九州縦断旅:北九州編
旅行期間:2020年8月中旬
同情するなら飯をくれ?!
九州旅2日目は再び北九州市若松区を訪れます。石炭産業で栄えた若松のその当時の雰囲気が残るレンガ造りのレトロな建物「上野ビル」に辿り着きます。1913年に建てられたレンガ造りのこの建物は、その100年後にあたる2012年に”国の有形文化財建造物”に登録されています。
北九州市若松区にて
約100年程前に造られた、当時は旧三菱合資会社若松支店だった建物。現在では上野海運という会社の建物となっていて、いまだに現役で事務所や倉庫として使われているのである。
住所:福岡県北九州市若松区本町1-10-17
上野ビルに入る
約100年前の建物だけに館内はレトロというか、少しスス汚れている感じを受けるものの、汚いというよりも歴史を感じる建物といった内観をしている上野ビル。
この上野ビルは3階建てになっていて、1階は上野海運などの事務所が入っていて、2~3階は貸しテナントになっている。なので上の階へと登り、そのレトロな建物の雰囲気を味わいながらどんなお店が入っているのかを見てみる事に。
昔の建物だけにどうしても窓ガラスが少し汚れているようにも見えるけど、それよりもその先に見えている若戸大橋が目に入る。大きな橋が近くにあると、それがどうしても目に入ってしまい、その印象が強くなるような気がする。
トイレのドアも古い建物だけに、レトロ感満載のような雰囲気が感じれる。昔に造られただけあってトイレの間取りは狭いみたいで、男女別々のトイレになっていて、このフロアは女性トイレのみ。
建物は吹き抜けとなっていて、外から見ていたよりも内部はとても開放感を感じる造りとなっていた。なおこの建物に使われているレンガはドイツから輸入されたものらしく、当時としては輸入レンガを使っての贅沢な建物だったらしい。
古い建物も建て替えるんじゃなくて、このように末永く愛用して欲しいよね!
この階の上側は物の落下防止も兼ねてか、ステンドグラスが敷き詰められていたけど、思ったより綺麗でなく少し汚れた感じだったのが少々残念だったが。。
そして”エロ坊主オジサン”がたまに行くという銭湯へ案内してくれたけど、盆休み時期だったので残念ながら今日は営業していなかった。昨日までは営業していたようなので、残念ではあったけど、まあ銭湯はここだけではなく探せば他にもあるしね。
ゴメンゴメン、閉まってたか!じゃあ別の銭湯に行こう!
という事で若松区から電車に乗って行ける、別のスーパー銭湯へと向かう事に。途中若松区内にあったアーケードの商店街を通ると、ガラガラ状態だった所にポツ~~ンと猫が一匹暇そうに座っているのを発見する。
すると日本の屋外にいる猫ちゃんにしては珍しく、人間を見たらス~~っと寄って来るではないか?!という事はこの辺りの商店街の人達が餌をあげているのかもしれない。
そんな猫ちゃんの写真をアップにしてみると、ペロ~~ンと舌を出しているのが見える。どうやら今日は商店街がガラガラで、まだ餌を貰っていないからお腹が減っていた時にボクらを発見したので餌を求めて寄ってきたようだ。
ボクらに餌を期待して寄ってきた猫ちゃんだったけど、ボクらが餌を持っていないのが分かると「なんやねん、コイツら。期待外れニャン!」という様な顔をして、体を舐め始める。
凄く人馴れしていて触っても全然驚かない猫ちゃんだったけど、「オマエラ、オレに会いに来るなら餌ぐらい持ってこいよ!」というような目付きにも見えたような。。
そしてこの商店街には、河童伝説が根強く残る若松地区だけあってマスコットキャラクターの「わかなちゃん」の像が設置されていた。
ただ若松区には「わかっぱ」という、河童とトマトを掛け合わせて産まれたようなマスコットもいて、河童好きな若松区の様子が伝わってくる場所だった。ただそんな河童好きな町だけど、高塔山展望台公園にあったように”カッパ封じの地蔵”など昔は河童に危害を加えていたのを懺悔しているのかもしれない。
商店街から歩く事数分でJR九州の筑豊線『若松駅』が見えてきた。この駅の路線は鹿児島へと下って行く鹿児島本線ではなく、明治~昭和時代に最盛期を迎えていた石炭産業の石炭を列車で運ぶ為に造られた路線「筑豊線」の終着駅でここ若松から船に積み込まれていた。その船に石炭を積み込む時に、昨日小屋を見学した”ごんぞう”が活躍していた訳である。
若松駅からJR九州の電車に乗る
この若松駅は2017年にそれまでの駅舎がリニューアルされて、このような新しい外観の駅となっていた。この駅舎自体は1984年に造られた3代目になるものの、リニューアルして観光客を呼び寄せる原動力になった門司港駅とは違って、何ともレトロ感の無い味気な駅になってしまい、地元民からも不満だらけのデザインになってしまった駅だそうだ。
若松区に愛着を持つ人間からすると、とても残念な駅になってしまったよ!
そんな若松駅の中には昔の石炭輸送がメインだった頃の昭和30~40年代の写真が展示されている。右上にある「昭和39年頃の若松駅」が”エロ坊主オジサン”の記憶の中にある、全盛期の若松駅のイメージなんだろう。確かにこの頃の駅舎に比べると、2階建ての駅舎が1階建てと小さくなって、その若松地区の最盛期を支えた駅舎が小さく弱くなってしまった印象をどうしても受けてしまう。
そしてこの若松駅は朝の通勤ラッシュ時だけしか駅員は居なくて、基本は無人駅だという。ただ無人駅だったけど自動改札はちゃんとあって、JR西日本のICカードであるICOCAもちゃんと使えた。都市圏に住んでいると今ではどの駅でも交通系ICカードを使えるけど、地方都市に行くと交通系ICカードが使えない場所も多々あって、少々戸惑った2020年の国内旅行であった・・・。
オレは現金派なんで問題ないけ!
そんな若松駅内には、この近くにある折尾駅名物の「かしわ飯」や「かしわ入りうどん」を販売する「東筑軒」の売店が見える。リニューアルされた若松駅の構内でも、しっかり生き残っているようだ。
販売し出してから約100年が経過する、北九州市でも人気で伝統的な弁当である。
味気ない駅舎の若松駅だったけど、構内は普通の駅だった。かつては石炭運搬で栄えた駅であるが、その後の石炭産業の衰退により1982年には貨物運搬は廃止されて、今では旅客列車のみの運航となっている。
ホームに入ってきたのは2016年から運行を開始している”架線式蓄電池電車 「DENCHA」”(近郊形交流用蓄電池駆動電車BEC819系)と呼ばれる車両である。
この新しい電車は架線が無い区間では搭載された蓄電池に蓄えられた電力で走行し、架線がある区間ではパンタグラフをあげてそこから電力を得て走るのである。
この「DENCHA」の車両内はまだ新しく、電飾モニターもあったりでこんな田舎路線の車両にしてはビックリする程の最新列車である。
田舎って言うな~~田舎って!
そんな筑豊線を走る「DENCHA」に乗って、折尾駅まで向かい、ここで鹿児島本線の路線に乗り換えます。
さっき見た東筑軒の「かしわめし弁当」の駅弁が有名でもあるこの折尾駅は、歴史自体は1891年に開業してから約130年が経つ。北九州を結ぶ九州鉄道と、石炭運搬する筑豊鉄道がそれぞれに駅を構えていたが、利便性の向上を図って2階建て駅舎に両線が集約されて”日本初の立体交差駅”となった駅である。
そんな折尾駅のホームで鹿児島本線に乗り換える為にホームを移動すると、目の前には先程乗車した「DENCHA」のネーミングの電車とは全然イメージの違う「いさぶろう・しんぺい」という電車が目に飛び込んできた。
この列車は熊本駅~人吉駅~吉松駅(鹿児島県)間で運航している観光列車であるが、今では門司港駅~博多駅間でも1往復運転をしているという。なおこの車両の名前、”いさぶろう”は明治時代の軍人である山縣有朋の養子であり逓信大臣となった山縣伊三郎の名が、”しんぺい”は台湾総督府民政長官や満鉄初代総裁など植民地経営にて手腕を発揮した後藤新平の名が付けられている。
この折尾駅は昔から北九州市を繋ぐ路線と筑豊線の交差点でもあったので、九州内でも5本の指に入る乗客が多い場所だという。1位が博多、2位が小倉、3位が鹿児島中央、4位が大分、5位が折尾駅という意外に知られていない駅だけど九州内では存在感のある地域である折尾。
そんな折尾駅で次の電車を待っていると、お喋り好きな”エロ坊主オジサン”が東筑高等学校の野球男児を発見したので、嬉しそうに何か喋りかけている景色が見える。この”エロ坊主オジサン”は誰にでも喋りかける事が出来る、心臓に毛の生えたようなというか、とてもフレンドリーなオジサンなのである。
いや~~野球部の子供などを見ると、どうしても喋りたくなるんよ~~!
そしてそんな大きな折尾駅から1駅だけ電車に乗って、辿り着いたのが陣原駅。こちらは先程の折尾駅とは違い、周囲は意外と閑散としていて静かな駅前の景色が広がっていた。
そんな陣原駅から歩いて数分の所にあるスーパー銭湯「パビリオ陣原の湯」に到着します。ここは休みがなく毎日営業しているので、安心して来れる銭湯なんだとか。
オレはここも好きで、よく来るよ~~!
住所:福岡県北九州市八幡西区陣原1-2-16
【営業時間】 10時~24時(最終受付は23時まで)
【料金】大人(中学生以上) 平日750円 土日祝800円
子供(3歳~小学生) 350円 乳幼児は無料
さてこのスーパー銭湯で約1時間の休憩となります。
さてここでゆっくり風呂に浸かって、さっき飲んだアルコールを抜くぞ~~!
風呂に浸かってもアルコールは抜けませんよ・・・
小倉の街にて
そしてたっぷりと「陣原の湯」の”炭酸カルシウム温泉”に浸かった後は、再び小倉の街に戻り晩飯を食べる事にします。そして”エロ坊主オジサン”が約1年程住んでいたタイ料理屋さんを見つけて中に入ります。そこでボクがオーダーしたのは、こちらの空芯菜の天麩羅。
これが意外と美味しく、ハマる味でした!
”エロ坊主オジサン”と”佐賀の岡ちゃん”は後で車の運転が控えているのでアルコールは飲みませんが、車を運転しないボクだけは1人ビールを味わう事に。
向かいに座る”エロ坊主オジサン”は、嬉しそうに現地タイ産のウォーターメロン味のジュースを味わっています。
タイで住んでいた頃を思い出すよ~~!
そんなコロナ禍で海外に行けないけど、ちょっとタイっぽい雰囲気を味わった後は車を停めてある場所に向かって歩きます。途中”エロ坊主オジサン”から小倉の街を支配している暴力団の「工藤会」の、福岡県警によって使用制限されている建物などを案内されます。
やんちゃな人間が多い街だけあって、このように今でもその流れを継いだような暴力団が小倉の街を牛耳っているようだ。
この「工藤会」は商店街などでみかじめ料などを払わない飲食店に手榴弾を投げ込んだりと、小倉の暴力団っぽい荒い事件を起こしたりしていた。しかしそんな荒っぽい仕業が逆に福岡県警による手入れが厳しくなって、近年は工藤組も衰退傾向にあるという。
ただこうやって夜の小倉の街を歩いていると、そういった荒っぽい感じの街並みのイメージは全然感じられなかったけども。ただ夜は汚い物はライトアップされずに、キレイなものしかライトアップされないのでそんな汚い部分がただ単に目に付かなかっただけかもしれないけども・・・。
北九州市には小倉競馬場並みに大きな競輪場がある。単なる競輪場にしては大き過ぎる規模の建物で、それも工藤会の幹部が関わっているからそんなに大きな建物を造って、裏金が工藤会に流れたとかいう噂が付き纏っているらしい。
そんな小倉の街も暴力団の取り締まりを受けて、徐々に静かで穏やかな街に変わっていくのだろうか。ただ暴力団を壊滅してしまうと、逆に海外からやって来るマフィアの防波堤が無くなるので一定の暴力団は置いておく方がいいのだという。
さて電車で佐賀に帰る”佐賀の岡ちゃん”を見送った後は、アルコールもすっかり抜けた”エロ坊主オジサン”の運転する車でオジサンの自宅へと帰ります。この道は昨日通った若戸大橋の横に造られている、若戸トンネルの道を通って帰るようだ。
さて今回の九州旅はまず北九州市を昨日今日と2日間案内してもらったけど、明日からは北九州を離れて別府方面へと向かう予定である。別府と阿蘇方面に行った後は、オジサンと別れて鹿児島で1人旅をする予定。なお鹿児島では去年(2019年秋)の旅で一緒に鹿児島を案内してくれた”西郷どん君”と会う予定だったけど、鹿児島県民からするとコロナウイルス感染者が多い大阪人との接触にはちょっと抵抗があったようで、今回の鹿児島散策は1人でする事となる。
そして2泊目となる”エロ坊主オジサン”の自宅に到着。ここはリビングルームであるけど、おっさん男一人暮らしの景色が見えている。
畳むのは面倒だから放ってある洗濯物だけど、ちゃんと洗濯はしているぞ!
一応部屋では冷房を点けてくれたけど、寝る時はエアコンのスイッチを切るので今日もこの大事な扇風機を使わせてくれた。
とても年季の入った扇風機で、その歴史がフィンに付いているのが見えている・・・
独り暮らしであまり家にも滞在していないので、必要以上に掃除する事はないという。なのでこの扇風機も年がら年中出しっ放しのような埃が付いていた・・・。
扇風機も動かしたら、埃は飛んでいくから問題ないけ!
2階建ての1軒屋ながら殆どこのリビングルームのある1階しか活用していないので、「これならこの自宅を売ってマンションの小さな部屋に移り住めばいいのに!」とお節介な想いが頭に浮かぶような家で今日も眠るのであった・・・。
こんな旅はまた次回に続きます!
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