北海道/札幌旅行記
旅行期間:2020年9月1日~4日
チョコレート雑貨の数々
札幌旅の最後は新千歳空港ターミナルビルの3階にあるスマイル・ロードという通りにある「ロイズチョコレート・ワールド」という、ロイズチョコレートの売店とチョコレート関連雑貨のコレクションが展示されているコーナーがあります。そんな売店の半分はコロナ禍の影響で閉まっていたので、その代わりにとチョコレート博物館のようなコレクションの品々を見学していきます。
「ロイズチョコレート・ワールド」にて
さて先程チョコレートが今日に口にされるまでの歴史を勉強していったので、今回は同じ事を繰り返し説明まではしないけど、今では固形チョコレートが常識となっている世界はここ100年ちょいの間に出来上がった世界である。昔は滋養強壮に効くとして薬代わりに飲まれていたもので、中南米では「神様の食べ物」として崇められていたようだ。
こちらの説明パネルにある「メソアメリカ」(Mesoamerica)のメソとは、ギリシャ語に語源があり”中央に位置する”というような意味だという。だからメソアメリカとは、中央アメリカ付近の今で言うメキシコ付近を差しているようだ。そんなメソアメリカではカカオの実を磨り潰して、トウモロコシなど共に水に混ぜて飲んでいたという。俗に言う”飲むチョコレート”ではなくて、”飲むカカオ”といった方が良さそうだ。
こちらは「ポチテカ商人」というアステカ王国で長距離に渡って交易していた商人の像。約1,000km離れた都へ貨幣代わりにもなっていたカカオの実を運ぶのに盗賊などから身を隠す為に、武器を携帯し、手や顔は黒く塗って、なるべく移動も見つかりにくい夜間に行っていたという。
大昔の人達は今では考えられない程、過酷な労働条件だったのね・・・
こちらの像もそんな「ポチテカ商人」の物で、当時は命よりも価値があったカカオの実を大事に運搬していたようだ。中南米の部族によってはヨーロッパ人によって通貨がもたらされるまでは、このカカオが通貨代わりとして使われ続けていたという。
アメリカ大陸に侵略していったスペイン人は金と共に、他にも色んなものを略奪していった。そんな中に現地民族がお金の代わりに大事にしていた木の実も持って帰る事になった。そしてヨーロッパでもチョコレートの原型となるカカオを磨り潰したものが飲まれる事になる訳であるが、それは美味しいから重宝して飲まれた訳ではなくて、本当に薬の効果があったからでもなく、特権階級しか飲めない超高級品というステータスの飲み物だった為であろう。
そんなチョコレートはまだ当時はアメリカ大陸でしか採れなかったので、ヨーロッパでは高価な貴重品であった。なので一般人はまず口にする事さえできなくて、国王や上位貴族にしか味わえるものではなかった。
こちらの絵はチョコレート業界では有名な『The Chocolate Girl』(チョコレートを運ぶ娘、1744~1745年)という、スイス人画家「ジャン・エティエンヌ・リオタール」(Jean-Étienne Liotard)の最も有名な絵である。今はドレスデン国立絵画館で所蔵されている作品。勿論この時代は今のようなホットチョコレートが飲まれていた訳ではなくて、カカオの実が磨り潰されたのを水に混ぜて飲んでいただけである。こちらの召使いの女性が飲む直前に磨り潰されたカカオの実が入ったカップと水を、ご主人様の元に運ぼうとしている瞬間が描かれているとされている。
そんな特権階級の人物しか口に出来なかった当時の”チョコレート”と呼ばれていたものは、このようにそれを飲むカップも当然高貴な物が使われていたようだ。高い飲み物にはそれ相応に金が掛かっているカップで、飲まれていたという訳。
アメリカ大陸で発見されたカカオの生産量を増やす為に、ヨーロッパ人達は植民地であったアフリカにカカオの木を移植していく。ただしカカオの木は陽樹ではなくて、大きく成長するまではなるべく日が当たるのを避けないといけない陰樹である。なので直ぐにカカオの木が育つ訳ではなくて、かなりの時間を要した。しかし陰樹は大きく成長すると、それ以降は安定するのでそのアフリカ大陸のカカオの木が増えていく毎に、ヨーロッパではカカオの実を磨り潰したものが庶民化していく事になる。
そしてヨーロッパ人のカカオに対しての執念が実って、ついにカカオバターの性質を利用した”固形チョコレート”が開発される。それにより一気に商品としてチョコレートが普及し、更にはその金型を使えばどんな形にも成型できるとあって、次から次へと色んな形のこういった金型が造られていく。
今ではこういった金型もある程度は早く仕上がり、その仕上がり精度も向上しているが、昔は全部木型を手彫りで興してそこから金型を作っていたのであろう。そう思うとこのような小さくて、更に細かい模様などが入っている金型を仕上げるのも、一苦労だっただろう。。
1826年になるとオランダ人のホーテン親子がカカオマス(カカオの実を磨り潰したもの)から、ココアパウダーとココアバターに分離する方法を見つける。更に苦みなどがある酸性を中和するアルカリ性を加える事によって、よりマイルドな味わいとなった「ココア」という飲み物が開発される事になる。それまでは酸味があって苦い飲み物だったチョコレートの原型を、みんなカッコつけて無理して飲んでいた時代の人々にとっては、とても画期的な発明だった事だろう。
そしてその後に使われる用途がなかったカカオバターの融点の性質を利用して、カカオマスにカカオバターを加える事によって人肌温度になると溶ける”固形チョコレート”が生み出される。しかしまだまだ今のチョコレート味にはほど遠かった固形チョコレートに対して、粉乳と砂糖を加えてより美味しくなる”固形ミルクチョコレート”が1876年にスイス人のダニエル・ペーター(Daniel Peter)によって開発される。そんなミルクチョコレートは12年後にやっと「Peter’s Milk Chocolate」として市販される事になる。なおこの会社は後にアメリカ人に買収されて、最終的にはネスレ社に買収されて、今もチョコレートブランドとして現存している。
そして1900年代を迎えると安定して栽培されるようになってきたカカオの実の流通量が増えた為に、アメリカ大陸に逆輸出されたり、アジア地方にも広がっていく。そんな20世紀に更にチョコレート文化は発展していくのである。
アメリカ合衆国の中でも古いチョコレートメーカーである「ハーシーズ(Hershey’s)」は、キャラメルで一財産を築いた後にチョコレートに手を出し、未だに販売されている同社の象徴的な商品である通称:キスチョコと呼ばれる「ハーシーキス (Hershey’s Kisses)」が大ヒットして、アメリカを代表するチョコレートメーカーとなった。
そんなアメリカ古参のチョコレートメーカー「ハーシーズ」では、アメリカ軍が携帯する”軍用チョコレート”を製造していた会社でもある。少ない食糧で高カロリーを得る事が出来る食べ物として重宝されたチョコレートは、軍隊の携帯に耐えれるように高温にも耐えられるものや、毒ガスにも耐えれるチョコレートが開発されたという。第二次世界大戦で敗北した日本に送り込まれてきたアメリカの進駐軍達に、子供たちが「ギブミー、チョコレート!」と言いながら、彼らが持っているチョコレートを貰っていたというのは有名な話であるが、そのチョコレートは「ハーシーズ」製のものであったのだ。
「スニッカーズ(Snickers)」はチョコバーとして、1930年代から売り出された。アメリカ国内では至る所でスニッカーズを見かける事が出来るが、カロリーが高過ぎて健康志向が強まってきた近年ではその販売に苦戦しているという。
日本では「ネスレ」という会社名を聞くと、「キットカット」でお馴染みのチョコレートか、「ネスカフェ」で有名なコーヒーメーカーという印象がある。なお日本各地のお土産店に行くと必ずそのご当地味のキットカット商品を目にする事が出来るが、これだけ細かく多種多様な製品は「日本ネスレ」が販売しているものである。海外ではこんな多種多様なキットカットの味が無いから、海外旅行客が日本で販売している抹茶味などのフレーバー・キットカットを沢山購入していくようだ。
中国人は大量に抹茶味のキットカットを、買っていくって聞いた事がある~!
こちらにはチョコレートが世界に普及していくと共に、その商品を宣伝する為に造られたポスター類が展示されている。このような古いポスター群などを見ているだけで、過去の人達の頭の中を垣間見れるように感じる。
最初に世界にチョコレートが普及し出した頃はまだ高級品だったが、次第に庶民まで手に出来る程に一般的になってくると、より商品を売ろうとこのように宣伝に力を入れてくる必要がある。それに伴って時代を経て行く毎に、ポスターデザインの内容もより精密に、洗練されていくのである。
そしてこちらには紙製のパッケージサンプルも展示されていた。元々パッケージ会社の営業マンをしていた人間にとっては、一番目が惹かれてしまうコーナーであった。
数年前に辞めた業種であるけど、今でも気になってしまいますね・・・
意外とその業種に向いていたのかもね!
こちらは粉末のココアが入れられていた、昔の缶。右側はポルトガル伝統のアズレージョという、タイル画のデザインが用いられている。
アズレージョの本場ポルトガルで見たアズレージョ実物はとても綺麗で、他の国ではなかなかお目に掛かれないものでした。まだポルトガルに行っていない人には、結構オススメの国だと思います!
ただ一口にパッケージといってもこのような缶や、紙製と言っても厚紙や薄紙で包まれたのもある。この商品を入れるのに缶が使われたり、さっきの商品には紙箱が使われていたりという事も、しっかりとした理由が必ずその背景にはあるのだ。
どんな商品も開発過程の苦労が隠されている訳で!
そして単なる缶のパッケージと一口に言っても、これだけのサイズや形がある。なのでパッケージ業界という場所はとても奥が深い世界で、入社当時60歳だった上司は「未だにパッケージについて、新しい知識を得る毎日だ!」と言っていたのを思い出す。
前にアメリカのチョコレートが日本に上陸してきた時に、そのチョコレートを販売する日本側の会社の開店準備を手伝った事があった。そんなアメリカ産チョコレートのパッケージでは、この缶で似たようなデザインが施されていた。その時の商品などもこういった昔のデザインから派生した流れを受けて、造られた商品だったのかもしれない。
このような単なる缶ばかりが置かれているだけにしか見えない人が多いだろうけど、チョコレート業界やパッケージ業界からすると、過去の歴史を現代に紡ぐ貴重なものでもある。そんな貴重な物をこれだけの広いスペースに無料で展示している「ロイズチョコレート」を展開する会社は、なかなかの視野を持っているという感じを受ける。
よほどチョコレート業界の事が好きでなければ、こんな紙のパッケージサンプルの数々をここに展示しようという発想にすらならないハズ。「このような売れもしない、過去のパッケージサンプルを置いててどうする!?」などと言って怒る経営者が居そうだけど、この会社は心からチョコレートをこよなく愛する姿が垣間見れる「ロイズチョコレート・ワールド」であった。
そんなチョコレートの歴史や過去のサンプルの数々を拝見した後は、通路を挟んだ向かい側にあるロイズチョコレートの新千歳空港内工場がガラス張りになっていて、その造られている工程を目の前で見物する事が出来る。
製造工場だとこういった地味な色のユニフォームが一般的なんだろうけど、せっかくこのように全世界の人々などが集まる国際的な空港内に、しかも見学できるようにガラス張りになっている工場だけに、もっと見られる事を意識した派手なユニフォームを着て欲しいなと思った瞬間でもあった!
一番のオススメは真っ黄色なユニフォームですね!
う~~ん、華やかになっていいかもね!(笑)
こんな旅はまた次回に続きます!
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