前田慶次の供養塔がある、米沢市の「堂森善光寺」を訪れる【東北旅行記93】

東北旅行記2020年冬-93:山形編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Visit Domori Zenkoji Temple in Yonezawa City, where there is a memorial tower for Keiji Maeda.  [Tohoku Travelogue 93])

我、修羅に入る!

ここは山形県米沢市の東側にある堂森地区で、米沢市を訪れる観光客の大半が立ち寄らない程のマニアックな場所でもある。ただそんな僻地であるが、週刊少年ジャンプやパチンコ台でも人気となった漫画『花の慶次』の主人公である前田慶次の、ゆかりの土地となっている。

 

この近くで戦国時代に生きた武将:前田慶次が晩年を過ごしたとされていて、その屋敷跡だった「無苦庵跡」や、屋敷の近くに掘った湧き水が出る「慶次清水」を見学し、これから前田慶次の供養塔が設置されている「堂森善光寺」へと向かう。

 

 

堂森善光寺を訪れる!

そして数分歩くと「堂森善光寺」という寺が見えてくる。前田慶次ゆかりの場所は徒歩で充分歩ける範囲内にあり、意外と密集しているのでそれぞれ見学するのにそれ程時間を要する心配もない。

 

 

この寺は「堂森善光寺」という、平安時代の800年頃に創建された寺らしいが、その後に度々起きた火災によって保管されていた資料の殆どが焼失してしまって、詳しい歴史は判らないという。「善光寺」というと長野県にある有名な寺を思い出すけど、”真言宗豊山派”に属しているので総本山は奈良県にある長谷寺だそうだ。

 

その堂森善光寺の入口付近にはこのような大きな岩が置かれていて、これが地図に載っていた「慶次の力石かな?!」と思ったけど、実際には違うタダの岩だった。戦国時代でもひと際目立つ程の武将だった前田慶次だけど、さすがにこれほどの岩を持ち上げる事は出来なかったのかもしれない。

直江クン
直江クン

さすがの慶次殿でもこの岩は無理だね・・・

 

そしてヒッソリとした境内に足を踏み入れて行く。本堂は明治時代に焼失しており、その後に再建された建物が今は見られる。このような人里離れた寺の建物でも火災で燃えてしまうのかと思うけど、蠟燭や線香などの火種が移って燃えてしまう事も意外と多いのかもしれない。

 

こちらの小さな建物は「十王堂」という、平成時代に造られた比較的新しいお堂のようだ。この”十王”というのは今で言うと死んだ後にどの冥界に行くかを決める裁判官のような存在で、古代中国で発展してきた道教や仏教などで信仰されているシステムのようだ。この考え方はキリスト教やイスラム教の”最後の審判”と似た考えで、世界中に存在する宗教も色んな考えが融合した内容になっているという事がよく分かる。

 

この寺内には山形県の重要文化財に指定されている”阿弥陀如来立像”が保管されているが、その拝観は別途料金が発生するようで、タダでは見られないようだ。寺のホームページを拝見する分には、どうやら江戸時代と明治時代の大火災でも焼失する事なく、鎌倉時代に作られた歴史的な像が現存しているという。

 

個人的には”阿弥陀如来立像”よりも、前田慶次の供養塔を見に来ただけに境内を探して回る。ただ、その前田慶次の供養塔は昔から造られていた物ではなく、約40年程前に新たに建てられただけに、それがどこにあるのか直ぐには見つけられなかった。

 

 

「前田慶次の供養塔」を拝む!

境内をウロウロしていると、本堂の脇に”前田慶次の供養塔”を発見する。ただここ堂森善光寺は前田慶次を祀る為の神社ではなく、近くに住んでいたとされる前田慶次の供養塔が設置されているだけである。だからもっと大きな供養塔かと勝手に想像していたけど、このように比較的こじんまりとしたサイズだったので直ぐに目に付かなかったのである。

 

なお、これはあくまでも前田慶次の供養塔であり、慶次のお墓ではない。前田慶次は1612年の6月4日が命日として米沢の地に伝わっているらしいが、その墓は近くにあった別の寺に置かれたようだ。ただその慶次のお墓があった寺は廃寺となっており、前田慶次の墓と思われる物は行方不明になっているみたい。。

 

ここ堂森善光寺では毎年慶次の命日である6月4日に前田慶次の供養祭が行われているようで、コロナ禍で2年続けて中止になっていたが今年2022年6月には、”411回忌”が無事行われたようだ。

 

 

供養塔というと吹きさらしの場所に設置されている事が多いけど、この前田慶次の供養塔は別格扱いのように小さなお堂の中に設置されている。そして今では全国的な人気漫画のキャラクターとして取り上げられた事もあって、慶次ファンからの差し入れも多く見られる。

 

漫画『花の慶次』では前田慶次のキャラクターは若く設置されているけど、この米沢の地に慶次がやって来たのは50歳を過ぎてからだという。慶次は若くして隠居したと思ってしまいガチだけど、最前線で戦えない年には引退していたようだ。

 

漫画『花の慶次』とコラボしたパチンコ台『CR花の慶次』が大ヒットし、それと共に人気を博したのが大当たりラウンドを消化している際に流れるBGMの曲だった。そんな人気になった曲を歌っていたのが、一世を風靡した格闘技大会「K-1」でも出場していた正道会館に所属する空手家:角田信朗だったのである。

 

 

このように漫画だけの存在だったらここまで盛大に供養祭が行われる事はなかったかもしれないが、パチンコ台とのコラボが大ヒットした為に、相乗効果が大きく出た成功例でもある。他にも『エヴァンゲリオン』や『アクエリオン』などアニメや漫画とコラボして大ヒットしたパチンコ台が増えたが、逆に何でもかんでも昔の作品とタイアップするのが流行って、本来重要なパチンコ台の作り込み要素がない面白くないパチンコ台も大量に増えてしまったのであるが。。

 

そしてこの小さな堂内には、このように煙管も何個か置かれているのが見える。この煙管は漫画『花の慶次』での前田慶次の代名詞的な物で、特にパチンコ台では前田慶次がキセルをカンカンと叩く”キセル予告”が出ると、大当たり確立が50%以上に跳ね上がるという激熱予告だった。

 

CR花の慶次~愛 キセル予告特集

パチンコ好きな人間の脳汁が出る瞬間です!

 

そしてその供養塔の脇には、このように木の板で作った雪囲いで覆われていた「前田慶次 兜むくりモニュメント」なる物が置かれている。これは2018年6月に行われた前田慶次の407回忌供養祭の際にお披露目されたモニュメントで、いたずら好きでもあった前田慶次の逸話集に出てくる『兜をむくる』を体験できる物として造られたようだ。

 

 

なお、この「兜むくりモニュメント」は前田慶次ファンの有志からの寄付で造られた物だが、その『兜をむくる』の逸話を調べてみると何とも言えない内容となっていた。この米沢の堂森に隠居して暇だらけだった慶次は、ある日暇つぶしとして「〇月〇日に堂森善光寺で”兜をむくる”!乞うご期待!」という看板を出したという。

 

その立て札を見た地元の住人たちが「あの前田殿がする事だから、凄い事をするに違いない!」と期待して指定した日時に集まってきたが、その日は「今日は体調が悪いので、後日に変更する」と告げて帰ってしまった。そして後日に前回よりも大勢の住民が集まった際に前田慶次が披露したのが、大きな兜をただ向きを回転させるだけの芸とも呼べない代物だった。

期待を胸に集まった民衆が呆然とした表情をしている中、高笑いしながら前田慶次が帰って行ったという。このようなエピソードからも前田慶次がいたずら好きだった事を、彷彿とさせているようにも感じるのである。

直江クン
直江クン

慶次殿の思考回路は読めなかったね・・・

 

毎年6月4日に行われる供養祭では大勢の人が集まるようだが、この日は小雨が降っている中で赤いレッドソックスのジャンパーを着ている漢が1人だけ来ていた。前田慶次ファンとして、今回の東北旅で一番楽しみにしていた慶次ゆかりの場所を訪れる事が出来たので、その喜びを爆発させていたようだ。

直江クン
直江クン

わざわざ米沢まで足を運んでくれてありがとう!

 

 

「慶次の力石」にて

そしてその脇には、こちらの「慶次の力石」が置かれていた。下に大きな岩があるけど、勿論上に乗っている小さな石の方が「慶次の力石」である。江戸時代までは力自慢大会で、このような重たい石を担ぐのが流行っていたようで、その時代の名残かもしれない。

 

しかしこれまで多くの人がこの「慶次の力石」を担いできたが、その石を降ろす際の衝撃で石に亀裂が入ってしまっているからか、今では「持ち上げ等の行為は、おやめください!」と持ち上げ禁止になっていた。

 

代わりに前田慶次のパワーが秘められていると思って、手で優しく石に触れてそのパワーを感じ取ってくださいとの事。実際に前田慶次がこの石を触っていたのかは分からないけど、慶次が生きていた時代から既に400年近く経過しているので、もし触っていたとしてもその当時の表面部分は風化してしまっているのだろうが。

 

 

堂森善光寺境内! 動画

 

 

米沢城や城下町からはちょっと離れた場所に隠居した前田慶次だが、この堂森善光寺の裏側にある小高い丘の上に登ると城が見えたようで、その場所で酒を飲んで楽しんでいたようだ。戦国時代でも有名な変わり者の武将だっただけに、隠居してからも周りを驚かせる存在だった事だろう。

 

この堂森善光寺では前田慶次の人気が全国区で急騰した事もあって、それに便乗した形で上手に商売も広げているようだ。境内には「前田慶次郎殿と共に …!」という謳い文句で、前田慶郎供養塔の後ろに新たに永代供養墓20区画を造成したりしているようだ。

 

昔はその地域を治める大名などの庇護下で寺などは存続できたけど、明治時代以降はこのような寺も生き残りの競争下にさらされている。まして現代人は信仰心がだんだん薄くなってきて、檀家も減って存続が難しい時代になっている。だから寺側としても、何とか前田慶次に便乗して、収入を増やしたい所だろう。

 

米沢の駅に着いた時は雨が止んでいたけど、この堂森に来てから小雨が降ってきた。何だか前田慶次がわざわざ大阪から慶次ゆかりの土地を楽しみにやって来たボクに、意地悪をして楽しんでいるかのようにも感じた小雨。

 

前田慶次 オシッコをかけるシーン--漫画『花の慶次』より

前田慶次がオシッコをかけるシーン–漫画『花の慶次』より

漫画『花の慶次』では、度々このように前田慶次がオシッコをしているシーンがおふざけとして描かれている。だから漫画『花の慶次』が好きな慶次ファンからすれば、今日の小雨が慶次のオシッコだと感じてしまうのであったが。。

直江クン
直江クン

慶次殿はどこでも遠慮せず、オシッコをしていたね!(笑)

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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