瀬戸内海を支配していた村上海賊の本拠地を想像させる「因島水軍城」【尾道&岡山旅行記㉞】

尾道(広島)&岡山旅行記2021年3月-㉞

旅行期間:2021年3月某日(3泊4日旅)

イメージ城郭?!

しまなみ海道サイクリング ルート 因島水軍城

尾道側から出発した”しまなみ海道サイクリング”途中で、因島の中心部に造られている「因島水軍城」に寄り道します。

 

 

因島の因島水軍城を訪れる!

広島 瀬戸内海 因島水軍城 

ここは”村上海賊”とも呼ばれた戦国時代まで瀬戸内海の航路を支配していたという、村上氏の居城を連想させる「因島水軍城」が作られている場所。ただし、この因島水軍城は史実にあった城跡ではなく、実は観光資源として新たに生み出された”模擬城郭”となっている建物。

もみじ饅チャン
もみじ饅
チャン

偽物じゃのうて、模擬城郭でがんす!

 

【因島水軍城】

住所:広島県尾道市因島中庄町3228-2
営業時間:9時30分~17時頃(※定休日:木曜日)
電話番号:0845-24-0936
入館料:大人330円/小中学生160円

 

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 案内板

この辺りは「中庄」と呼ばれていた地域で、村上水軍として名を馳せた因島村上氏の本拠となっていた場所。しかし、江戸時代になると因島村上氏は毛利家の家臣となって山口県の長州藩に合流し、この中庄地域は平穏な農村として以降存続してきたという。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 案内板2

この因島中心部に水軍を支配していた村上氏の本拠地があったというイメージがあまり出てこないけど、どうやら昔は近くまで海だったようだ。時代を経る毎に農作地を増やす為に埋め立てが行われたようで、すっかりと地形が変わり果てていた。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 建物 見上げる

この上に見えている「因島水軍城」という建造物は、本当にここにあった城跡ではなく、どちらかというと”城郭風建造物の資料館”という方が正しい。何も知らない観光客からすれば、”城跡の天守閣”という勝手なイメージを抱きやすいけど、それはこの因島に観光客を呼び寄せたい人達の意図にまんまと嵌められている訳だ。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 通路

自治体によって昔の城郭が現存している所は、過去の遺産を活かして観光資源に活用しているけど、この因島みたいに特にこれといった遺産が形として残されていない場所は、アイデアで観光客を惹きつける必要がある。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 案内板階段 旗

その為に近年に知名度が少しずつ出てきた”村上海賊”の名前を全面的にアピールして、頑張って観光客を呼び込もうとしている姿が見える。ただこういった地方はボッタクリに近いテーマパークとは違って、良心的な入場料となっていて、ここに来なければ一生知り得る事が無かった知識を勉強できる機会が多いので、地方に来たならついでに寄り道したい所でもある。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 階段 入口

だからこのような門も城跡を想像させる造りになっているが、これも因島水軍城用に新たに造り出された門となっている。この場所は因島村上氏の菩提寺となっている金蓮寺が、因島村上氏の資料などを展示して多くの人達にその歴史を知ってもらいたいという想いから、開発されていったようだ。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 入口 旗

1983年に因島水軍城がオープンして、それ以降に”村上水軍”にも特化してアピールしている。ただネーミング的には「村上水軍」よりも「村上海賊」の方がインパクトがあるので、どちらかというとこちらの旗にもあるように「村上海賊」を強調しているように思われる。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 階段 登る

陸地を治めていた大名は有名だけど、海軍を指揮して海上を支配していた大名はそこまでメジャーでもないような気がする。水軍を支配していた大名はどちらかというと、脇役に回っているような存在で、表に名前が出てこなかった事も要因かもしれない。

 

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 入口 旗

村上氏というと、この「丸に上」が入っているシンプルな家紋が特徴的である。ちなみに「村上」という名前(姓)は全国的に40位内に入る程によく耳にするが、その中でもこの広島県尾道市周辺に住んでいる人が一番多いようだ。ついで愛媛県今治市が2番目という事で、今の村上という苗字のルーツがこの瀬戸内海に潜んでいるようだ。

 

 

風になびく「丸に上」の旗! 動画

 

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 模擬天守

こちらの天守閣のような建物が、因島水軍城の本丸的な建造物になっている資料館。ただ過去の歴史とかを全く知らない観光客からすれば、勝手に城の城郭が残っている場所かと勘違いしてしまうが。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 入口 観覧料

こちらの因島水軍城:入場料は、大人330円・小中学生160円となっている。個人的には330円というのは中途半端で支払い時に必ず10円玉を使わないといけないので、現金支払い時に手間の少ない300円か350円にした方がいいのではと思ってしまう料金だったが。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 村上氏旗

この因島水軍城の建物が造られているのはちょっとした高台の上なので、このように村上氏の家紋が入った旗が風に吹かれて、元気よくはためいているのが見える。こういう景色を見るだけで、不思議と村上水軍のイメージが大きな物に見えてくるのである。

 

 

因島水軍城の景色! 動画

 

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 模擬天守 建物

高台の上にはこの天守閣のような建物以外に、「二の丸」の展示室や、「隅櫓」という展望台も合わせて造られている。なお、係の人が常駐しているのは入口で支払いが必要なこの天守閣のみで、後は無人となっている。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 模擬天守 案内板

去年今治側からサイクリングに来た際にも村上氏の観光施設を訪れたけど、逆に言えばこの瀬戸内海付近は村上氏ぐらいしか有名な家系が無くて、それ以外だと全国的な知名度が無いだろう。

 

陸地がもう少し広ければそれなりに発展していたのだろうけど、これだけ小さな島だらけの場所では大きく発展する事も出来なかったという事かもしれない。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 模擬天守 しゃちほこ

入口脇には鯱のような物も置かれていたけど、こちらにも村上氏の家紋がハッキリと入っているのが見られる。この家紋を見ていると、「村上」の二文字の中でも「村」よりも「上」の文字を強調していた事が分かる。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 模擬天守 景色

そしてここから南の方角には、頂上が台形のような形になっている山も見える。実はこの真ん中の山の上に「青陰城跡(あおかげじょう)という、戦国時代の山城があったとされる城跡があるのだ。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 城跡

この青陰城跡を居城にしていたのは、村上氏の始祖ともされている南北朝時代に”海賊大将”としても恐れられた「村上義弘」だったようだ。この辺りとしては大規模な山城だったようだが、今ではその城郭跡は殆ど見られずに辛うじてその跡片だけ見られるようだが。

 

 

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 模擬天守 案内板

こちらの案内板には、「全国でただ1つの水軍城です」という記載があるけど、その「水軍城」の定義がイマイチ理解できない・・・。村上水軍が本拠地としていたから「水軍城」という名前になっていたのか? それとも近くまで海があった為に船で出入り出来た為か?

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 模擬天守 案内板2

ただ全国にある城跡には船で出入りできた城は意外と多い。ただそれは海軍として船が出入りしていたというよりは、海運で物を運搬するのがメインだったので、荷物の運び入れで船が出入りしていたという事なのだが。

 

 

因島水軍城:資料館の見学!

広島 瀬戸内海 因島水軍城 日本遺産 旗

「水軍城」という定義についての意味はともかく、目の前にある因島水軍城の資料館となっている模擬天守の中に進んで行く。こちらの入場券はこのようにカラフルなデザインとなっていて、それなりにデザインにも力を入れている様子が伺える入場券だった。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 模擬天守 館内

この資料館内は大半の物が撮影できるけど、一部だけ写真撮影禁止の物も展示されている。ただ丁寧にそれぞれの展示品毎に「カメラOK」マークなどで識別してくれていたので、それを見ながら写真を撮影できる物だけを撮っていく事に。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 模擬天守 館内 船模型

そして資料館に入ると、まず目に入ったこの大きな船は「大阿武船(おおあたけふね)」(※安宅船とも)という、戦国時代末期に水軍の主力艦として使われていた大型船の模型である。勿論戦国時代にはまだ動力となるエンジンや蒸気機関は発明されていないので、このように船の中で船員がオールで漕いで進んでいたようだ。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 館内 大阿武船

戦国時代まではこういった船の開発がどんどん進捗していったけど、江戸時代に入ると江戸幕府より規制が入って、大きな船を建造する事が禁止されてしまった。それによって日本国内の船の進歩が止まってしまい、後にペリー提督率いる黒船に手も足も出ない状態になってしまうのである。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 館内 大阿武船 模型

その手前にあったのは「関船(せきぶね)という、戦国時代から江戸時代に掛けて水軍の船として使われていた、中規模の船。江戸時代には大規模な船の建造が禁止されていた為にこの関船が多用され、西国の大名が参勤交代に向かう場合などにも活用されていた。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 館内 太鼓

現代みたいに無線や電話の無い時代には、こういった太鼓や鐘を鳴らして、周囲に指示を伝達していた。このような太鼓は今では祭の時の風物詩みたいな物に思えるけど、昔は重要な連絡物だったのである。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 館内 鐘

そしてこちらには鐘も展示されている。昔は年末の大晦日に寺で除夜の鐘が鳴らされて年の終わりを知らせたけど、今でテレビが全世帯に普及している事もあって、除夜の鐘の音を聞く事もなく、テレビを見ているだけで元旦を迎える瞬間をいち早く知る事ができる時代ともなっている。

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 館内 地図

この瀬戸内海の航路図を見ると、地元の水軍や海賊の指示無くして、無事この海域を通過できるとは思えない程に入り汲んで迷路のようになっているのが分かる。しかも海域によって潮の流れが速い箇所もあり、それも干潮や満潮の時間帯によって変化するので、余計に先導役が必要だった事が分かる。

もみじ饅チャン
もみじ饅
チャン

瀬戸内海にゃあ交通整理が必要じゃ!

 

広島 瀬戸内海 因島水軍城 館内 八幡菩薩

村上氏は”八幡大菩薩”を旗印として、この瀬戸内だけではなく、朝鮮半島や東南アジアの方にも進出していたという。八幡神を信仰していた事もあって、船は「八幡船(ばはんせん)という名前が付けられていたようだ。

 

瀬戸内海 因島水軍城 帆立 前立て

そして”水軍”だったというのが象徴されているのが、こちらにあった兜の前立て。兜の前立てというと色んな形の装飾が施されていて、戦国時代の創意工夫が籠められているシンボル的な存在だが、このような”ホタテ貝”はまさしく海軍を連想させる物となっていた。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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