神奈川県立歴史博物館で学ぶ②、新たな鎌倉仏教が生まれた歴史【神奈川旅行記52】

神奈川旅行記2020年秋-52

 旅行期間:2020年11月24日~27日(3泊4日)
(Learning at the Kanagawa Prefectural Museum of History (2), The History of the Birth of a New Kamakura Buddhism [Kanagawa Travelogue 52)

仏教を発展させた鎌倉

さて前回に引き続き、横浜市内にある「神奈川県立歴史博物館」での見学が続きます。何気なく訪れる旅行先での歴史博物館ですが、後々振り返ってみると多くの歴史を勉強できた場所に感じるので、その訪問時は勿論の事、帰ってからでも多くの事を学ぶ事が出来る有意義な場所。

 

 

 

円覚寺の仏殿模型!

こちらはこの神奈川県2日目に訪れた円覚寺にある仏殿の模型で、今我々が見られる建物ではなくて、1573年に再建された時の図面を基に模型として復元された物のようだ。この模型は実際に建てられていた物に比べると、約1/10モデルらしいけど、これの10倍のサイズの建物だったと想像するとかなりその仏殿が大きかった事が分かる。

 

この鎌倉にある円覚寺は、鎌倉時代にモンゴル帝国が攻めてきた「元寇」時に鎌倉幕府の執権だった北条時宗が、その戦いで死傷した戦死者達の弔いの場所として建立された寺である。なおそこには日本側の兵士だけではなく、モンゴル帝国側の兵士の亡骸も葬られたという。

 

 

今円覚寺で見られる仏殿は関東大震災(1923年)で建物が倒壊してしまった後の1964年になってから、この模型と同じ1573年に再建された時の図面を参考にして建てられた物。また内部には顔が火災で焦げてしまった仏像も置かれていたりと、その歴史を感じる場所でもあった。

 

こちらには高名な仏教の開祖の年代表があった。これには法然(浄土宗)宗西(臨済宗)親鸞(浄土真宗)道元(曹洞宗)日蓮(日蓮宗)一遍(時宗)が載っており、彼の活躍時期がこの鎌倉幕府が栄えた時期だったのは、単なる偶然ではなく、必然だった事だろう。

鎌大仏君
鎌大仏君

仏教界のルネサンス期ダね!

 

そしてそんな沢山の宗派が増えて最盛期を迎えていた鎌倉時代の後半には、インドや中国地方にならって五山制度が用いられるようになる。これが俗に言う”鎌倉五山”で、現在では建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺などの臨済宗の寺を差す意味合いの言葉になっている。

 

こちらは「やぐら」と呼ばれる、中世時代の武士や僧侶などの地位が高かった人達のお墓跡である。このように崖をくり抜かれて、その穴の中に五輪塔などの供養塔が設置されていた。このようなお墓は雨が当たらないので、そこまで劣化する事もなかったのかもしれない。

 

こちらはそのようなお墓に設置されていたと考えられている「石造五輪塔」で、古い時代のお墓に行くとこういった形の供養塔がよく見られる。

 

 

円覚寺の舎利殿模型!

この神奈川県立歴史博物館には、さっきの円覚寺:仏殿だけではなく、現在は国宝にも指定されている「舎利殿」の大きな模型も展示されているのだ。ちなみに円覚寺の国宝である舎利殿は、基本的には僧侶の禅の修行場所なので、普段は一般公開されておらず、その近くまで辿り着けずに遠くから眺めるだけの建物となっている。

 

 

そんな円覚寺の舎利殿がこの神奈川県立歴史博物館の館内に、実物大の復元模型が収められているとはビックリである。博物館の中にたまに建物が復元されているのは目にする機会があるけど、国宝に指定されている建物だけに設置されていたのであろうか。。

 

舎利殿という名前からも分かるように、この建物は仏教の祖師である仏陀の骨(仏舎利)が収められているとされている場所。ただそこに収められている骨らしき物体が、本当に仏陀の物であるかの論議はタブーになっているので、話題に出さない方がいいのかもしれない。

 

このように円覚寺:舎利殿の復元モデルの内部にも入る事が出来るし、とても綺麗に復元された建物となっているので、中にいる分にはここが歴史博物館内だとか夢にも思えないな錯覚も感じる。このまま外に出れば、横浜市内ではなく、鎌倉市内に逆戻り・・・という事はさすがになかったが。

 

2020年2月に訪れたスリランカも仏教国であるが、スリランカはインドから直接仏教が伝来した国で、タミル人との争いはあったものの、今でも仏教国として生き残っている。しかしスリランカでは昔から仏舎利を巡る争いが続いており、仏陀の犬歯がその地を支配する神器としても信仰されているほどである。

 

考古学の歴史的検証も小さい模型を作るだけではなくて、予算があればこのような実物大の建物を復元したいのだろう。しかし、費用をかき集めてその建物を復元しても、当の寺にはまだその建物は残っているし、せっかく手間暇かけて作った建物なのですぐに壊す訳にもいかないしという事で、最終的に博物館内に押し込められたのかもしれない。。

 

そして歴史博物館の見学が好きなのは、あまり混んでいないからでもある。個人的には多くの観光客が群がる場所はあまり好きではなく、地元の美味しい料理などにもあまり惹かれない。それよりもこのように手間暇かけて収集した物が展示されている博物館だと、色んな事が勉強できるし、見学客も少ないのでじっくり没頭できるという点も好きなのである。

 

 

東海道が貫く神奈川県!

「東海道」という言葉を聞くと現代人は「東海道新幹線」を連想してしまうけど、江戸の日本橋から京の三条大橋までを結ぶ昔から存在する街道である。平安時代頃よりこの東海道という道が認識されだして多くの人が利用していき、江戸時代に徳川家康が各地に宿場町を造らせて「東海道五十三次」として整備されて発展する事になる。

 

こちらは神奈川県内を通る東海道のルートであるが、昔の人達は新幹線など無かったので、必然と歩きでの移動だった。その為に東海道の至る所に宿場町が造られていて、移動する人達に休憩する場所を提供していた。また江戸時代には参勤交代が行われていたので、一回大名行列がやってくると数百~何千人もの規模での団体客が宿泊したりという、かなりの規模だったようだ。

 

そして多くの人達が通った「東海道五十三次」の風景画は、江戸時代に多くの画家がその様子を描いて作品を残した。そして大名行列が目の前を通る際には、見世物的な興行に近い面もあったので、その様子を描く内容も沢山残されている。

 

東海道五十三次には、旅籠(旅館)が全部で3000軒前後も設置されていたという。その中でも一番旅籠の数が多かったのは熱海付近だそうで、地理的に渡し舟などの出る港付近は天候によって船が足止めされる事もあったので、その分宿も多く出来ていったようだ。

 

こちらの作品も江戸時代の有名な浮世絵師「歌川広重」が描いた、東海道の土山(滋賀県)の様子を描いた物である。現代では東海道を徒歩で移動するなんて想像にも付かないけど、この当時は歩きしか方法がなかったので、大名行列という行事が毎年行われていたというなんてキチガイの沙汰にも思えてしまうのである。。

 

江戸時代には戦乱が無くなった平穏な時代だったので、その東海道に沿って文化が花開き、その文化の様子を描いた浮世絵などの日本独自の画風が大きく成長していく。そしてその浮世絵はのちに開国した海外で大きく評価されて、ゴッホやモネなどの西洋画家に大きく影響を与えるのである。

 

こちらは小田原城内の地図であるが、後北条氏が築いた時代の小田原城はとても大きかったが、現在の復元された小田原城は実際に訪れると鉄筋コンクリート造りの城でもあるので、少々味気が無くてガッカリしてしまう城である。

 

そして何本かの街道には「関所」という、出入りを厳重に監視していた役所も置かれていた。現代は好き勝手に色んな県に出入りする事が出来るけど、当時は国境のように門が造られていて、素性を調べられて鉄砲などの武器持ち込みなどを取り締まっていた。

 

この箱根関所は江戸時代全般に渡って置かれていた役所で、譜代の小田原藩が管轄していた。この関所では鉄砲や矢などを配置して通行人に向けていたが、実際には火薬の入っていない鉄砲や、矢が無い弓ばかりなどが多かったとか。

 

関所はこのような「役所手形」なるものがあれば、鉄砲などを所持していても通過する事が出来た。今でいう通行許可証みたいなもので、お偉いさんの許可を得ていれば通過する事が出来た。なおこの箱根関所では、主に江戸から持ち出される鉄砲と、江戸から出ていく女性をターゲットにしており、関西側からの流入にはあまり注意を払っていなかったようだ。

 

こちらはそんな関所に置かれていた備品や武器などが展示されている。この中には時代劇でもよく見られるような十手などもあって、お馴染みの捕獲器なども見られるので関所の備品らしさが出ている。

 

こちらは日本人が大好きなストーリーの『忠臣蔵』を歌川広重が描いた版画であるが、その中でも鎌倉を背景にした設定になっているようで、鶴岡八幡宮がその舞台になっているようだ。忠臣蔵の話も実話の内容が特に受けたというよりも、平穏な江戸時代に芝居が流行って、その流れに大きく乗った事がここまで人気になった一因なのかもしれない。

 

そして次に見えるのは「旅行用心集」という1810年頃に発行された、江戸時代の旅行マニュアル本。どの時代も初めて旅行する人には大きな不安があり、こういった本を読む事で前もって予想される事案を想定して、不安を減らしていっていたようだ。。

 

そして静かな館内だったけど、こちらの職員のオバチャン2人が結構長くペチャクチャと喋り込んでいた。また静かすぎる館内だった事もあってオバチャンの雑談がよく聴こえてきたけど、コロナ禍でだいぶ暇なのはわかるけど、見学客の居ない場所でお喋りをして欲しい。博物館側の職員は給料をもらって仕事には関係ないお喋りをしていて、ボクは観覧料を払って博物館に来て職員のオバチャンの雑談を聴かないといけない。。

コロナ禍で暇すぎて毎日退屈なのは仕方ないけど、喋る事しかする事がないなら、当面はレイオフして職員の数を減らせば財政的にも見学者向けにも良くなるのに・・・と思った瞬間でした。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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