東北旅行記2020年冬-81:山形編
旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Free admission to Kasumijo Central, where you can look down on Yamagata City: Observation Deck Floor. [Tohoku Travelogue 81])
無料は幸せ!
山形県でも有名な歴史ある山寺の見学を終えて、再び「JR山寺駅」に戻ってきました。ホテルを出発したのが午前8時前だったのもあって、山寺見学を終えて駅に戻ってきた時点で、まだ午前10時前。山寺を訪れる観光客を殆ど見かけなかったけど、これから昼にかけてやって来るのかもしれない。
山寺駅から山形駅に戻る!
この”山寺”という名前はあくまでも通称であって、正式には「立石寺(りっしゃくじ)」という名前の寺。という事はこの最寄りの山寺駅も正式には「立石寺駅」にしないといけないのかもしれないが、全国的にはこの”山寺”の名前の方が有名なので、今更名前を変更する事はなさそうだ。
この山寺駅の駅舎内には、このように靴を脱いで上がれるお座席も設置されていて、都会ではまず見れない内装となっていた。雪が殆ど積もる事のない大阪に住んでいる大阪人には理解できないけど、冬に豪雪が降る東北地方なので、冬場にこの駅舎内でゆっくり寛げるようにとこのようなスペースが用意されているのだろう。
一回豪雪が降る季節に来てみたら、いい経験になるよ!
東北地方の電車で、秋田県から山形県までは意外と簡単に移動できない事を知ったけど、逆に仙台市と山形市内はこのJR仙山線で一本の電車で簡単に移動できる事を初めて知った。それだけ大阪に住んでいると東北地方に興味を持つ事が無かっただけに、このように実際に足を運ぶだけで色んな事を知る事が出来た。
ホームに入ってくるJR仙山線の電車! 動画
仙台市と山形市を繋ぐ便利な路線なんだけど、都会と比べて人口の少ない東北地方なので、この山寺駅から山形駅へ向かう電車は、1時間に1本しかなかったりする。だからこのような地方での電車を活用した旅では、まず次に乗る電車やバスなどの時刻表を先に確認してから、その出発時間に合わせた観光スケジュールを組む必要がある。
12月初めでも青森県内では一部雪が降っていた所もあったけど、ここ山形県では寒いだけで全然雪が見られなかった。せっかく雪に対応する撥水シューズを新しく購入して挑んだ旅だったけど、雪が降らなかった事だけはちょっと残念だった。
そしてこの東北のJRが不便だと感じたのが、こちらの図を見れば分かるように全駅で交通系ICカードが使えないという事。山形新幹線が走るJR奥羽本線でも、新庄駅や米沢駅で交通系ICカードが使えない。不便にも一旦山形駅で下車したが、その下車した訳は、とある展望台からの眺めを見たかったからでもあった。
山形駅東側には大きな通りがあって、今回宿泊したホテルなどもあったけど、その反対側の西側には昔は工場があったり、JRの施設があったりで騒然とした場所だったようだ。ただ、そんな場所も2001年に再開発が行われて、今ではこのようにスッキリとした街並みになっている。
霞城セントラルの展望台にて
そして山形駅の脇に造られていた、この「霞城セントラル」がその2001年の再開発の際に建造された”山形市内で最も高い建築物”である。この建物は企業のオフィスだけではなく、山形県立霞城学園高等学校や山形市保健所などの自治体の施設なども入っており、上層階にはレストランも設置されている。
そしてこのビルは有難い事に、24階に展望ロビーが設けられていて、しかも無料で見学できるようになっている。高さ約114mのビルの最上階24階に設置されているので、地上110m程の高さからの景色が期待できるハズ。
24階までは高層階エレベーターを使用すれば、あっという間に到達する。またこの時は他に見学客の姿も全く見られずに、ボクだけの為の展望ロビーのようにも感じた。特にこの2020年はコロナ禍の為に全国的に旅行する観光客が少なく、また寒くなる東北地方には観光客が少なくなる時期でもあるので、色んな観光地で逆に快適に過ごす事が出来た。
この霞城セントラルの建物がここ山形市内で最も高い建造物だけあって、周りには景色を遮る大きな建物が無いので、天気の良い日には遠くの山々まで見渡す事が出来る。更にこれだけの展望を楽しめる場所にも関わらず、無料で見学できるというのも嬉しいポイントでもある。
無料の展望台を探すのが、得意なんやな!(笑)
こちらは山形駅から北西の方角を眺めた景色だけど、この山形市内も発展している街並みは東側に偏っており、この西側の方はもう少し先に行けば田畑の景色が広がる長閑な場所である。
こちらは昨日訪れた山形城跡で、明治時代初期に建造された病院跡の「旧:済生館本館」や、山形城本丸での発掘現場なども見渡す事が出来る。ただ人工的な建造物で言うと、この山形城跡ぐらいしか目立った建造物が山形市内に無くて、それ以外は普通の建物が並んでいる景色と、遠くの山脈の景色をじ~~っと眺めるだけの展望台でもあった。
展望ロビーからの景観! 動画
ただこの展望ロビーも、完全なる展望台というよりは、最上階に造られたレストランフロアの空いたスペースと通路を活用している場所でもあるので、方角によってはレストランに入らないとしっかり見えない面もあったが、無料のフロアなので文句を言う程でもなかった。
そして観光客だけではなく、山形市民の憩いの場所にもなっている霞城セントラルなので、このように座って休憩できる椅子などが多数設置されている。しかし、こんな素晴らしい場所なのに、全然人が居ないという事が勿体無いように感じてしまう程だが。
こちらは山形駅から南東の方角で、この先の山の中にスキー場や温泉でも有名な「蔵王」がある。山形を訪れる観光客の多くは、蔵王やレトロな温泉街の銀山温泉などを訪れるのを楽しみにしていると思うが、ボクは温泉にはあまり興味が無い。それよりも色んな場所を訪れて、沢山の物を見たいので、温泉街でゆっくり湯に浸かって旅館で寛ぐよりも、行動的に動き回りたいタイプである。
こちらは山形駅東口の方向で、駅前から東側に延びる大通り周辺に、宿泊している「コンフォートホテル山形」も見えている。この東口から延びる大通りは「山形県道16号山形停車場線(通称:山形駅前大通り)」で、この通り沿いに街が大きく発展している。なおこの大通りの先には「山形県庁」などの官庁の建物があり、その付近で仙台市内へと延びる「国道286号」に合流する。
こちらは南側の景色で、この南側の先にこれから移動する米沢市がある。個人的には山形藩について全然知識が無かったけど、この米沢にあった米沢藩を治めていたのが、あの上杉謙信で有名な上杉家である。上杉家というと越後(現在の新潟)の春日山城や、秀吉時代の会津を治めていたイメージあったけど、江戸時代になってから関ヶ原の戦いで徳川家康に楯突いた為に、米沢の地に減封されてしまったのである。
会津時代は120万石もあったけど、米沢30万石に減らされたんだ・・・
展望ロビーからのハイパーラプス風景! 動画
米沢駅へ向かう!
さて約10分程山形市内の景観を楽しんだ後は、再び山形駅に戻ってJR米沢駅を目指します。そして米沢駅では交通系ICカードが使えない為に、ちょっと手間ではあるけど切符を購入します。普段は大阪に住んでいると、逆に切符を買う機会が殆どないだけに、今回の東北旅では懐かしい切符を触れる旅ともなった。
ここ山形駅から米沢駅までは、合計で9つの駅がある。この米沢へ向かう路線は秋田から繋がっているJR奥羽本線だが、この同じ路線を走る山形新幹線を除くと、このメインの路線でも1時間に1本しか電車が走っていない。だから県庁所在地にある大きな駅だから電車の本数がそれなりにあると思っている”都会人の思想”で旅すると、待ちぼうけの連続になるので注意だ。
実はこの東北旅でも一番楽しみにしていた訪問先が、これから向かう米沢であった。というのも青森では弘前藩、秋田では久保田藩、山形では山形藩とあったけど、歴史に詳しい人じゃないとこれらの藩をどの家柄が治めていたかなどすぐに回答できない。しかし、これから向かう米沢藩は、日本人なら高確率で知っている上杉家が治めていた場所で、しかもボクの大好きな漫画『花の慶次 -雲のかなたに-』の登場人物にもゆかりのある場所なのであった。
米沢駅に到着!
そして山形駅から各停の電車に揺られる事、約50分で目的に米沢駅に到着します。すると早速駅構内に、こちらの『花の慶次』の登場人物で、実在したという”天下無双の傾奇者(かぶきもの)”の武将「前田慶次(まえだ けいじ)」のイラストがお出迎えしてくれる。
そして次にお出迎えしてくれたのが、こちらの「米沢牛」だった。米沢牛の名前を聞いた事のある人もいると思うけど、”日本三大和牛”の1つともされているので全国的にも有名な黒毛和牛である。ただ”日本三大和牛”と言っても正式に認定された称号ではなく、日本国内では有名な近江牛・松阪牛・神戸牛などがそれぞれに”日本三大和牛”を主張しているだけが現実のようだが。。
個人的にはこの米沢牛の置物を見ても「米沢牛を食べたい!」という気持ちが湧かなかったけど、旅での目的が食べ歩きを一番に考えている人だったら、この米沢牛に飛び寄ってしまうのかもしれない。個人的には会社の工場が滋賀県にあったので、よくお客さんを連れて近江牛を食べに行ったが、そこまで食にはコダワリが無いので、牛肉であれば良いと思うレベルなのである。。
そしてここ米沢市では、こちらに展示されていた「米沢織」が名産品でもある。この米沢織は江戸時代の中でも名君として名高い、米沢藩9代藩主「上杉 鷹山(ようざん)」が藩財政立て直しを図る為に産業振興に尽力し、京から絹織物職人を招き、またその原料となる養蚕業を促進したり、紅花などの染料から先に糸を染めてから織る”先染め”などの技術を構築して米沢の名産品として生み出したのである。
鷹山公の努力には、頭が下がります!
こちらはボクの一番の目的でもあった、週刊少年ジャンプに1990~1993年の黄金時代に連載されていた『花の慶次 -雲のかなたに-』という漫画のキャラクターである前田慶次。ただこの『花の慶次 -雲のかなたに-』がジャンプに連載されていた時代はボクもジャンプで読んでいたが、この『花の慶次』を飛ばして他の漫画を見ていたので、実は大人になるまでこの漫画がどういった内容なのかを知らなかったのである。。
『花の慶次』を飛ばして週刊少年ジャンプを読むなど、切腹ものです!(怒)
そんなボクがこの『花の慶次』と再び出会ったのが、2007年に発売されて全国のパチンコ屋に導入された『CR花の慶次-雲の彼方に-』という、この漫画とタイアップしたパチンコ台だったのである。シンプルだけど飽きの来ない演出と、大当たり確率が約1/399、確変80%という当たれば大爆発というスペックで、全国的に人気が爆発した。
【初代花の慶次】パチンコ台 動画
本来なら中古パチンコ機は新品のパチンコ台よりも安いのが常識なのに、この『CR花の慶次』は新台価格40万に対して、中古市場では60~70万円もする程に人気が過熱して、文字通りフィーバーしたパチンコ台だったのである。
そしてこのパチンコ台とタイアップした『CR花の慶次』や『CR新世紀エヴァンゲリオン』の大ヒットにより、昔の人気に陰りが見えていた『花の慶次』や『新世紀エヴァンゲリオン』の漫画やアニメが再び再興した。パチンコ台での大ヒットで新しい世代も獲得した『新世紀エヴァンゲリオン』は、アニメが終了して10年以上が経ってから映画化され、新しく制作された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』4部作は、空前の大ヒットを記録したのである。
拙者もパチンコ台のヒットで、再び脚光を浴びたのです!
という訳で個人的に一時大ハマりしていたパチンコ台の影響で、この米沢に来たかった訳である。普通”パチンコにハマってます”という人はあまり良い目で見られる事は無いけど、ボクからすれば、逆にパチンコにハマったからこそ、この米沢の地に来れた訳である。
もしパチンコにハマらなかったら、この米沢に来る事がなかったかもしれません!
アンタはいいけど、周りからすれば心配やったで・・・
こんな旅はまた次回に続きます!
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