弘前市立観光館で津軽為信像やたか丸くん石像を見てから、弘前城追手門をくぐる【東北旅行記㉙】

東北旅行記2020年冬-㉙:青森編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Visit the Hirosaki Municipal Tourism Museum to see the statue of Tameshin Tsugaru and the stone statue of Takamaru-kun, and then pass through the Otemon Gate of Hirosaki Castle. [Tohoku Travelogue 29])

弘前名物が詰まった観光案内所?!

弘前市の中心部にある弘前城の見学をする前に、その南側にあった追手門広場に保存されている明治時代に造られた西洋式建造物などを見学し、ついでに横にあったこちらの「弘前市立観光館」も無料だったので入ってみる事にした。このような観光案内所的な場所はフリーWi-Fiが使えて、トイレも完備されていたりと旅人にとっては寄り道したくなるポイントにもなっている。

 

 

弘前市立観光館にて

弘前市立観光館の建物内へと進んで行くと、このように大きな弘前ねぷたで使われる山車や、お土産品などが販売されているコーナーなどが見えてくる。なおこの建物の地下には駐車場も完備されていて、駐車時間1時間までは無料で使えるようになっている(以後30分毎に100円/24時間最大料金1000円)

 

 

この弘前という地はこのパネルを見れば分かるように”リンゴの生産量が国内一番”という場所だけあって、リンゴのPRが強く訴求されている様子が見える。リンゴなんて今までの人生でたくさん食べてきた事のある果物だけあって、そこまで食べたいという気持ちはなかったけど、せっかくやって来た弘前なのでどこかのタイミングでリンゴを味わう事にしよう。

青森ンゴ
青森ンゴ

そのタイミングは、今じゃないの??

 

先程見学した、隣にあった「弘前市立山車展示館」で弘前ねぷたの山車を見てきたけど、この観光案内所の建物にもこのようにまた別デザインの山車が見えている。昔は中に電球ではなくてロウソクを入れて火を灯していたので、このような館内に展示している時には光る事がなかったけど、今は便利な時代になったのでそのおかげで煌々と光を放つ山車となっている。

ネプちゃん
ネプちゃん

電球が使われたせいで、休む時間が無くなったべ・・・

 

こちらのねぷた人形はまるで”ライダーキック!!”を仕掛けている仮面ライダーのような恰好にも見える。ねぷた人形もこのように動きを最大化して魅せる体形の方が、躍動感があって見た目にもいいのかもしれない。

 

青森県で伝統的に行われているねぷた祭は、坂上田村麻呂というその名前を聞いた事のある大昔の有名な武将が、北の大地を支配していた蝦夷を征伐する際に使った、このような張りぼてが起源とされているようだ。そしてそれが代々受け継がれて、しまいには五穀豊穣の祭りの際に使われるようになっていった。

 

そしてこちらの小さめのねぷたは、「祝融夫人(しゅくゆうふじん)という三国志に出てくる南蛮王:孟獲の妻で、刀を投げつける技術で百発百中を誇ったという女傑らしい。“古代中国の火の神”とされた祝融神の名前を名乗っていて、その末裔だとされているとか。

 

 

そしてその隣には、こちらの弘前を代表する武将の像が置かれていた。ただ全国的な知名度はあまり持ち合わせていない武将だが、江戸時代中に12代続いた弘前藩の初代藩主としてその礎を築いた、歴史的に重要な武将である。

青森ンゴ
青森ンゴ

今の弘前があるのも、この御方のおかげですネ!

 

この弘前藩の藩祖となっているのが「津軽 為信(つがる ためのぶ)という、戦国時代に活躍した武将。そして全国制覇を着々と進めていく豊臣秀吉にいち早く取り入って大名と認められて、関ヶ原の戦いでは東軍について領土安泰となったものの、1607年に亡くなってしまい江戸時代初期でこの世から消えてしまった人物でもある。

 

この津軽為信像は銅像ではなく、実は石膏像となっている。というのも戦前の1909年(明治42年)に弘前城本丸に山崎朝雲という高村光雲に師事した彫刻家によって津軽為信像の銅像が造られ設置されていたが、戦争中に金属供出でその銅像が失われてしまう。そして2000年に入り、津軽為信像の再建を願う有志が集まり新しい像を2004年に弘前文化センター前に設置したのである。

 

そしてこちらの像を作ったのが「古川武治」(1918~2004年没)という、ここ弘前出身で名誉市民にもなっている彫刻家である。この古川武治の彫刻作品には、弘前市運動公園に設置されている「初代:若乃花像」などがある。なぜ初代若乃花の銅像が弘前市に設置されているのかというと、この初代若乃花がここ弘前市出身だからである。

 

 

館内には弘前高校:書道部が最近人気の”書道パフォーマンス”の一環として描いた、『自分の努力が世界の平和!』という書が飾られていた。書道部というと地味なイメージが昔から付き纏っているイメージだったけど、最近はこのような”書道パフォーマンス”という大会を通じて、躍動感とチームプレーを取り入れて楽しい世界が開拓されているようだ。

 


 

 

【公式動画】書道パフォーマンス甲子園PRムービー

青森ンゴ
青森ンゴ

ただ書くだけじゃなく、魅せる書道に進化してるネ!

 


 

12月の青森県は寒いと思い込んでいたけど、この黒板に書かれているように本日12月3日(2020年)は最高気温4度、明日12月4日は最高気温9度まで上がるようで、想像以上に日中は寒くはなかった。もっと寒いと思って防寒着を着込んでいた為に、ちょっと拍子抜けした青森だった。。

 

 

こちらは弘前市のご当地ナンバープレートが飾られていたが、そのデザインに用いられていたのは弘前を代表する「弘前城」「岩木山」「桜」である。桜というと日本国内では至る所に植えられている大人気な木なので、弘前の桜というイメージがなかったけど、弘前城内には沢山の桜が植えられていて、毎年桜が開花する頃には多くの来訪客で賑わうようだ。

 

今までの人生で国内旅行は殆どしていなかっただけに、この2020年に行った国内旅行の数々で今までその現地で知らなかった事の多くに気付いた。今まで興味を持たずに見てなかっただけなのであるが、逆に興味を持って地方の現地に行って見てみると、予想以上に色んな事をスポンジの如く吸収できた気がしたのである。

青森ンゴ
青森ンゴ

弘前、いいトコでしょ!

 

最近よく観光地などで目にする、「インスタ」の写真撮影パネル。なお、このインスタグラムは親会社がフェイスブック社で買収されているが、近年は中高年がフェイスブックを使い出した為に、若年層はそれを毛嫌いしてかインスタグラムの使用がメインになっているという使い分けがされているようだ。

 

そんな館内には、こちらの「スバル360」という1965年に製造された車がその当時の姿で復刻されて、その車を製造している富士重工業のある群馬県太田市から寄贈された物だそうだ。ただ他の弘前にゆかりのある津軽為信の石膏像や弘前高校書道部の書などと共に、このような弘前市に関係ないような車が何故飾られているのだろうか?

 

そういう疑問が誰にでも浮かぶと思うが、この件については江戸時代初期にまで遡る必要がある。というのもこの車を送った群馬県太田市にはかつて新田郡尾島町という、弘前藩の飛び地があった場所なのだ。天下分け目の合戦となった関ヶ原で東軍に就いた津軽為信は、その恩賞として徳川家康より群馬県にある8つの村を与えられた。

その影響もあって1991年から姉妹都市提携を結び、太田市では1986年から『尾島ねぷたまつり』という祭が行われるようになっているそうだ。

 

そしてこちらには「桜ミク」という、バーチャル・アイドルの初音ミクが桜Verになったキャラクターと、『たか丸くん』という2011年に弘前城築城400年祭のマスコットキャラクターとして採用されたキャラが並んでいるパネルが置かれていた。

 

日本全国の観光地で競うようにマスコットキャラクターが次々と生み出されているけど、あまり知名度のないキャラクターはなかなか覚えられない・・・。

 

ここ弘前市立観光館では、このような観光用の自転車が有料で借りれるようだけど、個人的には観光はできるだけ自分の足で巡った方が記憶に残ると思っているので、自転車よりも歩きを優先している。ただ歩きだと自転車に比べると時間を浪費してしまい易いので、短時間で効率的に観光をしたければ自転車を取り入れる必要があるが。。

 

この「弘前市立観光館」があった場所からは、目の前に弘前城敷地が見えていて、このように入口の追手門が顔を覗かせている。そろそろ弘前城へと向かおうと思っていると、その手前に何かの像みたいな物が見えているので、それをとりあえずチェックしに行く。

 

その見えていた像は正面に回ってみると、さっき館内でパネルで見ていた「たか丸くん」の石像だった。「たか丸くん」のネーミングの由来には弘前城がかつて”鷹岡城”と呼ばれていた事が関係しており、それもあって鷹のイメージのマスコットキャラクターになっていたようだ。

 

この「たか丸くん」は頭の上に天守閣を載せているという、何とも強引な設定のキャラクター。重そうな頭の上に載っている天守閣は勿論弘前城の天守閣をイメージした物であるが、なかなか天守閣を頭に載せたマスコットキャラクターなど見る機会がないだけに、これはこれで面白いキャラクターかと思う。

 

弘前城の外周にはこのように水が張った堀が張り巡らされていて、その堀の脇には桜の木が奥まで植えられているのが見える。さっき見た弘前ご当地ナンバープレートには桜の木も描かれていたけど、この弘前城堀沿いに立ち並ぶ桜が咲き誇る春の景色は、とても素晴らしいようだ。

 


 

春に桜が咲き誇る、弘前城外堀の景観

春に桜が咲き誇る、弘前城外堀の景観

この時は12月だったけど、桜が咲く時期にはこのように水面にその桜が反射して、とても素晴らしい景観が楽しめるようだ。だから桜を楽しむなら、春の弘前にも行かないといけないのである。

青森ンゴ
青森ンゴ

春は桜が綺麗だし、夏はねぷた祭があるし、秋にはリンゴが収穫できるし!


 

 

 

弘前城:追手門から侵入!

桜の花が咲いていない冬は閑散とした感じの雰囲気となっている弘前城周辺だけど、今回はそんな桜満開の景色を楽しみに来た訳ではなくて、これから見に行く弘前城を見る為だったので特にガッカリする事もなく進んで行く。

 

ここから弘前城本丸へと向かうには、まずこちらの追手門をくぐる必要がある。これから先は江戸時代に造られた弘前城跡の敷地内となる。この弘前城内には江戸時代に造られてから現代でも現存する、国内で12箇所にある”現存天守”の1つがある。

 

その手前に待ち構えるこの追手門も、弘前城がこの地に築かれた1611年頃に造られて現存し、今では国の重要文化財にも指定されている歴史的な建造物。元々は正門ではなかったが、弘前藩:4代藩主の時代に参勤交代のルートが変更になったと共に、この追手門が正門として使われるようになったそうだ。

 

この追手門も過去に大きな地震に見舞われた際に、支柱などの骨格が補強されているようだ。なお、去年2021年末から約60年振りになる補修工事が行われており、約1年間に渡る補修工事の末、今年(2022年)末に綺麗な姿をお披露目してくれる予定となっている。

 

 

その追手門をくぐって弘前城内へと入ると、またここでもズラリと立ち並ぶ桜の木々が見えてくる。ただし、桜が咲く春のシーズンだと素晴らしい景色なんだろうが、12月の肌寒い時期だとちょっと寂しいような雰囲気が佇む場所に感じたのであるが。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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