東北旅行記2020年冬-⑦:青森編
旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Feel the spirit of a passionate man from Goshogawara City at the Yoshi Ikuzo Museum. [Tohoku Travelogue 7])
俺ら、青森さ来ただ!
ここは青森県の五所川原市出身の有名人で、人気演歌歌手として知られている吉幾三のゆかりの物などが展示されている「吉幾三コレクションミュージアム」。このミュージアム単体としての入館料はそこそこするけど、近くの立佞武多館との共通周遊券を使えば、通常より割安に入場する事が出来る。
住所:青森県五所川原市大町509-3
営業時間:9時30分~17時頃(※定休日:8/13と年末年始)
電話番号:0173-26-6686
入館料:大人800円/中高生400円/小学生無料
「吉幾三コレクションミュージアム」にて
「吉幾三コレクションミュージアム」内には、このように吉幾三直筆の書が沢山展示されていて、どの内容も濃いメッセージが籠められている物ばかり。9人兄弟の末っ子として生まれた吉幾三は中学の卒業と共に親の反対を押し切って上京し、演歌歌手を目指した。
館内には多くの書があったけど、個人的に一番気に入ったのがこちらの『生涯旅人』という4文字だった。「あれって、吉幾三さんの職業って旅人だったっけ?!」と一瞬思ってしまったけど、生涯歌手ではなく、生涯の旅人と自分を表現する所が常にチャレンジ精神を持ち続けている吉幾三さんらしい雰囲気が出ている。
こちらは27作目のシングル曲になる『津軽平野』の歌詞が彫られている。吉幾三の歴代シングル曲の曲名を見ていると、1990年代途中から故郷青森に由来する物が増えており、若くして東京に出て苦労した末に人気歌手として火が点き、そして40歳を過ぎて故郷青森の良さを再認識し、その為に青森に関連する曲が増えたのかもしれない。
こちらの『雪國』は1986年に発売されたシングル曲で、吉幾三のヒット作で初めてオリコン1位を達成した曲でもある。また吉幾三は作詞・作曲を自身で行うシンガーソングライターであり、演歌界では自分で作詞・作曲する歌手は少ないという。
こちらは『酔歌』で1990年に発売されたシングル曲。「ヤーレン ソーラン」というソーラン節が、北国に生まれた人達の心を掴んだ事だろう。
正直吉幾三の曲はそこまで知らないけど、単なる演歌歌手というだけではなく、その味わいが滲み出ているように感じる人でもある。特に青森の津軽弁を丸出しにした歌など、他には出せない個性などを活かして、グイグイ突き進んでいる印象も受ける。
こちらには吉幾三さんが楽曲製作に使っていたというギターが並べられており、また昔のフォークソングが好きだったようで、このギターを使って色んな歌を歌っていた事だろう。
こちらは『雪國』の賞として贈られた盾のようだが、今の若い子が見たらビックリするような金色のレコードが入った盾となっている。この時代はレコードで、それからCDに変わり、今では音楽配信という個体の媒体を通さずに音楽を楽しめる環境となっている。
今はスマホで音楽を楽しめる時代だべ!
こちらは吉幾三の代表作の1つでもある『俺ら東京さ行ぐだ』で、レコード時代ならではの「A面」「B面」という使い方の名残が見られる。ボクはCD世代だったので「シングルA面」というニュアンスが理解できなかったが、レコードでは表面と裏面でそれぞれに音楽が収録されていた為にA面/B面という使い分けがあったという訳だ。
そしてこのミュージアム内のど真ん中にはこのようなお立ち台が用意されていて、来訪者が好きに歌っていいスペースとなっている。観光客がいきなり来てここで歌うのかと思ってしまうけど、地元の常連さんがよく吉さんの歌を歌いに来るとか。
壁の上にはシングル曲のパンフレットが展示されているけど、この真ん中近くにある『北限海峡』の後ろに写っている馬が、今回の青森旅で一番見るのを楽しみにしていた「寒立馬(かんだちめ)」という、下北半島の先端に住む野生馬である。
こちらも今までに発売したシングル・コレクションのカバーが展示されていて、『ゲゲゲの鬼太郎』もあったけど、これはアニメが放送開始となった初代から流れていた曲ではなく、吉幾三が歌った『ゲゲゲの鬼太郎』は1985年からのテレビアニメ第3シリーズからの全115話で流れている曲だ。
こちらには上半身裸の吉幾三さんの写真もある。柔道か空手の師範代のような雰囲気にも見えるし、冬に寒中水泳で飛び込む前のオジサンのようにも見えるような・・・・。
他にも上半身裸の写真もあったりで、ジャイアント馬場か田上明のような、元相撲取りからプロレスラーに転向した人のような体型にも見える。
ちなみにボクもイスラエル旅行の際に死海浮遊を楽しんだ際に裸体を披露したけど、一応ブログに裸体を披露するという事が分かっていたのでその旅行前に筋トレで体を鍛えていたのであるが。。
こちらのポスターは2010年12月に東北新幹線が八戸駅から新青森駅まで開通するのに合わせたCM、【JR東日本の東北新幹線東京−新青森間開業キャンペーン「MY FIRST AOMORI」】の時の物。五所川原市出身の吉幾三と、青森市出身の泉谷しげると、茨城県出身の三浦春馬が出ており、8回に渡るドラマシリーズのCMとなっている。
JR東日本ドラマCM「MY FIRST AOMORI」【動画】
このポスターに写っている3人の中で、ダントツに若かった三浦春馬だけがこの世に居ないとは、当時は想像にも出来なかった事だろう。。
このような吉幾三さんの達筆な書ばかり見られるけど、誰かに習ったのではなく自己流で辿り着いた境地のようだ。だから型にハマらないような書になっていて、とても個性的な印象を受けるのだろう。
こちらには昔のシングル曲を発売した時のポスターなども張られているが、昭和らしい内容になっているのがよく分かる。今の若い子達に「プレスリー、知ってる??」と聞いてもその多くが知らないだろうが、みんながプレスリーに憧れる時代もあったのだ。
こちらはさっきのパネルとは違って、立佞武多用の衣装を着たパネルとなっていた。この『立佞武多』のシングルは2001年に発売されて、度々五所川原立佞武多が開催される時に地元に戻ってきて、民衆の前でこの曲を披露しているようだ。
ちなみにこちらのパネルは2017年に放送された『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』の中でも登場しており、出川ちゃんとゲストライダーだったカンニング竹山が記念撮影を撮ろうとしたパネルでもある。
「夢は神様が誰にでも平等に与えた贈り物」という文字が下に入っている。『夢』を見る事が出来たから人間はここまで地球上の食物連鎖を生き抜けてきた訳であり、『夢=希望』というようなニュアンスに思う。
やっぱり昭和のスターはこういったサングラスが、とても似合う。今の若い世代が付けても全然似合わないこのサングラスだけど、この昭和時代の人にはピッタリとフィットしているように思える。
そしてボクも出川ちゃんバリに吉幾三さんのパネルと自撮り写真を撮ろうとしていたら、ミュージアムのお姉さんが「写真撮りましょうか?」と声をかけてきてくれた。だがボクは自撮り棒兼三脚を持っていて、リモートで操作できたので代わりに一緒に記念撮影に応じてもらう事に。
ちなみにこの時に居たミュージアムのお姉さんは、この出川ちゃんがやって来た時に対応したお姉さんで、この放送がオンエアされた時に何年も連絡が無かった同級生から「テレビ出てたでしょ!!」と急に電話が掛かってきたとか。
このミュージアムを訪れた時には、出川ちゃんがここを訪れた事があるのを全然知らなかった。ただこの時にこのお姉さんが「近々、再放送があるそうです!」と言っていたので、その後日に放送された再放送を見たら、しっかりとここで吉幾三さんのジャケットなどを着て楽しそうに訪問している姿が見られた。
こちらは出川ちゃんが訪れた際に館長がプレゼントとして渡していた、このミュージアムオリジナルの「いくぞ~~!ドロップ」なる、サクマドロップのような飴だった。だが今回の旅行は日程が長く、下手に土産を早めに買うと荷物になるから、なるべくお土産を買わないつもりだったので、ここでは残念ながら購入せずだった。
それ以外にもこのような赤いタオルやTシャツなども販売されていて、吉幾三さんのファンには堪らないミュージアム。ただ個人的にはその沢山の曲よりも、ここに展示されていた個性的な書の方が印象に残った。
ここは吉幾三さんが経営するミュージアムではなく、その友人が個人で運営している施設。2009年にオープンしてから既に13年程経過している訳だけど、五所川原市出身の大スターだけに多くの観光客が訪れる場所になっているのだろう。
こちらには「吉ギャラリーの会」という、この吉幾三コレクションミュージアムの会員を募集している書類などが見られる。こちらの会員に入会すると、1年に何回でも無料で入館出来て、館内のカラオケステージで歌えるようだ。
やっぱり五所川原市に来て立佞武多の館などを見学したなら、吉幾三さんの『立佞武多』という曲も聞いて、この五所川原での祭のイメージを高める事も必要だと思う。旅行で楽しむコツはその現地の文化に積極的に溶け込む事で、普段生活している地元では味わえない雰囲気を体験する事だと思うのである。
立佞武多の8月の時期に来て、祭りを見て欲しいべ!
『立佞武多』 吉幾三 【動画】
五所川原の街中にて
そして吉幾三ミュージアムの見学も終えて、この周遊券で入れる【太宰治「思ひ出」の蔵】の場所を教えてもらって、そこへ向かう事にした。その途中の道に、こちらの『はいからな街』という名前があった。ここは明治時代に「清志町」、そして大正時代には「高襟町」と呼ばれていて、この『高襟』(高い襟=High collar)から「ハイカラ町」と呼ばれる所以になったとか。
吉幾三ミュージアムから、このハイカラ通りを進んで行くと徒歩1~2分で「太宰治:思ひ出の蔵」に到着できると聞いていたけど見当たらなかったので、そのまま道なりに進んで行くと、こちらの大きな立佞武多が保管されていたような建物が見えてくる。
ここは五所川原駅横にあった五所川原商工会議所の脇に造られていた建物で、どうやら2004年にさっき訪れた「立佞武多の館」が出来る前はここに立佞武多が保管されていたような場所だった。
こちらは「JR五所川原駅」で、歩いて1~2分と聞いていた「太宰治:思ひ出の蔵」だったので流石に行き過ぎた雰囲気だったけど、とりあえず駅が見えたので近寄って写真だけ撮ってみた。この駅に隣接する形で津軽鉄道の「津軽五所川原駅」があり、その津軽鉄道の駅からは冬の名物となった『ストーブ列車』が出る駅として冬場には多くの観光客が訪れる駅ともなっているようだ。
そして行き過ぎた道を戻って、吉幾三ミュージアムの方に歩いていくと、交差点の角にこちらの建物が見えた。本当に吉幾三ミュージアムから歩いて1~2分の距離にあったのだが、五所川原駅の方に向かって延びるハイカラ通りを進むと進行方向側に見える建物ではなく、脇の方にあった建物だったので見逃したという訳だった・・・・。
こんな旅はまた次回に続きます!
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