改修工事中で石垣が解体されていた弘前城の本丸を眺める【東北旅行記㉜】

東北旅行記2020年冬-㉜:青森編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(View of the main circle of Hirosaki Castle, where the stonewalls were dismantled during renovation work. [Tohoku Travelogue 32])

石垣も手入れが必要!

こちらに見えているのは弘前城内に設置されている「二の丸:東門」で、この門をくぐると弘前城:二の丸へ到達できる。なお弘前城跡にはこのような江戸時代初期に造られてから現存する、歴史的な櫓や門が合計8か所も残されている。だから天守閣以外にも、その歴史的な趣のある建造物を沢山楽しめる場所ともなっている。

 

 

 

弘前城:二の丸にて

「二の丸:東門」をくぐると、目の前に弘前城:天守閣が見えてくる。しかしこの足を踏み入れたエリアは本丸ではなくてまだ二ノ丸で、この先に見えている天守閣のある本丸の間には内堀で遮断されているので、そう簡単には近づけない構造となっていた。

 

こちらの木は”弘前市古木名木”として青森県天然記念物にも指定されている、日本国内でも現存する日本最古級クラスのソメイヨシノの木だそうだ。明治15年(1882年)に旧藩士から寄贈されたソメイヨシノは、一般的に寿命が60~80年とされる中でも、ここ弘前公園内には樹齢100年以上のソメイヨシノが400本以上も毎年春に桜の花を咲かせているという。

 

そしてこちらの建物は「二の丸:東門」脇に造られていたという、「与力番所」という名前の見張り番が常駐していた建物。この建物も江戸時代初期に弘前城が建造された当時に造られたと考えられており、その後に改修されて昭和時代は弘前公園の管理事務所などとして使われていたという。

 

かつての弘前城内にはこのような与力番所が10箇所以上設置されていたらしく、その地方で最も有力な人物が滞在していた場所を厳重に守っていたようだ。「ネズミ一匹通さない」という言葉が思わず脳裏をよぎる位に、江戸時代には厳重な警備体制だった事だろう。

 

そしてこちらには『玉鹿石』という、青森県天然記念物にもなっている石が置かれている。この玉鹿石は弘前市内で内部の見学をした「旧第五十九銀行本館」でも見た石だが、ここに置かれている玉鹿石は表面が研磨されていないので、光沢感は全く感じられずに”普通の石”といった雰囲気だけを出していたが。

 

この『玉鹿石』は青森県天然記念物になっているが、この石が産出するのは太宰治が生まれた場所でもある五所川原市金木町の国有林からである。ただ表面は研磨すれば光沢を放って綺麗な石に見えるのだが、このように自然のままに野外に放置されていると、そのような外観の魅力が見られない状態となっていたが。。

 

雪深い東北地方では毎年冬を迎える時期になると、このように植木にも傘のように木の板を被せる作業が必要となってくる。大阪に住んでいる人間にとっては雪は積もる物ではなく単に降るだけの物と思っているが、ここ東北地方では場所によっては数メートルも積もる場所もあるので、雪に対しての認識自体が違うのだろう。

 

 

補修工事の天守閣石垣!

そして二ノ丸の本丸近くの場所には、こちらの「工事展望台」というスロープが設置されている。というのもここ弘前城では2007年頃に天守閣が乗る石垣に膨らみがある事が発見されて、その内に崩落する可能性があった為に2015年よりその石垣の補修工事が行われているのだ。

 

こちらはその工事展望台から本丸を見た景色で、本丸の東側約100メートルに渡って石垣の改修工事が行われている真っ最中だった。なお弘前城の天守閣は今後ろの方に見えているが、元々はこの石垣の左手前の角側に置かれていた。

 

この3階建の弘前城天守閣の重量は約400トンで、膨らんだ石垣をそのまま放置していると崩壊の恐れがある為に2015年より石垣の改修工事に着工した。当初は2022年に天守閣は元の位置に戻されて、石垣自体は2023年度中に完成する予定だったが、今度は天守閣の耐震工事も必要となった為に工事が終了するのが2025年度に遅れてしまっている。

 

この本丸石垣の上に造られていた天守閣は、「曳家(ひきや)という建物を解体せずにそのまま引っ張って移動させる方法が採られており、かつての場所から数十メートル離れた場所でその改修工事の完了を見届けている。またこの天守閣の石垣は明治30年(1897年)にも同様に崩壊の危険性があった為に補修工事が行われており、その際には弘前市で幾多の洋風建築物を設計した名建築家:堀江佐吉がその補修工事を率いたという。

 


 

弘前城天守 1次曳屋⇒2次曳屋【動画】

こちらの動画では弘前城天守閣が曳屋によって、現在の場所まで運ばれる間の動画をハイパーラプス形式で見られます。この曳屋は機械ではなく人が実際に綱引き大会のように引っ張って移動させており、また隣で津軽剛情張大太鼓が置かれている時期があったりと、弘前市民にとっては一大イベントだったようです。

青森ンゴ
青森ンゴ

弘前の象徴を移動させるなんて、一生に一度あるかの事だからネ!


 

この弘前城を訪れた時には工事真っ最中で、このように土嚢袋が積み上げられて石垣にはシートが被せられていた。なおこの内堀部分には他の堀同様に水が張られていたが、この石垣改修工事の為にその内堀に張られていた水は一旦排水されて、工事が行われていた。

 

 

天守閣の石垣工事中の景色! 動画

 

 

観光客側からすると楽しみに歴史的建造物を見に来ても、このように補修工事中だとガッカリする事が多いけど、ここ弘前城ではわざわざこのように工事用展望台まで造ってくれていたので、せっかく来てくれた観光客に少しでも普段は見れない石垣の工事をせめて見て行って欲しいというような気持ちの対応に見えた。

 

ただ弘前城の目玉でもある江戸時代からの現存する天守閣自体は、移動されているだけでまだ建物自体の工事は行われていなかったので、見学するのは問題ない。ただし、冬場は天守閣内部の見学が出来なくなっているので、外から眺めるだけとなっているが。。

 

今回の弘前城本丸石垣補修工事と天守閣曳家は、山形県米沢市の「株式会社 我妻組」と、弘前市の「株式会社西村組」が担当している。なお今から100年以上前の明治時代に行われた石垣補修は、堀江佐吉が率いる堀江組が担当していた。その明治時代に行われた石垣改修工事は約20年近くの期間に渡って行われたが、今回の平成から令和に掛かる工事ではその半分の約10年と想定されている。

 

 

明治時代にも石垣の補修工事が行われたというが、その時代は現代のようにショベルカーやクレーン車やダンプカーなども無い時代で、その殆どを人力で行っていたのだろう。そう考えると人類は新しい発明をした事によって色んな優れた機械を開発したが、それと共にアナログな技術をそれ相応に失っているのだろう。

 

こちらの天守閣がよく見渡せれる場所に架かっていた橋は「下乗橋」という、この橋を渡る際には下馬する事が義務づけられていた橋のようだ。江戸時代には勿論馬に乗って城内にやって来る庶民なんて居なくて、家老などの身分が高い役職の人物や幕府から派遣された人などが馬を乗りつけて城内に来ても、ここから先は馬から降りないといけなかった。

 

 

なおこの「下乗橋」は二ノ丸から本丸へ渡る重要な橋で、万が一敵が城内に侵入してきた際には本丸に到達できないようにいつでも壊せるようにと質素な造りになっていたようだ。なので今見られる下乗橋はそれなりに頑丈な造りの橋だが、昔はその気になったら壊せる程だったので擬宝珠なども取り付けられていなかったそうだ。

 

弘前城天守閣が本来の位置にあった時には、この下乗橋からの眺めが一番の写真スポットになっていたようだ。しかし天守閣が曳家されてしまった今では、このように下乗橋の上からは天守閣はちょっとしか見えなくなってしまっていた。

青森ンゴ
青森ンゴ

2025年頃には再び下乗橋が人気の撮影スポットに復活すると思うヨ!

 

 

改修工事中のショベルカー 動画

 

 

その下乗橋を渡って先に進んで行くと、このように目の前に天守閣の建物が近づいて見えてくる。なお、こちらには門構えのような跡が残されており、ここにはかつて「武者屯御門跡」という本丸を守る門が造られていたようだ。

 

ただ残念ながら弘前城天守閣内の見学は冬場は閉館となって、見学する事が出来なかった。しかし、天守閣が閉まっている冬場は普段なら有料区域となっている本丸内に無料で入園できるようになっていた。

ネプちゃん
ネプちゃん

一勝一敗で引き分け~~!

 

そんな天守閣前の武者屯御門跡に植えられていたのは、こちらの弘前市古木名木にもなっている「御滝桜(オタキザクラ)という名前が付けられているシダレザクラ。1914年に在弘宮城県人会の寄付によって植えられたシダレザクラで、この「御滝桜」はあの棟方志功が名付けたとされている。

 

そして武者屯御門跡の脇にはそんなシダレザクラとは別に、こちらの「鶴の松」という名前が付けられたアイグロマツも植えられているのが見える。こちらのアイグロマツの樹齢はゆうに300年を越えていると考えられており、歳を取った鶴に姿が似ている事から「鶴の松」と名付けられたそうだ。

 

そして「御滝桜」「鶴の松」と来て、次に「亀石」と彫られた文字が目に入る。桜と松を見てから「亀石かよ!!」と思ってしまいそうだけど、こう名付ける位だから亀のように見える石が置かれているのだろう。

 

ただこの亀石というのは具体的にどの石を指すのかが明記されていなかったが、恐らくこの中央に写っている石が一番亀っぽい石に見えた。ただ亀石というのが亀の甲羅のような形をしているのか、それとも亀の頭の形になっているかが分からなかったので、こちらの石を暫定的に亀石と認識する事にしたのであった。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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