石垣補修工事の為に曳家移動されている弘前城天守閣を間近に見学【東北旅行記㉝】

東北旅行記2020年冬-㉝:青森編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(A close-up look at the Hirosaki Castle keep, which is being towed away for stone wall repair work. [Tohoku Travelogue 33])

冬場は中に入れない!

さて青森県の弘前市でも一番の観光名所と言っても過言ではない弘前城の天守閣が、段々と目前に迫ってきました。この天守閣のある本丸は通常であれば有料区域になっているので料金を支払わないと入れないみたいですが、この訪問時は12月という冬場という事で天守閣が閉まっていた為にその代わりとして無料で本丸区域に立ち入る事が出来た。

 

 

 

本丸で弘前城天守閣を眺める!

この本丸に入る前の場所に設置されていた武者屯御門跡で古い松やシダレザクラなどを見かけたけど、この本丸の手前にあった石垣にもシダレザクラが植えられているのが見える。こちらの桜も先程見た木と同様に大正時代の1914年に植えられた「弘前枝垂れ」と名付けられたシダレザクラで、手前にあった「御滝桜」の木よりも3~4日早く開花するんだとか。

 

そして改修工事中の本丸内に設置されていた柵には、弘前藩を治めていた津軽家の家紋だった「津軽牡丹」がプリントされたカバーが掛けられていた。牡丹の花は中国大陸から当初は薬の原料として伝わった植物で、日本国内では主に観賞用として人々に愛された。

 

こちらは本丸の東南側の角地で、今まで弘前城天守閣が乗っていた天守台。石垣ってシッカリと石が積まれているからそう簡単に崩れ落ちないようなイメージがあるけど、実際には石垣の外側は石が敷き詰められているが、その内部は小さい石や細かい砂などで埋められている。基本的には強度が強く設計されている石垣だけど、長期間に渡って積まれていると経時変化もあって崩れる可能性も出てくる。

 

この時行われていた石垣補修工事は、来年の令和5年(2023年)3月まで掛かるようだ。石垣補修工事って現代のショベルカーなどを使えば早くできると思っている人もいるかもしれないが、石垣補修工事では使われていた石垣の石を全て記録して、解体した後に再建する場合に使われていた石をそのまま同じ場所に戻さないといけないので、その分とても時間が掛かるのだ。

 

だから大きなお城程に石垣の修復工事には時間が掛かり、2016年の震災で被災した熊本城では城内全ての石垣を復興するのに、合計20年間を見込んでいる。外側だけ石を張り付けて中身を鉄筋コンクリート造りで造れば早いのだろうけど、歴史的な建造物はその昔からの伝統的な構造のまま保存する必要がある。

 

そしてこちらが曳家されて元の場所から少し離れて設置されている、弘前城の天守閣。ここ弘前城は江戸時代初期の1611年頃に城が建造された時に、五層にもなる大きな天守閣が造られた。しかしその立派な天守閣は1627年に焼失してしまって、今目の前に見えている天守閣は同じ江戸時代でも後期の1811年に再建された物である。

 

本丸の東側にはこのような足場が組まれており、この上から天守閣を眺める絶好のポイントとなっているようだ。今日は天守閣の中には入れないので、その代わりに外側からたっぷり天守閣を眺める事にする。

 

こちらの物見台は木造で造られていて、鉄筋を組んだ現代風な足場ではなくて、弘前城という江戸時代から残る城に合わせてか木材がふんだんに使用されていた。このような足場の設計にも、そういった弘前城らしさが織り込まれていたのかもしれない。

 

 

こちらがその木造の足場の上に乗って見た、弘前城の天守閣。3層構造の天守閣というと全国的に大きい部類には入らないけど、このように石垣の上ではなく平面の地面の上に置かれている影響もあってか、余計に小さく見えてしまうような気がした。

青森ンゴ
青森ンゴ

天守閣って石垣の上に立つから、その威厳を感じるのかな?!

 

この物見台の上からは天守閣だけではなく、先程平面レベルからしか見れなかった工事中の天守台の様子もこのように見られる。同じ天守閣も普通に地面の上に置かれているのと、この角の天守台の上に乗っているので、だいぶ見た目の印象が変わる事だろう。

 

 

物見台から眺めた天守閣! 動画

 

 

この東北旅で最初に訪れた青森県だったけど、今回の旅はあえて寒い時期に訪れた。というのも寒くて雪が降る東北地方の景色が見たかったからだが、冬場に来ると閉鎖になっている施設やこの弘前城天守閣のように入場できないというデメリットもあった。

 

この弘前城跡の弘前公園敷地内には沢山の桜が植えられていて、ここ本丸ではこのようなシダレザクラの木がよく見られた。春に訪れればこの木に花が咲いて景色が全然違って見えるのだろうが、今回は冬に訪れたので桜が咲き誇る景色は脳内で想像するだけしか楽しむ方法はない。。

 

そしてこの本丸からは、このように青森県を代表する「岩木山」も見えている。この岩木山は別名”津軽富士”とも呼ばれる程に山頂付近に積もる雪化粧が何とも富士山に似ている事から名付けられているが、登山も出来たり、またはクネクネした有料のドライブウェイなども造られているようだ。

 

 

こちらは北西側の岩木山方面から、弘前城天守閣を眺めた景色。本丸にはシダレザクラが沢山植えられているけど、冷静に考えれば春の時期にここを訪れても、そのシダレザクラに咲く花で天守閣が隠れてしまって、全景を眺める事が逆に出来なくなる。そういう意味では葉っぱも花も咲いていない冬の時期に訪れた方が、お城の建物をしっかりと見る事が出来るので、この寒い時期に敢えて訪れるのもアリかもしれない。

 

 

本丸内の景観! 動画

 

 

北西側から天守閣を眺めると、さっき見た南東側とは違って窓が開いた状態ではなく、鉄の扉のような物で窓が塞がれているのが分かる。このような天守閣の建物は四方を同じように鉄砲窓などを備えているのかと思っていたけど、よ~~く観察してみると微妙に違うポイントがあった。

 

今の天守閣は1811年頃に再建された2代目の天守閣の建物だが、それでも東北地方で江戸時代に造られて現存する天守閣はこの弘前城しか残っていないという。なのでこの弘前城天守閣は日本で”最北端にある江戸時代からの現存天守”という、称号を有する天守閣でもあるようだ。

ネプちゃん
ネプちゃん

青森は最北端の○○が多いべさ!

 

ただ天守閣とは言いながら、この弘前城跡に残されている3棟の江戸時代に建造された櫓とも比べても、そんな大きな違いは感じられない。というのも江戸時代当時はこの建物を公に”天守閣”という呼び名を使っていなかったようで、あくまでも「本丸に造られた新しい櫓」という認識に近い物だったという。

 

 

そして本丸の端にはこちらの石垣で造られた土台のような場所があり、ここは「本丸:未申櫓跡」という江戸時代初期に弘前城が造られた時に初代の豪華な天守閣が存在していた場所のようだ。その初代:天守閣は1627年に焼失してしまい、それ以後に江戸幕府に天守閣再建の許可を求めるが却下されてしまい、天守閣が造れなかったので代わりに未申櫓という櫓をここに造っていたという。

 

江戸時代には全国の城で天守閣が焼失する事は度々あったが、その際に勝手に天守閣を再建する事は禁止されていて、必ず事前に江戸幕府に御伺いを立てて許可を貰わないといけないという制度があった。そして江戸幕府の許可を貰わずに勝手に天守閣を再建した大名は、取り潰しや改易などの厳しい処分を受ける事もあったという。

 

初代:天守閣のあった天守台跡には、こちらのパネルが設置されていた。この景色はこの天守台跡にかつて造られていた五層の天守閣から眺めた、約20mの高さからの目線での景色となっている。

 

この本丸の中でも北西側に天守閣が造られていたのは、勿論防御面の都合もあるだろうが、このように目の前に青森県の象徴である岩木山が見えるという事も想定しての事だったのかもしれない。天守閣という建物は殿様が普段から滞在している場所ではなく、有事の際に避難して籠城する建物なのであまり居る事はなかったけど、その天守閣から岩木山を見たいと要望を出していたのかもしれない。

 

江戸時代に焼失などして消えてしまった天守閣を再建したいという依頼を受けた江戸幕府が、その依頼を断るというのも気持ちがよく分かるような気がする。江戸時代というのはそれまでの時代に比べても内乱が殆ど発生しなかった平和な時代だけに、有事の際にだけ使われる天守閣という建物に多額の費用を掛けて建設させる事が無駄だと考えただろう。

 

特に江戸時代には何回も飢饉が発生したり、また全国の普請費用を外様大名が負担して工事を行わされたり、2年に1回の参勤交代などで常に借金だらけだった大名が多かった。なので本来であれば必要のない天守閣を単なるその大名の威厳を保つ為だけに建造を許可するというのは、非常に投資対効果が低い投資だったからであろう。

 

明治時代に石垣の補修工事が行われた際には、その時に既に天守閣下の石垣が崩れ出していて、その上の天守閣がいつ崩れてもおかしくない位だったという。それに比べれば今回の石垣に発生した膨らみはまだ症状としては軽そうに見えるけど、将来的に石垣が崩壊する可能性が高いので、事故が起きない内に早くやっておこうという事なんだろう。

 

100年以上前に行われた明治時代の改修工事の際にも、そして今回の工事の際にも「曳家」という建物ごとズラして移動させているが、天守閣の上に大きな飛行船のような風船を付けたら、天高くまで昇っていくという理屈かな? そうなれば、天に浮かぶ「天守閣」という、『天空の城ラピュタ』みたいな世界観を現実で再現できる可能性があるのかもしれない。

青森ンゴ
青森ンゴ

そんなのムリムリ!(笑)

 

石垣の補修工事が行われている現在は、このように本丸中心部に設置されたコンクリート造りの足場の上に乗っかっている天守閣。ただやっぱりこの天守閣を見ていると、天守閣という建物は反り立った石垣の上に建っているからこそ威厳を感じられる建物であって、このような地面の上に置かれているだけだと、天守閣の威厳を感じなくて単なる櫓の1つにしか思えなかった。。

 

江戸時代に造られた天守閣が日本国内には12個存在しているが、江戸時代といっても江戸時代初期から後期まで200年以上の隔たりがある。この弘前城でも初代:天守閣は1611年頃に建造され、その後江戸時代後期に再建されたこの2代目天守閣は1811年頃と、その差が約200年程もある。

オカン
オカン

細かい事でワーワー言わんで、江戸時代で一括りでエエやん!

 

桜が咲く時期というのも大阪に住んでいると、毎年4月2週目頃に行われるJRAのG1レース『桜花賞』が行われる際が最後の見所というイメージがある。しかし桜の花が咲く時期も寒い東北や北海道ではその気温に合わせて時期が遅れて、普段は4月末~5月上旬頃が見所となって、「弘前さくら祭」などが行われているようだ。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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