弘前城跡で前川國男が設計した建物となっている「弘前市立博物館」を訪れる【東北旅行記㉞】

東北旅行記2020年冬-㉞:青森編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Visit the Hirosaki City Museum, a building designed by Maekawa Kunio at the ruins of Hirosaki Castle. [Tohoku Travelogue 34])

散ったイチョウの黄色い葉!

青森県弘前市のシンボルともなっている弘前城天守閣を間近から眺めたけど、やっぱり見ているだけではなく実際に天守閣内に入れなかったのは少々残念ではあった。昭和時代に再建された鉄筋コンクリート造りの天守閣とは違い、江戸時代から現存する天守閣は基本木造なので、木造建築物の素晴らしい雰囲気を感じれるハズだった弘前城の天守閣。。

青森ンゴ
青森ンゴ

また天守閣に入場できる頃に来てくださいナ!

 

 

弘前城跡の公園内を散策!

城跡に来ると天守閣があれば多くの観光客の目はその天守閣にしかいかないけど、このように江戸時代から残されている石垣の一部などもかなりの雰囲気が残されているので、それらも見逃さずにしっかり見学しておきたい所である。

 

さて本丸で天守閣周りを一周してじっくりと天守閣を見学したので、弘前城跡の敷地内でまだ散策していない北西側エリアの方にも足を延ばしてみる事にする。今日はこの弘前市で一泊する予定となっているので、まだまだ城跡を散策する時間がたっぷりと残っているのだ。

 

江戸時代に造られた城の中心部:本丸の周辺には、このように内堀が造られている所が多い。勿論それは本丸防御の為にわざわざ造られているのだが、日本全国の城跡では明治時代に入ってから廃城となって、その後に内堀や外堀が埋め立てられた城も多い。

 

そんな内堀にはあまり人が多く訪れる場所でもないからか、このようにカモが20~30羽ほどのんびりと時間を過ごしていた。しかし、ボクが内堀沿いに近寄っていく程にそのカモ達は、こちらに顔は向けないものの、体だけはスス~~っと逃げていくように遠ざかっていく。。

 

 

内堀のカモ達 動画

カモ達には完全に怪しいヤツだと思われて、逃げられました・・・

ハゲる前君
ハゲる前君

どこからどう見ても、怪しいヤツにしか見えないだろ・・・

 

そして奥に進んで行くと葉が枯れて落ちてしまった枯木ばかりが見えるが、それと共に黄色い絨毯が敷かれているように見える光景が出てきた。枝に付いている時に綺麗な姿を見せてくれる花などは多いけど、地面に落ちてからでもこれだけ綺麗に見える葉っぱはなかなか見当たらないと思う。

 

桜の花は散っても地面をここまで花の色で染める事はあまり無いけど、イチョウの葉っぱは桜の花と比べると大きいので、地面に落ちた時にはこれだけ黄色く染めるようだ。そして樹齢を重ねた大きいイチョウの木だけに、ここまでの地面を染める程の葉っぱを備えれていたのだろう。

 

 

地面を黄色く染めるイチョウ! 動画

 

 

よく「○○の絨毯」という表現が使われる場合があるけど、ここでは「イチョウの絨毯」というべき黄色い綺麗な景色が見られた。そしてそんな綺麗なイチョウの葉っぱも意外と地味に目立たない場所にあったので、あまり観光客が目にする事もないのだろう。

 

そんなイチョウの黄色い綺麗な絨毯の上に、赤いレッドソックスのジャンパーと、ワークマンで旅直前に購入した黄色い撥水シューズを着ている男が1人。最近は黄色や赤色や青色という原色に惹かれるようになっているだけに、この黄色い絨毯で思わず寝そべってしまったのである。。

 

 

二ノ丸の弘前城情報館にて

そんなイチョウの木の下で遊んだりしながら弘前城跡地を散策していると、こちらの比較的新しい建物が見えてきた。ここは弘前城の二ノ丸馬場があった場所で、現在はこちらの「弘前城情報」という情報館が造られている。

 

その情報館の横にはなにやら遺跡跡のような短い杭が地面から顔を出しているけど、こちらは「二ノ丸:御高覧所跡」という弘前藩主が家臣達の馬術鍛錬の様子を眺めていたとされている建物があった跡地のようだ。ここに馬場が造られたのが1694年頃とされているので、その同時代に合わせて建造されたと推測されている。

 

この「弘前城情報」は無料で入れる建物だったので、とりあえず中に入ってみる事にする。それにしても「有料」という文字が目に入ると敬遠しがちだけど、逆に「無料」という言葉に惹かれるのは人間の本質的な問題なのだろう。。

オカン
オカン

それは別名「ケチ!」とも呼べるな(笑)

 

建物内は資料館ではなく「情報館」という名前だったのもあって、このようにモニターで桜満開だった2020年春の様子が流されているだけだった。この2020年はコロナ禍が大きく世界中を恐怖に陥れていた頃で、例年なら多くの見学客で溢れる弘前城の花見も禁止となっていたようだ。

 

桜という花は毎年春に必ず咲くので恒例行事に思っているけど、毎年必ず咲くというのもその桜が普段から頑張っている証だと思ってみると、春に咲いてくれた桜に本来なら大きな感謝の心を持って接しないといけないのだろう。

青森ンゴ
青森ンゴ

普通と思っている事ほど、凄い大切な事なんだよネ!

 

江戸時代に建造されたお城は基本的に防御要塞だったので、その中心部の本丸は堀で囲まれていて、そこに架かる橋などはもし大軍が攻めてきた時にはいつでも橋を落とせるようになっていた所が多い。江戸時代には平和慣れしてしまっていた藩も多かったかもしれないが、北海道の蝦夷地の警備を任されていた弘前藩では、常に警戒感を持っていたのだろう。

 

 

「弘前市立博物館」の見学!

そして城見学と共に欠かせないのが、その地元の歴史的な品物を展示してくれている博物館の訪問である。昔はあまり博物館などに興味を示さなかったけど、全国の博物館を訪れれば訪れる程に、博物館の素晴らしさを感じて来るのである。

 

【弘前市立博物館】

住所:青森県弘前市大字下白銀町1-6 弘前公園内
営業時間:9時30分~16時30分頃
(※定休日:第3月曜日/他)
電話番号:0172-35-0700
入館料:大人300円/中高生150円/小学生100円

 

 

なお、こちらの「弘前市立博物館」の建物は、前川國男という昭和時代を代表する名建築家が設計した建物でもあった。前川國男はこの弘前市出身ではないが、彼の母親が弘前藩の藩士の娘だった影響もあって、弘前市内には彼が手掛けた建物が他にも存在している。

 

ただ博物館が「無料」となっている場所は少なく、ここ弘前市立博物館も入場料:大人300円が必要となっている。しかし、歴史的な資料を沢山展示してくれている博物館を、たった300円で見学できるなんて、これはとても幸せな値段設定である。

 

スターバックスでコーヒーを飲みながら時間を過ごす人が最近の日本国内では増えているけど、そこで飲むコーヒー1杯の値段はこの入館料300円より遥かに上である。そう思うとコーヒー1杯を飲むのであれば、このような博物館を見学した方が遥かに価値が高く感じてしまうような・・・?!

 


ちなみにスターバックスの話題で、この2022年4月にスターバックスのCEO(最高経営責任者)が退任して、後任に元の伝説的な経営者であったハワード・シュルツ氏が暫定CEOとして復帰した。日本国内のスターバックス各店では、いつも多くの客で賑わう光景ばかりを見ていて経営が順調にいってそうだが、世界的なスターバックスの経営からいくと意外に順調ではないようだ。

 

復帰した暫定CEOのハワード・シュルツ氏は、まるでスティーブ・ジョブズのように給料を1ドルとして、経営再建に立ち向かうようだが、実際には後任が上手く育たないという重大な問題を抱えている事が表に出た為、その発表を受けてスターバックスの株価は下がってしまったのである。。

 


 

さて話を博物館に戻すと、まず早速国の重要文化財に指定されているという、こちらの「猪型土製品」が見えてくる。この土偶のような猪は”日本最古のゆるキャラ?!”と推測されて『いのっち』とも名前が付けられているらしいが、縄文時代後期に造られたというと今から約4000年程前の時代である。

 

地球上の生物の中でも人類は他の生物とは、比べ物にならない程に進化している。その一番進化した部分とされているのが脳みそらしく、大昔の人類に比べて500万年の歴史において人間の脳の容量が約4倍に増えているという研究結果がある。その脳機能の発達によって頭蓋骨が大きくなっていったが、それ以上頭が大きくなると生まれて来る際に産道を通れなくなるので、ここ最近の約20万年間には脳の容量は変化が無くなっているようだ。

 

この弘前市で津軽弘前藩を興した藩祖となっている津軽為信は、大浦城を居城としていた大浦氏に養子入りし、その後大浦為信として城主になり頭角を現して、この弘前市周辺を治める事になる。そして居城を大浦城から堀越城に移し、その後に新たな拠点として弘前城を築かせた。

 

弘前城を拠点にする前に居城となっていた「堀越城」は、ここ弘前城跡から南西の方角にあった中世時代に建造された城だった。その堀越城を改修して居城として使った後に弘前城に拠点を移し、江戸時代の一国一城制によって堀越城は廃城となっている。

 

そして弘前の町は江戸時代初期に弘前城が建造されて弘前藩の中心地となった為に、その城下町が大きく発展する事になる。何気なく建物が建ち並んでいる街なども、その歴史を辿ると昔に何かしらの栄えた理由が必ず存在している。

 

こちらはその津軽弘前藩:藩祖の津軽為信が残した、1590年代に書かれたとされる書状が飾られている。こちらの書状は北陸地方の商人宛に書かれた物らしく、東北地方では物資などを調達するのに北陸地方の商人を利用する必要があった。

 

関ヶ原の戦いでは東軍に参加した津軽為信は、その天下分け目の戦いで勝利した徳川家より領土安泰を命じられる事になる。なおこの書状はその関ヶ原の戦いで、「徳川家康公の指示に従って、参戦したまえ」的な内容の徳川秀忠から送られた書状のようだ。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!

にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ

↓↓↓↓東北旅行記:初回↓↓

雪一面の青森空港に降り立ち、東北地方横断の旅が始まる【東北旅行記①】
2020年12月1日に降り立った、雪一面の景色が広がる青森空港。その白い大地を踏みしめて、7泊8日に渡る東北地方の旅が始まりを告げるのであった。。
タイトルとURLをコピーしました