『竿燈まつり』など秋田に伝わる民俗芸能を学べる「ねぶり流し館」【東北旅行記55】

東北旅行記2020年冬-55:秋田編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Neburi Nagashi Kan” where you can learn about the “Kanto Festival” and other traditional folk arts of Akita. [Tohoku Travelogue 55])

バランスが大事!

ここは秋田市内にある”秋田市民俗芸能伝承館”として、昔からこの秋田地方に伝わる民俗芸能を紹介する施設となっている「ねぶり流し館」。秋田駅西口を出て徒歩約20分程の場所にあるので、秋田市内を散策しながら訪れる事が出来る場所ともなっている。

 

 

【ねぶり流し館】

住所:秋田県秋田市大町1-3-30
営業時間:9時30分~16時30分頃(※年末年始休み)
電話番号:018-866-7091
入館料:大人100円/高校生以下⇒無料
※旧金子家住宅も入場可能

 

 

 

「ねぶり流し館」の見学スタート!

青森県では”ねぶた祭り”が各所で人気だけど、秋田の祭のイメージはそう簡単には浮かんでこない。「ねぶり流し館」に入ってみると、秋田駅にも展示されていた秋田市内付近で行われている『竿燈まつり』のオブジェがまず目に付いた。

 

ここ秋田では秋田市内の夏祭りでこのような提灯を使った『竿燈まつり』が行われているが、それ以外の地方ではまた別の独自な形をした祭が行われているようだ。ただその中でもこのように明るい提灯を使った『竿燈まつり』が一番有名らしく、1階の一番良い場所に展示されている様子が見られる。

 

こちら2階にはそれ以外の秋田の祭で行われる民俗芸能が展示されている。そして祭に付き物の道具と言えば、こちらの太鼓である。太鼓は日本の祭りでは欠かせない物であるけど、小さい頃から全く祭に参加した事が無いボクは全く触った事もない位であるが。。

 

この「ねぶり流し館」では、このように太鼓を実際に叩けるようだったけど、太鼓の音なんて聞いた事があるし、わざわざここで近所迷惑になるような太鼓の音を鳴らしたいとまでは思わなかった。

 

こちらが秋田を代表するお祭りのメインである『竿燈まつり』で、一番の見せ場である沢山の提灯が付けられた竿燈(かんとう)を腰の上に載せて、手を使わずに腰のバランスだけで持ち上げるのが”粋”らしい。

 


 

【秋田竿燈まつり】 動画

 


 

 

竿燈まつりでは、このように50個前後の提灯を手を使わずに担ぐのが見せ場らしいけど、元々はそんな文化はなかったらしく、他の町内との競争が火を付けて、段々とこのように腰で担いだり、肩で担いだりという難度の高い方向にシフトしていったようだ。

 

この秋田市の伝統祭の「竿燈」という名前は、実は江戸時代に別の名前だったという。江戸時代に行われていた時には「ねぶり流し」というこの施設名の由来にもなっている名前が付けられており、この祭りに合わせて子供達が笹に願いを書いて川に流していた事から来ているともされている。

 

小学生時代に掃除の時間に、ホウキを逆さに向けて手の上に載せてバランスを取って遊んでいたけど、それと同じような遊びの延長だったように思える『竿燈まつり』。なお「竿燈」という言葉が生まれたのは、明治14年(1881年)の明治天皇が行幸してきた時の事だそうだ。

 

 

昭和に入ると街中に電柱や電線が増えた事によって、竿燈がブツかるという問題が出て一時は本数も少なくなったけど、障害物の少ない千秋公園で行われるなどの対策が行われた。また戦争中は物質も少なくなった為にあまり行われなくなったが、戦後の復興した日本の上昇ムードに乗って、本数も増えていって平成に入るとそれまでの倍となる200本規模まで増殖したという。

 

夏祭りは日本全国の色んな場所でも行われているが、ここ東北は冬場になると雪深い豪雪地帯ともなるのもあってか、短い夏の暖かい時期に全力を尽くすかの如く、激しい活力が伴う祭をしているのかもしれない。

 

こちらは現代の令和の天皇陛下が、約30年前程にやって来た時の写真。皇太子や天皇陛下もどこに行っても現地の人達が特別対応してくれるが、その代わりに自分のしたい好きな行動が出来ない。なので拘束されるのが嫌いなボクからしたら、絶対なりたくない職業でもある。

ハゲる前君
ハゲる前君

自由が無い程、辛い事はないゾ~!

 

竿燈の体験!

秋田市を代表する祭である『竿燈まつり』の実演が見てみたいと思っていたら、ちょうど下の1階の体験コーナーで観光客らしき女性が小さな竿燈を手にしてチャレンジしている様子が見えた。この「ねぶり流し館」に到着した時には、この館内であの浅田真央がこの『竿燈まつり』の体験をしていたのだが、残念ながらその際の写真や動画を撮り損ねたのであった・・。

 

だからそのリベンジとばかりに、上の階からこの女性の体験している様子をしばし眺めてみた。勿論この竿燈は観光客向けの体験用なので、実際の祭で使われる竿燈に比べればだいぶ小さくて軽いので、女性でも簡単に片手で操作できるようだ。

小学生のホウキを逆さに向けて遊んだ時の、提灯が付いたVerとも言うべきか。。

 

 

竿燈を体験する人! 動画

 

 

こちらの絵は1800年頃に『竿燈まつり』の様子を描いた絵だが、提灯を沢山取り付ける事によって、その姿が米俵のように見える事から五穀豊穣の祭に付き物の名物となっていったようだ。基本的には祭というのは、単に普段の鬱憤を晴らす場ではなく、秋の豊かな収穫を願って神頼みする宗教行事である。

 

秋田市民俗芸能コーナーにて

秋田の祭りは『竿燈まつり』だけのように思っている人も居るかもしれないけど、この『竿燈まつり』は秋田市内を代表するお祭りの形式で、秋田県内の他の地域ではまた違った形の祭が多く実施されている。

 

こちらには秋田県内の民俗芸能の分布が描かれており、同じ秋田内でも場所が違えば、その祭が全く違う物が行われているようだ。この図を見ると、竿燈が使われているのはこの秋田市内だけのようで、それ以外では衣装に凝った祭が行われているように見える。

 

「ねぶり流し館」の2階展示室では、このように秋田県内それぞれで行われている伝統的なお祭り衣装などが展示されており、まとめて秋田県内の伝統芸能が学べるようになっている。

 

祭というのも、地方によって独自な発展の仕方をしてきているので、それらの違いを見ているだけでも楽しめる。元々は五穀豊穣を神様に祈る行事として行われ続けたものが、ず~~っと行われていく程に他の町内との見栄争いなども加わって、どんどん加熱していくのだろう。

 

こちらは竿燈に取り付けられていた「纏(まとい)」で火消し組の旗印としての印象があるけど、元々は戦国時代などの武将の旗印として使われていたようだ。江戸時代になると内戦が起こらずに平穏な時代になったので、すっかり役目が失われつつあった纏が火消し組に活用されていったのかもしれない。

 

こちらの着物は久保田藩を治めていた佐竹家の家紋が入っており、どうやら久保田藩の藩主から賜った物のようだ。当時は殿様から下賜された物は一生の宝物として、使われずに大事に保存されていたのかもしれない。

 

祭も初めは質素な恰好で行っていたのだろうが、年々行っている内に衣装なども少しずつ凝ってきて、また土地の有力者などの寄付によってデザイン性も向上していったのだろう。芸術の歴史には必ずそれを後押ししたパトロンが存在しているが、祭も同様に金持ちの存在で徐々に華やかになっていった事だろう。

 

内戦が殆ど無かった平穏な江戸時代には、国内で色んな産業が藩財政を改善させる為に必死で取り組まれた。その中に蜜蠟から作られる蠟燭も含まれており、特産品として蠟燭作りが奨励された事もあって全国に流通し、このような蠟燭を使う祭が増えていったようだ。

 

こちらは竿燈の上に取り付けられていた『勇み人形』という人間の形をした人形。実際に竿燈の上に乗ったら危ないからか、このような人形が取り付けられていたみたい。提灯が50個前後取り付けられた竿燈に、更に一人の人間が乗ったら大変な事になるので、その代わりの人形だったみたい。

 

 

「秋田万歳」コーナー

こちらは『秋田万歳(まんざい)という、秋田市内の西側で行われていた伝統芸能。こちらは夏祭りの時期ではなく、年始の正月に各家庭を訪問して、祝い事を祝福する”祝福芸”として行われていたようだ。

 

この秋田万歳は噺手が手に扇子を持って、また2人1組のもう一方が小太鼓を持って、ポンポンとリズムよく叩いて祝いの口上を歌う儀式のようだ。

 

明治時代中頃には秋田市内だけで秋田万歳師が15組も居たそうだが、近年は年々減少して秋田万歳を行う人がとても少なくなっているようだ。現代社会は人との直接的なコミュニケーションを取らない時代になりつつあるので、このような伝統芸能もその内に消え去っている可能性が高いようにも思えてしまう。。

ハゲる前君
ハゲる前君

伝統芸能が消滅する事程、悲しい事はないゾ・・・

 


 

 

【秋田万歳保存会】

 


 

 

「山谷番楽」コーナー

次は『山谷番楽(やまやばんがく)』という、秋田県中央部の太平山周辺で山の神様への信仰を表す祭で使われたお面などが置かれているのが見える。この山谷番楽はその祭で使われるお面自体が生面神社のご神体とも考えられており、その為にお面が最大の特徴でもあるようだ。

 

この『山谷番楽』は鎌倉時代から行われているという歴史があるらしく、また山の麓の集落でのんびりと行われてきた祭でもあるので、1回の舞いに20~30分ほどもかかるそうだ。街中の祭と違って、のんびりとした地域ではゆっくりな祭が好まれていたのかもしれない。

 

こちらにはご神体としても崇められていた、山谷番楽のお面が飾られている。もしこのお面が家の中に飾られていたら、小さな子供だったら怖くて眠れないような顔の形となっているお面。

 

この『山谷番楽』では、”疫病退散”という意味合いも強かった為に、このような子供が怖がるようなコワモテの顔で悪霊を追い払うという考えの元に行われていたのだろう。昔は今みたいに科学が発展していなかったので、何かの病気や不作が流行ると、それは全て悪霊などの仕業と考えられていた事だろう。

 

しかしこのような伝統芸能もその地方の過疎化と人口減少、また現代人の生活スタイルの大幅な変化に伴って、失われつつある文化となっている。昔みたいに何かにつけて神様への信仰心を表す行為よりも、現代人にとってはスマホを経由してSNSの世界で”イイネ!”を貰う事の方が大事になっている事だろう。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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