北海道/札幌旅
旅行期間:2020年9月1日~4日
真夏に食べるアイス
さて小樽の街歩きは続き、こちらに見えてきたこのアーケード街は「小樽都通り商店街」という北海道で2番目に古いアーケード通り(1966年に完成)だそうだ。冬は雪が多い北海道の大地だけあって、本州などの雨対策よりも重要な意味合いを持っている商店街のアーケード。
小樽の街にて
そんな小樽都通り商店街の入口に置かれていた、こちらの置物には「榎本武揚の夢」と描かれているパネルがあった。榎本武揚という名前を聞くと、幕末に降伏した徳川家を無視して江戸幕府が所有していた軍艦8隻を奪取して、北の大地へ”旧幕府軍”として向かい、薩長が率いる新政府軍に最終的には追い詰められて敗北した人物というイメージしかなかった。
そんな旧幕府軍の敗軍の将となった榎本武揚は、戊辰戦争での敗北で人生に幕を閉じた・・・・訳ではなかった。敗北を受けて約3年間に渡って牢獄に監禁される事になったが、懇意にしていた福沢諭吉や黒田清隆などの助命懇願のおかげもあって釈放される(これには西郷隆盛などが幼い頃から薩摩で教育されてきた、人を斬るよりも活かすという考えがあったからかも)。
江戸幕府の海軍に入った榎本武揚は、江戸時代にオランダへ軍艦の購入と留学を兼ねて海外渡航した、当時としては公に海外に渡った数少ない人物の1人。そんな海外留学の経験や堪能な語学などを操る優秀な才能に目を付けた黒田清隆が、榎本武揚を開拓使に呼び寄せる。そして北海道開拓事業に尽力してのちには文部大臣や外務大臣を歴任するなど、敗軍の将がここまで後の政権に重宝される事になるのは、この明治維新を興して明治政府を立ち上げた人物達がまだ30代と若くてヨーロッパの留学経験者が多くて、新しい考えを積極的に取り入れていたからでもある。そしてこの明治時代創成期は日本を早急に造り替える必要があった為に、榎本武揚ほどの有能な人物を処刑する意見は出たものの、彼の力を借りて日本という国を前に進ませる選択をした明治政府だった。
負けた相手を斬るなんて、愚の骨頂でごわす!
そして北海道の開拓使の一員となった榎本武揚は、現在の江別市と小樽市の合わせて約30万坪という広大な土地の払い下げを受けて、開拓に尽力した。そして当時北海道内で採掘された石炭を本州などに運ぶ際に、日本海側か太平洋側か、どちらの港から運び出すかで議論となった。そこで榎本武揚は自分が土地を所有していた小樽を強く推薦して、それが認められると北海道で初めての鉄道となる手宮線を小樽~札幌間に敷いて、石炭や穀物の運搬作業を促進させる。そして扱い荷物が増えて煩雑になってきた小樽の港に、大正時代に海を開拓して小樽運河を築いたのである。
小樽という街があるのも、榎本武揚という人のおかげなんだね~!
斬らずに生かした命が、このように新たな日本を造ってくれるでごわす!
そして小樽に小樽駅が出来て、一気に活気を増して駅周辺の商店街なども発展していく。上の写真にあった「JR小樽駅」は、北海道内では8番目の乗降客を誇り、北海道イチの都市である札幌からは40~50分程で電車に乗っていると辿り着く立地もあって、観光客を集めるのに一役買っているのである。ただ2020年のコロナ禍の影響でこのように海外からも沢山の観光客が訪れて、その観光客に依存している街は観光客が激減した為に大打撃であっただろう。。
だからさっきも通った「旧手宮線跡」の線路も戊辰戦争で敗北した、旧幕府軍の将であった榎本武揚がその時に処刑されていれば、このように線路が敷かれている事もなかったかもしれないし、小樽の街もここまで繁栄する事もなかったのだろう。そう思うと優秀な敵将を殺さずに生かした明治政府の寛大な心が、その後大きく成長する日本国を造ったと言っても過言ではないだろう。
山中牧場アイスクリームを食べる
そんな小樽の街が出来た起源などを勉強しながらの散策を終えて、メグちゃんが消えたアイスクリーム屋に近づくと、このように「山中牧場アイスクリーム」を片手に駆け寄ってくるメグちゃんの姿が見えた。
待ってたよ~、このアイスクリームとても美味しいから食べて~!
こちらのアイスクリームを製造している山中牧場は、札幌から南西に約30キロ進んだ後志管内赤井川村という場所にある1970年に創業した酪農牧場。丁寧に育てた牛から生まれる濃厚なミルクによって作られたアイスクリームだけあって、しかもこの真夏の時期に食べると余計に美味しく感じるのである。
北海道でも牛に優しい牧場だけに、アイスも優しい味になっているよ~!
そんな山中牧場:小樽店の前で、メグちゃん奢りの美味しいソフトクリームを食べる男。真夏の炎天下に屋外をひたすら歩いて汗を掻いて、美味しく感じるのはビールだけではないという事を認識しだした頃。。
女子からしたら、美味しくソフトクリームを食べる為に歩いてるようなもんよね!
小樽の歴史的建造物と運河
そして明治中期から昭和時代前半まで栄えた小樽の街では、次々に日本国内の銀行の支店が造られた。だからこの街中では元々銀行の支店だった、豪華な造りの建物などがいまだに並んでいるのが見える。こちら色内大通りにある建物は「第四十七銀行:小樽支店」だったもので、昭和11年(1936年)に建造されたもの。
ヨーロッパ風建造物のイメージを取り入れて、入口脇には神殿の柱の彫刻が施されているのが見える。ただこの石造りにも見える建物も実は木造2階建てで、小樽運河の倉庫群のように工期や建築費を削減する為に、外壁にタイルや石を張ってそれっぽく見せる外観になっているようだ。
小樽市にある”小樽市指定歴史的建造物”は都市景観の保全を図る為に、1992年に「小樽の歴史と自然を生かしたまちづくり景観条例」を制定して今では79棟の建物が登録されている。なおこちらの「旧第四十七銀行:小樽支店」は、「小樽市指定歴史的建造物第25号」として歴史的建造物に登録されている事を表すプレートが埋め込まれている。
さっき買ってもらったアイスクリームを食べながらも、歩きながら見えるこのような歴史的建造物の写真を撮っていると、真夏時期だったので早速アイスクリームが溶け出して手に垂れ落ちて来ていたのを思わず舐める男を捉えた写真。
早くアイスクリーム食べないと、手がベタベタになっちゃうよ~!
小樽にあるそんな歴史建造物は、その建物が建造された当初から持っている地主は少なく、今ではその大半が他の人手に渡っており、今では観光地となった為にそれらはショップやレストランやカフェなどに様変わりしている。
こんな歴史的建造物の建物で、お菓子を食べたり地元の小樽ビールを飲んだりするのが、特に若い女子達にとっては至福の時間みたい。そんな廃れた歴史もある小樽の街だけど観光地化の為に街が清掃されているので、そんな負の歴史を感じさせない位に綺麗な街並みとなっていた。
こちらの建物は1927年に当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りの建物として造られて、2002年までは実際に銀行として使われていた「旧三井銀行小樽支店」である。ちなみに2002年に撤退した三井銀行小樽支店は、この続々と出来た銀行の中で最後の都市銀行となったが、最終的に小樽から都市銀行は消えてしまうのだ。
この「旧三井銀行小樽支店」の建物はその後、お馴染みの北海道土産「白い恋人」でも有名な石屋製菓が所有していて、非公開となっていた建物。2015年にNHKで放送された『ブラタモリ:小樽 ~観光地・小樽発展の秘密は『衰退』にあり?』では、この建物内に入って昔の銀行造り内装がそのまま残されている様子を見学していったという。なお今では2016年にニトリグループがこの建物を買い上げて、「小樽芸術村」と称して歴史的建造物を保存して美術館や博物館として公開している。
小樽の寿司屋通りに並行する小運河
小樽運河はさっき見た浅草橋から眺める範囲がメインであるが、その南側から南西方向へ数百メートルに渡って造られている、名付けて「小樽小運河」というような感じの用水路が見えてくる。ここは小樽運河ほどに川幅が広くないので、小さな小舟で少ない荷物だけが運ばれていたのだろうといった感じ。
そしてこの右手に見える通りは「小樽寿司屋通り」と呼ばれていて、昔から寿司屋が集まる場所になっているそうだ。恐らくこの小運河を通って新鮮な魚を乗せた船が、この辺りで荷降ろしして寿司屋が自然と集まったのかもしれない。
小樽小運河を堺橋から眺める 動画
そしてこちらの堺橋には、このように夏の風物詩でもある風鈴が設置されていて、何とも心地よい音色が響いていた。ただこれは小樽の街を楽しんでもらうという狙いと共に、この風鈴を製造している小樽のガラスメーカー「北一硝子」さんの風鈴を買わせたいという狙いも隠れているような感じがしたが。。
だけど昔の建物などを景観保全の為に残している地区でも、例えば武家屋敷のように昔からの日本家屋は大々的に内装をリニューアルしてショップなどに改造する事には抵抗がある。しかしこのような洋風建築物の外観をしている建物であれば、中を綺麗に改装してカフェやショップにしても全然違和感が無いし、逆に歴史的建造物の雰囲気が更に商品価値を高めているようにも感じる。
このような歴史的建造物が小樽を一大観光地にさせたのよ~!
そう思うと何でも古くて利用価値が無いと言って切り捨てるのではなく、西郷隆盛のように人じゃないけどこのような建物も壊すだけではなく生かす事を考えるだけで、ここまで衰退していた街が変わるのである。
建物にもそれを造った職人達の魂が籠っているでごわす!
衰退していた小樽の街で市民たちが大事に残そうとした、過去の建物や景観。小樽市を貫くバイパス道路の工事には約10年に渡って揉めたみたいだが、最終的には小樽の街の景観を維持すると共に妥協して小樽運河の幅を短くして脇に幅のある道路が造られた。そして小樽市側と小樽市民側の両者の想いが共存して、今日の小樽の街になっているのである。コロナ禍によって観光客が激減して大打撃を受けている小樽であるが、このような歴史的建造物などの遺構が財産として残されている限り、今後も観光地として存続していく事だろう。
「かま栄:工場直売店」にて
そして小樽の街を散策していると14時を過ぎていたので、そろそろニッカウヰスキー余市蒸留所の見学ツアーが始まる時間が近づいてきた。という事で車を停めていた「かま栄:工場直売店」へと向かい、駐車場代が割引になるように店内でちょっと商品を購入する事に。
この「株式会社かま栄」という会社は、元々は小樽市で1905年に蒲鉾店として創業された歴史あるお店で、北海道での有名な老舗蒲鉾メーカーでもある。この店舗は本店ではなくて工場直営店で、本店は近くにある「花園店」となっている。
現在は本店を含む11店舗が北海道内に出店されていて、このお店も北海道民ならみんなが知っている蒲鉾メーカーのようだ。この日も店内にはそんな美味しい蒲鉾を求めて、それなりの人数のお客さんが訪れていた。
「かま栄」の蒲鉾は美味しいから、いつも買うよ~!
そんなかま栄の蒲鉾にメグちゃんが引き寄せられていったけど、ボクは逆にこちらの小樽ビールに引き寄せられてしまう・・・・。
ホント人間って頭の中で考えている事が、行動にすぐ出るプ~~!
そんな小樽ビールに心が強く惹かれてしまったが何とかその欲望を振り切って店を出たが、そんなボクの様子を見ていたメグちゃんから後でプレゼントとしてもらった小樽ビール。
いや~~色々御馳走になったりして、メグちゃんありがとうございます!またよろしくね!
また北海道に来た時は、声掛けてね~!
そんなアルコールの棚にはこのような「クラフトチューハイ」なる商品が置かれているのが見える。しかしこれらのクラフトチューハイは鹿児島でも見たけど、実は京都の伏見区にある宝酒造の工場で作っているもの。そういった事を考えてしまうと、ご当地感が消えて購買意欲も急激に落ちてしまうのであった。。
お土産も地元に生産工場が無かったりする場合は、県外で造られているのよ~!
さてそんな小樽の街を散策して満喫した後は、これからが今日の観光のメインである余市町にあるニッカウヰスキー余市蒸留所へ再び向かいます。
こんな旅はまた次回に続きます!
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