弘前市の「旧第五十九銀行本館」2階は、社交場のような豪華な部屋だらけ【東北旅行記㉕】

東北旅行記2020年冬-㉕:青森編

 旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(The second floor of the “old 59th Bank main building” in Hirosaki City is full of luxurious rooms like a social gathering place. [Tohoku Travelogue 25])

堀江佐吉の最高傑作!

ここは青森県弘前市でも街の中心部にある、現在の青森銀行の前身だった「旧第五十九銀行」の本店だった建物。明治時代の終わり頃に造られた、和洋折衷の洋風建築物として貴重な建物にもなっている為に取壊しを逃れて、今では国の重要文化財としても認定されて、青森銀行の記念館となっている。

 

【旧第五十九銀行本店本館】

住所:青森県弘前市大字元長町26番地
営業時間:9時30分~16時30分頃(※定休日:火曜日)
電話番号:0172-36-6350
入館料:高校生以上200円/小中学生100円

 

 

 

旧第五十九銀行本店本館の見学は続く!

前回に引き続き、まだまだ歴史的な建造物の見学は続きます。このような歴史ある銀行の記念館で昔の紙幣などを見ていると、それだけで多くの事を学ぶ事が出来る。今現在我々は何気なく生きているが、そのシステムは昔の人達が色んな試みを繰り返して最善のシステムを構築してきたおかげで出来上がっており、快適に過ごせているのも過去のそういった人達のおかげである。

 

こちらに置かれていた石は「玉鹿石(ぎょっかせき)という、太宰治が生まれた青森県北津軽郡金木町付近の国有林から採れた青森県の天然記念物ともなっている石である。硬度がとても高くて、研磨すればこのように光沢を放つ石となっており、石の模様が鹿の毛皮のように見える事からこの名前が付けられているとか。

 

 

入口側の脇に造られていた、こちらの「曲がり階段」はわざとこのように曲がって作った物で、その意図は大株主だけが使える貴賓向け階段としての優雅さを備えさせていたという。ただこの曲がり階段は一旦取り外されたそうだが、昭和59年に行われた補修工事の際に復元されたという。

 

銀行といっても利便性と共に、大口顧客向け用に贅沢な内装をも兼ね備える必要性があったのだろう。銀行が扱うお金の大半は小口資金の庶民ではなく、大口の資金を動かす一部の富裕層だった事だろう。

 

そんな曲がり階段を登って2階に辿り着くと、1階部分とは違って商談室のような個室が並んでいるのが見える。銀行といってもお金を預かるだけではなく、融資など色んな仕事で顧客と打ち合わせる必要があったので、それ用にこのような部屋を使っていたのだろう。

 

この建物は太宰治の生家である斜陽館を設計した、青森県出身の名建築家であった堀江佐吉が手掛けた洋風建築物なので、同じように天井にはシャンデリアなどが飾られている。海外文化を積極的に導入していった明治時代には、このような最先端の文化を取り入れていた洋風建築物に住んだり仕事に使っているという事が、一種のステータスでもあった事だろう。

 

この部屋の内装だけ見ていると、この建物が造られる約40年前まで江戸時代だったという雰囲気が全く感じられないような部屋である。それまではチョンマゲの頭で刀を懐に差していたような人ばかりだった時代から、このような海外に来たかのような建物が造られるまで大きく変化していった明治時代。

 

ただこの建物は完全な西洋式建造物のコピーではなく、名匠:堀江佐吉が日本の建築物との融合を目指した和洋折衷の建物だったので、天井には「金唐革紙」という和紙にスズの箔と漆で手間を掛けた装飾が用いられているようだ。そしてその金唐革紙が持ち入れられている建物で現存しているのは、ここを入れても国内では僅かにしか残っていないという。

 

19世紀までは現代では考えられない程に手間を掛けた仕事が多かったが、産業革命が起きて以降は機械化の大波が世界を塗り替えていった。その中でとても手間が掛かる作業が減っていき、昔の人達が築き上げてきた技術が大きく失われる結果となってしまった。

 

 

2階の大会議場にて

こちらは2階のメインルームでもある「大会議場」という大きな部屋で、まるで社交ダンスを踊る為に造られたかと思ってしまう程に広々とした部屋が2階に造られている。

 

この部屋の天井にも手間を掛けて貼られた金唐革紙が一面に装飾されており、またこれだけ広い部屋にも関わらず柱が見当たらないのが特徴的でもある。特にここ青森県は雪深い豪雪地帯なだけに、雪が多く積もった時の荷重を支える為にこのような広い部屋には何本もの柱があるのが一般的である。しかし見てもらうと分かるように、部屋内にはそんな柱が全く見当たらない設計となっている。

 

建築に関してはど素人なボクだけど、こうやって1箇所ずつジックリ見ていくと、他の建物との違いが少しずつ見えてきて、その違いが建築家のこだわりの差だというのが理解できてくる。こういった建築物には全ての箇所に理由があり、柱が無いという事は柱を見せたくなかったという意図が見える様な気がしたのである。

 

設計も豪雪地帯では積もる雪の重力を逃がす設計をしないといけないのだろうが、青森県で多くのこのような洋風建築物を手掛けた堀江佐吉からすれば、そのような設計はお手の物だった事だろう。

 

この弘前市には他にも明治時代後半に造られた西洋式建造物が現存しており、こちらに写真のあった「弘前学院外人宣教師館」はここから南側にある弘前学院大学に招かれた”メソジスト派の婦人宣教師”の宿舎として使われていた建物。こちらの建物も老朽化が激しくて取り壊す予定だったが、歴史的な建造物という事で補修工事を行い、1978年に国の重要文化財に指定されている。

 

 

 

こちらの写真は現在青森県立弘前高等学校の敷地内で保存されている、明治27年に青森県尋常中学校の校舎として造られた『鏡ヶ丘記念館』。この建物は青森県で最古の木造校舎とされているそうで、堀江佐吉の弟子だった川元重次郎が設計したそうだ。

 

 

 

こちらの建物はこの近くにある「旧弘前市立図書館」で、この銀行の建物と同じ設計家:堀江佐吉が明治39年に造った西洋式建造物3階建の建物。この建物も現存していて青森県重宝に指定されており、今では図書館ではなく資料館として内部の見学もできるようになっている。

 

 

 

このような明治時代に造られた西洋式建造物も日本全国にはそれなりに保存されているが、その造り1つを気にして見ていくと、それぞれに設計家の個性が出てきているように思える。堀江佐吉の設計した建物はただ単に西洋式の建物を作った訳ではなく、その西洋の建築様式に津軽の良さを掛け合わせた、西洋と津軽のハイブリッド的な設計だったのだろう。

 

こちらは更に屋根裏部屋へと繋がるような階段が見えているが、残念ながらこの階段は使えないようになっている。この上は隠し部屋のようになっていて、秘密の打ち合わせなどが行われていたのかもね。

 

 

こちらは青森県の伝統工芸品だった「津軽凧絵」で、家計に苦しんだ弘前藩士が苦肉の策としてこのような津軽風の凧を内職したのが起源とされている。本来このような凧の木組みは竹が使われるのだが、津軽では寒くて竹が育たなかった為に代用品として青森ヒバが使われており、そのヒバを薄く削って独自の津軽凧が作られていたという。

 

こちらには火消しの纏が置かれており、毎年正月には江戸時代からの恒例行事としてこの纏いを持って安全祈願が行われているという。また戦前までは弘前では火消しが花形だったらしく、命を懸けて炎に立ち向かう姿に多くの人が憧れていたのだろう。

 

建物内装の壁はこのように綺麗に漆喰が塗られており、綺麗に白く塗られている景色から銀行らしい誠実な雰囲気が漂っているようにも感じる光景である。

 

そんな白い漆喰の壁の廊下を進んで行くと、こちらの部屋は一点スカイブルー色のような天井の色と、クリーム色の壁とまた趣向が違った部屋が見られる。全ての部屋に同じような内装をしたのではなく、このようなアクセントを付けた部屋を置く事によって、より印象的に記憶に残る内装に敢えてしたのかもしれない。

 

こちらにはこの「旧第五十九銀行本店本館」の建物が完成した当時の写真や、またその後に保存修理工事が行われて完成した時の写真などが飾られているのが見える。傍目からだと補修が行われてどう変わったのかまでは分からないけど、工事に携わった人からすれば記念になる写真だろう。

 

先程上に登れなかった階段はどうやら屋上に向かう階段だったらしく、その先の屋上には展望台を兼ねた塔があるそうだ。そしてこちらに置かれていたのは、その屋上の塔の屋根飾りに使われていた物で、アカンサス(莨菪花)という葉っぱのデザインとなっていたようだ。

 

ヨーロッパで見かける昔の建物ならまだしも、日本の明治時代に造られた西洋式建造物には思えない程に精巧に造り込まれている。天井裏ほどに面倒くさいから手を抜きたがりそうにも思うけど、この天井裏で手を抜けばそれまで手間を掛けてきた内装自体全てが崩れてしまうのだろう。

 

2階の重役会議室にて

そして2階の隅にはこちらの「重役会議室」という部屋があり、ここにはまたそれなりに資料が展示されているのが見えている。

 

ただこのように特別広い部屋ではなかったようだが、これだけのスペースがあれば会議が出来る広さだったのだろう。まあ会議に無駄に広いスペースを使うよりは、こじんまりとした部屋で肩がぶつかる程のスペースでした方が、意思疎通しやすそうに思えるが。

 

こちらは先程も見た「金唐革紙」という、和紙にススの箔と漆を塗って手間暇掛けて製作した装飾の一部が展示されている。この金唐革紙は皇居の壁などにも用いられる程に当時としては最高級の壁紙となっていたようだが、今では消えてしまった技術となっている。。

 

こちらはこの旧第五十九銀行本店本館が造られた時にその建造記念として制作された「棟札」で、工事関係者の名前などが入れられて梁などに打ち付けられた物で、平安時代頃からの習慣として受け継がれている文化のようだ。なお、こちらの棟札はこの建物と共に合わせて、国の重要文化財にも指定されている。

 

そして最後に青森の名匠:堀江佐吉について、少しだけ説明されている。青森県で多くのこのような西洋式建造物を手掛けた偉大な人物だけど、その割に堀江佐吉の説明にしては少しスペースが小さく感じたのであるが。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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