島根県旅行記2021年11月-24
旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)
貴重な砂糖!
世界遺産の「石見銀山」でかつて銀鉱石を掘りだしていた坑道跡を見学して、それでこの場所の見学が終わりではありません。というのもこの銀山に関わる人々が暮らした町の大森町が『大森銀山重要伝統的建造物群保存地区』となって、その当時の名残を残す場所にもなっているからです。
住所:島根県大田市大森町イ1597-3
営業時間(龍源寺間歩):9時~17時(12月~2月は16時まで)
電話番号:854-89-0183(世界遺産センター)
入場料(龍源寺間歩):大人410円/小中学生210円
大森町の散策!
こちらは前回に引き続き、もうしばらく銀山の町に暮らす猫ちゃんと戯れます。なかなかに人馴れした様子だった猫ちゃん達は、相手してくれる人間が来たのが嬉しいからか、それとも餌をくれるまで付き纏うか、だったのかもしれない。
このように道路の上に平気で横たわったりしている猫ちゃんの姿は、これが都会だったら車に轢かれそうで危なく思えるけど、ここ大森町では地元住民の車が僅かに通る位なので、猫からしても危ない場所に思っていないのかもしれない。
道で寛ぐ猫! 動画
いきなりの雨降りで、雨宿り!
そして猫ともう少し遊んでいたかったけど、このままだとここで陽が暮れるまで遊んでしまいそうだったので、断腸の思いで猫に別れを告げて先に進む事にした。すると猫から別れてすぐに、さっきまで晴れていた空から、急に雨が降り出して来た。
最初は「こんな雨ぐらい、平気だぜ!」と強い態度を見せながら歩いていたものの、想定以上に雨脚が強くなってきたので、近くの屋根の下で急遽雨宿りをする事に。。
だから、傘イランか聞いていたのに・・・
急に雨が降ってきた大森町! 動画
この辺りは小高い山に囲まれている事もあってか、急に天気が変わり易いようで、さっきも坑道内を見学する前に小雨が降っていて、その後には晴天になったりとかなり入れ替わりが激しい天気となっていた。
普通に雨降りを嫌がる人もいるかもしれないけど、この雨が降る事によって、こちらの屋根の上に生えているような苔が、より美しく見える瞬間ともなる。そして雨という存在は古来の人間達が神頼みまでして欲しがっていた品なので、雨を嫌がるという人間は”贅沢の極み”なのである。
ワタシは雨、キライや!
空はそんなに雨雲一面という天気ではなく、ちょっと向こうの方が晴れてきていたのですぐに止むと思って雨宿りを続ける。すると10分ちょいで雨が止んだので、再び大森町へと向かって進んで行く事にした。
そして進んで行くと、道の脇に明治5年頃に開設された「大田市立大森小学校」が見えてくる。そして小学校前の階段には、このように今の子供っぽい名前の札が立てられた鉢植えが見られる。子供に付けられる名前は時代毎に変化しており、昔の感覚で漢字を見るだけでは読めない名前も増えている。
こちらには何故か、大量の狸の置物が置かれていた。このような狸の置物を見ても可愛いとは思えないけど、全国的に意外と人気な贈り物ともなっているようだ。
このようにさっきまで雨が降っていたとは思えない空になっていた大森町の上空。晴れていても急に雨が降る事があるので、雨に打たれるのが嫌な人は折り畳み傘をカバンに入れて観光すべき場所となっている。
そして「CAFE」という看板のある建物前に、観光用のレンタサイクルが3台ほど停められている光景が見えてくる。この江戸時代の町並みや雰囲気を残す歴史ある地域でも、現代人は「CAFE」に惹かれるのだろう。
この時はレンタサイクルに乗っているのが若めの女子が多かったので、このようにレンタサイクルが建物の前に停まっているという事は、若い女性が入りたくなるようなお洒落な店舗が多かった。昔からの雰囲気を残すショップではなく、お洒落なお店に引き寄せられてしまう現代人らしい光景にも思えた。
一口に「観光」といっても、年代や性別によって興味が異なる為に、訪れる場所が変わる。個人的にはこういったショップやスイーツや食べ物には殆ど関心がないので、このような所で時間を潰すくらいなら、もっと歴史を勉強できる施設を見学したいと思うが。
そりゃ、オッサンになった証拠やで!
ただ昔からのままの建物や商品だけを置いているだけでは、なかなか現代人の観光客の受けが良くない。だから新しい観光客を呼び込むには、現代風にアレンジしたカフェやスイーツのお店が必要なのだろう。
このようにかつての町並みを残すにしても、21世紀の少子高齢化社会の中では、段々と厳しくなっていく。しかも ”日本国内で47番目に有名な島根県”ではそれだけ税収も少ないので、こういった歴史ある町を保存する資金の捻出も大変になってくる。
そして、とある建物の軒先にこちらの「金糸瓜(きんしうり)」らしきものが置かれているのが見えてきた。この大森町に住んでいる住民も、観光客が増える事によって騒音やゴミなどの問題も増えて嫌がる人も多いけど、このように少しでも観光客の目を楽しませてあげようという気持ちの見える心遣いに出会えると、嬉しく思うのである。
島根の人は基本優しいんだわ!
大森町はこのメインストリート沿いに、多くの家が密集して並んで建っている。なので今まで静かな地域だったのが世界遺産に認定されてから急に騒がしくなった為に、迷惑を感じている人もいるのは確かである。
こちらは大森町で銀山の代官を補佐する役人の仕事をしていた「宗岡家」の建物跡が残されている。宗岡家は戦国時代後半の毛利家がこの石見銀山地域を支配している事からこの地を管理していた家で、江戸時代に入ってからも引き続き管理に携わった家である。
こちらの建物の壁の木には、昔は入っていた文字の跡が辛うじて見えている。このように色褪せてしまった文字跡が逆に、この歴史ある大森町らしさを表している。個人的にはカフェなどでどこでも味わえるコーヒーやお菓子を食べるよりも、ここ大森町でしか味わえない光景を楽しむべきだと思う。
ワタシは美味しいお菓子さえあればエエねん!
こちらにはキリっとした眼つきの鯱が飾られていた。この鯱は天守のような立派な格式のある建物だけではなく、普通の家にでもたまに取り付けられているのを見かける事もある。
昔の人々は鬼を怖がっていたが、逆にその怖さを利用して忌する物を拒む為に利用もしていた。ただ鬼側からすれば嫌がられたり、無理に鬼瓦にされたりで、散々な扱われ方をして文句がある事だろうが。。
何も言えねえ~~!
そして歩いていると左手に見えてきたこちらは、「栄泉寺(えいせんじ)」という戦国時代末期に創建されたとされる曹洞宗の寺。なお、現在見られる寺の建物は江戸時代後半に再建されたものだとか。
今では数百人の住民しか居なくなってしまった大森町だけど、最盛期には数万人が暮らす程の町だったという。本当にそれほどの人達が暮らしていた場所とは思えないけど、この近くの鉱山跡で全て手作業で採掘が行われていた事を考えると、それ相当の人が住んでいたのも不思議には思えない。
長崎で世界遺産の1つともなっている「軍艦島」も石炭の採掘現場で働く人達の生活の場として、同じように多くの人が集まって廃坑が決定した後に衰退した場所である。ちなみに軍艦島は陸の孤島でもあったので住む人がいなくなったけど、ここ石見銀山の大森町はもっと古くからの町なので住み続ける人もいる。
大森町を歩く! 動画
老舗和菓子屋「有馬光栄堂」にて
そしてイマイチ活気がなかったように見えた大森町で、唯一町のメインストリートを歩いていると店舗の人から声を掛けられたのが、こちらの「有馬光栄堂」という老舗のお菓子屋さんだった。
多くの観光客が訪れる観光地に行くと、客引きの呼びかけを鬱陶しく思う事が多いけど、逆に全く声も掛けてこないのも少し寂しく感じた。ただこちらのお店は創業200年以上の歴史を誇る老舗で、かつて鉱夫達が鉱山内に持ち込んで食べていたお菓子を未だに作り続けているんだとか。
コロナ禍でこのような歴史ある老舗お菓子屋もかなりのダメージを受けた事であろうが、店を閉めるという選択肢を選ばずにこのように前を通る人に声を掛けてサンプルを味わってもらうという姿勢で、営業に取り組んでいた姿に心を打たれる。
こちらの「げたのは」という商品が、昔から鉱夫達が食べていたお菓子だという。
試しに購入してみたけど、小麦粉に国産の黒糖を混ぜて焼いた物となっていて、食感はちょっと固めだったけど、食べだすと意外と気に入ってしまって、ポリポリと次々に食べてしまうほどにクセになるお菓子になっていた。
買わんと可哀そうに思えたわ・・・
こんな旅はまた次回に続きます!
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