島根県旅行記2021年11月-40
旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)
登る価値のある山!
ここは出雲大社の西側にある奉納山中腹に建てられている、「出雲阿国の塔」がある場所。「出雲阿国」という名前は聞いた事があるけど、そこまで歴史的に重要な人物でもない人の立派な塔がこのように建てられていた訳は、歌舞伎の創始者となっている事から歌舞伎界の大物達がお金を出し合って造ったからだった。
住所:島根県出雲市大社町杵築北3072-1
奉納山公園にて
出雲阿国が出雲大社本殿の改修費用を出してもらう為に京へ出て行き、踊りを披露したのが歌舞伎の始まりとされているが、江戸時代初期には出雲阿国のように女性が男装して踊りを披露するのが流行っていたという。しかし、後に江戸幕府から「風紀を乱す」として女性の男装が禁止され、男性の女装だけは認められた。
そういった歴史がある歌舞伎なので、何も知らない人が歌舞伎を見ると思いつく、「何故、男性がわざわざ女装して踊っているの??」という疑問の答えが理解できるのである。
江戸時代はおなごしも虐げられちょった時代だったんだわ!
そしてその出雲阿国の塔だけで終わりではなく、この奉納山では更に上に向かう道もあったので、先を進むとする。
この奉納山は標高約70mほどの山という事もあって、上の方まで登ってくると、このように周囲の景色を見渡せる光景が徐々に目に入ってくる。ただ、上には展望台が造られているので、そこから見られる景色はもっと素晴らしい物となっているだろうと思うと、道を登っていくスピードが心なしか、速くなっていくのであった。
そんな素晴らしい景色が待ち受けているのが我慢できず、歩くスピードが増していたボクと対照的に、前を歩くオカンのスピードが徐々に遅くなっていた・・・。
そろそろ疲れてきたで・・・
そして山頂付近には、このように展望台の建物が見えてくる。山の上に造られている展望台まで向かう道中は歩いて進む所が多いけど、展望台の建物が見えてくる所まで進んで行くと、それまでの疲れがすっかり消えて、楽しい気分が湧いてくるのである。
こんな建物見ても、疲れは消えへんデ・・・
そして全国から神様が集うという出雲大社の近くだけあって、奉納山の頂上にも小さな神社が設置されているのが見えてくる。
こちらは「出雲手斧神社」という、「手置帆負命(たおきほおいのみこと)」と「彦狭知命(ひこさしりのみこ)」を御祭神としている神社だった。建設業や建物の守護神としても祀られている祭神なので、それにあやかりたい人が訪れる神社ともなっているようだ。
そしてその社殿の裏には、こちらの大きな木が立っているのが見られる。こちらは「白龍大神」という、この地に長く崇められてきた神様が宿る木のようだ。
奉納山の展望台にて
そんな神様が祀られている奉納山の頂上には、昭和30年頃に造られた公園と展望台があった。ただし、公園とはいいながらも、この訪問時には誰一人として、この公園で遊んでいる人を見かけなかったが。。
こちらの展望台の建物は、そこそこに手入れされているような雰囲気で、放置されている展望台ではない感じを受けた。地方に行くと、完全に放置されてしまったような展望台を多々見かける機会があるけど、素晴らしい景観が見える場所に造られた展望台は、やっぱりそこそこに綺麗に手入れされていた方が嬉しいのであるが。
展望台に上る! 動画
そして展望台の上に登ってみると、周囲には大きな建造物が無くて景観を邪魔する物がないだけに、出雲市内をこのように見渡せれる光景が待ち受けていた。
そして目の前には日本海に沿って砂浜が広がっており、それに沿うように住宅が広がっている光景も見られた。今日は天気も良かったので、このような高台から景色を見るには絶好の日でもあった。
島根県は日本海に面している場所でもあるので、江戸時代にはこの日本海を行き来していた北前船を利用した貿易が盛んだった場所でもある。しかし現代は陸上輸送や空輸など運送が発展した時代なので、このような隅っこの地方は段々と活気が無くなってきつつあるのだが。。
こちらはここから北側の方にある、昨日訪れた「出雲日御碕灯台」がある日御碕方面。日本国内で最も灯台の建物の大きさが大きいとされる「出雲日御碕灯台」だが、この奉納山展望台からはその姿を目にする事が出来なかった。。
そしてこの展望台からは、手前にある宇迦橋が新設工事途中だった、出雲大社:第一の鳥居である「宇迦橋大鳥居」も見られた。この宇迦橋大鳥居は”国登録有形文化財”にも指定されている鳥居だが、鉄筋コンクリート造りの鳥居でも100年程の時代を経れば、”国登録有形文化財”にも選ばれるようだ。
このように綺麗な海と空の景色を眺める事が出来た、奉納山の頂上にあった展望台。出雲国や出雲大社などはここ数百年の間に大きく姿を変えた事だろうが、この海と空の景色は昔からこの素晴らしいままなんだろう。
ただそんな素晴らしい景色が眺めれる展望台にそこまで興味が無かったオカンが、
こんな所、早く降りて昼飯食べに行こうや!
と言い出したので、仕方なしに奉納山を下りていく事にした。。
それにしても立派な「出雲阿国の塔」。現代歌舞伎は女性が演じるのではなく、男性が女装して舞いなどを演じる芸能となっているが、その創始者が女性だったのは皮肉にも思える。
そして「出雲阿国の塔」の周辺には、この塔を造った時に資金を援助した歌舞伎俳優などの名前が掘られた碑が見られる。個人的に知っている数少ない歌舞伎役者の中でも、こちらの「松本幸四郎」だけは知っていたけど、歌舞伎役者は代々襲名していくので、自分の頭の中にある「松本幸四郎」と同じ人物の碑かまでは不明だったが。。
昔は”女人禁制”というしきたりが、多くの所で採用されていた。今でも大相撲の世界では、”土俵に女性が上がってはいけない”というルールがあるのだが、この21世紀にはルール改正を余儀なくされそうな古いしきたりでもあるが。。
そして展望台から降りて、目の前に見えていた海岸に向かう事にして歩くと、すぐの場所に小さな祠が祀られている場所が見えてきた。こちらは「大歳社(おおとせのやしろ)」という、出雲大社の境内外に設置されていた社のようだ。
この「大歳社」では、「大歳神(おおとしのかみ)」という「素戔嗚尊/須佐之男命」の子供で、五穀豊穣の神様が祭神となっているようだ。そしてここでも綺麗な色をしていた、蘇鉄の葉が印象的だった。
そして国道431号線を西に進んで行くと、海岸に突き当たる場所で奥の方にこんもりした岩の上に鳥居と社が造られている光景が見えてくる。ここが「稲佐の浜」という場所で、かつて日本中の神様が出雲大社に集う際に、ここから上陸していたという。
そんな稲佐の浜沿いにあった道路「みさきうみねこ海道」は、この海沿いを北に進んで行った先にある出雲日御碕灯台まで通じる道となっている。昨日出雲日御碕灯台まで車で移動している途中に、この付近で綺麗な夕陽が見えていたので、車を停めて眺めたかったけど、この周辺の駐車場が満杯だったのでスルーしたのであった。。
そして稲佐の浜で名物ともなっているのが、こちらの「弁天島」。数十年前までは下まで波が打ち付ける沖にあった島だが、近年の地球温暖化現象の影響を受けてか、海面の水位が下がった為に、今では足元まで歩いていけるようになっている。
こんな旅はまた次回に続きます!
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