東北旅行記2020年冬-76:山形編
旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Visit Yamagata’s Yamadera Temple, where Matsuo Basho is said to have composed his famous poem, and which has been worshipped since ancient times. [Tohoku Travelogue 76])
最上氏の寺 !
さて2020年12月上旬に訪れた東北旅も、この朝で旅7日目を迎えました。残された旅程は今日と明日の2日となりますが、逆に見ればあと2日もある訳なので、まだまだ引き続き精力的に色んな物や景色を見ていきたいと思った朝。
山形市内で宿泊したのは「コンフォートホテル山形」という山形駅から徒歩2~3分という立地がとてもいいホテルで、なおかつリーズナブルな料金で泊まれるビジネスホテルでもある。日本全国にチェーン展開しているコンフォートホテルだが、どこのホテルでも朝食は基本無料となっているのも、特徴である。
東横インホテルでも朝食は無料だったけど、東横インに比べるとまだ朝食ビュッフェのメニューは豊富だったように思えた。無料だからと意気込んでビュッフェコーナーに向かったが、そういう時に限って沢山取り過ぎて後で後悔してしまう事が多いのであるが。。
山寺駅に移動する!
さて今日は午前8時前にホテルを出発して、まずは仙台方面にある「山寺(立石寺)」という山形では昔から有名な寺へと向かう事にした。山形県の観光地としては人気の場所らしいけど、実は山形に来るまではその存在を知らなかった。旅仲間で川崎セレブでもある朋ちゃんから、「山寺も行くの??」というラインが来て、それでその寺の存在を初めて知ったのであった。。
もう少し事前に予習しないと・・・
朝早く出発したのは、山寺を見学した後に山形市内より南側にある米沢市を一緒に訪問したかったからである。今回の山形県訪問で一番の楽しみにしていたのが、山形市内ではなくて、米沢市だったのである。なお、朝早い山形駅構内には、通学で行き交う学生の姿ばかりで、通勤する大人の姿はあまり見られなかった。
米沢は上杉家が治めていた場所だよね!
山形駅からJR東日本:仙山線の電車に乗り、東へと移動していく。この「仙山線」という名前を見れば分かるように、この路線は山形市と仙台市を結ぶ重要な路線。1937年に全面開通した仙山線は、当初山形駅と仙台駅間は約2時間30分ほどの所要時間が掛かっていたが、今では約1時間10分ほどで到着できるようになっている。
もっと僻地にある寺かと思っていたけど、意外とそんな重要な仙山線の途中にあった山寺。おかげでスムーズな移動が出来る事から、山形市内を訪れる観光客にとっても行き易い場所となっている事だろう。
山寺駅に到着!
電車に乗って約20分ほどで、「山寺駅」に到着する。駅の看板はこのようにその「山寺」と思われる寺の写真が使われていて、この寺を中心とする村っぽい雰囲気が感じられた。
東北を訪れると、それぞれの県でも微妙に違う方言が使われていて、他所からやって来る観光客にとってはその地方の方言が全く覚えられない程にややこしい。そう言いながらもボクの育った大阪も、南の方は”河内弁”だったり、大阪でも違いがあるので、このように地域ごとに方言が違う事の方が普通な事なのだろう。
こちらは「山寺駅」で、外に出て駅舎を見てみるとまだ比較的新しい建物に見える。これから向かう山寺がこの土地のメインでもあるので、その寺の雰囲気を醸し出すように”寺社造りの駅舎”となっているのが特徴のようだ。なお、山形県内のJR路線でもIC乗車カードが使えない場所もあるけど、この山寺駅は仙山線にある駅というのもあってか、意外とIC乗車カードが使えるようになっていた。
その駅舎の脇には、このような「見晴台」という展望台のような建物が見られる。特に入場料金も要ら無さそうだったので、とりあえず上に登ってみる事にした。なお、下にはコインロッカーやトイレが設置してあって、邪魔な荷物があればここに一旦預けておいた方がいいだろう。
ここは山寺のように1000段も登らず、30段程の階段なので比較的楽に登れると思う。ただそこまでの高さでもないので、特別登る必要性があるという場所でもなかったように感じたが。。
山寺は1,000段登らないといけないよ!
この見晴台から眺めるのは、勿論通称”山寺”と呼ばれている「立石寺(りっしゃくじ)」である。奥に見えている山の上の方に小さな小屋のような建物が見えているが、立石寺の本堂自体は山の上ではなく下に造られているので、本堂だけの参拝だとあまり疲れなくて済むのである。
山寺に来たら、やっぱり上まで登らないと御利益ないよ!
こちらは今の景色をアップにした写真で、山の上の方に色々と建物が見える。この建物が造られている高さまで到達するのに、約1000段の階段を登る必要があるのだ。また、この建物の奥側に”奥の院”が造られていて、この山寺で参拝する人はその奥の院を目指す為に訪れる人が多いとか。
見晴台からの景観! 動画
こちらは山寺駅から西側の景色だが、この奥羽山脈の窪みに沿って出来ている街道に合わせて民家が並んでいる。ただ民家以外にはあまり大きな建物は見られず、のんびりした田舎っぽい雰囲気と匂いが感じられる。
こちらには山寺駅周辺のマップがあったけど、この辺りはやっぱり山寺が名物なだけあって、逆にそれ以外には見る物もなさそうだ。ただこの山寺駅の反対側の方に「山寺芭蕉記念館」という記念館が造られており、ここを訪れた事のある松尾芭蕉に関連しているようだ。
さて山形県内では観光客が多い有名な山寺だけあって、駅前は賑やかかと思っていたけど、如何にも観光目的にやって来たという人間は全然見られなかった。やっぱりコロナ禍の12月という寒い時期もあって、冬は閑散期だったのだろう。
少し進んで行くと、立合川という川に架かる橋が見えてくるが、工事中になっているようだ。この川は宮城県との境にある「面白山」から湧き出た水が流れてくる紅葉川が源流となっていて、山形市内へ向かって延びていって最上川と合流していく川でもある。
そんな立合川に架かっていたのは、「山寺宝珠橋」という1970年に完成した橋。JR山寺駅と山寺の門前町を結ぶ重要な橋であり、年間約70万人前後の観光客が訪れるという山寺観光で、電車でやって来た人の大半が利用する橋でもある。そしてこのように綺麗な朱色のペイントが塗られていて、この山寺を代表する橋という雰囲気が感じられる橋でもあった。
そんな橋の下を流れる「立合川(紅葉川)」は、自然豊かな東北地方の川だけあって綺麗である。東北地方を代表する米や酒などは綺麗な水が必要なだけあって、その源でもあるこのような大自然が創り出す綺麗な水は、これからも何としても守っていかないといけない宝物でもある。
さて、まったくの予備知識もなく訪れた山寺で、まずはこちらの案内板を確認する。何箇所か登り口があるようだが、どうせ登るのであれば一番メインの登山道が良い。という事でこの案内板に記載されていた「立石寺:登山道」の方へ向かう事にした。
この「山寺(立石寺)」は元々は平安時代に建立された寺らしいが、その後に焼き討ちにあったりして荒廃してしまった時代もあった。そして中世頃に最上氏の祖始「斯波 兼頼(しば かねより)」が”羽州探題”という秋田・山形地方を統括する要職を室町幕府から与えられて就任し、その際に立石寺は再建されたという。
それ以来、立石寺は最上氏の庇護下にあり、江戸時代に山形藩を治める事になった最上氏が3代で改易されるまでは、常に最上氏を象徴する寺だった。そして江戸時代初期頃にはこの山寺も参拝客が増えだした事もあり、最上氏が改易された後も存続していった。
山寺(立石寺)の入口に進む!
そして先程の看板にあった通り、約100mほど歩いた先にこちらの大きな碑と階段が見えてきた。この山寺は上の奥の院まで1,015段の階段があるというが、この階段からがスタートなのかもしれない。若い観光客には何てことない階段だけど、足腰の弱ったお年寄りにはちょっと嫌になりそうな階段なんだろうが。。
この山寺では約1,000段の階段を一歩ずつ登る事によって、人々が普段から抱えている煩悩を取り除く事が出来ると昔から信じられているようで、それもあって次々と煩悩を取り除こうと多くの参拝客がやって来たようだ。
そしてこの地を訪れた有名人が、『奥の細道』でも有名な松尾芭蕉である。『奥の細道』とは1689年から約2年かけて、松尾芭蕉が北陸や東北地方を巡った旅の紀行文で、”日本国内では最も有名な旅行記”と言っても過言ではない作品である。ちなみに松尾芭蕉の時代には今みたいに飛行機や電車などは勿論無かったので、その道中は基本的に歩きだったのである。
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
by 松尾芭蕉-『奥の細道』
この日本人であれば恐らく誰もが知っている松尾芭蕉の句は、ここ山寺を訪れた際に詠んだ句である。ちなみに、松尾芭蕉と共に旅した随伴者:河合曾良が記した『随行日記』には、”山寺や 石にしみつく 蝉の声”とちょっと違う内容で記されているとか。
ここ山形県では江戸時代中頃に”最上千駄”と名前が付けられる程に、紅花栽培で全国的に有名だった。というのは最上川沿いに紅花の産地があり、その紅花は最上川を活用して船で酒田まで運ばれ、そこから北前船で近江商人を経由して京へ運ばれていた。
ちなみに京都の紅問屋との取引では、馬一頭が運べる重さの量という意味合いの「駄(だ)」の単位が使われていた。だから”最上千駄”と呼ばれていたのは、1000駄の量の紅花が取引されていたという意味合いのようだ。
紅花は紅色に染める染料として、人気だったよ!
このように階段が多い観光地をツアーで訪れると、いつも1人や2人ほど階段の段数が何段あるかを数えながら登る人が参加している事が多い。ただ200~300段ぐらいなら数えようかという気にもなるけど、さすがに1000段を数えて登るのはなかなかに大変だろうが。。
この辺りはすぐ裏が山なので、このように猿が出没する可能性があるという。こちらの張り紙には、「猿がもし出てきても刺激しないで写真も撮らないで、速やかに離れてください!」と書かれている。
ちなみにスリランカを訪れた際に、人気の観光地にハヌマンラングールという猿が放し飼いになっていた。インドやスリランカでは昔から”猿は神様の使い”と考えられてきたので、このような観光地でも排除する事なくそのままにしている。同行していた添乗員さんから事前に「猿とは絶対に目を合わせず、無視して刺激せずに通り抜けてください!」と聞いていたけど、実際に行ってみると欧米系観光客が嬉しそうに間近で眺めて写真を撮っていたシーンを思い出す。。
猿は攻撃性があるので、注意しないとダメですよ!
そして程なく、このような大きな本堂が見えてくる。この大きな本堂が「立石寺中堂(根本中堂)」で、人によってはこの本堂を拝めてお祈りを捧げて後にしてもいい場所でもある。個人的には神社や寺ではこのような本堂が一番メインの場所であるので、わざわざ奥の院まで足を運ぶ必要性が理解できないのであるが。。
奥の院まで歩く事に価値があるのよ!
この本堂は斯波兼頼が山形にやって来た1300年代中頃に再建された建物で、後に建物の修理が何回も行われて、今の姿は江戸時代初期に修理された姿となっているようだ。元々は「円仁(慈覚大師)」が天台宗として建立した寺であるが、後に幕府の策で禅宗に改宗されて、斯波兼頼が再建した時に天台宗に再び改宗されたようだ。
こんな旅はまた次回に続きます!
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