秋田市の中心地だった「久保田城跡」の夜は、意外と暗かった・・・【東北旅行記51】

東北旅行記2020年冬-51:秋田編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(It was surprisingly dark at night at the ruins of Kubota Castle, which used to be the center of Akita City…  [Tohoku Travelogue 51])

暗い公園?!

初めて訪れた秋田市の夜。まずは「ひよこカレー」という秋田市名物を晩御飯として味わってから、秋田市内の歓楽街となっている通りを散策しながら、夜の秋田市内を練り歩きます。正面に見える改修工事中の建物は「赤れんが郷土館」という、明治45年に建てられた銀行跡の建物。今では歴史的建造物として、色んな資料が保管される展示室となっている。

ハゲる前君
ハゲる前君

秋田名物「ひよこカレー」なんて、初耳だゾ~!(怒)

 

 

夜の秋田市内を散策!

約1ヶ月前に訪れた、同じ東北地域の仙台市の華やかさをイメージしていただけに、秋田市内はちょっと寂しい感じだった。新幹線が通っている秋田市だけにもう少し活気があるかと思っていたけど、地方の将来が暗く思える光景ばかりを見た旅だったような気がした。

 

ただそういう街の活気などは、テレビやネット情報を発信するメディアはあまり取り上げない。特に旅情報を発信するメディアとしては、旅に行きたい観光客を惹きつける為に”見た目が良い情報”しかアナウンスしない傾向がある。暗い話題を提供してもメリットがないので、必然的に良い情報にしか偏らないのだろう。

 

さてこのような地方都市に必ず付き物なのが「お城」である。日本全国を治めていた大名がそれぞれにお城を設けていた事もあって、日本全国には沢山の城(城跡)が残っているので、日本全国を旅行するという事は”全国の城巡り”だと言っても過言ではないと思う。

 

久保田城跡の「千秋公園」にて

という事でここ秋田市内にある城跡へ向かいます。するとこのように「久保田城跡」という記念碑が見えてきますが、「ここが秋田なのに”秋田城”じゃなくて、なんで”久保田城”??」と思ってしまった。秋田城という城跡は存在しているが、実はこことは違う場所にあり、その「秋田城跡」は中世時代の城となっていて、江戸時代に久保田藩の中心地になっていた城跡ではないようだ。

 

【久保田城跡/千秋公園】

住所:秋田県秋田市千秋公園1

 

 

目の前に広がる池の向こう側には、秋田駅西側に広がる繫華街的な大きなビルが立ち並んでいるエリアだが、大きなビル群もこの辺りだけで、少し離れると住宅街のような静かな場所となっていた秋田市。ちなみに手前に見えているのは池ではなく、元々は久保田城の内堀となっていた場所。

 

その脇ではこのように大きな工事現場があったので、てっきり久保田城天守閣の補修工事でもしているのだろうと思った。しかしここは久保田城ではなく、その手前に1961年に造られた「秋田県民会館」という多目的ホールがあった場所で、2018年に閉館となってその跡地に2022年6月に完成する「あきた芸術劇場ミルハス」の工事真っ最中だったのであった。

 

 

その工事現場のある奥の丘の上に、かつての久保田城が存在していたようだ。しかし、現代では久保田城跡と言うよりも、その後に整備された公園の名前がメインになっているようだ。この「久保田城跡」は史跡には認定されておらず、それもあってか、あまり全国的な知名度も欠けているようにも感じる。

 

この久保田城跡は石垣と天守閣を持たなかった城で、また明治時代に城内の建物がほぼ焼失した事もあって、何も説明がなければ普通に公園だと思ってしまう人も多そうな場所だった。一応敷地内には門や櫓が復元されているが、それでもやっぱり石垣の無い場所は城の雰囲気があまり感じられない。

 

 

個人的にも「秋田城」や「久保田城」などは殆ど聞いた事が無かっただけに、全然期待も無かった。また秋田藩とも呼ばれた久保田藩を治めていたのが、常陸に居た佐竹家だというのも初めて知った。何で茨城県付近でそれなりの勢力を誇った佐竹家が、こんな東北地方を治めていたのかも疑問だらけだった。

 

とにかくひと気の無い久保田城跡で、まず女性が1人で夜に行きたくなるような雰囲気ではない場所だった。だけど治安が悪そうな場所という訳ではなく、単に暗くてひと気が無いだけ。ボクの場合はそんな場所もお構いなしなので、ゴリゴリと1人進んで行く。するとこのような展望台が見えてきたけど、夜間だからか、上に登る階段が閉まっていて登れなかった。。

 

なおこの訪問時は久保田城跡の知識が全くなかったので、「天守閣、あるかな??」と期待していた。でも実際には天守閣が無かった城で、更には石垣も無かったというのも全然この時は気付かなかった。でも江戸時代に藩の中心地だった城に石垣が無い場所というのも、結構珍しいように思うが。

 

この久保田藩を治めていた佐竹家の名前は、江戸時代の印象と言うよりも戦国時代に活躍した武将の印象を持っていた。だけど歴史を見ると、江戸時代初期にこの秋田県に移封されてきた佐竹家は、明治時代を迎えるまでの約270年間を12代に渡って守り続けていたのである。

ハゲる前君
ハゲる前君

秋田県より「久保田県」で良かったと思うゾ~!

 

この久保田城は標高40mほどの低い山の上に造られた平山城で、石垣部分は僅かにはあるらしいけど、殆ど無いと言ってもいい位。ちなみに「なぜ久保田城に石垣が無かったのか??」というのには色んな説があるけど、佐竹家が治めていた常陸では石垣を築いた城が無かった為に、石垣を築くノウハウが部下に無かったという説もあるようだ。

 

久保田城本丸跡にて

そしてひと気の無い階段を黙々と登っていくと、本丸跡のような開けた場所に出てくる。ここはかつて久保田藩の本丸となっていた場所で、明治時代になると秋田県の秋田県庁が置かれるが移転した後に大火事に見舞われて、その後は公園として整備されて今に至るようだ。

 

こちらの方角に見える煌々と光を放つエリアは城下町として発展したのか、それとも秋田駅開通によって発展したのか? ちなみに先程の工事現場の場所はかつての久保田藩の重臣の屋敷があった場所で、その周辺に重臣達の屋敷が並んでいたようだ。

 

そして久保田城本丸跡にはこのように神社などが建てられていたけど、ここも薄暗い・・・。ちなみにこの本丸跡には「八幡秋田神社」という、鶴ヶ岡八幡宮を勧請した八幡神と、佐竹家の佐竹義宣(初代藩主)・佐竹義和(第9代藩主)・佐竹義尭(12代:最後の藩主)が祭神として祀られている神社が設置されている。

 

この久保田城は1604年に築城され、標高40mほどの山の頂上を削って平らにして、そこに本丸を築いた。結果的に平穏な時代だった江戸時代には全国的な戦が無かっただけに、石垣や天守閣を造らなかったという事は築城費用の節約にもなった事だろう。そういう意味では石垣や天守閣のある城程に、その大名が「自分を大きく魅せたい」という気持ちがあったのかもしれない。

 

本丸内にはこのような何かの記念碑などもあったけど、そこまで興味を惹かれなかった。とりあえず今日はこのように暗くなってしまっているので、また明日の朝に出直そうと思っていたのもあって、このような記念碑も熱心に眺める事をしなかったのである。

 

 

だからこの本丸跡には佐竹家でも久保田藩で最後の藩主となった第12代藩主「佐竹 義堯(さたけ よしたか)の銅像も設置されていたが、この時はいつものアンテナを張っての検索モードではなくて”のんびり散策モード”だったので、平気で見逃したのであった。。

 

石垣や江戸時代当時の建物など無くても、ここが城跡だったのを感じさせるような雰囲気は少しあった。やっぱりこのような街中を見渡せる高台には、何かしらの城が造られていた事が全国的に多いからだ。

 

しかし秋田県というと米処と”なまはげ”以外に、秋田県らしさがあまり思い浮かばない。特にこのような秋田市の中心部にあった久保田藩や久保田城なんて殆どに名前を普段聞かないだけに、逆にそれらが何もかも新鮮に感じたのであるが。

 

そしてブラブラと本丸内を散策していると、やっとここが城跡だという雰囲気を感じさせる建造物が目の前に現れてきた。こちらはこの久保田城の「本丸表門」「一ノ門」とも呼ばれる、城の玄関口として設置されていた門。

 

この久保田城「本丸表門」は、昔の資料などを参考にして平成13年(2001年)に復元して再建された門。木造2階建ての瓦葺き櫓門として、約20万石を治めていた久保田城の象徴的な門だったようだ。お金を掛けて再建した門だけあって、ここはちゃんと綺麗にライトアップされていたので、夜の久保田城へ入る際にはこの門がある東側から登ってきた方が良かったようだ。

 

本丸の東側には二の丸があった場所で、基本的に外部からとのやり取りなどはここ二ノ丸で行われたようで、本丸には一般人は勿論入れなかったようだ。そう思うと日本全国の城跡も、今では一般人も自由に入る事が出来るので、現代人の我々は江戸時代の庶民に比べれば遥かに幸せなんだろう。

 

この再建された門の周辺には、侵入者を監視する小屋が建てられていて、まさに”ネズミ一匹通さない”堅固な警備体制が敷かれていた事だろう。しかし人間の侵入は防げても、ここ久保田城本丸は何回かの火災に見舞われており、火相手には無力だったのかもしれない。

 

そしてこのような裸体の男性像も設置されていたけど、もう既にボクの電池が切れかかっていたのもあって、あまり興味が無かったので何の像だったのかまで確認せず・・・。ロダンの像っぽくも見えない事もないけど、本物のロダンの像だったら億の値段なので、こんな無人の野外に放置するなんて事は考えられない。

 

この「久保田」という名前は結構聞く苗字でもあり、ボクの人生で出会った3人の久保田という名前だった人物が脳裏に浮かぶ。その3人の久保田の中でも「窪田」の漢字だった人物は、ボクが会社を辞めた当時の社長だった人間で、親会社から出向してきたが来る前に期待を抱き過ぎた反面、思った以上に中身が空っぽだったのを思い出す。。

 

正直暗くてあまり久保田城跡を満喫できず、それ以外の秋田市内で夜に見ておくべき場所も無さそうだったので、早めにホテルに戻って明日の秋田市内観光に備えて、こちらのサッポロビールを飲むのであった。。

ハゲる前君
ハゲる前君

明日はもっと秋田市内を満喫するゾ~!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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