志賀直哉の代表作『暗夜行路』の舞台ともなった、尾道の坂道を進む【尾道&岡山旅行記⑩】

尾道(広島)&岡山旅行記2021年3月-⑩

旅行期間:2021年3月某日(3泊4日旅)

文学の街!

尾道 ネコのテパン 看板

日本国内でも右肩上がりに観光客が増えている尾道の街。ただ日本の抱える少子高齢化とドーナツ化現象は地方程に大きな影響を受けており、ここ尾道も例外ではなく、人口が年々減少していて空き家が増えるなどの問題が増えている。しかし、尾道市は空き家対策として新しく入るお店のリフォームを支援していて、今では若者観光客が行きたがるようなお店も増えつつあるようだ。

 

 

 

尾道の坂道にて

尾道の坂道の街並み

そしてこの坂道に建っている民家は昔に造られた物が多く、壊して新しい建物を建てるにしても以前より小さい建物になってしまうので、余計に新たな買い手が現れないという負のループが起きつつある。そこに目を付けた尾道市では、古い建物を壊すのではなくリフォームして再活用してもらうように支援し、近年はその甲斐あってチョコチョコではあるが、リフォームされる建物が増えつつあるようだ。

 

尾道の坂道の街並み1

ただこのような細い坂道ではトラックやショベルカーなどが入れない事もあって、平地のように簡単に工事が出来ない。昔はそんな事気にせずにどんどん建物を造れた時代だけど、現代は効率が悪い作業が敬遠されつつある時代なので、これからの時代にはこのような狭い路地に住宅街が造られる事は無くなっていくのだろう。

 

尾道の坂道の街並みで猫を発見

そして尾道の坂道らしく、このように家の塀の上に猫ちゃんを簡単に発見する事が出来る。このような景色からも、猫ちゃんが愛されている尾道らしい雰囲気も感じ取れるのである。

 

尾道の坂道の街並みで猫を発見1

このような猫ちゃんも誰かに飼われているのか、それともこの近辺で暮らしているだけの猫ちゃんかは判らないけど、猫が似合う街となっている。また近年では尾道市で”猫”を観光資源として活用し、猫を大事にする事によって、猫ちゃんを目当てに観光客にやって来てもらおうという方針を打ち出している。

 

尾道の坂道の街並みで猫を発見2

このように地域で管理されている”地域猫”の多くは、耳がカットされているのを見れば分かるように去勢手術が行われている。猫は一回の出産で数匹の子供を産む為に、個体が増えるスピードが速い。その為に野良猫もほったらかしにしているとあっという間に個体数が増えてしまうのだが、その対策として去勢手術を行う事によって、無理のない範囲で猫を管理している。

 

 

「吉備津彦神社」にて

尾道の坂道にある休憩所

そして路地を適当に進んで行くと、また別の寺の境内に足を踏み入れてしまう。このように適当に路地を進んで行くと、猫と寺ばかりに遭遇するのである。

 

【吉備津彦神社】

住所:広島県尾道市東土堂町9-16
電話番号:0848-22-5545



 

吉備津彦神社 尾道

全国には寺町という寺ばかりが密集しているエリアが多々見られるけど、これだけの狭い場所に寺が沢山存在していても、競争で負けて追い出されたりせずに何故共存していられるのだろうと疑問に思ってしまう。ただ寺が多いという事はそのパトロン的な支援者が多く存在していたという証でもある。

 

吉備津彦神社からの景色 尾道

こちらは坂道側の寺の境内から、下を見下ろした景色。下側は寺などは殆ど見当たらずに、商店が立ち並ぶ商店街を形成している。なお、この商店街はかつての”西国街道”に当たる場所で、昔から人の行き交いが多かったので栄えたエリアとなっているようだ。

 

吉備津彦神社 尾道 境内

これだけ寺が多いと、どの寺がどれだったか、全然記憶に残らない。この寺では産まれてから間もない小さく猫ちゃんが居た記憶があるけど、寺としてではなく猫ちゃんを見た記憶しかないのである・・・。

 

尾道 坂道

さてそろそろ17時近くなってきて、太陽もお疲れで休みたくなってきているような弱い日差しになってきた。今は尾道の坂道を適当に歩いて満喫しているが、一応目標はこの坂道の上にある「千光寺」という、尾道でも有名な寺。

 

尾道 坂道

このような坂道は細かく道案内板も設置されていないので、とにかく”あみだくじ”のように一旦進んで行って、行き止まりだったら引き返してくるだけ。ただ、このように先に何があるか分からない状態の方が、冒険している感じがあって意外と楽しめるのである。

 

 

「尾道市文学公園」にて

尾道 坂道 尾道市文学公園

そんな風に適当に進んで行くと、次はこちらの「尾道市文学公園」に出てくる。この尾道は猫だけではなく”文学の街”としても有名な場所らしく、近代文学界でも有名な「志賀直哉」「林芙美子」にゆかりのある場所でもある。

 

 

尾道 坂道 尾道市文学公園 景色

この近くでは明治~昭和時代に活躍した”白樺派”を代表する小説家だった「志賀 直哉(しが なおや)が、一時尾道に滞在していた時に住んでいたという場所でもあるので、このような文学公園が造られていた。

 

尾道 坂道 尾道市文学公園 石碑

こちらの歌碑は「山下 陸奥(むつ)という、明治時代にこの尾道で生まれた歌人の歌った内容が彫られている。ただここに彫られている歌はこの尾道に関係する内容ではなく、富士五湖の景色を見た時に詠んだ内容のようだが。。

 

尾道 坂道 尾道市文学公園 小屋

ただこの場所は「文学公園」として管理されているからか、ここをテリトリーとする猫ちゃんの姿は見られなかった。尾道の街では受け入れられている猫ちゃんも、この文学公園からは追い出されていたのかもしれない。

 

尾道 坂道 尾道市文学公園 志賀直哉 旧家

そんな文学公園の中にあった古そうな建物は、かつて志賀直哉が尾道に滞在していた時に住んでいた家である。志賀直哉は裕福な家庭に生まれ育ったが、やがて父親に反発して喧嘩となり、約半年ほど家出という形でこの尾道に住む。その時に将来の代表作である『暗夜行路』の構想を練ったとも言われているが、事実かどうかは不明。

 

尾道 坂道 尾道市文学公園 志賀直哉 旧家 閉鎖

前までは志賀直哉の旧居として一般に開放されていた建物であるが、今では休館となっているようだ。あまり人が訪れない事もあって、せっかく公開しているのにそれに見合った効果が得れないようだ。現代人は俳句などの文学にそこまで興味が無い人が多いので、このように日本らしい文学も衰退に向かっているのが分かる場所でもあった。

もみじ饅チャン
もみじ饅
チャン

素晴らしい文化が消えて行くのは寂しいね・・・

 

尾道 坂道 尾道市文学公園 志賀直哉 旧家 景色

現代はパソコンやスマホの普及があって、文字を書くという人類が昔から普通に行ってきた行為も少なくなってしまった。なので現代人は特に文字に対しての意識が薄れてしまっており、漢字一文字の使い方に拘る文学に対しての理解も少なくなっている事だろう・・・

 

尾道 坂道 路地 景色

猫ちゃんが居ない場所で長居する意味がないので、とりあえずまた歩き出す事にした。”猫の街”とも呼ばれる尾道だけど、さすがにそこら中で猫を見かける程に沢山居る訳でもない。

 

尾道 坂道 路地 景色

路地を進んで行くと見えてきたこの坂道は、千光寺に歩いて向かう代表的な坂道だったので、このように他の路地に比べると道幅が広く、手摺も設置されていた。足腰が弱っている現代人からすれば、何故ここまでしてシンドイ思いをして坂道を登らなければいけないのかと思ってしまうけど、昔はこんな坂道なんて皆ヘッチャラだったのだが。。

徳川ヨシオ
徳川ヨシオ

現代人は体が鈍り過ぎだ!

 

尾道 坂道 路地 景色看板

こちらは民家の壁に書かれていた、千光寺まで向かう坂道をシンドイ思いをして登る観光客に向けたメッセージ。ただ何年も前に書かれたものらしく、このようにそのインキが消えかけてしまっていて、全然その内容を読み取れなかったのであるが。。

 

尾道 坂道 路地 景色2

江戸時代までは普通に体を動かして移動するのが当然な時代だったけど、現代では体を動かして動く事が少なくなってしまった時代となっている。だから、このような階段を見て「登りたくない・・・」と思う人も増えただろうが、このような階段すら登れない体力だと、どこにも行けないのであるが。。

オカン
オカン

エエねん、最近は車や飛行機があるから!

 

尾道 坂道 路地 景色 手形

坂道を登っていくと、このように誰かの足形プレートが嵌められた石碑が足元に飾られていたが、知っている名前は見られなかった。

 

尾道 坂道 路地 景色3

特に何段の階段を登ったかまでは数えなかったけど、色々歩き回ったのでそこそこの段数を登ったと思う。しかし、個人的には散策している気分なので全然シンドイとは思わず、初めての場所を散策する楽しい気持ちの方が上回っていた。

 

尾道 坂道 路地 景色4

若者の観光客も増えている尾道では、若者が立ち寄りそうなカフェも所々に見られる。最近の若者達は単にコーヒーを飲むのではなく、スターバックスのようにそのお店の雰囲気などを楽しみながら滞在する場所をカフェとして認識しているように感じる。だから少々お高いコーヒーのお店も、平気で入れる訳のようだ。

 

尾道市のデザインマンホール

こちらは尾道のデザインマンホールで、『纏(まとい)のデザインとなっている。江戸時代に広島藩を治めていた浅野家は、江戸では”火消し大名”として知られていた事もあって、その火消し大名のイメージが籠められたデザインとなっていたようだ。

徳川ヨシオ
徳川ヨシオ

昔の火消しは、火を消すのではなく、家を壊すのが仕事だったよ!

 

 

『千光寺公園/共楽園』にて

尾道公園の慰霊碑

そして坂道を登っていくと、『千光寺公園/共楽園』という公園のような場所に辿り着く。この場所はかつて『共楽園』として開発された公園で、後に尾道市に寄贈されて今では『千光寺公園』となっているエリア。

 

 

尾道 みはらし亭

その少し先の高台には「みはらし亭」という登録文化財にもなっている、大正10年(1921年)に造られた別荘だった建物が見られる。戦争後は旅館として使われたが、後に30年程空き家として放置され続けた建物でもあった。

 

そして2009年に「尾道市空き家バンク」で扱われた最初の物件の1つとしてリフォーム開発が行われて、今では歴史ある建物を楽しめるゲストハウスとして若者にも人気を博している建物になっている。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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