飫肥城にある「松尾の丸」で、昔のお殿様の生活を体感する【宮崎旅行記55】

宮崎県旅行記2020年-55

 旅行期間:2020年10月18日~22日
(Experience the life of a lord in the old days at the “Matsuo no Maru” in Obi Castle.)

トイレや風呂まで観察されていた?!

ここは宮崎県でも南部の方にある日南市の、飫肥城跡に造られている江戸時代の御殿を再現した「松尾の丸」という建物。飫肥城敷地内にある有料施設を、前回同様見学していきます。

 

 

 

「松尾の丸」を引き続き見学!

次の部屋はこのように少し豪華な感じに見えるので、この部屋が殿様が使っていた部屋のように思える。ただこの建物は昔存在した建物ではなくて、あくまでも昔の建物をイメージして再現して新しく造られたものである。

 

この部屋にも鎧が置かれているけど、この鎧も普段使わない時は鎧箱に入れられていたのであろう。下っ端は別として偉いさん達は最初から鎧を着ていると行軍途中がシンドイので、この箱に入れて部下に運ばせていたのかもしれない。

 

このように殿様の部屋を再現した部屋で、殿様が座る片肘つける座椅子のような物が見える。何故両肘を載せるのではなく、肩肘だけかは分からないけど、このような座椅子に座って肩肘を置き続けていると姿勢が悪くなりそうにも思える・・・。

 

なおこの座椅子は記念撮影用に設置されていたものだったので、せっかくなので記念写真を撮ってみる男の姿が見える。

こうやって見ると、我ながら殿様役が似合わないね・・・

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

バカ殿の方が似合うけ!(笑)

 

殿様の部屋の横に造られていた納戸は元々物置とされていたけど、誰かと謁見する時にはここに警護の人間を密かに待機させていた。ただその話は俗説だったという話もあり、また江戸時代中期以降はこの部屋に護衛を置く事は無かったという。

 

この部屋は「賄(まかない)方」という、台所から料理を配膳する為の部屋だった場所。殿様が住んでいた御殿は殿様の生活中心であった為に、部屋で一緒に誰かと食事を共にするという機会もあまり無かったのかもしれない。

 

なおこの部屋に置かれていた火鉢は、平成18年の台風で倒れてしまった樹齢300年以上とされる木(イヌマキ)を加工して作ったものだそうで、そんな古い年代に作られた品ではなさそうだ。

 

 

殿様というと志村けんが演じた『バカ殿』のように遊び回っていた殿様のイメージもあるけど、実際には保守的な昔の日本では主家の血筋を残す為に幼い頃から厳しい修行や稽古を課せられ、またあまり遊び回る事も出来なかったのだろう。

 

そんな殿様も奥さんを自分で決めれる訳ではなくて、自分がまだ生まれて間もない小さな頃に親によって縁組がされて、選ぶ間もなく決められた結婚が待ち受ける運命だった。また正室以外に側室を何人も抱えたりすると、それぞれの相手をするのも思っているより大変な事だったのだろう。

 

ここは「御寝所」となっていて、今で言う寝室の部屋。ここでは殿様が住んでいたイメージを作る為にも兜や鎧などが展示されているのが見えるけど、実際にこのような物が置かれていたのかは不明であるが。。

 

そして奥に進むと行き止まりの場所にあったのが「殿様御厠」で、ここは殿様専用のトイレだった場所。このような殿様が住んでいた御殿は殿様用の施設だった為に、この屋敷に働く家来達は勿論このトイレを使うのはご法度であった。

 

そしてこちらに張られている解説では、このトイレの外側では引き出しのような設備があって、殿様が排泄した大便を取り出して担当医が殿様の健康状態を観察していたという。

 

今でもたまに人間ドックなどで検便を提出する事もあるけど、毎日の健康状態は排出する便を見るだけである程度把握出来たようだ。確かにしっかりした形が形成されている便だと特に健康状態はいいけど、ベチャベチャな便だと何かでお腹を下して体調が悪いと判断できる。

 

そんなトイレは勿論使用できないけど、このように「使用禁止」と張り紙がないとここで用を足す人がいるのだろうか?

日向夏男
日向夏男

人間もドコでも用を足す人が多いよ!

 

さっきの便が入れられる引き出しには灰や砂が敷き詰めてあったようで、今で言うなら猫のトイレといった感じだったようだ。この事からもそれだけ殿様の健康状態を常に管理する事が、そのお家を守る為に重要な事だったのが分かるのである。

 

こちらの狭い部屋は殿様が着替える場所だったようだ。それにしても狭い部屋だけど、ここに押し込まれて着替えるよりも広い部屋で着替えさせてあげた方が良かったのではと思ってしまうが。。

 

こういった廊下を何気に歩いているが、これも全て樹齢が100年以上経過している飫肥杉を使ったものなんだろう。飫肥杉の価値が分からない者からすると単なる廊下であるが、飫肥杉を意識するだけで重厚感のある廊下に見えるような・・・?!

 

こちらは「長櫃(ながびつ)という、衣服や調度品を入れる為に使われていた箱である。なおこの箱を運ぶ際には横の取っ手に棒を通して前後に分かれて担いでいた為に「長持(ながもち)とも呼ばれていた。

 

 

このような武家屋敷では江戸時代中期になってから押し入れが作られたそうだけど、それまではこの長櫃に物を全て閉まっていたようだ。

 

さて館内はまだ終わりではなく、もう少し部屋は続くようです。なおこちらには少し階段があって、武家屋敷内では珍しい階段があるだけにその必要性がある構造となっている部屋が待ち受けていそうだ。

 

そんな期待して進んで行くと、特に何の変哲もない普通の部屋が待ち受けていた。期待し過ぎただけにちょっとガッカリだったけど、この部屋自体は変哲のない普通の部屋だけど、この隣が特別な部屋となっているようだ。

 

この部屋はこちらのイメージ図を見れば分かるように「脱衣室」になっている。脱衣室というと服を脱ぐ部屋であるが、服を脱ぐという事は・・・・・?

 

そんな脱衣所の横にあったのが、こちらの「蒸し風呂」である。前に大分県別府に行った時にも見かけたけど、昔は温泉に浸かるだけではなくて、その地熱を利用して蒸し風呂で療養していた程、昔は蒸し風呂(サウナ)が人気だったのである。

 

この張り紙のようにこの「松尾の丸」では、色々と細かい解説がされていて、しかも少し遊び心が入った内容になっていた。なので堅苦しい文字だらけの解説ではなくて、このように可愛らしい殿様イラストなども入っていて、見やすくされていた。

 

こちらの蒸し風呂はこのように釜で熱した湯の上に、その熱い湯気を体感する場所だったようだ。なお実際に蒸し風呂を体験する際には、「湯帷子」という浴衣のような服を着ていたようだ。

 

こちらはそんな狭い蒸し風呂内の様子。ここは殿様の御殿だった設定の為に、勿論この蒸し風呂も殿様専用の設備だったのである。

 

わざわざ床に敷き詰められているスノコの一部が開けられており、そこからは熱していた水が入れられていたボウルが見えている。思っていた以上に少な目の水量だったようだ。

 

こちらはそんな蒸し風呂で水を沸かす為の釜が、部屋の外側に設置されているのが見える。おじいちゃんの家に釜があって、昔ながらの五右衛門風呂に浸かった時の記憶が蘇るような釜である。

 

現代ではこのように薪を使って、お風呂を沸かすという機会がとても少なくなっている。ある程度の都会に住んでいると、キッチンの電子化にも伴って火を点けるという行為すら、接しないような生活となりつつある。

 

江戸時代から現代まで150~400年位が経っているけど、明治時代に入ってから開国して大きく日本国内の生活様式が変わってしまった。それ以降は産業革命や電子化されて使い勝手が便利な物が次々と開発されてきた影響もあって、大きく人類の生活が変わってしまっている。なのでこのような昔の生活様式を見れる場所というのは、とても貴重な場所となっている。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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