九州縦断旅行記(秋)2020年-㊴
旅行期間:2020年10月24日~28日
(A cat takes a nap in Unzen Hell, where hidden Christians were suppressed, without worrying about it.)
温かくて気持ちいい?!
さて九州旅は長崎県に入って来て島原半島へ渡って小浜温泉に立ち寄り、更には島原半島を形成している雲仙岳の麓にある「雲仙温泉」地域へとやって来ました。この辺りは昔の人が地獄のように煙が立ち上がる景色を見て、”雲仙地獄”とも名付けた場所で、車からは地中から噴き出すの湯気が激しく立ち昇る景色が見えています。
島原半島の雲仙温泉にて
雲仙と聞くと約30年程前に大噴火したイメージが強い場所だけど、今ではそんな噴火活動は殆ど確認されていないので、活火山があるからと特別驚く場所でもない。万が一雲仙を訪れている場合に噴火活動が確認されれば警報が発せられるので、それから避難すればいいのである。なおこちらの階段の先には「満明寺」という、約1300年前に行基という仏教僧が建立したという歴史ある寺が今も建っている。
九州の温泉街というとやっぱり別府温泉が有名だけど、ここ雲仙でも近くに活火山がある影響からか、このように辺りからモクモクと湧き出てくる湯気の煙が見えていて、更には温泉らしく硫黄臭い匂いが余計に温泉街らしい雰囲気にさせてくれる。
人間という生き物は不思議なもので万が一の命の危険性がある、こんな活火山の近くにも平気で住む生き物。大きな被害を生む火山の大噴火というのも一生に一度あるか、もしくは無い確率の方が高いと読んでいるからか、それよりも近くに湧き出る源泉の恩恵を享受する為に住み着いているのかもしれない。
雲仙地獄の景色① 動画
この雲仙温泉の起源は先程チラっと見えていた満明寺を建立した行基が、この地で温泉を開発していった。当時の仏教僧侶は日本全国の険しい場所に修行として巡っていたが、その危険性と隣り合わせで僻地を訪れると、このような体を癒してくれる源泉に出会える機会があった。なので一遍上人など温泉の起源話には、昔の仏教僧が絡んでいる事が多く、仏教僧侶が温泉を開拓していったと言ってもいいのかもしれない。
一般人からすると怖くて近寄りがたい光景に見える、噴煙を上げて源泉が湧きだしている場所だけど、全国を旅している仏教僧侶からすれば、思わず発見した時に舌なめずりしてしまったのかもしれない程、彼らにとっては癒しのスポットだった温泉。
オレも自称:エロ修行僧侶なので、その気持ち分かるわ~!(笑)
大分県の別府温泉街でも、その湯気が立ち上る様子を昔の人達が見て「地獄」と名付けていたが、この雲仙も同じように「雲仙地獄」と名付けていた。そしてこの雲仙地獄には更にその場所毎に、また別に名前が付けられていて、こちらには「清七地獄」という名前が付けられているのが見える。
「清七地獄」という名前が付けられているのは、1620年頃にキリシタンだった清七という人物が殉教した際に、ここから新しい地獄のように湯気が湧きだしてきた為に、彼の名前が付けられるようになったという。この長崎県では戦国時代後半になってからカトリック教の布教が始まり、普段苦しめられていた農民などを中心にキリスト教信者がとても増えていった。
しかしそんなキリスト教の布教で九州を中心に信者が増えていったものの、当時国内を掌握していた豊臣秀吉はその宗教布教の先にポルトガル侵略の危険シグナルを感じ取り、一転厳しくキリスト教の布教を禁止して、既にキリスト教信者になっているものを弾圧したのである。
仏教僧からすれば、このように地獄のように思える場所で修業する事によって、より深く瞑想が出来て修行の成果があがるものと思っていたのかもしれない。なお、この場所を開拓した行基はこの場所を今の雲仙ではなくて、「温泉」と書いてこれで「うんぜん」と呼んでいたという。
そして日本で最初の国立公園となった3つの中に入っていた『雲仙国立公園』(現在は雲仙天草国立公園と改称)に指定された際に、この地が正式に「雲仙(うんぜん)」と変更になったそうだ。
この雲仙国立公園が、日本で最初に選ばれたんやけ!
雲仙地獄の景色② 動画
この一帯は総称して「雲仙地獄」と名付けられているが、先程も見たように大小の地獄が30個前後も集まっている場所。なお、昔の僧侶が残した絵を参照すると、ここではもっと大きく煙が噴き出していたようだけど、写真ではなく絵なので、煙の量を実際の量よりも多く描いている可能性も考えられるので何とも言えないが。。
地獄という場所は勿論誰も見た事が無いけど、漫画やアニメで描かれた想像の世界が頭にイメージされている。また江戸時代にはこの雲仙地獄は温泉山満明寺が管理する霊山となっており、女人禁制の場所となっていて女性は立ち入る事が出来なかったという。
戦国時代には九州の大名自体がキリシタンになるケースも多くて、その影響もあってこの島原半島では多くのキリスト教信者が増える。そして江戸時代初期に行われたキリスト教弾圧では、有馬家の家臣:パウロ内堀作右衛門など16人がこの地で拷問され処刑された場所でもある。
遠藤周作原作の「沈黙」では、その当時のキリスト教弾圧の様子が描かれているけど、弾圧に遭ったキリシタン達も棄教をなかなかしなかった。パウロ内堀作右衛門という人物は息子たちが海に沈められて処刑されても棄教せず、更には手の指3本ずつを切り落とされて、額には「切支丹」という刻印を押し付けられても棄教しなかったという。
そんな中々棄教しないキリシタン達に業を煮やした島原藩は、この雲仙地獄に彼らを連れて来て、逆さ吊りにして熱湯の中に入れたり、熱湯をかけたりして拷問したという。そして厳しい拷問の末に絶命し、彼らの遺体をこの地獄の湯の中に捨てたという。
雲仙地獄の景色③ 動画
なので何気なく今こうやって見ている「スズメ地獄」なども可愛らしい名前が付けられているけど、ひょっとしたらこの場所とかで拷問が行われていた可能性もあったのかもしれない。
ただ今ではすっかりこのような観光地となっており、拷問地としての場所ではなくて、逆に温泉保養地となっている。源泉という地球が恵んでくれる有難い資源も、その使い方次第で人間を苦しめるものになり、また人間を喜ばせるものにもなる。
そんなキリシタンの処刑場所となった雲仙だけど、その後にはこの辺を温泉街として整備して、今では全国的に有名な温泉街となっている。全国の温泉には疎いボクだけど、まさかこんな雲仙岳に近い場所にこれだけ大きなホテルなどの温泉街があるとは思っていなかったけど、ヘレン・ケラーも訪れた事がある程に外国人に昔から人気な観光地として栄えたそうだ。
この雲仙地獄で地面から噴き出ている蒸気は、勿論水分が気化されたものなので、噴き出している付近の温度は最高で120℃もあるので、立ち入りは禁止されている。冗談半分でこの湯気に触ろうとすると、下手したら文字通り火傷する事だろう。
こちらには「お糸地獄」と文字の入った、石碑が見えている。こちらはキリシタン迫害とは関係なくて、昔島原城下で裕福な生活をしていたけど、夫を裏切り、更には殺害してしまったお糸という女性を処刑した時に噴出したとされている。これは本当のかは分からないけど、恐らくお糸の行った事の戒めとして、民に示すものなのかもしれない。
処刑された時にこの地獄のような噴煙が噴出するというのも、一見は都合のいい話にしか聞こえない。もしくは、たまたま噴出したタイミングを見て、それを勝手にお糸の処刑と結び付けたものなのかもしれない。人間という生き物は見た物を自分の都合のいいように解釈する本能があり、お糸の処刑が頭にあった人が強引にそう思ったのかも。
しかし温泉の硫黄成分の匂いは、相変わらずあまり好きになれる匂いではないけど、おならとは違う匂いなのでそう思うとあまり気にはならない。ただこの噴出する地獄のような煙には、炭酸ガスや硫化水素ガスも微量ながら含まれているので、あまり嗅ぎ過ぎると人体にいい影響は出ないので避けた方がいい。
昔は地獄絵図のような雰囲気の場所だったのだろうけど、今ではすっかり人気観光地化されており、このように雲仙地獄内は綺麗な通路も造られているので、そんな地獄感を感じない場所ともなっている。
雲仙地獄の景色④ 動画
そんな雲仙地獄の真ん中付近では、観光地だけあって茶店のような建物まで設置されている。そして更にはこんな地獄のような場所に関わらず、その茶店の椅子には吞気に昼寝している猫ちゃんを発見する。
昼寝していたのでゆ~~っくりと猫ちゃんに近づいてみたけど、全然起きる様子もなくて、吞気なものである。周囲ではこれだけ硫黄臭がして地獄絵図のようにも見える場所にも関わらず、身の警戒心もなく爆睡していたのである。。
雲仙地獄の猫ちゃん 動画
人間にとっては地獄と昔から思われていた煙が立ち昇る場所も、猫ちゃんにとっては外敵の少ない安全な昼寝場所だったのかもしれないな・・・。
2022年1月にNHKで放送されていた『岩合光昭の世界ネコ歩き「長崎」』の番組内で、岩合さんが雲仙地獄を訪れて撮影をしていました。その際にこの昼寝していた猫らしき1匹も写っていたので、ゲリラ豪雨に流される事なく無事だったようで、嬉しかったですね。
こんな旅はまた次回に続きます!
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