東北旅行記2020年冬-㉘:青森編
旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Visit the “Former Hirosaki City Library” built by Aomori’s master builder: Sakichi Horie in 1906 [Tohoku Travelogue 28])
これも堀江佐吉の作品!
青森県弘前市内で弘前城の追手門があった場所に造られている広場には、先程も見てきたような明治時代に建造された洋風建築物が保存されている一画になっています。こちらはさっき見学した建物の横に設置されている「旧弘前市立図書館」という、明治39年(1906年)に造られた”青森県重宝”に指定され保管されている洋風建築物。
「旧弘前市立図書館」の見学!
明治時代の青森に造られた西洋式建造物の中でも、青森県の建築家として色んな西洋式建造物の建設に携わった「堀江佐吉」や彼の下で設計を学んだ弟子による建物が多く造られた。この建物はその堀江佐吉が設計した建物で、先程見学した「旧第五十九銀行本館」と同じく貴重な文化財ともなっている。
青森に来るまではそんな偉大な設計家「堀江佐吉」の名前を聞いた事すら無かったけど、この青森で特に弘前市に来ると彼が設計した西洋式建造物ばかりを目にする。また今日の朝に訪れた”本州最北端の五重塔”がある最勝院には、明治時代に堀江が日本帝国軍の兵舎(日露戦争の為の)などを手掛けた事もあって、「棟梁:堀江佐吉翁記念碑」という大きな石碑が作られている。
そしてこの建物も隣にあって先程内部を見学した「旧東奥義塾外人教師館」や「山車展示館」と共に、なんと無料になっているのだ。このような明治時代に建造された建物を維持/保管するだけでも費用が掛かるのだろうが、太っ腹な弘前市では入館無料として多くの人に中を見学してもらいたいという意向がある事だろう。
無料の施設だけは、迷いなく入るんやな!
この「旧弘前市立図書館」は明治39年にこの付近に公立図書館として、発起人でもあった堀江佐吉と弘前の実業家集団が出資して建設した建物。当時は弘前市にはまだ公立図書館が無かった時代で、最初の公立図書館としてここに敷地のあった東奥義塾内に建てられたが、1930年にその図書館が別の建物に移管する事となった為に、設計した堀江の子孫に払い下げられる事になる。
そして昭和時代に堀江家の建物となった「旧弘前市立図書館」は、ここからもう少し南の方にある弘前市富野町に移築される事になる。そこで約60年に渡って喫茶店やアパートなどとして使われた後に、1989年になって弘前市が買い取って文化財保存の為にこの場所に再び移築してきて今に至る。
明治時代後半に起きた日露戦争用の兵舎などを手掛けた堀江佐吉や地元の実業家は、それで潤った資金を捻出して地元の教育の質を上げる事に寄与したのである。
また約2000年前のギリシャの哲学者などが残している本にすら、”本の重要性”が謳われている。
・本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。
・本は著者がとても苦労して身に付けたことを、たやすく手に入れさせてくれる。
・良い本を読まない人は、字の読めない人と等しい。
by ソクラテス
人類の発展は、本を残した事に尽きます!
読書が嫌い子はいないか~~!
そして今では「旧弘前市立図書館」として内部も綺麗に掃除されていて、無料で見学できるようになっている。ただし旧図書館ではあるものの、読書を楽しむ場所ではなく、その歴史的な建造物の風格を味わう場所だが。
こちらの部屋は歴代の図書館:館長が使っていた部屋のようで、個室が与えられていたようだ。図書館の館長という仕事が具体的にどんな内容の仕事をしていたかまでは分からないけど、この図書館で本を読んで学んでいく子供達の姿をじっと見守っていた事だろう。
こちらには第3代館長:成田徳之進さんと、第4代館長:中山泰秀さんの写真が飾られている。明治時代には欧米文化が大きく流入してきた事もあって、このようなチョビ髭をみんな生やしていたのかもしれない。なかなか今の時代にはこのようなチョビ髭を生やしている館長とかは、お目に掛かれないように思うが。
こちらの部屋は「図書室」となっていて、素朴な内装が見えている。昔は家具も木材で製作された物ばかりだったので、何とも味わいを感じてしまうような景色に見える。やっぱり木材のテーブルなどの手触りや雰囲気には、人工物は勝てないのかもしれない。
ただ「図書室」となっているだけに本棚が無いと雰囲気が出ないからか、このように奥側には本がギッシリ詰まった本棚も展示されていた。勿論オブジェじゃなくて実際の本が並べられていると思うが、コロナ禍もあって本には触らずじまいだったが。
そしてこの図書室のテーブルとイスは、かつて図書館として「旧弘前市立図書館」が使われていた時の物ではなく、近くにあった日本帝国軍:師団司令部で使われていた物が展示されているようだ。しかも「イスが古いため、底が抜けやすくなってます!」と注意書きが書かれているが、それでも実際に座れるようだ。
こちらが戦前に日本帝国軍:師団司令部で実際に使われていたという椅子だが、底が抜ける可能性があると注意書きがあったのもあって、この椅子には座らなかった。そんな事を書かれてもし座った時に底が抜けると、気まずい想いしかしない事だろう。。
図書室の本棚にはこのように実際に図書館で使われていたような、古そうな本が見えている。現代の図書館で見られる本とは違って、堅苦しい内容になっているようなタイトルばかりが並んでいるが。。
こちらの写真は図書館としての役目を終えて堀江家に払い下げられて、弘前市富野町に移築された後のもの。この写真を見ていると、外壁が削れているというか剥がれている箇所があり、そこまで大事に扱われていなかったのかもしれない。
こちらは「夫人閲覧室」という、何やら怪しい場所にも思えるような名前が付けられている部屋。戦前の日本は今とは違って自由な文化が無かったので、婦人が読書する際にはこのような部屋に分けられていたのかもしれない。
「旧弘前市立図書館」の2階にて
なおこの建物は土足厳禁で、入口に上履きが用意されているので靴を履き替える必要がある。そんな入口の脇には2階へ向かう曲がり階段が設置されており、こちらの階段を利用して上に登ってみる事に。
その階段を登って2階に向かうと、こちらの「普通閲覧室」という名前の部屋が見える。またこの建物自体は3階建てとなっているが、ここから上の3階は立ち入り禁止となっていて、自由に一般人が見学できるのはここ2階までとなっている。
ここが「普通閲覧室」となっている部屋で、少し広めに作られているように見える。またこの建物は最初から図書館として設計された為に、窓が多く設置されていて採光をできるだけ取り入れる設計にもなっていたようだ。この建物が造られたのは今のように蛍光灯がどこでも灯されている時代ではなかったので、なるべく太陽光を取り入れて本を見てもらおうという意向があった事だろう。
こちらは2階の奥にあった「評議室」という、ちょっと図書館には思えないような堅苦しい名前が付けられている部屋。評議室という風に聞くと裁判所の部屋を思い浮かべてしまうけど、ここは本の内容などについて討論をする場所だったのかもしれない。本というのもただ読んでインプットするだけではなく、その内容をアウトプットして他人に説明したりして覚える事が多い。
青森県内には多くの文学碑が建てられているようで、その図がここに張られていた。ここに見られる文学碑にまつわる人達の名前を見ても太宰治以外はピンと来なかったが、文学碑が作られる程なので当時としてはそれなりに有名人だった事だろう。
何とも美しい内装に思える部屋で、多角形の部屋にそれぞれの面毎に採光窓が取り付けられているという豪華さ。こんな場所で読書できるなんて、当時の子供達は最高の体験を出来ていた事だろう。現代人の流行りのスターバックスの店舗で本を読むより、このような素晴らしい建造物の中での読書はプライスレスな体験だろう。
これらの歴史的な建造物が保管されているのは、弘前市内の弘前城のすぐ近く。弘前に来た今日一番の観光のメインは勿論弘前城を見学する事だったけど、その前に適当に歩いていた割にはこのような青森が生んだ建築家:堀江佐吉が建てた建物を見学出来て、とても幸せだったと感じる時間であった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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