「ねぶり流し館」で『黒川番楽』や『羽川剣ばやし』など秋田独自の伝統芸能を学ぶ【東北旅行記56】

東北旅行記2020年冬-56:秋田編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Learn about Akita’s unique traditional performing arts such as “Kurokawa Bangaku” and “Hagawakenbayashi” at Neburi Nagashi Kan. [Tohoku Travelogue 56])

失われつつある伝統芸能!

ここは秋田市内にある、昔からの秋田らしい伝統芸能を学べる施設の「ねぶり流し館」。昔から秋田の人々の心の拠り所になってきた祭や伝統芸能を勉強できる場所で、このような民族文化を知る事によって、旅も一味深みを帯びて来るのである。

 

【ねぶり流し館】

住所:秋田県秋田市大町1-3-30
営業時間:9時30分~16時30分頃(※年末年始休み)
電話番号:018-866-7091
入館料:大人100円/高校生以下⇒無料
※旧金子家住宅も入場可能

 

 

 

「黒川番楽」コーナー

こちらは『黒川番楽(くろかわばんがく)という、この秋田市から北の方角にある”秋田市金足黒川”で代々行われてきた伝統芸能。五穀豊穣や家内安全を願う祭の一種で、合計10種の演目が行われるが武士のような勇ましい恰好がその中でもひと際特徴的であるようだ。

 

その勇ましい格好での舞いから『勇芸番楽』とも言われたらしく、鎧や脇差しを付けて舞っていたようだ。ただ10種の演目があり、それぞれに趣向が違うので、この置かれている人形の恰好だけで行われていたのではないので注意。

 


 

【黒川番楽:武士舞】

 


 

この黒川番楽は明治時代に入ってから衰退傾向にあったが、明治時代中頃に黒川集落に大火事が起こったが、奇跡的にこの黒川番楽で使うお面が保管されている家が燃えなかったという。それ以降は再び黒川番楽が盛んになり、また黒川集落で油田が見つかった事もあって集落の人口が10倍に増えた為に、人気となっていったようだ。

 

このように一概にお面が特徴というお祭りではない『黒川番楽』だけど、演目が多過ぎてそれに対する恰好がそれぞれに違うので、その伝統芸能を紹介する面ではちょっと難儀にも思ってしまいそうだ。

 

こちらには昔から代々使われてきた祭の道具などが展示されていたけど、この綺麗な形ではない「摺り鉦」に”伝統”という深みを感じた。今の時代にはあまり無い手作り感がある道具が、昔の趣をより深く感じさせてくれる。

 

 

『羽川剣ばやし』コーナーにて

次は打って変わって、秋田美人のような女性がメインで舞う『羽川剣ばやし』。秋田市の中でも南側に位置する「秋田市下浜羽川地区」で行われている”秋田市無形民俗文化財”にも指定されている舞いで、元々は戦国時代に近くの城を落とした武将が、宴の席で自ら剣を振って踊り、居合わせた人に銀扇を渡して踊らせたのが起源とされているようだ。

 

 

 

『羽川剣ばやし』という名前になっているが、時代と共に剣を持って舞うのが廃れていって、代わりに扇を持った女性が舞うのが主流スタイルに変化していったようだ。なので現代では『羽川剣ばやし』と言うよりも、『羽川ばやし』と呼んだ方がいいような舞いにも思えたが。。

 

秋田市下浜の羽川地域では、代々地元の小学生・中学生の女の子にこの『羽川剣ばやし』の扇の舞を伝えてきたが、近年は廃校になる学校も増えて、また地域の子供も少なくなっているので、こちらも絶滅する可能性がある伝統芸能となっているようだ。

 

 

この『羽川剣ばやし』も五穀豊穣と家内安全を祈って行われる行事だが、近年には廃れた男子の剣の舞が復活して行われているという。刀を振り回すのが普通の時代だった戦国時代などには良さそうな舞であるが、現代では15cm以上の刀身の刃物を持ち歩くと逮捕される時代なので、現代にあまり合わない舞いにも思えるが。。

 

こちらの展示ルームには、このようにとても精巧な蠟人形が置かれていたので、まるで本物の人間のようにも思えてしまう感じがする。ただ、暗い時にこのようなリアルな人形を見ると、幽霊が現れたと思ってビックリしそうな程だった。。

 

このように人形のお姉さんの正面から見ると、しっかりとこちらを見据えたまなざしをしていた。結構な割合で「目力が強い」と言われる事が多いボクだけど、このお姉さんと睨みっこしたら勝てそうなイメージが湧かなかった・・・。

ハゲる前君
ハゲる前君

そら、人形相手に睨めっこで勝てんゾ・・・

 

 

1階の『竿燈まつり』コーナーにて

まず2階の展示ルームを拝見してから、見学のメインとなっているような雰囲気の1階部分に入る事にした。こちらでは秋田市内での名物である『竿燈まつり』と共に、『三吉梵天祭(みよしぼんでんさい)と、『土崎港曳山祭り』が紹介されている。

 

こちらのパネルは秋田を代表する祭『竿燈まつり』で、竿燈を色んな姿勢で掲げる様子の説明が書かれている。このパネルを見ていると、人間って本当に面白い生き物に感じてしまう。五穀豊穣や家内安全などを祈願するのであれば、普通に竿燈を持って安全第一に移動すればいいのに、このようにリスクが増える掲げ方をするからだ。

 

特に「腰の上に載せる」という方法は、下手すれば怪我をしてしまうリスクが高いだけに、まともな精神であれば選択しないような技に思える。しかし人々は祭となると普段には無いアドレナリンが大量に脳内で放出される為に、危険性よりもその大技に挑む男らしさが優先されるのだろう。

朋ちゃん
朋ちゃん

女には理解できない、男らしい大技ね・・・

 

自分の町内だけだったらここまで発展する事は無かったかもしれないが、他の町内との見栄争いが発展し、手の平から「肩で持つ」に変わって、最終的にはこのような「腰で持つ」までエスカレートしていったようだ。

ハゲる前君
ハゲる前君

最終的に腰を壊して引退だゾ~!

 

もしこの竿燈を持って練り歩くのが、男性ではなく女性だったら、まずこのような暴挙にも近い姿勢で行う事にはならなかっただろう。重さ30~50キロ程の竿燈をオデコの上に載せて”技自慢”するなんて、まさに祭でハッスルしたい男っぽさの姿に思える。

 

こちらは『中若』という中学生レベルが使う竿燈で、高さ約9mで重さは約30キロ。それでも提灯が46個も取り付けられており、下から見上げるとこれでも大きな竿燈に感じる程である。

 

こちらはもう少し大型の竿燈となっていたけど、竿燈を持つ技と共に、この竿燈自体の大きさも大型化していったようだ。元々は神様に対する信仰心を表す行事だったのに、いつの間にか他の町内争いの一環となって、大型化していった竿燈。

 

でも逆に竿燈が大型化して、難易度の高い技が使われるようになったからこそ、現代ではそれが観光客を惹きつける観光資源に成長した訳で、観光立国を目指す21世紀の日本としては、このような地域の争いからエスカレートして発展していった祭を逆に称賛しないといけないようだ。

ハゲる前君
ハゲる前君

やるなら、とことんやった方がいいゾ~!

 

こちらは先程2階から見ていた時に、ここを訪れていた観光客らしい女性が体験していた「ミニ竿燈」が置かれている。こちらは勿論女性でも簡単に持てるように軽い作りになっているが、個人的には小学生の時にホウキ遊びをして学校のトイレの窓ガラスを割って、ひどく怒られた記憶が蘇りそうなのでパスした・・・。

オカン
オカン

エラい昔のトラウマ、引きずってるんやな!(笑)

「敵は本能寺にあり!」って言いながらホウキ振ったら、パリ~~ン!とガラスが割れて・・・

 

そして館内に置かれていた竿燈に取り付けられていた提灯のデザインは、こちらの地図を見れば分かるように、それぞれの町会毎にそのデザインが異なって造られている。だから竿燈には、その町内の家紋的なマークが入れられていて、まさに町規模での争いを生み出す土壌があったようだ。

 

このように色んな町内デザインの灯篭が並んでいるのが見えるけど、家紋とは違うデザインとなっているように見える。個人的に気になったデザインは、左下に置かれていた御神酒のデザインで、町内紋というよりも単なるお神酒の絵のように感じた。。

 

昔は町内毎に特徴があった為に、このように多岐に渡るデザインが作られた。現代では昔の町みたいに特色のある文化が少なくなり、職人街なども減って個性的な町が無くなりつつある。よくも悪くも大量生産・大量消費の為に、郊外の広い土地に大きな工場を造って、その工場内で機械化されて製造された物ばかりとなってしまった現代。

ハゲる前君
ハゲる前君

機械化されるという事は、人間の個性が失われつつあるという事だゾ~!

 

こちらの説明パネルによると、「竿燈」の元祖は昔に門前町にあった寺での出来事が由来しているという。それは寺の提灯を子供達が笹竹の先に吊るして遊んでいたら、たまたま寺にやって来たある家老がそれを見かけて、「無地の提灯では味気ないから、ワシが絵を入れてやる!」と近くで見かけたカラスを描き込んだのが起源とも言われているようだ。

 

このようにそれぞれの町内を印象づける”町紋”が入れられている竿燈。さっきの伝承が本当かは分からないけど、もしそうだとして、このような町紋が提灯に入れられる事になる起源が”落書き”だったというのが、何とも人間らしいエピソードのように思える。

 

こちら中央に見えているのは、『小若』という小学生高学年向けの竿燈で、高さ約7m、重さ約15キロ、付いている提灯の数は24個。いきなり大きな竿燈を扱うのではなく、小さい小学生時代からこのような小さな竿燈を扱い慣れていって、大人になってからようやく大きな竿燈を扱えるようになるのだろう。

 

それにしてもなかなかに表情が豊かな蝋人形ばかりが置かれている展示館で、たまにこのような人形を見ると笑えるけど、誰もいない時間帯に見ると、この人形が生きているかのように思ってしまうような恐怖体験をしそうな感じにも見える。。

 

青森のねぷた祭りもそうだったけど、秋田でも提灯が祭の象徴ともなっている。昔は暗くなったら家で眠るしかする事がなかったけど、この提灯が開発された事によって、暗くなった夜にも出回る事が出来た。そう思うと、エジソンが発明した白熱電球も凄いけど、この提灯を開発した人もかなり優れた発明家だったように感じる。

 

個人的には今までの人生で祭に関わった事がないボクは、このような祭り事には全く興味がない。だから夏場を迎えても祭を期待する事もないけど、世の中の大勢は祭を迎える頃が一番活気溢れる時期で、その祭り会場近くのラブホテルは祭が行われる時には満室ばかりになるとか。

ハゲる前君
ハゲる前君

ラブホの部屋内でも祭か?!

 

五穀豊穣などを祈る行事として昔から行われてきた祭は、庶民や農民などが参加して楽しめる大イベントだっただけに、普段は苦しい生活ばかりしている庶民の鬱憤が爆発する機会でもあったのかもしれない。だから縄張り争いをしている町内ほどに、その競争が激しくなっていたのだろう。

 

こちらのパネルにある「土崎神明社祭の曳山行事」は、秋田市内から北西側の日本海に面した土崎港で行われている伝統的なお祭りで、”国の重要無形民俗文化財”にも指定されている。この祭りは毎年7月20~21日の2日間に渡って行われる祭で、1700年頃に土崎の港にやって来た船乗りから神輿を寄進されたのが始まりとされているようだ。

 

 

「土崎神明社祭の曳山行事」は『竿燈まつり』とは違って、神輿を曳きずる祭タイプとなっている。また船乗りから寄進された神輿が起源となっている事もあって、港町らしく『土崎港曳山祭り』とも呼ばれている。なお、この土崎港曳山祭りの詳細については本日の午後に土崎港を訪れる予定になっているので、その際にまたアップします。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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