松尾芭蕉の有名な句が詠まれた山形県の山寺境内で、佇む芭蕉の像を眺める【東北旅行記77】

東北旅行記2020年冬-77:山形編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
( View of the statue of Basho standing in the precincts of Yamagata Prefecture’s Yamadera Temple, where Matsuo Basho composed his famous haiku  [Tohoku Travelogue 77])

冬に蝉は居ない!

ここは山形県でも宮城県との間にある奥羽山脈の渓谷部分に、平安時代に建立されたという歴史を持つ「山寺(立石寺)」。約1000年程の歴史を持つ寺であるが、この寺の名物はその歴史と共に、山の上の奥の院まで1015段もある石段も有名な場所となっている。

 

【山寺(立石寺)】

住所:山形県山形市山寺4456-1
入山時間:8時~17時頃(※受付16時/冬は15時)
電話番号:023-695-2843
入山料:大人300円/中学生200円/子供100円

 

 

 

山寺(立石寺)にて

その境内に進むとすぐに、こちらの立石寺(※山寺は通称)の大きな本堂が見えてくる。この本堂は14世紀頃に建造された建物で、その後に幾度の修理が行われて今日に至っている。なお、この立石寺境内の見学については本堂が設置されている山の下部分は無料で見学できるけど、奥の山に登る石段部分から有料となっている。

直江クン
直江クン

単なる参拝より、石段を登る事に価値がある事が分かる料金体系だね!

 

この本堂は国の重要文化財の中で、材木としてブナを使った建造物としては日本最古の建物だそうだ。最上氏の祖:斯波兼頼が1300年代中盤に入部してきた際に再建された立石寺だけに、約650年の歴史があるという本堂。

 

そんな歴史ある本堂の真ん前に設置されていたのが、こちらの「招福布袋尊」という布袋様の木彫りの像。七福神のメンバーとしても有名な布袋様で、無病息災や商売繁盛などの御利益があるとされている。ちなみに、こちらでは”体をナデナデする事によって願い事を叶えてくれる!”という、科学的根拠のない思想を助長するような記述も見られる。

朋ちゃん
朋ちゃん

信じる者は救われるよ~!

信じる者は騙される~!(笑)

 

そんな本堂の手前には、こちらの小さなお地蔵さんが足元に置かれていた。参拝者が来た際に大きな本堂に目を取られて、足元の地蔵様を蹴らないように、木の枠が取り付けられていた。そしてその周りには大量の硬貨が置かれているのも見られる。

 

そんな本堂の脇には、こちらの「ティーデマン先生記念碑」という碑が見られた。これは1921年から約10年間に渡って、現在の山形高等学校でドイツ語の教師をしていた「ハンス・ティーデマン(Hans Tiedemann)というドイツ人が、山形の地を愛していた為に自分が死んだ際に骨の一部を山寺の境内に埋葬して欲しいと言っていた事から設置された物だったようだ。

 

 

その記念碑の直ぐ脇には、こちらの白樺の木も植えられていた。この白樺もティーデマン先生が故郷ドイツから取り寄せた木らしく、自分の骨と共にこの白樺も植えるように言葉を残したようだ。

 

本堂の左脇付近には、こちらのかなりの年代物のように見える石碑も置かれていた。こちらの記念碑は「芭蕉句碑」という、1689年にスタートした松尾芭蕉の旅でこの山寺に立ち寄った際に詠まれた有名な句を刻んだ句碑で、1853年に設置された物のようだ。

 

松尾芭蕉がこの山寺を訪れた際に、あの有名な”閑さや 巖にしみ入る 蝉の声”の句を詠んだとされている。個人的には松尾芭蕉は知っているけど、何をした人なのかは全然知らなかったが、こうやってその有名な句が詠まれた場所で改めてその句を見返すと趣を感じてしまう。

 

 

その近くには、こちらの「手水盤」というのが置かれていた。これは松尾芭蕉とお供していた彼の弟子が山寺を訪れた際に宿泊した「預り坊」という宿泊所から、その訪問から10年後に寄進された物となっている。だから1700年頃に寄進された物なので、約300年以上の歴史がある物であり、重要な文化財となっているようだ。

 

平安時代に建立されたという歴史ある寺だけに、このような年代物の代物はいくらあっても不思議ではないのだろう。ただこの山寺も長い歴史の間で、焼き討ちにあったりした事もあり、一時は荒廃してしまった時代もあった。今では考えられないけど、昔は寺では僧兵なども召し抱えていた為に、その地域では大きな支配力を誇っていた。この山寺でも全盛期には、300人程の僧が居た時代もあったようだ。

 

こちらに見られるコケシ型の石像は「コケシ塚」となっていて、如何にもコケシが名産の東北地域らしい石像であった。このような人間が造り出した人形の一種までも、こうやって像を作って供養していたようだ。

 

最盛期には300人もの僧が在籍していた寺だけあって、境内はとても広いし、色んな建物も見られる。戦国時代に覇権を握った織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちした事件では、無力な僧を虐殺したという解釈もされているけど、当時の寺では僧兵という武力集団を抱えていた事もあって、信長がそれだけ敵対視する程に危険な勢力だった事が分かる。

 

こちらは「宝物殿」で、平安時代からの歴史あるお宝が眠っているという建物。”宝物”という文字だけ見ると、金銀財宝が沢山収容されている建物にも思えるけど、昔の日本人はそんな金銀財宝よりも、木彫りの仏像の方が崇められていたので、収容されている物の多くはそういった木彫りの仏像のようだ。

 

松尾芭蕉の像!

そして参道を進んで行くと、こちらの「俳聖:芭蕉」という文字が目立つ像が置かれていた。40歳代半ばで東北・北陸旅に出掛けた松尾芭蕉だけど、当時は歩きオンリーの移動だったから、相当にシンドイ旅だった事だろう。なお芭蕉は旅から帰った約3年後に大坂で亡くなり、その亡骸は芭蕉の遺言通りに滋賀県にある木曾義仲を祀った義仲寺(滋賀県大津市)に埋められている。

 

現代ならまだしも、今から約300年も前の時代に40歳代半ばで徒歩で長期間の旅に出るというのも、なかなかに勇気のいる行動だったと思う。しかし、一気に駆け回った旅ではなく、約2年の歳月をかけてゆっくり巡った旅なので、体力を回復する時間も設けていたようだ。

 

なお、この旅は1人旅ではなく、こちらの「河合 曾良(かわい そら)という彼の弟子がその旅程に同行している。松尾芭蕉が記した旅行記『奥の細道』はとても有名だけど、共に旅した河合曾良が記した『曾良旅日記』は意外と知られていないが、『奥の細道』の詳細を検証する上で重要な記録となっているようだ。

 

『奥の細道』ではこの山寺を訪れた際に、有名な”閑さや 岩にしみ入る 蝉の声”の句が詠まれたとされているが、お供した弟子の河合曾良が記した『曾良旅日記』では、”山寺や 石にしみつく 蝉の声”と記されているようだ。どちらが正しいのか、それともそれぞれに詠まれた句なのかは分からないけど、岩と蝉の声がとても印象に残ったという事がよく分かる内容である。

 

まだ午前8時半頃という事もあって、境内は朝の爽やかな雰囲気で、観光客らしき人の姿も殆ど見られず、地元民が散歩している姿の方が多かったように思う。家の近くにこれだけ大きくて、しかも歴史ある寺があって、その場所を毎日散歩できるなんて、これ程の贅沢は他に考えられない程なのかもしれない。

 

 

お寺が日本全国に存在しているという事実から、仏教という宗教が日本人と古来より密接な関係だった事が理解できる。ヨーロッパでは一時は虐げられたキリスト教が、その後にローマ帝国の宗教に認定されて世界的に広まる事に繋がった。宗教と共に生きてきたというよりは、宗教を利用して勢力を広げた権力者によって利用されてきた宗教という方がしっくりくる感じもするのだが。。

 

こちらの小さなお堂に収められていたのは、「万物供養阿弥陀如来」という白くて綺麗な仏像。ただ仏像も有難みがある物は木彫りでその歴史を感じさせてくれる風格が出ている作品を思い浮かべるけど、このように比較的新しい仏像にはあまり有難みを感じないのであるが・・。

 

こちらは登山道近くに造られていた鐘楼で、大晦日に大勢の人が並んでこの鐘を鳴らすのが昔から行われている行事のようだ。今では大晦日というと”年越しテレビ番組”で視聴率争いを繰り広げている時代だけど、昔ながらの除夜の鐘を鳴らすのが日本人に向いている事だろう。

 

山寺の山門にて

そして参道を進んで行くと、こちらの年代物の外観をしている山門が見えてくる。何でもこちらの山門は鎌倉時代に造られた門らしく、屋根の上に苔がビッシリと生え揃っている景色からも分かるように、その長い歴史を見せつけているかのようにも感じられる門だった。

 

なおこの山門から先が、この山寺でも名物の登山道となるのだが、これより先はトイレが設置されていないので、山門に進む前にすぐ脇に設置されているトイレに立ち寄る必要がある。海外旅行のツアーに参加した場合に、移動途中のサービスエリアなどにトイレ休憩に立ち寄った際にトイレに行かない人もいるけど、いつ何が起こるか分からないので『トイレは行ける時に行ットイレ!』という名言通りにトイレに立ち寄る事をオススメする。

朋ちゃん
朋ちゃん

あまり耳にしない名言ね!(笑)

 

さてトイレを済ませてから、この歴史ある山門へと進みます。なお、この山寺では山の麓部分までは無料で境内を散策できるけど、これから先の登山道は入山料が必要なエリアとなっている。人によっては入山料を支払ってまで、煩悩を落としたい人が大勢いるようだ。

 

ちなみに大人は300円となっていて、このような寺も広大な境内を管理しようとすればかなりの費用が必要な為に、このように入山料を徴収しているのだろう。特にこのような山の麓にある寺だと、その山に生えている木や雑草などの伐採だけでも、かなりの手間暇がかかりそうに思う。

 

このようにかつて松尾芭蕉が立ち寄った場所として、また煩悩を落とす階段が有名な山寺だけど、今では足腰が弱くなった高齢者向けに手摺がキチンと設置されているようだ。近年は全国的にバリアフリー化の取り組みが進んでいるけど、昔ながらの寺にこのような手摺を設置すると、昔ながらの景観が破壊されているようにも感じてしまうが。

オカン
オカン

アンタも年取ったら、手摺の有難さが分かるワ!

 

そして鎌倉時代に建てられたという山門を抜けると、このように背の高い木々が並んでいたり、また苔が生えていたりという景色が待ち受けていて、歴史ありそうな登山道という雰囲気をとても感じる風景である。個人的には階段上りは全く苦痛には思わなくて、逆にどれだけの階段を登れるかという楽しみが膨らんで来る瞬間だったのである。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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