島根県旅行記2021年11月-4
旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)
そばといえば「割子そば」!
さて島根県松江市内の松江城周辺を約1時間ほど散策した挙句、こちらの良さげな「上田そば店」を発見しました。外観だけ見ていると営業しているような雰囲気を醸し出しているけど、既に14時近くになっていたので、売り切れなりで店が閉まっている可能性も考えられる。
「上田そば店」で昼食タイム!
そして恐る恐る引き戸を開けて店内に入ると、まだ営業しているとの事。ただ14時頃と昼時を過ぎていたのもあって、店内には他の客は殆ど見られなかった。
そして目の前には、ホッと一安心しているオカンの姿が見られる。「昼食を先に食べよう!」とボクが言い出してから、既に約1時間が経過しており、更にその間にず~~っと松江城周辺を歩かされただけに、とりあえず安堵した気持ちとなっているようだ。
さあ、美味しい出雲そば、喰うで~♪
こちらのお店はそば&うどんのお店で、「出雲そば」という文字は見当たらずに、代わりに「割子そば」という文字がメニュー表に見える。本場島根県で「出雲そば」を食べた事が無い人間にとっては、この「割子そば」という物が何なのかまず理解できない。
どうやらこの「割子そば」というのは、この島根県名物でもある「出雲そば」らしく、ここでしか食べれない独特な蕎麦の食べ方と容器になっているようだ。
そしてそんな名物らしい「割子そば」を注文してみた。するとこのような丸い容器に入れられて登場し、それと共に薬味がお盆に載っているだけというシンプルな井出立ちになっていた。
「割子そば」の特徴として、このような丸い容器に蕎麦が各段に入れられているのである。通常は3段の「割子そば」が一般的なのであるが、今日は珍しくお腹が減っていたので、1段追加しての4段注文してみた。
テーブルの向こう側では、歩き回って疲れた割に、目の前に「割子そば」を見た瞬間に気持ちが入れ替わって、疲れが吹っ飛んで美味しいそばが食べれるという”嬉しさがはちきれんばかり”のオカンが見える。
これが喰いたくて、島根県まで来たんヤ!
一般的な「割子そば」は、このように各段には蕎麦しか入っておらず、このお皿のようにもなっている容器の中にタレを入れて食べる方式となっている。普通に食べる蕎麦は、他の容器に麺つゆを入れて、そこにそばを浸けて食べるのが一般的となっているだけに、食べ方だけでも楽しめる「割子そば」。
薬味はこちらの「大根おろし」「鰹節」「ネギ」「海苔」の4つと、シンプルな物となっている。なお、店によっては「5色割子」や「天ぷら割子」などと、天ぷらや生卵などが添えられた割子そばも提供している。
そしてこの薬味は容器3つ分込みなので、一気に全部使わずに、1/3だけまず蕎麦に掛ける。それからタレを蕎麦にかけていくのであるが、このタレはちょっと辛いらしく、あまり大量に入れ過ぎないようにと店員さんからの注意があった。
見た目にちょっと黒っぽい割子そば。「タレが辛い」と言っていたけど、個人的にはそこまで辛くも感じなかった。それよりも蕎麦が意外と冷たくて、常温ほどの蕎麦を食べるのに慣れていると、冷たく感じてしまう程の温度だった。
1枚増やした割子そばも、松江城周辺を一周した後となっては、一気に胃の中に消えてしまった・・・。このお店では1枚ずつ追加できるようだけど、今回の旅最初の食事であまり飛ばし過ぎは良くないので、腹八分目で満足する事にした。
あ~~、美味しかったワ♪
松江城大手門跡付近にて
そして腹ごしらえして、すっかり上機嫌に戻ったオカンを連れて、再び最初に通った道を進んで松江城を目指します。すると、このようにさっき通った時には居なかった、太鼓を叩く人達が賑やかに演奏している場面に出くわす。
太鼓の音色! 動画
横にある島根県庁前では、このように戦国時代風の鎧などを着てコスプレした人達の姿も見られる。どうやら今日は平日だけど、何かのイベントをしているみたいで、少々賑やかな松江城周辺となっていた。
そんな賑やかなイベントには興味がないので、こちらの松江城が見える広場へと向かう。そして奥には雰囲気のある大きな石碑も見えており、いかにも”写真を撮ってくれ!”と訴えてるかのような光景となっていた。
この辺りは松江城の三の丸跡で、その名残りを残す石碑となっていた。この松江城も明治時代になると廃城令によって、城内の大半は払い下げとなった。しかし、この松江で天守の建物を守ろうとする人々が表れて、その人達の尽力によって天守は買い取られて文化財として保護される道を辿る事になる。
個人的には紅葉シーズンにはそこまで興味が無いけど、このように枯れ出している葉っぱの雰囲気が、この松江城を訪れている時期を匂わす景色となっていた。夏まで綺麗に開いていた葉っぱ達も、秋を迎えてそろそろ役目を終えて朽ちていく雰囲気を醸し出していたのである。
そして太鼓を叩いての賑やかな音頭は、さっきの県庁前だけではなく、奥に見える大手門跡の場所でも20人程の規模で演奏をしている姿が見えてくる。
堀尾吉晴の銅像!
このように大手門があった場所は松江城の入口となっているが、その場所には松江城を建造させた「堀尾 吉晴(ほりお よしはる)」の銅像も設置されているのだが、ちょうどボクを邪魔するかのようにその手前に太鼓を置いて演奏していたのである。。
出来れば銅像の正面から見たかったのだが、このように銅像の真正面で必死に太鼓を叩く人達が占領していたので、仕方なしにちょっと斜めの角度から銅像を眺める事にした。こちらの銅像となっている「堀尾 吉晴」という人物は、尾張の守護代「岩倉織田氏(織田伊勢守家」に仕えていた家系で、後に主君を織田信長・羽柴秀吉と変えて、その後は徳川家康側に付いて関ヶ原合戦を経て、江戸時代にこの地を与えられる事になる。
尾張の守護代:岩倉織田氏に仕えていた身で、後の関ヶ原の戦いで東軍に加担したというと、前回訪れた土佐藩の初代藩主:山内一豊とよく似た経歴となっていた「堀尾 吉晴」。山内一豊と同じ年頃で似たような境遇だった事もあって、2人の間には大いに関係性があったのかもしれない。
そしてこちらには、明治時代に廃城となっていった全国の城が多かった時代に、松江のシンボルとして”城を壊されたくない”という強い気持ちを持って、保存に尽力した人々についての説明がなされていた。
城が残っちょ~という事は、その影で尽力したしがお~!
2020年に始まった世界的な新型コロナウイルス感染により、今までは普通に毎年行ってきた祭やイベントがやむなく休止されてしまった。なので、小康状態になりつつあったこの時には、今まで出来なかった太鼓を叩くイベントを感慨深く行っていたのかもしれない。
松江城前で太鼓を叩く人達! 動画
こちらには「国宝:松江城天守」の文字が刻まれた石碑が見える。江戸時代から残る天守の建物12個の中でも、”国宝”に指定されているのはたった5件だけ。他の”国宝:天守”は「姫路城」「松本城」「彦根城」「犬山城」となっており、この松江城が国宝に指定されたのは、意外と最近の2015年になってからである。
こちらの看板には「松江城:鉄砲隊演武」という、今日行われたイベントの内容が記されていた。ただ開始が13時40分となっており、その時間帯は松江城周辺で美味しい蕎麦屋を探してウロつき回っていた頃だった・・・。
アンタのせいで、見逃したやんか!(怒)
【松江城 鉄砲隊演武2022】動画
やっぱりマスク付けちょ~と、何だか味気なえなぁ!
そして城の中へと進むと、その鉄砲演武とは別に『第71回:松江菊花展』という展示も行われていた。これはどうやら毎年開催されている、約500鉢に及ぶ山陰地方の菊花愛好者が育てた菊を展示するイベントとなっていた。
こちらは白鳥2匹が手前に鎮座している『出雲富士』というタイトルとなっており、松江市にある「枕木山」の愛称ともなっている。ちなみに島根県では『出雲富士』というと、その枕木山だけではなく、鳥取県の「大山(だいせん)」も同じく『出雲富士』と呼ばれているという。
昔の人達の”富士山信仰”が強かった証拠でもあ~!
『松江菊花展』という名前を聞くと、「菊」の花よりも、中央競馬(JRA)が秋に行うG1レース『菊花賞』を思い浮かべてしまう。G1レース『菊花賞』は毎年11月頭頃に実施されるけど、菊の花が咲くのは種類にもよるけど、10月下旬~11月頃となっているようだ。
菊の花が咲く頃合いの『菊花賞』だ~!
こちらは『東京五輪』というタイトルで、2020年から2021年に開催延期となった『東京2020:夏季オリンピック』をモチーフにしたもの。新型コロナウイルスの影響で1年延期となり、物議を醸しながら2021年に実施された東京オリンピック。しかし終わってみると、それまでの批判が嘘のように「素晴らしい大会だった!」と毎度のように手のひら返しをするマスコミの対応が面白かったが。。
東京2020オリンピック 大会総集編
終わり良けら総て良しだ~!
今回のオリンピックは、興味なかったので全く見なかったですね。。
せっかく日本で開催したのに・・・
そして奥に進むと、このように城跡らしい大きな石垣と、奥に木の陰になりつつも松江城の天守が見えてきます。先にそばを食べる為にちょっと遠回りしたけど、やっとこれから国宝天守となっている「松江城」の見学が始まります!
こんな旅はまた次回に続きます!
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