藩政を行っていた。そして明治時代になると山形市に売却され、陸軍の駐屯地となり、戦後は「霞城公園」として整備されて今日に至る。

 

この山形城二ノ丸の外側に造られていた外堀の一部は、今でもこのように残されているのが見える。堀も埋め立てられた物もあるけど、この東側の外堀はそのまま現存しているようだ。

 

そんな外堀沿いには「霞城公園は、雪捨て場ではありません!」と書かれた看板を目にする。この看板を見て「雪捨て場って??」と思ってしまったけど、それは普段沢山雪が積もらない場所に住んでいる人間の思考。冬には豪雪地帯になる東北では、積もった大量の雪搔きをする必要があるが、その際に雪をここ外堀に捨てるなという意味のようだ。

直江クン
直江クン

豪雪地帯では、雪の排雪溝が設置されているよ!

 

普通の都市では排水溝と思ってしまう溝も、ここ東北では排雪溝として造られている。明日は米沢市を訪問する予定だけど、その際に大きな排水溝が町中に見られた。気にせずに歩いているとその排水溝に落ちてしまいそうな程だったが、後からそれが排雪溝だと知って納得したのであった。

 

 

山形城外堀を眺める! 動画

 

 

そんな二ノ丸外堀に沿って、JRの線路が延びている景色が見られる。城跡の真横を電車で通過するなんて、ある意味贅沢にも思えるけど、城跡の直ぐ横を電車で走るという事を知らずに乗っていると、あっという間に通り過ぎてしまう事だろう。

 

山形新幹線も走る線路という事で、勿論ここには踏切は存在しなくて、このような橋が設置されている。ちなみに大阪市では昔から”開かずの踏切”が多かったけど、近年は鉄道路線の高架化が進んで交通渋滞が減ってきている。都市が成熟する程に、交通渋滞などを招く場所は改善されていくのだろう。

 

 

人生で初めて訪れた山形県での、初めての黄昏時を迎える。12月の東北地方だっただけに、もう少し雪が降っているかと楽しみにしていたけど、このように天気は良くてただ寒いだけだった。もっと雪が積もる豪雪の景色を見たければ、やっぱり2月頃に来る必要がありそうだが。

 

この東北エリアでは、今では北海道まで繋がっている北海道新幹線しか”新幹線”が走っているイメージが無かったけど、秋田新幹線やこの下の路線を走る山形新幹線なども存在している事を知った。ただし秋田新幹線は盛岡から西の秋田市内に行くだけの新幹線で、また山形新幹線は福島県からこの山形市を通って新庄市までしか行かない新幹線だったが。

 

今日は山形城周辺をじっくり見学したので、とりあえず今日の訪問予定は一通り完了。明日は山寺と米沢市に行く予定にしているけど、ここからは適当に山形市内の街散策に切り替える。

 

そして適当に街歩きを進めると、こちらの大きな学校らしい校舎が見えてきた。一見にはそこそこ綺麗そうな外観をしているけど、よ~~く見たら外観は塗装し直したばかりで建物自体は古そうに思えた。

 

こちらは「観光文化交流センター:山形まなび館」という、昔の小学校校舎を改装して観光交流施設として再活用している建物のようだった。

 

 

この建物は「山形市立第一小学校」として1927年に建造された、山形県内で初めての鉄筋コンクリート造3階建ての学校建築物だった建物。2004年も新しい小学校の校舎が完成した為に、その役目を終えて今では山形の街を活気付ける場所に生まれ変わっている。

 

この建物は1923年に発生した関東大震災で倒壊した多くの建物からの教訓を生かして、耐火免震構造を強化した鉄筋コンクリート構造の建物として、また建物内部には入らなかったけど、建物内部にはヨーロッパ風の建築デザインが盛り込まれているようだ。

 

 

そんな建物は2001年に”登録有形文化財”に指定されて、山形市民の憩いの場所にもなっているようだ。日本では古い建物がどんどん壊されていくイメージがあるけど、このように免震対策を施してリニューアルされて使われていく古い建物も、数は少ないけどチラホラと見られる。

 

普段自分が住んでいる地域で街歩きしていても、全く予期していない場所にいきなり重要文化財の建物があったりと、驚く事がたまにある。古い建物が現存しているだけでもそれなりに大事な建物であるという事が分かるけど、こういう建物を残していくという住民達の強い気持ちの表れでもあろう。

 

その建物を見た後に少し歩くと、こちらのメイン通りのような道に出てくる。この道は「国道112号」で、ここ山形市から鶴岡市を経由して最終的に日本海側の酒田市にまで繋がる道。昔は片側1車線ずつの対面通行だったが、交通渋滞解消の為もあって、今では北側に向けての一方通行となっている。

 

また最近では道の両側に「自転車道」を整備して、住民に優しい色んな取り組みが行われているようだ。また一部には停車帯を設け、この道を通る車にも配慮した道となっている。

 

日本人って”決まり事は守る民族”という風に思い込んでいる日本人も多いかもしれないけど、自転車に関してはそのマナーが酷い。本来は自転車は歩道ではなく自動車道の端を走る必要があるが、多くの日本人は車道側は危なかったり車の通行の妨げになると考えているので、歩道を走る事の方が多い。

 

また最近では自転車で走っている最中にスマホを触って画面を凝視する人も増えており、それとウーバーイーツなどの配達員が無茶な走り方をしたりで、自転車事故の数も増えてきている。

 

この国道112号は『ほっとなる通り』という名前も付けられており、山形市内のメインストリートとなっているが、その道を歩いているとまた趣と歴史を感じさせる建物が見えてきた。こちらは「吉池小児科・皮膚科医院」という、今でも現役で使われている医者の建物のようだ。

 

入口の門の付近にあったプレートには「眼科」という文字が消された跡が見えているが、この建物自体は大正元年(1912年)に造られた木造建築物。建築から100年以上が経過した建物で、しかも現役の医者として未だに活用されているという。

直江クン
直江クン

ここに来れば治療も出来て、歴史ある建物も見れて一石二鳥!

 

その『ほっとなる通り』を歩いていると、次はこちらの郵便ポストの上に何かが取り付けられているのを目にした。このポストの上に取り付けられていたのは、”東北四大祭り”の一つで山形を代表する夏祭り『山形花笠まつり』の代名詞でもある「山形花笠」である。

 

直江クン
直江クン

東北は夏祭りの時期に来たら楽しいよ!

 

山形市内のメインストリートだけあって、暗くなってきてもこのように一部の建物などがライトアップされていて、また違う山形の街の顔が見えてくる。こちらの建物は昔ながらの蔵などの建物を改装した、お土産屋や小料理屋のような場所。

 

そんな歴史ありそうな蔵のあった反対側には、「FUJITA」という名前が見える近代的な外観の明るい建物も見える。こちらは「カバンのフジタ:山形本店」という、山形市民にとっては子供が小学校入学の際にランドセルを買うお店でも有名なカバン屋だった。

 

 

ただ旅行時にいつも共にお供するリュックサックを買い替えるつもりもなかったので、そのカバン屋さんには立ち寄らず、その代わりにこの蔵を改装したような『山形まるごと館:紅の蔵』に立ち寄る事にしてみた。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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