島根県旅行記2021年11月-39
旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)
出雲阿国の出身地!
島根県:出雲大社の神楽殿近くにあった、こちらの立派な社殿の建物が気になってちょっと寄り道してみます。ただ本殿や神楽殿近くには沢山の人がいたけど、この建物付近には全然ひと気が無かったが。。
出雲大社教:祖霊社にて
この「出雲大社教:祖霊社」という建物は、第二の鳥居をくぐって直ぐに見かけた所にあった銅像の人物「千家 尊福(せんげ たかとみ)」(※第80代出雲國造)が創設した宗教法人『出雲大社教』が、先祖の御霊を祀る祖霊社として建立した物。
明治時代の前半に元々は出雲大社の第四の鳥居(青銅の鳥居)前に造られていたが、明治時代の中頃にこの地に移設されてきたようだ。以前この祖霊社が建っていた場所は、今では手水舎となっている場所だったようだ。
個人的にはこの建物よりも、その前に植えられていたこちらの蘇鉄が気になっていた。国内旅を初めてからすっかり虜となった、この「蘇鉄」という植物。気にして街中を歩いていると、意外とこの蘇鉄を見かける事が多いのである。
こちらは数少ないオカンが撮影した写真。旅行先の写真撮影は息子に任せっきりのオカンであるが、たまにちょこちょこと撮影していたようだ。
こちらには『桜と錨の男たち』という、大東亜戦争で死んでいった兵士たちに捧げた記念碑のようだ。千家国造家の人が島根錨会の会長を務めていた事もあって、「錨」が含まれていたようだ。
この出雲大社で大きな注連縄を正面に飾っている社殿の中でも、神楽殿や拝殿は比較的新しい時代に造られた建物だったので雰囲気が無かったけど、この「祖霊社」は明治時代の建物なので良い雰囲気を感じた。
そして出雲大社を一周した事もあって、次の目的地である「出雲阿国の墓」へと向かう事にした。出雲大社の西側には、このように3軒ほど出雲そば屋さんが並んでいたが、まだ午前10時過ぎだったので昼食には早く、前を通り過ぎるだけにした。
出雲そば屋のショーウインドウには、このように美味しそうな割子そばの商品サンプルが展示されていた。こちらは「五色割子」となっていて、5段の割子の器毎に、違う具が載っていて、色んな味わいを楽しめそうな雰囲気を感じる。
こちらは「天ぷら割子」で、天ぷらがトッピングされているだけで、ちょっと贅沢に思える出雲そばとなっている。出雲そばもシンプルな蕎麦だけの提供だけではなく、利益を出す為にはこのようにトッピングなどでバリエーションを出す必要性があるのだろうと感じた。
そして出雲大社から西側に向けて「国道431号」に沿って歩いていく事にする。道路標識を見ていると、この道が「出雲阿国の道」とも書かれていた。
出雲阿国の墓にて
その道を少し歩いて行くと、程なくして歌舞伎の創始者「出雲阿国の墓」の入口という看板と、まだ比較的綺麗な灯篭が見えてくる。
住所:出雲市大社町杵築北2529
ボクの好きな戦国時代の武将で漫画やパチンコ台でも有名になった「前田慶次」も”傾奇者”として有名だったが、今の演劇:歌舞伎に通ずる人物だったのが、こちらにお墓のある「出雲阿国」のようだ。
なお出雲阿国は前田慶次と同時代の戦国時代後半に活躍した人物で、元々はこの出雲国出身で、晩年はこの地に戻ってきて亡くなったとかいう説があったりなかったりのようだ。
あまりに昔過ぎて、証拠が無うて、色んな説しか残っちょらんのだわ!
この場所は出雲阿国だけのお墓がある場所ではなく、出雲市営の墓地ともなっているので、沢山の墓石が設置されている場所でもある。その為にあくまでも観光する場所という訳でもないので、出雲阿国の墓を見学に来た人は周りの迷惑にならないように見学する必要がある場所ともなっている。
「出雲阿国」という名前は聞いた事があっても、その人物がどういった事をした人かは意外と知らなかった。出雲阿国は女性で出雲大社の巫女を務めていたが、ある時に出雲大社本殿の修復工事を行う際に、その資金集めの勧進の為に京に出て行き、踊りを披露したのがキッカケでその舞いや踊りが人気となって、女性が男装しての歌舞伎人気に火が点いたという。
そして周囲にはそこそこに綺麗な墓石が立ち並ぶ場所の一画に、このようないかにも古そうな墓石っぽいのが見えてきた。こちらが「出雲阿国の墓」らしく、いつ建立されたかまでは分からないけど、かなり古そうな雰囲気を感じた。
出雲阿国は『歌舞伎』の創始者と考えられているので、歌舞伎界からその祖として崇められており、このような墓などが丁寧に管理されているようだ。
ただ出雲阿国の晩年については諸説があって、必ずしもこの出雲国に戻ってきて亡くなったという訳でもないようだ。ただ出雲市側からすれば、知名度のある出雲阿国がこの地に戻ってきて亡くなったという説を信じているようで、このようなお墓が設置されているのだろう。
ただ江戸時代以前に生きた女性で、藩主夫人とかではない人物の女性の墓が今でもこのように残されている例は珍しいように思う。なのでこのような約400年前に生きた女性として、どれほど注目されて尊敬されていた人物だったかが分かる墓ともなっている。
この出雲阿国の墓には、ちょっとした小銭や黒飴、そして「鬼殺し」のワンパック酒も添えられているのが見えた。よくお墓にお酒が添えられている光景を目にするけど、浮浪者が定期的に回収に来て飲んでいる姿しか想像できないのであるが。。
そして出雲阿国の墓を見学して、更に西側に向かう道を進んで行く。次の目的地はこの写真の右上に微かに写っている、山の上に造られている展望台である。
奉納山にて
そしてまた道を歩いて少しすると、右側に「出雲阿国の塔」と「奉納山公園」と書かれた案内を発見する。
住所:島根県出雲市大社町杵築北3072-1
この奉納山は標高約70mの山頂に昭和30年頃に展望台が造られており、出雲市内や神々が上陸してくると伝わる「稲佐の浜」などを一望できる展望スポットでもある。
そして奉納山の入口には、こちらの「出雲阿国:終焉地之碑」も設置されているのが見える。ただお墓はさっき見た所にあったし、ここが終焉地だからといってここにお墓があるという訳でもないようだが。
そして山の山頂に造られている「奉納山公園」へと向かう階段は、2つ候補があって、一見にはどちらを進めばいいかわからなかったので、左側の階段を進んで行く事にした。
すると程なくして、こちらの鳥居と社殿が見えてきた。こちらは「八大荒(はちだいこう)神社」という、雨や海を司る『八大龍王』を祀る神社のようだ。
ただこちらの神社はひと気が全く無かったけど、このように出雲大社近くの神社だけあって、注連縄だけは普通の神社に比べて大きな物が飾られていた。
その八大荒神社から上に進む道が無かったので一旦来た道を引き返して奉納山の下まで戻ってから、違う登り道を進んで行くと、立派な「出雲阿国の塔」が見えてきた。
この立派な「出雲阿国の塔」は、元々昭和11年(1936年)に歌舞伎界の人達の寄付によって建てられた物だが、今のこの塔は昭和43年(1968年)になって再建された塔となっているようだ。
こんな旅はまた次回に続きます!
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