東北旅行記2020年冬-71:山形編
旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Visit the “Jomon Goddess”, a national treasure in Yamagata Prefecture, at the Yamagata Prefectural Museum [Tohoku Travelogue 71])
山形県のお宝!
ここは山形市内の中心部にある「山形県立博物館」。博物館内を見学すると、この左側に見えている銀色のオブジェが、先程見学した「ヤマガタダイカイギュウ」という約1000万年も前に生息していたとされている海洋生物の化石をモチーフにした物だとたった今気付いたのである。
住所:山形県山形市霞城町1-8(霞城公園内)
営業時間:9時~16時30分頃(※定休日:月曜日)
電話番号:023-645-1111
入館料:大人300円/学生150円(※高校生以下無料)
山形県立博物館の続き!
さて毎度恒例の博物館見学は、合計5回に渡って続きます。こちらは奄美大島の南西側にあった峰田山公園で、大きなレンズを取り付けたカメラで撮影をしていたオジサンが狙っていた「サシバ」というタカ科の鳥の剥製。冬場になると越冬目的に、日本大陸を縦断して東南アジアの方を目指して長距離を飛んでいく鳥。
山形県と聞いて思い浮かべる物に、まず「サクランボ」が出てくる。サクランボも青森県のリンゴと同様に、明治時代になってから西洋のサクランボが明治政府に招聘された外国人技師により導入された物。ただここを訪れたのは12月だったので、サクランボの収穫時期を過ぎてしまっていたので、現物を味わう事が出来なかったのが残念ではあった。
こちらは”山形県の魚”に指定されている「サクラマス(桜鱒)」。サケ科の魚で、桜が綺麗に咲き誇る時期に川を遡上してくる事もあって、このような桜という名前が付けられているとか。ただ魚側からすれば、山形県の川を選んで泳いでいる訳ではなく、ただ単に泳いでいた川が山形県に属しているだけでサクラマスと呼ばれるだけにしかすぎない。
この山形県では「最上川」の流域に人類が住み着いて開拓した場所でもあって、まさに最上川に生かされてきた山形と言っても過言ではないと思う。福島県との県境から湧き出た水が、山形市内や新庄市を経由した酒田市に流れている。
こちらは「オサガメ(長亀)」という、亀の種類の中では体格が一番大きな部類に属する温暖な気候化で生息している亀。基本的には暖かい海域に住んでいるので、日本国内では奄美大島など南国でしか普通は見られない亀だが、このような日本海側の庄内海岸でも見られる事があるという。
このオサガメは1967年に庄内地方沖で捕獲された物で、大きさが130cmにもなり、体重は約300kgもあったとか。大人の亀なんて触る機会が無いけど、かなりの重たさになるようだ。また亀も地球温暖化の影響を受けて、昔は見られなかった海域にも見る事が出来るようになってきているみたい。
第2展示室「山形の大地に刻まれた歴史」にて
さてこちらの部屋からは、第2展示室「山形の大地に刻まれた歴史」となっている。そしてドアには相変わらず「ストロボ禁止!」となっていて、ゆったりした時間が流れている地方都市らしい雰囲気を感じた張り紙。
まずは「アウストラロピテクス(Australopithecus)」の姿が描かれているのが目に入る。アウストラロピテクスは約300万年前に存在していた初期の人類とされる類人猿で、平均身長は130cmほどで直立姿勢での歩行能力があったと考えられている。ただ脳の容量は現代人の30~40%しかなく、ほぼチンパンジーと変わらないレベルだったようだ。
次は「ホモ・エレクトス(Homo erectus)」という、約50万年に生息していたとされているヒト科の生物。このホモ・エレクトスの化石が発見された場所は、インド~中国北部や、中東のシリア~イラクなどで、アフリカ大陸で生息していたアウストラロピテクスとは違って、地中海沿岸に移動していったと考えられている。
次は「ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)」で、約15万年前に生息していた”旧人類の絶滅種”。”旧人類の絶滅種”というように最終的には淘汰されてしまう種ではあるが、現代人のDNAには約20%程のネアンデルタール人の遺伝情報が組み込まれているという。
だいぶ背筋が伸びてきたな!
こちらは「クロマニヨン人(Cro-Magnon man)」で、約3万年前に生息していたとされる新人類。かなり現代人らしい体格になってきたが、クロマニヨン人は主に狩猟民族だったので、現代人以上に太い骨格をしていたと考えられている。なお、先程見たナウマンゾウなどは、このクロマニヨン人の狩猟の的となっていた事もあって、絶滅してしまったそうだ。ただこのクロマニヨン人も、大型哺乳類を乱獲して食糧となる個体数が減ってしまった為に絶滅したと考えられている。
こちらは「現生人類(Homo sapiens)」で、つまり我々現代人である。他の動物同様に狩猟のみの生活では多くの個体数を維持できない為に農耕を開発し、また火を熾してそれまでは食べれなかった物まで食べる事が出来るようになり、劇的に個体数を増やしていった。
ただ数万年後には、「○○人」って名前が付けられているんだろうね!
このように人類の祖先は段々と知恵を付けていき、雨風を凌ぐ場所に住み、また飢え死にしないように食べれる物を増やした。太古の人類のアゴや歯は大きくて頑丈だったが、火を使う事によって固い食糧を柔らかくして食べる事が出来たので、それに伴って顎廻りが細くなったと考えられている。
人類は脳の容量が大きくなったから進化していった訳ではなく、常に最良の方法を考えながら生きていた為に脳が活性化されて、それに伴って脳が大きくなっていったという説もある。このように人類が使っていた石器を見れば、その進化の過程がよく表されているのが分かる。
人類が地球上で生き残れて、また個体数がこれだけ多くなってきたのも、人類の祖先が常に最善を求めて行動していた結果でもある。だからたまたま人類が生き残った訳ではなく、何としてでも生き残ろうという強い気持ちを持っていた事が影響しているのである。
国宝展示「縄文の女神」にて
そして次のブースには、この山形県立博物館の所蔵品の中でも一番の目玉である『縄文の女神』が飾られている。縄文時代に作られた土偶というと、ポッチャリした体型の女性型土偶を思い浮かべてしまうけど、ここに展示されているのは”国宝”に指定されているだけあって、少し違う形のようだ。
こちらが山形県北部の舟形町にあった「西ノ前遺跡」で、1992年に発掘調査された際に出土した『縄文の女神』という高さ約45cmの土偶である。よく見る腰回りが大きい女性型の土偶ではなく、現代人のトップモデルのような体型になっているのが特徴的である。
国宝『縄文の女神』! 動画
縄文時代に作られたとされている土偶の多くは、再現が不可能な破壊された状態で見つかる事が多いらしく、この『縄文の女神』のようにほぼ原型が残っている形での出土はとても珍しいという。ただこの『縄文の女神』は5つのパーツに割れた状態で発見されており、それらのパーツを繋ぎ合わせてこの形になっている。
今から約4500年程前の縄文時代に作られた物とされており、現代人の女王様を表現したかのような体の形になっている。当時は女性は子宝を授かる為には、腰回りがしっかりとした女性が好まれていた時代でもあるので、このような体型の土偶が残されるという事は、かなりの周囲からの反発があったのかもしれない。
さっき見たように類人猿から段々と進化して人類に近くなってきた生物が、本来の生存活動には必要ではない、このような装飾品を創り出したというのも面白く感じる。そこには狩猟だけではなく、農耕をする事によって集団生活が成り立ち、その集団をまとめる際にランク付けが行われ、高貴な身分になる程に装飾品を求めていったのだろう。
こちらは後ろ姿で、腰からお尻の上部分まで綺麗に研磨されているようにも見える。また頭部には小さな穴が何箇所か空いており、髪飾りが付けられていた可能性もあるようだ。
こちらは”国宝附(つけたり)”という、あまり聞きなれない称号が見られる。こちらは同じ場所から発見された土偶のパーツ類で、単体として国宝に指定するには材料的に乏しいので、先程の『縄文の女神』とセットで国宝に指定されている物。
この縄文時代の土偶は、1992年に道路を建設する為に発掘調査を行っていた際にたまたま発見されたという。中国で秦の始皇帝のお墓があるとされている『兵馬俑』もたまたま地中から発見されたが、日本国内にも同じように大きな遺構跡がまだまだ地中に眠っているのかもしれない。
この『縄文の女神』は、2012年に国宝に指定されている。そして先程の一緒に出土した47点の土偶のパーツが、”国宝附”として含まれている。ちなみに山形県内の物が国宝に指定されるのは、この『縄文の女神』で6件目となる。
米沢市の上杉博物館にも、2点の国宝が収められてるよ!
上杉博物館は後日、訪問します!
縄文時代の出土品などは日本全国でよく見かける事が出来るけど、その人類が進化して生き残ってきた軌跡を少し頭で想像するだけで、目の前の展示品が見た目以上に趣深い物に思える。人類の進化に伴って容量が大きくなってきた脳を活用して、新人類らしく博物館見学をしていきたいと思ったのでもあった。
こんな旅はまた次回に続きます!
よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!
↓↓↓↓東北旅行記:初回↓↓