秋田市内で質屋や呉服屋だった「旧金子家住宅」と旧秋田銀行本店の赤レンガ建物【東北旅行記57】

東北旅行記2020年冬-57:秋田編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Former Kaneko Family Residence” which was a pawn shop and kimono shop in Akita City and the red brick building of the former Akita Bank Head Office [Tohoku Travelogue 57])

明治時代の建物!

秋田市内で、昔から秋田に伝わる民俗芸能を学べる「ねぶり流し館」を見学した後は、その施設の隣に設置されている「旧金子家住宅」も一緒に見学します。この建物は江戸時代後半に質屋・古着商を営んでいた金子家が、昭和後半まで実際に商売をしていた昔の造りの日本家屋になっている。

 

 

 

「旧金子家住宅」の見学!

その古そうな日本家屋の扉を開いて中に入ると、このように昔ながらの日本的な家の景色が見られる。ここは江戸時代後半に旅籠屋から質屋&古着屋を営んだ商人の金子家が使っていた建物で、昭和57年まで5代目の当主が実際に商いをしていた建物でもある。

 

今現存するこの建物は、明治20年(1887年)頃に建てられた建物。ただ本来は江戸時代後半にここに主屋が造られたのだが、明治19年頃に火災によって焼失してしまった為に、その後に再建された建物となっているようだ。

 

こちらは金子家で昔に使われていた台帳で、今の若い子には考えられないかもしれないけど、昔の時代は当然ながら全て手書きで仕入れ情報などが、逐一書き込まれていた。ボクが会社員になった約20年前も、ボクの入社した中小企業では在庫などは手書きの書類で管理されていた。ただ個人的はデジタルな数字の管理の方が汎用性が高いので、社内のやり方を無視してデジタル的な管理をするようになったのだが。

ハゲる前君
ハゲる前君

アナログには、アナログの良さもあるゾ~!

 

質屋や古着屋などをして明治4年頃に呉服屋を開業し、そこから約100年ちょいの期間に渡って営業していたお店。なお、ボクの父方のおじいちゃんも呉服屋を営んでいたのでちょっと親近感が湧く建物だったけど、ただボクが物心付く前におじいちゃんが死んでしまったので、そこまで呉服屋に馴染みがあるという訳でもないが。。

 

江戸時代から急に開国して外国文化がドッと流入してきた明治時代には、色んな産業が大きく変わった。それと共にこのような商いの世界も大きく変貌し、その大きく動く時代の波に機敏に付いて行ける者しか、商売に生き残れなかった。そういう意味では約100年以上の長い期間に渡って呉服屋を続けるのは、かなりの努力があった事だろう。

 

今では少なくなりつつある昔馴染みの日本家屋も、こうやって見るとあまり珍しさは感じないけど、何だか懐かしさを感じてしまう気がする。和紙を張った障子や襖、藁の匂いが何とも香り良い畳など、日本人のDNAが血液に流れている人間からすれば、自然とリラックスできる場所なんだろう。

ハゲる前君
ハゲる前君

日本家屋は、いつの時代の日本人にも合うゾ~!

 

商売をしていた建物でもあったので、広い間取りになっているのが特徴的だった。ただ住むだけだったらそこまで広い空間も必要ないけど、商売すると色んな人の出入りがあるし、それと共に商いで使う商売道具などを保管する場所も必要である。

 

 

「旧金子家住宅:土蔵」にて

そして奥の方へと進むと休憩用のベンチが設置されていて、その奥には外装が黒い蔵も見えている。これが「旧金子家住宅:土蔵」として”秋田市指定有名文化財”にも指定されている蔵で、明治19年に火災が発生した際にも焼失しなかった江戸時代後期に建てられた蔵である。

 

明治19年に火災が発生した際には、この蔵以外の周辺の建造物は全て燃えてしまったというが、この蔵だけは何とか焼失を免れたという。江戸時代や明治時代に造られた木造住宅は火災に弱かっただけに、このように燃えにくい蔵の存在感が重要だったのだろう。

 

特に商いをする人からすれば、大事な商品やお金を保管するのに蔵は必需品だった事だろう。ただ蔵というと外壁が白色の漆喰で塗られている事が多いので一般的に白いイメージがあるけど、この黒い外壁の蔵も”ブラック蔵”としてなかなかに見た目がカッコイイように感じた。

 

この蔵の中にも入れるようになっていたけど、実際に中に入ってみると圧迫感があるような狭い場所に感じたけど、この蔵は2階建構造になっているので、2階部分となる天井がその圧迫感を感じさせたようだ。

 

このように蔵の壁は、とても分厚く造られているのが分かる。日本全国の町の歴史を調べると、必ずと言っていい位に昔は町に大火事が発生した記録が残っている事が多い。今と違って殆どが木造住宅で、しかも隣と隣接していた為に簡単に火が燃えやすかった。また今みたいに消防車もなく、消火用水も完備されていなく、”纏”を持った火消しの役目が水を掛けるのではなく、火が燃え広がらないように近くの建物を壊すのが仕事だった時代であった。

 

老舗の呉服屋さんとして、この秋田市内でも有名だった事だろう。しかし、現代ではコンテナという金属の大きな箱が世界の物流システムを大きく変革してしまった影響で、人件費の安い国で衣料品などが製造されて安価な運送費で外国へ運ばれる事になってしまい、それによって色んな先進国の製造業が商売を閉めてしまった。

 

 

旧金子家住宅の蔵! 動画

 

 

この「旧金子家住宅」内で気になったのが、この『欄間(らんま)と呼ばれる壁の上に設置されていた開口部材だった。昔の日本家屋では換気や採光を目的にこのような空間が壁の上部に空けられていたが、この家の主が『バットマン』だったと思わせるような蝙蝠(コウモリ)の形にくり抜かれていた。。

青森ンゴ
青森ンゴ

秋田のバットマンが住んでいた家??(笑)

&

 

旧秋田銀行本店だった「赤れんが郷土館」を訪れる!

「旧金子家住宅」を見学した後は、歩いて行ける距離の「秋田市立:赤れんが郷土館」を訪れた。この建物は明治時代の終わりに造られた赤レンガの歴史的な建物だが、このように訪問時は改修工事中だったのでその外壁は工事の足場が組まれていて、明治時代の建物というレトロな雰囲気は感じれなかったが・・・。

 

【秋田市立:赤れんが郷土館】

住所:秋田市大町3-3-21
営業時間:9時30分~16時30分頃(※年末年始休み)
電話番号:018-864-6851
入館料:大人210円/高校生以下無料

 

 

この赤レンガの建物は明治45年(1912年)に、”旧秋田銀行の本店”(※現在の秋田銀行の前身の1つ)として造られた。この建物は1945年まで合併して大きくなった秋田銀行の建物として使われ、後に日本銀行の建物として使われたりした後の1981年に秋田市に寄贈され、1985年から「赤れんが郷土館」として開業している。

 

明治時代の終わりに建てられた赤レンガ造りの歴史的な建物だけに、その外観を写真に収めたかったけど、今回は運悪く補修工事中で外観を殆ど見る事が出来なかった。だけど、館内の見学は問題なく行えるみたいで、これ幸いという気分だった。

 

明治時代の赤レンガ造りの建物と言っても、日本全国で見るとそれなりの数が保管されているので、そこまで目新しい建物ではない。しかし秋田市内ではこのような赤レンガ造りの建物は珍しいので、観光資源の乏しいように思える秋田市では、観光客向けの建物として重宝されている事だろう。

 

その赤レンガの建物内に足を踏み入れると、このように銀行として使われていた建物だけあって、気品に溢れた西洋風の内装となっている。銀行制度はヨーロッパから導入した事もあって、このような西洋スタイルを用いた銀行の建物は、当時の人からしたら”ハイカラ”な気分を与えてくれる場所だったのかもしれない。

 

この建物の端っこにある円塔状構造は『イギリス・ルネッサンス風』という建築スタイルらしく、スコットランドに多い建物の形をしているようだ。明治時代初期の開国当時はフランス文化が大きく国内に導入されたが、明治後半に差し掛かるとイギリスの方式が大幅に導入された為に、イギリス風のシムテムが大きく日本国内で見られるように変化していった。

 

当時のお金として「総工費5万円」という、かなりの工事費用が掛けられ建てられた西洋風な建物。この明治時代終わりの金銭価値は現代からすると1,000倍以上になっていると言われているが、5,000万円ではなく5億円ほどの費用と考えるのが妥当かもしれない。

 

建築にあたって防火・耐震・防音という実用性を最優先にし、華美な装飾はできるだけ避けたデザインになっているという。そのように派手な装飾を避けた事もあって、内観は漆喰の白色で統一されており、金色などのギラギラした装飾などは見られない。

 

こちらは「旧秋田銀行本館:正面図」という、この建物を設計した秋田の建築技師であった山口直昭という人物が製作した1/50スケールの縮図。開国してから約40年が経った当時の明治時代終わり頃には、日本人技師でもこのような赤レンガ建造物を設計する事が出来る程に、日本は大きく変わっていたようだ。

 

赤レンガの建物って、今でも現存している建物などを見る事が出来るので”地震には強い”と思い込みガチだけど、実際にはそうではない。現在見られる歴史的なレンガ建造物は、今までの地震の中を生き残った建物だけしか目の前に存在しておらず、地震によって倒壊したり損傷した建物は消え去っているから、余計に自然と”赤レンガの建物は地震には強い”と思い易くなる。

ネプちゃん
ネプちゃん

これは『生存バイアス』で、地震で壊れた建物を見ていないからそう思い込んでしまう現象だべ!

 

このように歴史的な建造物は古くなって実用的に使われる事が無くなった後に、自治体に寄付されて博物館や資料館としてオープンするか、市民の惜しむ声の中、取り壊されてしまうかの2択となる。立地の良い場所だと取り壊して新しい商業施設を建造した方が収益が良い場合には潰されてしまうが、このように保管するにしても耐震補強などの維持費用がかなり負担になるので、何とも悩ましい選択だろう。

 

だから歴史的な建造物を保管する為には多額の補修費用が必要な為に、このような建物は自治体に寄付される事が多い。ただ市町村も何でもかんでも歴史的な建造物だからといって、色んな建物を管理していると出ていく費用もバカにならないのである。

 

こちらには洋館内でよく目にする暖炉も設置されていたけど、実際に人が住んでいた訳ではないし、お金を扱う銀行だった事もあって、実用的に使える暖炉として設置された物には思えない。あくまでも室内インテリアの一環として、設置されていた暖炉もどきだったのかもしれない。

 

建物内の大部屋は派手な装飾を避けた内装になっていたけど、「旧頭取室」などは一般客からの目にも触れない事もあって、多少は豪勢な内装になっていたようだ。

 

頭取の部屋には、銀行にとっての大口顧客などを通す事もあって、それなりの内装は必要だったのだろう。ただホテルや皇室関係者の宿泊施設として使われていた建物ではなく、普通に銀行として使われていた建物だけあって、全体的にはシックで派手さの無い内装に感じた赤レンガの建物だった。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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