大分県の国宝「富貴寺」を見学し、名物の椎茸めしやだんご汁を味わう

九州縦断旅:大分編

 旅行期間:2020年8月中旬

 

大分県は椎茸が名産地

宇佐神宮から富貴寺へと移動

さてまずは大分県に入って早速八幡宮の総本山である宇佐神宮の見学を行った後は、近くにあるこれまた国宝の寺があるという事で連れて行ってもらいます。

 

国宝「富貴寺」にて

富貴寺入口の階段

宇佐神宮より車で約30分程で、目的の富貴寺に到着します。こちらは宇佐神宮とも関りの深い天台宗のお寺です。

 

 

富貴寺入口にある看板-1

この富貴寺は大分県でも国東半島(くにさきはんとう)と呼ばれる北東に突き出た場所にあり、車以外で訪れるにしてはちょっと不便な場所でもある。ただ観光バスツアーでは、国東半島にあるこの後に訪れる両子寺などと一緒によく訪問される場所だという。

 

富貴寺入口にある看板

こちらはこの富貴寺に伝わる昔話の伝説だそうだ。切っても翌朝には元通りに生えてくるという話は、世界各国どこにでも共通する昔話のアルアルである。。

 

富貴寺入口の駐車場周辺にあったかかし

そんな富貴寺周辺の空き地には、どこかで見た事のあるキャラクターのかかしもどきが立てられていた。この番組のメインMCを務めている某芸人がコロナ禍の中で失言し注目を浴びたが、昨今の風潮で冷や飯を喰わされると思っていたが、相方の上手い配慮もあって何とか番組は継続となった。人気番組だし簡単に番組の幕を下ろす事も出来なかったのだろう。

 

富貴寺入口の門

さて国宝の富貴寺の入口の門へと進んで行きます。個人的に寺関係にはそこまで興味が無いけど、「国宝の寺」と聞くとやっぱり入ってみたくなります。そして入場料500円が必要なので、しっかり気を引き締めて進みます。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

オレは何回も来た事があるけ、外でブラブラして待っているから1人で行ってきな!

 

 

富貴寺の境内へと進む

富貴寺入口の門と看板

ちょうどこの時は、平安時代に造られたという「木造阿弥陀如来坐像」が御開帳となっていて大正時代から約100年間は閉められていたそうだ。ただしその代わりに江戸時代中期頃に造られた本堂が、老朽化の為に改修工事中(2021年末完成予定)で見学が出来なかった。

 

富貴寺入口で入場チケットを購入

寺の入口の門で、こちらの拝観券を購入します。この券を見るとちょっと前までは300円だったようですが、本堂の修復工事の為に値上がりしたのかもしれない。ただあくまでも値上がり分は寺が儲ける為に上げた訳では無く、寺の修繕費などに充当しているようです。

 

富貴寺入口で入場チケットを購入して進みます

富貴寺の入口には左右に仁王像が待ち構えているのが見えます。この仁王像も本堂が造られた江戸中期頃に造られたものだそうだ。像の高さは173センチで日本人成人男性の平均身長と同じような高さ。

 

富貴寺入口の門に飾られる仁王像

近くで仁王像を見てみると、約200~300年も前の物なのでだいぶ表面が風化しているように見える。そして像のデザインはイカツイ仁王像の雰囲気とは違い、丸みを帯びた親しみやすいデザインになっているように見える。

 

富貴寺入口の門に飾られる仁王像-1

こちらは向かって左側にある吽形像。先程の右側にあるのは阿形像で、口を開けているのが阿形像で口を閉じているのが吽形像である。“阿吽(あうん)の呼吸”の言葉は、この仁王像の阿吽から来ており、「阿」は物事の始まり「吽」は物事の終わりを意味するんだとか。

 

富貴寺の境内

さて正面の階段を登っていくと見えてくるのが、平安時代に建てられたという阿弥陀堂の「富貴寺大堂」。九州地方には少ない平安時代に造られた建物で、かつ九州に現存する最古の建物で、この歴史的建物は1952年に国宝に指定された。

 

富貴寺の境内にある看板

そして富貴寺大堂の中に入れるけど、残念ながら国宝である大堂の中は写真撮影は禁止されている。ちなみに雨の日は中が濡れないように大堂は閉められるそうだ。

写真撮影出来ない場所ほど、残念な場所はない・・・

 

富貴寺の境内-2

この富貴寺大堂が造られた時に入口手前で見た看板の昔話にもあったように、榧(かや)の木の余った部分で彫られたという阿弥陀如来が保管されている。ただ大堂内は薄暗くて、奥にある昔に描かれた極楽浄土の絵があるけど、残念ながらハッキリと見る事が出来なかった・・・。

 

富貴寺の境内にある、国宝の富貴寺大堂

九州に現存する最古の建造物であり、「行基葺き」という下の方が開いた特殊な形をしている瓦を次々に差し込んでいく手法が取られている変わった建築様式だそうだ。12世紀頃に造られたとされているので、約800年は経過している建造物。

 

 

富貴寺境内にある富貴寺笠塔婆

ただこの富貴寺にはこの大堂だけではなく、その周囲にも歴史的なものがゴロゴロと配置されているので、せっかく遠路はるばる訪れたのでこれらも見逃すわけにはいかない。こちらは昭和40年(1965年)に【県指定有形文化財】として指定された富貴寺笠塔婆である。笠塔婆とは、柱状の塔婆の上に笠と宝珠を乗せた石造文化財である。これには神仏を一字で表す神聖な文字である「梵字」が彫られている。

 

富貴寺境内にある富貴寺笠塔婆-1

他にも周りにはこのようにゴロゴロと色んな物が置かれているのが目に付く。日本古来の宗教である神道と仏教も長い年月を経て、色んな変化などをしていったのであろう。

 

富貴寺境内にある国宝の看板

平安時代に造られたという富貴寺大堂は勿論完全木造なので、勿論火が起これば一巻の終わり。なのでこの札にあるように火気は厳禁である。日本古来の歴史的建造物が壊れるのは、主に地震での崩壊や火事や雷の直撃による焼失である。

 

富貴寺境内にある看板

さて大堂内の歴史的仏像と絵画の鑑賞を終えた後は、更に階段を登っていった奥に「奥の院」があるようなので、奥へと進んでみます。

 

富貴寺境内の奥へと繋がる階段

この富貴寺の奥の院はこのように一部に苔が生えた、年代物の石の階段を登っていきますが5分前後で辿り着けるみたいなので、そんなに距離は離れていないようだ。

 

富貴寺境内の奥へと繋がる階段-1

この緑に囲まれた空間が実は神様が人類にプレゼントしてくれた、一番大事な物なのかもしれない・・・と思いつつ進んで行きます。こういう自然溢れる道を進む度に、自然からエネルギーを貰っているかのように錯覚してしまう。

 

 

富貴寺「奥の院」にて

富貴寺境内の奥にある奥の院

大堂のある場所から約5分、階段を登ると「奥の院」が見えてきた。ただし「奥の院」といえども、たったこれだけの穴をくり抜いたスペースの小さな所だったけど・・・。

 

富貴寺境内の奥にある奥の院-1

下で見た説明板では「半身朽ち果てた木造仏像があったと江戸時代の文献にある」と書かれていたが、今ではその仏像は行方不明になっていてこれだけがあるのみ。

 

富貴寺境内の奥にある奥の院周辺を散策

この真夏の暑い時間帯に階段を登ったので当然の如く汗だくになってしまったけど、こうやって緑に囲まれている空間にいるとそれはそれで心地よく何故か感じてしまう。

 

富貴寺境内の奥にある奥の院から本堂を眺める

こちらは上から見た、国宝の富貴寺大堂である。こうやって上から眺めているだけだと、そんな平安時代に造られた歴史的な建物という感じには全く見えないような。。

 

富貴寺境内の奥にある奥の院周辺を散策-1

奥の院まで登った後は途中寄り道していると、掘っ立て小屋のような建物が見えてくる。ここも何かの神様を祀っている場所みたい。

 

富貴寺境内の奥にある奥の院を眺める

こちらは質素な造りの建物で、この国東半島周辺にある関連寺院の総称である「六郷満山」の鎮主として崇められていたようだ。

 

富貴寺境内の奥にある奥の院付近の鳥居

さてそろそろ一回り富貴寺境内を見学したので、駐車場周辺で待っているハズの”エロ坊主オジサン”をあまり待たせてはいけないので入口に戻るとする。

 

富貴寺の境内にある鳥居

鳥居の上に石が乗っている光景はよく見かけるけど、何かのおまじないか、子供のいたずらみたいに見える。どうもこの鳥居の上に石が乗れば「願い事が叶う!」という、安易的な発想でこぞって石を投げた跡のようだ。

 

富貴寺境内の奥にある奥の院から降りる

ここは元々は仏教寺院であるが、鳥居自体は神道の神社のもの。この富貴寺は先程訪問した宇佐神宮の影響を受けて、仏教と神道が融合した寺だったのでこのように仏教寺院内にも鳥居が設置されているようだ。

 

富貴寺境内に咲く木々

このように上が豊かな緑に囲まれているとさっきまでの灼熱のように感じた太陽光が遮断されて、少しは涼しく感じれる。人間は太陽の暑い日差しが当たると肌が焦げてしまうけど、植物はそんな強大な太陽光を生きるエネルギーに変えているのだ。

 

富貴寺境内にある国宝の本堂を眺める

さて奥の院から戻って来て、先程内部を見学した富貴寺大堂の前に戻ってきました。平安時代に建てられたという歴史的な建造物の内部に入れるものの、内部は写真撮影とボクにとっては少々ガッカリな場所。ただしこの堂内はしっかりと自分の目で見たので「記憶に焼き付けた!」と思っていたけど、後日この写真を見ても残念ながら堂内で見たハズの景色は全く甦ってきませんでした・・・。

 

富貴寺境内にある国宝の本堂の説明

この富貴寺の創建当時は、極楽浄土の雰囲気を表した世界観で溢れていた場所のようだ。そして昔の仏教を信じていた人達は、そんな極楽浄土に夢を見ていたのかもしれない。

 

富貴寺の門を眺める

この富貴寺を訪れたのがとても暑い真夏の平日だった事もあり、全然他の見学者とは出会わなかった。そして”エロ坊主オジサン”が待っているハズの駐車場に戻ったけど、オジサンの姿は見えず・・・。”エロ坊主オジサン”はジッとしているタイプではなく、常に動き回るのが好きなタイプだったので、近くを散歩していたらしく毎回集合するとその場に居ない事が多かった。。

 

 

富貴寺周辺で昼食タイム

定食や「ふきの里」

そろそろ昼時の時間でお腹が減ってきていたので、富貴寺の向かい側にあるこちらの食堂に入る。一見営業していないように見える田舎のお店のような感じを受ける外観。

 

【定食屋】ふきの里

住所:大分県豊後高田市田染蕗2421−1
TEL:0978-26-2913

 

 

富貴寺向かいにある定食屋「ふきの里」 に入る

昼時にも関わらず店内にはお客さんの姿は見えずに、店主と奥さんという鉄板のコンビがお店を切り盛りしているようだ。

 

富貴寺向かいにある定食屋「ふきの里」内の様子

お店の入口にはお土産も置かれていて、この店主が自分で栽培した大分県名産の椎茸(乾燥椎茸)などを売っていた。都会のスーパーなどでも買えない事はないけど、このようなローカル地区では無農薬の手作り製品が買えるので思わず買ってしまいたくなるけど、椎茸はお土産としてはかさばるので購入は見送る事に・・・。

 

富貴寺向かいにある定食屋「ふきの里」内の様子-1

手作り材料ばかり使っているのもあってか、チェーン店の定食屋のように安価なランチではなかったけど、文字通りに地産地消の地元名物の料理が堪能できそうな定食屋であった。

 

富貴寺向かいにある定食屋「ふきの里」で注文しただんご汁定食

こちらは”エロ坊主オジサン”が注文した「だんご汁定食(1100円)」。意外とボリュームがあり、体に良さそうなものがズラリと並んでいるように見える。

 

富貴寺向かいにある定食屋「ふきの里」で注文しただんご汁定食-1

ボクはそうでもないけど女性が旅で楽しみにしているのは、地の美味しい物を食べる事らしい。ただどうしても都会で暮らしている大量消費の流れで、生産・長持ちしやすくする為に農薬や添加物などが沢山入れられた物が使われている安価な食生活に慣れているとローカル地方での食事が高く見えてしまうかもしれない。

この定食も1100円とそれなりのお値段だったけど、それだけ手間が掛かって作られている食事であるという事の裏返しである。というのも材料はその辺のスーパーで仕入れた訳では無く、自分達で栽培した物を使っているのだから。

 

富貴寺向かいにある定食屋「ふきの里」で注文しただんご汁定食-2

こちらが大分県の郷土料理「だんご汁」である。小麦粉を練って寝かせた後に平べったく伸ばした麺で、汁は味噌ベースでゴボウやニンジンなどが入れられている。どうも昔の大分では米があまり取れなくて、代わりに沢山採れた麦を使った食事が好まれていたそうな。

 

富貴寺向かいにある定食屋「ふきの里」で注文した、椎茸飯定食

そんなだんご汁にも惹かれたけど、ボクは大分名産でもある椎茸が入った「椎茸めし定食」(1100円)をチョイス。この椎茸はこのお店のご主人が手間暇かけて自家栽培しているという。

 

富貴寺向かいにある定食屋「ふきの里」で注文した、椎茸飯定食-1

若い頃は全然美味しいと思わなかった椎茸だけど、30代に入ってから急に椎茸の美味しさに惹かれてしまった。濃厚な味わいが美味しい椎茸をこのようにご飯に混ぜて炊くと、その椎茸の美味しさがご飯に移って、より美味しくなるのである。

このようなご飯料理を食べれるなんて、日本人に生まれて良かったと思う瞬間です!

 

富貴寺向かいにある定食屋「ふきの里」で注文した、椎茸飯定食-2

それ以外にも小鉢には地元で採れた野菜などがふんだんに盛り付けられていたので、お値段以上に満足できた美味しい昼食でした。せっかくこのようなローカル地区を訪れているんだから、チェーン店でどこでも食べれるような食材を使った料理よりもこのような地元感溢れるお店で食事すべきだと感じる。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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