山形市内にある、明治時代初期に建造された洋風病院「済生館本館跡」を見学【東北旅行記67】

東北旅行記2020年冬-67:山形編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Visit the ruins of Saiseikan Honkan, a Western-style hospital built in the early Meiji era in Yamagata City. [Tohoku Travelogue 67])

昔の病院とは思えない建物!

ここは山形市内に残されている山形城跡敷地内に保存されている、「旧:済生館本館」という明治10年頃に私立病院として造られた洋風建築物。昭和時代後半に老朽化の為に取壊しも検討されたが、国内でも珍しい明治初期の洋風建築物の病院だった為に保存される事になった建物。

 

【山形市立郷土館(旧済生館本館)】

住所:山形市霞城町1番1号
営業時間:9時~16時30分頃(※年末年始休み)
電話番号:023-644-0253
入館料:無料

 

 

 

「山形市立郷土館(旧済生館本館)」の見学!

旧:済生館本館という病院だった建物だけど、このように三層の鐘楼のような造りがなんとも目を惹く。見た目には三層のように見えるが、内部は4階建構造になっている。前までは上の4階まで見学できたようだけど、今は螺旋階段の老朽化などもあって2階までの見学しかできないようになっている。

 

この建物はその三層の建物を円で繋ぐように丸い回廊が造られているが、中庭には日本っぽい庭園らしい景色が見られる。この建物は元々は山形県庁近くに造られていた物を解体して、今のこの場所に移転してきた物なので、この中庭が元々こういう景観だったのかは不明。

 

 

済生館本館跡の建物を眺める! 動画

 

 

この建物は今では「山形市立郷土館」となっていて、無料で見学できる施設ともなっている。また病院だった建物だけあるので、明治初期の日本医学資料などが展示されている場所にもなっている。

直江クン
直江クン

医学資料って普段見る機会が無いだけに、楽しみです!

 

青森県弘前市の歴史的な建造物も同様に文化財として保存されている建物もあったけど、そういう建物の多くは昔の歴史を伝える資料館などに様変わりしている事が多い。観光地のボランティアガイドに年配の人が多いように、開放されている歴史的な建物も、そのレトロな雰囲気を活かして資料館などが似合っている。

 

建物は木造となっていて、何だか昔の建物っぽい匂いを感じる。ただ昔の病院跡という消毒剤などの匂いではなく、昔の木造建築物っぽい匂いであるが。

 

さっきからこの肖像画の顔をチラホラと展示物に見かけたけど、この人の顔が沢山あるという事は、この人がこの建物もキーパーソンともなっているのだろう。こちらは「三島 通庸(みしま みちつね)という、江戸時代後半に薩摩で生まれた薩摩藩士だった人物。

 

初期の明治政府要人に薩長出身者が多く占めていた事もあって、三島通庸はそれまでの実績を買われて出世し、山形県令・福島県令・栃木県令などを歴任した。ここ山形では反対派を押し切って大規模な土木工事を進め、旧来の街並みを近代化の進む景色に変えていった中心人物でもあったようだ。

 

どの街でもそうだけど、現代にそこまで疑問を感じずに生きていると今見える街並みが普通に思える。しかし、江戸時代から明治時代にかけて大きく日本が動いた際に、その地域が勝手に発展しただけではなく、その裏側にはこのような尽力した人達が居た訳である。

 

特に明治時代初期は、いきなり外国文化を大きく取り入れるという姿勢になって、また見た事のない外国人が国内に多くやってきた事もあって、庶民の動揺は相当な物だった事だろう。しかしそのような混乱時にも信念を持って、邁進した人達のおかげで今のこの日本がある訳でもある。

 

そして明治時代に日本に貢献した人は日本人だけではなく、外国から招聘された多くの外国人技師などの貢献もあった。日本人にとって一番有名なのが、北海道でも人気の観光場所となっている所に設置されている像でもお馴染みの「クラーク博士」であるが、当然の如く、クラーク博士以外にも多くの優れた知識を日本に伝えた外国人が居たのである。

 

 

この部屋では「アルブレヒト・フォン・ローレツ(Albrecht von Roretz)という、オーストリアから招聘された医師についての展示室となっている。こちらの写真はそのローレツ先生が中央に座っての記念写真だが、高校生の集合写真でちょっとイジけて敢えて斜めを向いた姿のような光景が何とも微笑ましく思えてしまう。

 

江戸幕府の討幕を主導した薩長では、鎖国して国内だけに目を向けていた江戸幕府の方針とは打って変わって、新しい発明をどんどん開発していた先進国の文化に目を留め、自分達が主導権を勝ち得た明治時代に入ると直ぐに、その文化を大きく吸収する方針を打ち出した。

 

新しい技術を導入するという事は、まずその技術を真似る事が必要だ。ただ一から真似ているとそれなりに時間が掛かるので、このようにその技術が進んだ国で教育を受けた人物を大量に雇い入れる事で、いち早くその技術を習得する事が出来る。

 

江戸時代後半には日本国内でも天然痘などのウイルスが拡がった時期があるが、その際にも西洋と関りのあった九州の藩が西洋医学を取り入れて国内にも導入した。その時に使われたのが「牛痘(ぎゅうとう)という牛のウイルス性伝染病で、牛の皮膚が腫れた部分を触ってその牛痘に感染した人間は、天然痘で重症化しなかったという事実に目を向けたのである。

青森ンゴ
青森ンゴ

これが人類初のワクチンって言われているみたい!

 

その牛痘ワクチンを国内に取り寄せても庶民は怖がって接種を拒んだ為に、身近な子供を使ってその安全性を確かめた。そしてその実験が上手く行った為に、その牛痘に感染した子供から新しい牛痘ワクチンを取り出し、他の子どもに接種させて天然痘ウイルス対策を進めた。

この2020年に全世界的に流行した新型コロナウイルスでもそのワクチン開発については大変だったようだが、歴史を調べてみるとこのようなワクチン開発があったからこそ、現代のワクチン開発に早く動けたという経緯があるのである。

 

江戸時代には薬といえば、熊の胆嚢や象の糞を固めて煎じた物などが重宝されていた時代。現代人から見るとそんな科学的根拠の無い物を有難く処方されていたかと思うとゾッとしてしまうけど、人間という生き物は「これを飲めば治る!」と信じる気持ちがあれば、大抵の病気は治るという自分勝手な生き物でもあったようだ。

 

それらの怪しい物を飲んで実際に病気自体が治った訳ではないが、生物には自己治癒力が備わっており、その力が働いて病気を治したとしても、怪しい物を飲んで病気が治った事の方に着目していたのだろう。それに比べると西洋医学は、江戸時代の日本人とは違って、解剖学を徹底的に学んで病気と向き合っていたのが分かる。

 

昔の日本には今みたいな大病院まで行くというスタイルではなく、体調が悪くなると町医者を呼んで来てもらうという場所が多かったので、このような医者が持つカバンが町医者のトレードマークとなっていたようだ。

 

19世紀頃には産業革命によって色んな物が開発されて、人類の産業史に一大革命をもたらしているけど、医学も同様に大きく発展している。医学では特に解剖という死者にメスを入れて、人間の体を実際に観察した事によって、大きく進展していった。

 

このように人間の体内部の沢山の骨や血管などが細かく描かれている絵を見て「怖い・・・」と思うかもしれないけど、これ程に繊細に人体の構造を把握していった事が医学の発展に繋がっていった。昔のヨーロッパでも「瀉血(しゃけつ)という体の血を大量に抜き取る事によって、悪い血を輩出した代わりに新しい綺麗な血を体が創り出すという考えの治療が盛んに行われていた時代もあった。

 

 

中世ヨーロッパではその瀉血という治療が当然の如く行われていたけど、現代医学からみれば、その治療法は命を危険に晒すだけの治療である。中世ヨーロッパでは瀉血という治療で病気が改善した人を大きく取り上げた反面、その瀉血をした事で逆に死んでしまった人の事を無視していた。治療の統計などは気にせずに、医師が自分の思い込みだけで治療をしていた事が医学の発展に繋がらなかったという。

直江クン
直江クン

思い込みより結果を冷静に分析する事が大事なんだね!

 

こちらには「伊勢朝熊萬金丹」という江戸時代に流行った万能薬も展示されている。平穏な江戸時代に”お伊勢参り”という伊勢神宮参りをする人が増えて、その時のお土産として人気が出て全国的に広まったようだ。

 

 

右側には「鹿の角」も置かれていて、中国大陸から伝わってきた漢方薬という概念で、昔は重宝されていたようだ。漢方薬が本当に効くかは人によって違うと思うけど、個人的には漢方薬は医学的な薬ではないだけに、漢方薬に頼りたい気持ちはない。

 

「漢方薬」についての個人的な記憶は、ペルーの有名な世界遺産である『ナスカ地上絵』を見に行った時の事が蘇る。ナスカの地上絵を見るには飛行機に乗って上空から眺めるのが基本であるが、その際に乗るセスナがとても揺れる為に”酔い止め薬”を持ってきた方がいいとツアー会社からのアナウンスがあった。

それを聞いて一応酔い止め薬を持って行っていたものの、スーツケースに入れっぱなしで手荷物で持っていくのを忘れてピスコという小さな町の飛行場に到着してしまった。その際にツアーに参加していた若い新婚カップルが「これ、酔い止めに効く漢方薬ですけど、飲みます?」と言ってくれたので、その漢方薬をフライト前に飲んでみた。

そしてナスカ地上絵を見る為にセスナ機に乗ったものの、乗った後に添乗員さんが乗らなかった理由を知る事になった。というのもセスナ機は左右両側の席からでも地上絵を見れるように、わざわざ無理やり蛇行運転を繰り返してくれるという”親切心(?!)”の為に、大きく飛行機が揺れて程なくしてゲロゲロタイムに突入してしまった。。

 

ちなみにその漢方薬をくれた若い新婚カップルも同様に飛行機酔いをしていたけど、酔い止めの薬を飲んだ人は殆ど酔う事はなかったけど、フライトの行き帰りの道中は薬の副作用で爆睡していたが。。

この思い出から、大事な時は漢方薬ではなく薬を飲もうと思いました!

 

こちらには下駄箱みたいな古そうなタンスが見えるけど、これも色んな薬を入れていたタンスなんだろう。それと共に「愛生館」という36個の処方薬を販売していた、明治時代に創業された会社の看板もあった。なお今ではこの医療薬を販売していた愛生館は、のちに合併したススゲンの一部になっている。

 

こちらは明治時代に一世風靡した『天狗煙草』という岩谷商会が販売していたタバコの看板で、1904年にタバコが国の専売制になるまで民営の業者が販売を行っていた名残を残す物となっている。

 

こちらは外から見た時に三層構造になっていた外観の部分で、2階へと階段である。4階建で3階・4階は見学できないけど、2階部分までは見学できるようになっている。今から約140年前以上に造られた建物だけあって、このような階段1つを見ても、その歴史が刻まれているようにも見える。

 

 

レトロな階段を登る! 動画

 

 

こちらの北側扉は、このように上部にステンドグラスが取り付けられており、病院というよりは教会っぽいイメージにも思える内観となっている。ただこの扉は今では閉められたままになっているが、かつては多くの人が出入りする扉だった事だろう。

 

階段を登って2階まで辿り着くも、このように更に上に登れる螺旋階段は通行禁止となっていた。出来れば一番上の4階まで登って、そこからの見晴らしの良い景色を見れれば最高なのだが、この歴史的な建造物の2階部分まで無料で入れるだけでも幸せだと感じる事にしたのであった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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